どうか抱いてよテンペスタ

よもぎ

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三話


 その日、レフィは常のように、魔王城へと向かう中途にあった。淫魔領から魔王城への道程には、空間を歪める瘴気の霧と、石化した木々の生い茂るバジリスクの森を通る必要がある。どちらも気を抜けばあらぬ土地に飛ばされたり、命を落とすことすらある場所であったが、既にレフィにとっては慣れた道だった。自ら作った目印を頼りにレフィはすいすいと霧を抜け、森の中を進んでいく。
 石化した草木が空を覆い、斑な影を形作る、鬱蒼とした森。奥地には魔物バジリスクが生息しているが、浅い場所には殆ど出てこない。静寂に包まれる森に息衝くのは、時折空を旋回する、魔界の三つ目烏くらいのものだった。それが、この森の常時の風景である。しかしながら、この日は僅かばかり、様子が違っていた。
 細い道の先に、複数の魔族の影がある。己以外の何者かの姿を見付けた瞬間、レフィは反射的に手近な木に姿を隠した。まだ半人前の淫魔でしかないレフィが魔界を生き抜く術のひとつである。どんな存在であろうと、とにかく不用意には近付かないこと。幸い向こうはレフィには気付かなかったようで、道の先で何事か会話しているのが窺えた。
(こんな辺鄙な森に、何の用で……?)
 この森は西方より魔王城へ向かう近道になるが、使う者は滅多にいない。広い道が整備されてないことに加え、石化の魔眼を持つバジリスクに遭遇する危険性もある。加えて、石化した木々に覆われた森は同じような風景ばかりで非常に迷いやすい。西方から魔王城へ向かう者は、余程急ぎの用でもない限り、森を迂回する道を選択する筈だった。現に、レフィが魔王城へ通い始めてからこれまで、自分以外の者をこの森で見たことは一度もなかった。
 レフィはこそこそと木の陰から顔を覗かせながら、道の先にいる集団の様子を窺う。どうやら一角オーガが数人、そこで屯しているようだった。オーガといえば魔界でも好戦的な派閥に属する魔族で、その上一角オーガは特に気性の荒い者が多い。変な因縁を付けられる危険を冒すよりも、避けて通った方が賢明であると思われた。
 仕方なく、レフィは常日頃使用している道から僅かに逸れて森を抜けることにした。万一に備えて、森を抜ける為の道は複数確保してある。最短距離を進むよりいくらか時間は掛かるが、背に腹には代えられぬと、レフィは木々に分け入っていった。木の幹に付けた傷や僅かな色の違いなど、自身にのみ分かる目印を辿って、レフィは順調に、複雑な道を辿って行く。そうすれば四半刻もないうちに、森を抜けられる筈だった。
 しかし。
「え、あ、あれ……?」
 迷った、と気付くのに、そう時間は掛からなかった。付けていた筈の目印が、ある時全く見当たらなくなったのだ。道を違えた覚えはない。石化した森が木々の伸長で様子を変えるとは考え難く、そこにある筈のものがないというのは、どう考えても異常なことだった。とはいえそれを理解したところで、レフィに為す術はない。首を傾げながらも、迂闊な行動は命取りだと、元の道に戻ることにした。視線が、背後を振り返る。
 ──それと同時に、レフィは息を呑んだ。
「な……なんで?」
 進むことを諦めて、振り向いた先。そこにはレフィがつい先程通った道が繋がっている筈だった。最後に目印を確認してから、数十歩程の距離しか進んでいない。にも拘わらず、レフィの眼前には、全く見たことのない光景が広がっていたのである。もの言わず佇む石化した木々。そのどれもが、レフィには見覚えのないものだった。付けた筈の目印など、何処にも見当たらない。
「う、うそ、なんで、どうして……っ」
 つい今しがた通った道が、まるで違うものに変わっている。目の前に広がる不可解な現象に混乱するまま、レフィは周囲を見回した。通い慣れた森の景色が、今は薄ら寒い他人の顔をして、じわじわとレフィの不安を煽っていく。ここに来て、レフィはようやく、事態の深刻さに気が付いた。冷静さを欠いた頭で、僅かな希望を探して闇雲に周囲を飛び回る。迂闊な行動をすれば、森の奥地に入り込んでバジリスクの魔眼の餌食になる可能性もあったが、じっとしていることも出来なかった。
 せめてこんな時上空まで出られればよいのだが、石化し、鋭い刃のようになった葉が天を覆う状況では、それもままならない。その上この森の一帯には獰猛にして狡猾な三つ目烏がいる。奴等の縄張りを犯すことは、即ち死を意味していた。
 冷や汗を滲ませながら、レフィは必死になって、道を探す。レフィはこの森の、近道として通れそうな場所は殆ど把握している筈だった。元の道でなくとも、知った場所に出ることが出来ればいい。そう祈って、レフィは森を彷徨い続ける。
 そのうち、獣道のような、か細い道が断続的に連なっている場所を見つけた。レフィに見覚えはなかったが、これを辿れば、何処か知った場所に続いているかもしれない。恐慌の中に差した一筋の希望に縋るように、レフィは躊躇いなくその道を進んだ。何処までも真っ直ぐに続く獣道を、持てる限りの力で突き進んだ。
 まるで誘導されているようだと、気付きもしないままに。
「……あ……っ」
 獣道を辿るうちに、レフィはそれが、開けた場所に続いていることを知った。鬱蒼と生い茂る木が無限に続くと見える中、明らかに景色の違う場所を見つけたレフィの心に、微かな安堵が落ちる。恐らくあれは、かつて誰かの手が入った場所だ。ということはそこから何らかの道が続いている可能性が高いし、まだ森の浅い場所にいるという証拠でもある。とにかくあそこまで行って、確かな道を探すのが最善だ。そう判じて、勢いのまま、そこへ突っ込む。
 刹那。横合いから伸びてきた手が、レフィの肩を掴んだ。
「──っ!」
 悲鳴を上げる間もないままに、レフィは手近な木の幹に、加減もなく背中を叩き付けられる。みしりと骨の軋む音がして、レフィの脚が弧を描きながら宙を蹴った。
「ぁ、な、に……?」
 突然の事態に眼を白黒させながら、レフィは苦しげに呻きを洩らした。視線を上げれば、すぐそこに、何者かの影がある。レフィの細い胴など片手で回ってしまいそうなほど大きな体躯。暗い緑の肌。口元から覗く鋭い牙と、額に伸びる一本の角──それを、レフィはつい今しがた、眼にしたことを思い出す。レフィが道を逸れるきっかけになった、一角オーガだ。その真っ赤な眼球を見るだけで、怖気が腹の底から這い上がってきそうになる。
「え、ええと……その、レフィに、何かご用ですか……?」
 脳裏に浮かぶ数々の疑問をまず置いて、レフィは至極穏便に話し掛けた。この状況が穏やかでないものだと、その程度はレフィにもよく分かっている。しかし、こういった時は出来る限り冷静に対応し、何処かで隙を見付けて逃げる算段を立てるのが、レフィの経験上一番賢いやり方だった。
「貴様があの、魔王を騙る忌々しい男が気に入っているとかいう淫魔だな」
「え? 魔王様?」
 身体の内側に響くような声が告げたその名を、思わずレフィは反芻する。てっきり一角オーガの狩りの獲物にでもされたと推測していたレフィにとっては、思いがけない言葉だった。
「あの、あなたは、魔王様のお知り合いですか?」
「馬鹿を言うな。俺達は、あの穢れた血で図々しくも魔王を名乗る不届き者を粛清する為に遣わされたのだ」
「え、おれ、たち……?」
 語られたその内容よりも、ひとつの言葉に引っ掛かりを覚えたレフィは、首を動かしてオーガの背後を確認する。その途端に、レフィの顔面から血の気がさっと引いた。さっきまでこの場所には誰もいなかった筈なのに、いつの間にか、オーガの同族達が、周囲に所狭しと集結していたのである。ざっと数えても数十はいた。いずれも筋骨隆々とした巨躯を誇り、一見しただけで強いと分かる。恐らくはオーガの中でも特に戦闘に特化した者達だ。オーガという種族は、魔族としての位自体は下位である。しかしここにいる彼等は、恐らく戦闘能力だけなら上級魔族にも匹敵するものだろう。
 無理だ。これは逃げられない。
 レフィの本能がそれを悟る。あまりにも明白な事実だった。半人前の淫魔でしかないレフィが、ここから何をどう足掻いても、この状況から自力で抜け出すことは不可能だ。彼等が実に賢明に、レフィと話し合う気がある訳でもない限りは。
「ぁ、え……?」
 命の危機を鼻先に突き付けられたレフィの身体が、がたがたと震える。レフィとて、あらゆる魔族が蔓延る魔界で生き延びてきた身である。修羅場のひとつやふたつ程度ならば経験していたが、それでも、ここまで絶望的な状況に立たされたことはなかった。
「俺達は長様のご命令により、あの傲慢にして厚顔無恥なる魔王に裁きを下す。手始めに、貴様を殺してその首を王城に送り付けてくれようという訳だ。いつの世も、堂々たる宣戦布告を為す事が、正善なる者の務めだろう?」
 乱杭歯を覗かせて、オーガは醜悪に笑う。その背後で、仲間達もいかにも気分のよい顔をしてけらけらと笑っていた。何対もの眼差しが、レフィを見下し、嘲り、侮蔑している。彼等はレフィのことを、同じ魔族だとすら思っていなかった。彼等にとって、レフィは力ない一匹の羽虫に過ぎないのだ。子供の戯れで羽を捥がれ、踏み躙られる、あまりに惨めで、無力で、ちっぽけな。
「しかし、隊長殿。このまますぐに殺してしまうというのも、味気ないものじゃあないですか」
 にたりと口角を吊り上げるように笑いながら、背後の集団の誰かが言う。レフィの身体を拘束するオーガの肩の向こうから、濁った赤眼がもう一対覗き込んできた。その眼差しは、レフィの頭から爪先までを、ねっとりと舐めるように這い回る。生理的な嫌悪が腹の奥から込み上がって、レフィの喉を苦くした。
「そいつは淫魔でしょう。どうです、殺す前にひとつ楽しんでみるのは」
「しかし、なりは貧相な子供だぞ」
「それもまた一興というものですよ」
「そういえば自分、聞いたことがありますよ。その淫魔、まだ精気を吸ったこともないらしいです」
「へえ、処女の淫魔だって? そりゃあ珍しい」
「折角淫魔に生まれついたってのに、精気の味も知らぬまま殺されるというのも憐れなもんじゃあないか。ここはひとつ、誇り高きオーガの我々が、情けをかけてやりましょう」
「賛成だ」
「賛成、賛成!」
「どうせ殺しちまうんだ、どう扱ったって構いやしねえよ」
「せめて一周するまで保つといいんだがな」
 げらげらと下卑た笑いを響かせながら、オーガ達が口々に囃し立てる。犯せ、嬲れ、蹂躙しろと。あの愚鈍にして軽忽たる王に媚び諂う蒙昧な淫魔を見せしめにと。オーガの巨大な手が、レフィの華奢な身体をゆっくりとなぞった。ぎらぎらと輝く無数の赤い瞳。そこに宿るのは、どろついた、こびりつくような悪意だ。
「っあ、い、や、やだ、やだぁっ……やめて……!」
 決して敵う訳もないと知りながらも、レフィは身体を捩り、手足をばたつかせて精一杯の抵抗を示した。身体は既に怖気付き、がたがたと震えてまともに動いてもくれない。それでもレフィは、ここで何もせずただ身を任せてしまう訳にはいかなかった。命を取られるだけならばまだいい。弱肉強食が理である魔界に生きる以上、レフィも常に、それなりの覚悟は胸にあった。
 それでも、この心に決めた誓いだけは、踏み躙られる訳にはいかない。こんなところで、この身の純潔を、よりにもよって魔王に翻意を抱くような輩に散らされる訳にはいかないのだ。レフィがこうして抵抗することで彼等の不興を買い、死期が近くなるのだとしても、これだけは譲れなかった。この命と引き換えになるとしても、レフィには守らなければならないものがある。
「やめて、やめてよ、離して! さわるな、すけべ、ばか、へんたい!」
 けれども、レフィがどんなに必死になって拒絶の意志を示そうと、オーガ達は笑うばかりで、むしろますます彼等の興を煽る事態にしかならなかった。元より戦闘能力を殆ど持たない淫魔の、それも半人前のレフィだ。どれだけ抵抗を見せようと、オーガにとっては虫が止まった程度にしか感じないだろう。それでも上級の淫魔ならば、こんな時魅了の術で彼等を手玉に取ることも不可能ではないが、もちろんのこと、レフィにそんな芸当が真似出来る筈もない。
 何もかも八方塞がりで、レフィがどう足掻こうと、迎える結末はきっと同じだった。
「ひ──っ、やだ、やだ、やだっ……おねが、やめて、やだぁ……っ」
 太い指先が、腿を掴む感覚。レフィの頬を、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。恐怖と悔恨と屈辱に染まったその眼差しを、オーガの赤い瞳が愉快そうに眺めていた。レフィが怯えれば怯える程、彼等の哄笑は愉悦に染まり、木々を揺るがす程に大きくなっていった。オーガの鋭い爪が、レフィの薄い服の隙間に差し込まれる。ぬるい吐息がレフィの首筋を擽り、そして今まさに、白い肢体が、屈強なオーガの餌食になる──ちょうど、その瞬間だった。
「あー、もしもし? たいへん盛り上がってるとこ悪いんだけど、ちょっと聞いてくれるかな」
 あまりにも場違いな、醒めた声がひとつ、やにわに差し込まれたのは。


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