対岸町のサーカステント

あきさき

文字の大きさ
上 下
41 / 120

カノジョの話 【10】

しおりを挟む



 翌日。寝不足の僕は欠伸を噛み殺しながら、小宮の上がる時間に合わせてバイト先へ向かった。丁度出てきた小宮が自転車に跨がりかけ、僕の存在に気づいて少しだけバツの悪そうな顔をする。
 どうやら酔っていたとはいえ昨日のことは覚えているらしい。なんと声をかけたらいいものか迷い、曖昧な笑みを浮かべつつ挨拶を交わす。

「えっと、昨日のことなんですけど」
「あー、どうだった? 夢ちゃん先輩怒ってなかった?」
「いえ、特に怒っては……むしろ空気悪くしてごめんなさいって言ってました。でも、本当にそういう話が苦手みたいで……」
「そっかー。まあ、そういうの苦手っぽい顔してるしなあ。最後に悪いことしちゃったわ、謝っとく」

 ノリと勢いで生きているが悪い人間ではない。付き合いの浅い僕ならともかく夢路先輩の気分をわざわざ害するつもりはないのだろう。ただ、決定的に『合わない人間』なだけだ。
 案外あっさりと頷いた小宮に一先ず安堵の息を吐く。本題はこの先だ。初手から躓いていては先が思いやられる。仕事終わりでさっさと帰りたいのか自転車に跨がり始めた小宮を引き止め、僕はわざわざ彼を訪ねた理由を口にした。

「あ、あともう一つ話があって」
「うん?」
「昨日言ってた、心霊スポットのことで……夢路先輩が怖がるから僕の雇い主にも確認してみたんですよ。そしたら、結構ガチでやばいところらしくて……胡散臭いとは思うんですけど、行かない方が良いと思います」

 寝ぼけた頭で考えた文言だったが、引き止めるには十分だろうと判断した。これで行ってしまうのならそこから先は小宮の責任だ。
 あとは全てを小宮に丸投げする気持ちで吐き出した僕に、小宮は戯れにベルを鳴らしながらごく軽い調子で口にした。

「それなんだけどさー、俺たち、もうそこ一回行ったことあんだよね」
「はあ……はい!?」

 ぢりんぢりんと響く古いベルの音に紛れて吐き出された台詞に、僕は数秒遅れて反応した。

「え、行っちゃったって……、大丈夫だったんですか?」

 思いもよらない言葉が返ってきたので狼狽えてしまった。
 いや、でも、そうか。確かに、小宮たちは昨晩の飲み会で『心霊スポットに行った話』をしていた。店長の相手をしていたので話半分にしか聞いていなかったが、確かにそう言っていたと思う。

 え、ええ……、この場合はどうしたらいいんだ? もう既に行っちゃったって、止めるとか止めないとか以前の話だよな。
 先輩にはなんて言えば良いんだろう。予想していなかった言葉に混乱する僕に、小宮はどこか心ここにあらずといった様子で続けた。

「それがさあ、俺たちは大丈夫だったんだけど、ちょっとさ……専門家?みたいな人に見てもらいたいな~って思うようなことがあってさあ」
「ええと、それってどういう?」

 小宮が言うには、小宮たちが廃病院に肝試しに行った時、そこには既に別のグループが来ていたそうだ。
 数人の男女が病院の中に入っていくのが見えたのだという。男女混合、という時点で目的は自分たちと同じだと思ったらしい小宮はそのグループに声をかけた。
 軽く冗談交じりに相手が幽霊でないかを確かめ合った小宮たちは、彼らが医学生のグループであることを聞き出した。メンバーの中に一人『そういうの』が好きなやつが居るとかで、彼らも小宮たちと同じく肝試しに来ていた。
 持ち前のノリの良さで一気に打ち解けた小宮と医学生グループは、人数が多いほうが面白いからと一緒に回ることにしたらしい。

「そん時だよ、アレが起こったのは」

 脳天気な小宮にしては珍しく、ごく真面目な顔をした彼は声を潜めながら続けた。ベルが煩いので正直もう少し声量を上げてほしかった。


 医学生グループの薀蓄や軽妙なトークに小宮たちが連れてきた女の子の方まで惹かれ始め、「これまずったんじゃね?」などと作戦ミスが頭を過り始めた頃。
 それとなく帰る方向へ持っていこうとしていた小宮が会話のシミュレーションに精を出していたところで、突如医学生グループの一人が叫び声を上げて倒れ込んだ。
 半狂乱で何かを振り払うように腕を振り回し、訳の分からない言葉と共に嘔吐したのだという。最初は悪ふざけだろうと笑っていた他のメンバーも、吐き出した辺りで顔色を変えて倒れ込んだ男へと駆け寄った。
 一応、医師を目指すものだ。対応しようという気概はあった。だが、場所が悪かった。時刻は深夜。しかも、肝試しに来ていた廃墟である。
 大抵の人間は冷静ではいられない。小宮たちのメンバーは真っ先に恐慌状態に陥り、我先にと逃げ出した。悲鳴と足音が反響し、恐怖は瞬く間に伝染した。

 小宮が我に返ったのは、戻った先の車の周りで泣きじゃくるメンバーと合流してからだったという。
 車の持ち主である男が来ないと帰ることも出来ない。暗闇の中、メンバーの中で狙っていた女と懐中電灯の明かりを頼りに身を寄せ合い、途中なんかちょっといい雰囲気になり、二人一緒に小宮の家に送り届けてもらったらしい。いや、そこは聞いてねえよ。話すな。

「そんでさあ、一応ニュースとか調べてみたワケ。怖いじゃん? あれで死んじゃってたら、俺ら死体遺棄?なの?みたいな。でもなんも出てこねーし、もう一回行く気にはなれねーし? だから櫛宮がオカルト事務所で働いてんならついでに調べてもらおうかなーって、そういうの知ってたらちょっとかっこいいじゃんね」
「……いや、別にかっこよくはないと思いますけど」
「なんで? かっこいいじゃん、祓いたまえー」

 笑いながら言う小宮は、どうやら本気でそう思っていて馬鹿にしているつもりはなさそうだった。だというのに馬鹿にしているように聞こえるのは、多分喋り方の問題なんだろう。
 手持ち無沙汰にベルを鳴らし続けた小宮は「行かねえ方が良いっていうならもういいや。彼女待たせてるしもう行くな」とへらへらしながら告げて去っていった。
 自分も呪われているかもしれない、などとは微塵も思っていない辺りが小宮だった。
 謎の脱力感に襲われながら、僕も帰路につく。一先ず先輩の頼み事を達成した気の緩みで眠気が襲ってきたので、帰宅した僕は昨日の寝不足を取り戻すかのように昼過ぎまで眠り、夕方からのバイトに備えた。


 予想通り若干遠巻きにされ、送別会を台無しにしたと店長に小言を言われながら仕事を終えた僕が自宅で就寝の準備をしていた頃、前条さんから電話が入った。
 正直言って出たくなかったが、職務上の連絡だったら困るしな、と言い訳しながら渋々といった体で電話を取った。

『もしもし、けーちゃん? 聞き忘れたんだけどさあ、何か欲しいお土産とかある?』
「アンタまさかそんなくだらない用件で電話かけてきたんですか?」
『だってけーちゃん寂しいだろ?』
「寂しがってんのはアンタでしょ」
『ああ、そうだよ。寂しいから電話しちゃった』

 ちょっとした意趣返しのつもりだったのだが、返ってきたのは楽しげな笑い声だった。
 何故だか僕の方が恥ずかしくなって口をつぐむ。数秒の沈黙。明らかにこちらの様子を伺い、楽しんでいる前条さんにいたたまれなくなった僕は、苦し紛れに昼間小宮に聞いた話を口にした。

「そ、そういえば今日、小宮に話を聞いたんですよ。あ、小宮ってのは僕のバイト先のちょっとムカつく同僚なんですけど、それでその小宮がですね、どうも例の砂上病院に行ったらしくて」
『呪われて帰ってきちゃった?』
「いや、小宮は無事みたいです。僕にはわかんないですけど。ただ、小宮がそこで突然呻いて倒れる人を見たらしくて……」

 昼間小宮から聞いた話を簡単に説明すると、前条さんはさほど興味が惹かれた様子もなく相槌を打った。

『ああ、目をつけた餌が居たから見逃された訳か。良かったね』
「……結局どういうところなんです? その、砂上病院ってのは」

 青ざめた先輩の顔を思い出す。『死んでも構わない人じゃないでしょう?』 少し震えた声は、確かに件の病院の恐ろしさを知っている人間のものだった。
 だが僕は実際例の病院がどういうものか知らない。けーちゃん、ちょっとは自分で調べるとかしたら?と笑いながら言う前条さんに、それが出来ていたら勉強だってもっと出来てましたよと返しつつ、一応は説明してくれるつもりらしい前条さんの言葉を待った。

『一言で言えば「堕とされた神が居座ってる場所」だな』
「ええと……神様というと、例の橋みたいなもんですか?」

 確かに、あれはかなりヤバかったように思う。橋の下から這いずり出てくる腕の群れを思い出して少し気分が悪くなった。
 あんなのが他にも居るのか。八百万、などというのだからもっと居るのかもしれない。八百万って。居すぎだろ神様。

『アレもアレで神の類だけど、砂上とは違う。信仰を必要としない、ただ在るだけのもんだからな』
「違うんですか?」
『砂上のは、使って使って使い倒して、どうにもならなくなったところで捨てられたカミサマだ。残り滓と怨嗟と未練で出来た化物。人間に対して明確な悪意と恨みを持ってるから、ちょっとやそっとじゃ引き下がらない』
「神様を使う……?」

 今ひとつピンと来ない僕に、前条さんは少し悩んでから説明を始めた。

『神に祈る時ってのは幾つかルールがあるよな。参拝時の礼だとか、約束事をしてはならないとか、見返りを用意しなければならないだとか。まあ神によって違うんだが、たまに居るんだよ、そういうルールを全部すっ飛ばして神に「要求を通せる」奴が。そういう本物は、神でも欲しがるような代物を平気な面で差し出して、依存させて、使い捨てる。叶えられる力を上回る要求を通して、使えなくなったらそこら辺に捨てて終わりだ。
 砂上様も昔は綺麗な女神様だったらしいが、今じゃ酷いもんだよ。砂上の怪談、けーちゃんは知らないんだったな。あそこ、目をつけられると記憶を食われるんだ。でかい鳥の化け物に押さえつけられて襲われて、嘴で頭を突かれる。付きまとわれて、少しずつ頭をほじくり返されて、最後には自分の名前も分かんなくなっちまって死ぬ。
 見た目の異常は無いもんだから、大抵はただの精神病扱いで弔ってお終い。知ってるやつもいるかもしれないが、言った所で異常者扱いされるのが落ちだからな。口には出さないだろ』

 小宮から聞いた話が脳裏に浮かぶ。
 廃病院で突如倒れた男。叫び声を上げながら暴れ、嘔吐する彼の上に鳥の化物が伸し掛かる様が勝手に付け足され、僕は慌てて頭を振った。
 深夜に一人の部屋で想像するようなことじゃない。

「…………それは、前条さんにはどうにも出来ないんですか?」
『――出来ない、とは言わない。ただ、言ったろ? 俺はあそこの仕事は受けない』
「えっと、それは、どうして?」
『思い出すから』

 恐らくその答えは僕に聞かせるつもりは無かったのだろう。耳元で響いたざらついた声はあまりにも冷たく、息苦しくなるほどだった。頭の奥まで凍りつくような声に、僕はその後前条さんとどんな言葉を交わしたのかすら覚えていないまま電話を切った。
 いや、嘘だ。ひとつだけ覚えている。

『そういや昨日のおかずはちゃんと俺だった?』

 うるせーばか。
 うるせーばか。
 アンタだったよ。死んでも言わないけどな。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

女神様は××××がお好き。

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:28

死にたがりの僕は言葉のわからない異世界で愛されてる

BL / 連載中 24h.ポイント:2,131pt お気に入り:235

傷だらけ聖者の幸福譚

BL / 連載中 24h.ポイント:610pt お気に入り:48

子悪党令息の息子として生まれました

BL / 連載中 24h.ポイント:10,289pt お気に入り:299

【完結】どいつもこいつもかかって来やがれ 2nd season

BL / 完結 24h.ポイント:1,235pt お気に入り:11

空き缶太郎のBL短編集〜健全版〜

BL / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:19

奴隷医の奴隷。

BL / 完結 24h.ポイント:5,964pt お気に入り:22

[R18]難攻不落!エロトラップダンジョン!

BL / 連載中 24h.ポイント:340pt お気に入り:1,465

処理中です...