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王都とギルド潜入
23.エレナとセナ
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ミライアが姿を消したその後で。しばし沈黙が走った。どこかくすぐったいような緊張感が周囲に漂い、ジョシュアはなんとも言えない気分を味わう。
昔の馴染みに再会する。そんな経験は、ジョシュアにとって初めてのことだった。
沈黙を破ったのはエレナからだった。ボソリと呟くようにそう言って、彼女はジョシュアを見上げた。
「ジョシュア」
「ん?」
こうしてちゃんと、彼女に名前を呼ばれるのは久しぶりだ。
振り返るのと同時に声を返すと、途端、ジョシュアは彼女の腕に引き寄せられた。ふわりと、懐かしい思い出が呼び起こされた。
昔と何も変わらず、エレナがここに居る。ジョシュアはどうしてだか、胸が一杯になってしまった。何か声をかけたいと思うのに、ポンコツな頭は何一つ口に出せやしない。ジョシュアは心底、口下手な自分をもどかしく思った。
「良かったーーッ」
安堵したような涙まじりの声が、ジョシュアの耳にも届いた。同時にギュッと抱きしめられて、エレナの体温をより近くに感じる。きっと彼女なりに、ここまで我慢していたのだろう。その背に手を回しながら、ジョシュアは彼女と最後に別れたその日のことを思い出していた。
あの時もエレナは、どこか泣きそうな顔で笑っていた。それを、当時のジョシュアは随分と不思議に思ったものだった。なぜ、自分のような出来の悪い男にそこまでできるのかと。ただの憐れみの類いではないのかと。当時の卑屈な彼は思っていたのだ。
だからジョシュアは、彼女に会いに行くことすらしなかった。手紙だって一度も出したことはない。誰にも知られずにひっそりと、ジョシュアは暮らしていた。きっと自分の事なんて。そう決めつけて何もしなかった。
けれども今日、エレナに会って初めて理解した。エレナは確かに、ジョシュアが思っているよりもずっと、ちゃんと仲間だと思ってくれていたのだと。
昔の自分は、随分と周りが見えていなかったようだ。反省すると同時、卑屈になっていた過去の自分を呪う。
けれども確かに、ジョシュアが彼女達から離れた事に後悔はなかった。何せジョシュアと彼女達の間には、到底埋める事の出来ない実力差が確かに存在したのだから。離れてホッとしたという気持ちは、間違いなくあったのである。
エレナは、黙りこくったままのジョシュアに構わず言葉を続けた。
「私の所に、重要任務があるなんていうから、聞いてみればアンタの名前があるし……この一年、どこ探しても痕跡がないしっ、何に巻き込まれたのかも分かんないなんて……も、ダメかと思ってた」
涙まじりの、嗚咽を堪えるような声だった。
彼女の言葉に、ジョシュアは申し訳なく思う。
「すまん……正直、エレナは俺の事なんて忘れてるかと思ってた」
「馬鹿っ。ずっと一緒にいて、パーティ組んで頑張ってた仲間の名前、忘れる訳、ないでしょーが」
「泣くな」
「泣いて、ない!」
ジョシュアの首元に抱き着きながら、エレナは自分の腕に顔を埋めてぐずぐずと鼻を啜った。それっきり何も言えず、ジョシュアはエレナの満足のいくまで好きにさせたのだった。
こんなに嬉しいことはない。ずっと忘れているだろうと思っていた大切なひとが、こうしてジョシュアのために泣いてくれている。泣かせてしまった、という罪悪感はあれど、それよりもむしろ、安堵の方が大きかったのだった。彼女もまた、自分を大切に思ってくれていた。それだけでもう、ジョシュアは十分だった。
静かな森の夜にふたりだけ。ジョシュアはそのような錯覚を覚えた。
しかし、それはそう長くは続かなかった。
「何、エレナってそういう男がタイプ?」
雰囲気を丸ごとぶち壊すような素っ頓狂な声がして、二人は同時に体を離した。余りに突然で、そして無遠慮な声に驚いてしまったのだ。
二人が慌てて振り向くと、そこには金髪のチビーーセナが立っていた。
あまりにも遠慮のない彼の乱入に、エレナは肩を怒らせ声を荒げる。
「セナ……アンタってホント、無神経ーーッ! 空気読めよバカ!」
ジョシュアだってここまで酷くは無い。
彼女の苛立たしげな声は、静かな夜の闇の中へと消えていったのだった。
それからすぐのことだ。エレナにこってりと絞られた後で、【A】級ハンターだというセナは、口を尖らせながら言った。
「――だってコレ、わけ分っかんないし! 気付いたら意識失ってて、突然女が起こしにきたかと思えばここに行けって言われてさ……俺にも事情、教えてくれるんでしょう? エレナなんて獲物だった奴と抱き合ってて尚更意味分かんないしッ」
声を荒げながらそう言い切った彼は、無遠慮にジョシュアの方を指差すと、ブスッとした表情でエレナを見つめた。
その気持ちは分からなくもない、とジョシュアは彼に同情する。しかし、そんなセナを嗜めるように、エレナは言うのだ。逃しはしないと。
「勿論、あの人が戻ったら説明するから。事情が変わったの。アンタにも少し、手伝ってもらうから」
「面倒なの出てきたっぽいんでご遠慮したいんだけど。そこは確定?」
「当たり前でしょ。だってアンタ、生かされたじゃない?」
にっこりと笑いながら小首を傾げ、エレナは脅し文句にそんなことを言う。彼女に怯んだのか、セナはグッと言葉を飲み込んだようだった。
きっと彼も感じたろう。彼の言ったその女が、自分では到底太刀打ちできない者であると。だから大人しく言われるがまま、こうして従っているのだと。セナは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
彼らのやり取りを見ながらジョシュアは思う。エレナも中々の策士だ、なんて。自分だけではなくセナを巻き込むために、エレナはあえて大事な所をぼやかしている。先に巻き込んでしまえば断れないと、きっとそう踏んでいるに違いない。
彼女のそんな逞しいところを見ながら、ジョシュアはその器用さを羨ましく思うのだった。
セナはブスッと口を尖らせたまま、不服そうに言った。
「それ、マジですか」
「マジです。アンタにも、国とギルドには今日のことについてシラを切ってもらう。不審人物など居なかったと。屁理屈並べて手玉に取るの、アンタ得意でしょう?」
「……いや、まぁ、そうだけど」
「アンタが一番信用できるの」
その瞬間、セナはポカンとした顔でエレナを見遣った。その口から次なる言葉は出ないまま。
「一応、アンタの腕は買ってるのよ、言わせないでよ」
「いや、まあ、……ありがとうございます?」
「そこは素直に喜べ。んでね、あとはコイツなんだけど……」
「ああ、そこそこ、俺が聞きたかったのはそこだ。小一時間も逃げ回ってくれちゃって……膝蹴りもクッソ痛かったし。そのヒト、魔族でしょ? どこ種よ。次会ったらタダじゃおかないし」
「セ、ナ、」
「……へいへい」
そこで話題に上がったジョシュアは、チラリと窺うようにエレナを見た。
先の話にもある通り、セナとジョシュアは一度殺し合っているのだ。当人達同士で話すよりかは、エレナを間に入れた方が話が進むに決まっているのだ。
うん、と合図を送ってみせたエレナの好意に甘え、ジョシュアは何も言わずにエレナに全部を任せることにした。
「彼、ゲオルグよ。私の古い仲間でね――この人、今は吸血鬼なの」
「は?」
「吸血鬼。今も存在するんだって、本当に。ちなみにこれも他言無用だから」
エレナからそんな言葉を聞かされて、セナはジョシュアを見ながら押し黙ってしまった。セナもまたハンターなのだ。当然、吸血鬼の噂くらいは耳にしているはずだ。
エレナは、そんなセナに構わずに言葉を続けた。
「だから、肝に銘じて欲しいんだけど……コイツの事、一切他言しないでもらえる? 下手すると私の命も危ないから」
「んん!?」
「ほら、モンスターの隷属契約ってあるじゃない? 撃ち倒したモノを従えさせることができるっていうあれ。一般的にはあまり知られていないけれど、あれって相手が魔力さえ保持していれば、その飼い主になれるってことだからーー魔族が対象であっても、有効になるらしいのよね。その真名さえ知っていれば」
そこで一度言葉を切ったエレナは、申し訳なさそうにジョシュアを見た。そんな気はまるでなかったのだと、その目が語っている。
「ついね、私、ゲオルグを負かしちゃったし、その上で名前なんて当然知ってるから呼んじゃって。……こんなのは事故よ事故、魔族にも有効だなんてそんなのは知らなかったし、更々そんな気は無かったんだしさ。そんな訳で、私は吸血鬼の主人として、魔族や人間から所有権を巡って命を狙われる危険性がある、ってことね」
分かった?と、そう言いながら、エレナが話し終えると。途端にセナは険しい顔になる。そのまま彼は、勢い良くエレナに向かって訴えかけた。
「何、それ怖っ、そんなのとっとと放棄しなよ!」
「解き方が分からないのよ。そんなもの結ぶつもりなんて全然なかったし……モンスターならまだしも、同じヒトだなんて。まったく……信用できる魔術師にでも手紙を出して、破棄方法を聞いてみるわ」
大きくため息を吐きながら、エレナは再びジョシュアを見る。今度はどこか、悩ましげな表情だ。
「ま、それでも実際、協力してもらえればありがたい話ではあるのよね。私やアンタとタイマンどころか、まとめて相手取れるのよ? 今まで出来なかった事が出来るかもしれない」
「まぁ、それは……俺も一発食らったし。久々に殺られるかと思ってドキドキした」
「うん、そういう事よ。こんな隷属関係なんて私の好みじゃないから、すぐに契約は破棄するつもりだけど……ミッシャさんが王都に居る間位なら、協力してもらえないかな、って思ってるの」
「ミッシャ?」
「それは――」
「私の事だ」
エレナが彼女のことを話そうとした時だった。不意に、座り込んでいる彼らのすぐ背後から声が降ってきたのだ。
「っ!」
「あっ」
音も気配すら感じられないミライアの登場に、人間の二人はギクリと身体を揺らした。ジョシュアはもはや驚きもしない。こんなことはもう、日常茶飯事になってしまったからだ。
ミライアには少し、突然現れて人間を驚かせることを楽しんでいる節がある、とジョシュアは思っている。ジョシュアはもう慣れてしまったから、新たなターゲットを見つけて少し、彼女も張り切っている気がする。
これからたびたび驚かされることになるだろうこの二人に、ジョシュアはこう、何とも言えない、生暖かい視線を送るのだった。
「ミッシャと、そう呼べ。ただし、この名は余り広めてはくれるな。名前の威力は、我等が一番身に染みて知っている。エレナの言うように、我等魔族ーー特段、吸血鬼にとって名前とは己を縛る枷のようなもの。我らは真名こそあれど、特定の名は極力持たんのだ。理解したか? そこなチビ助」
いつものように仁王立ちしながら、ミライアがそう言うと。
途端、セナの額がヒクリと震えるのを、ジョシュアは目撃してしまった。
それと同時、エレナはバッと勢い良く顔を背けた。心なしかその肩が揺れている気がする。
何かが起こりそうな気がして、別の意味でハラハラとしながら、ジョシュアはその場を見守った。
「チッ、チ、……チビ、すけ」
「ん? 気に食わんのか? 貴様は我が下僕よりも小柄だったものでな。言動も到底大人とは思えん。貴様も呼んで欲しい名があれば言え、名前くらいは呼んでやる」
ジョシュアの隣で、エレナがより一層プルプルと震えている。
目の前のセナは、怒りやら何やらを呑み込んでいるように震えている。
ミライアはいつも通り、それを眺めてはニヤニヤと笑みを浮かべている。
ジョシュアは全体を見渡し、何とも居心地悪そうにしながらその先を憂いたのだった。
昔の馴染みに再会する。そんな経験は、ジョシュアにとって初めてのことだった。
沈黙を破ったのはエレナからだった。ボソリと呟くようにそう言って、彼女はジョシュアを見上げた。
「ジョシュア」
「ん?」
こうしてちゃんと、彼女に名前を呼ばれるのは久しぶりだ。
振り返るのと同時に声を返すと、途端、ジョシュアは彼女の腕に引き寄せられた。ふわりと、懐かしい思い出が呼び起こされた。
昔と何も変わらず、エレナがここに居る。ジョシュアはどうしてだか、胸が一杯になってしまった。何か声をかけたいと思うのに、ポンコツな頭は何一つ口に出せやしない。ジョシュアは心底、口下手な自分をもどかしく思った。
「良かったーーッ」
安堵したような涙まじりの声が、ジョシュアの耳にも届いた。同時にギュッと抱きしめられて、エレナの体温をより近くに感じる。きっと彼女なりに、ここまで我慢していたのだろう。その背に手を回しながら、ジョシュアは彼女と最後に別れたその日のことを思い出していた。
あの時もエレナは、どこか泣きそうな顔で笑っていた。それを、当時のジョシュアは随分と不思議に思ったものだった。なぜ、自分のような出来の悪い男にそこまでできるのかと。ただの憐れみの類いではないのかと。当時の卑屈な彼は思っていたのだ。
だからジョシュアは、彼女に会いに行くことすらしなかった。手紙だって一度も出したことはない。誰にも知られずにひっそりと、ジョシュアは暮らしていた。きっと自分の事なんて。そう決めつけて何もしなかった。
けれども今日、エレナに会って初めて理解した。エレナは確かに、ジョシュアが思っているよりもずっと、ちゃんと仲間だと思ってくれていたのだと。
昔の自分は、随分と周りが見えていなかったようだ。反省すると同時、卑屈になっていた過去の自分を呪う。
けれども確かに、ジョシュアが彼女達から離れた事に後悔はなかった。何せジョシュアと彼女達の間には、到底埋める事の出来ない実力差が確かに存在したのだから。離れてホッとしたという気持ちは、間違いなくあったのである。
エレナは、黙りこくったままのジョシュアに構わず言葉を続けた。
「私の所に、重要任務があるなんていうから、聞いてみればアンタの名前があるし……この一年、どこ探しても痕跡がないしっ、何に巻き込まれたのかも分かんないなんて……も、ダメかと思ってた」
涙まじりの、嗚咽を堪えるような声だった。
彼女の言葉に、ジョシュアは申し訳なく思う。
「すまん……正直、エレナは俺の事なんて忘れてるかと思ってた」
「馬鹿っ。ずっと一緒にいて、パーティ組んで頑張ってた仲間の名前、忘れる訳、ないでしょーが」
「泣くな」
「泣いて、ない!」
ジョシュアの首元に抱き着きながら、エレナは自分の腕に顔を埋めてぐずぐずと鼻を啜った。それっきり何も言えず、ジョシュアはエレナの満足のいくまで好きにさせたのだった。
こんなに嬉しいことはない。ずっと忘れているだろうと思っていた大切なひとが、こうしてジョシュアのために泣いてくれている。泣かせてしまった、という罪悪感はあれど、それよりもむしろ、安堵の方が大きかったのだった。彼女もまた、自分を大切に思ってくれていた。それだけでもう、ジョシュアは十分だった。
静かな森の夜にふたりだけ。ジョシュアはそのような錯覚を覚えた。
しかし、それはそう長くは続かなかった。
「何、エレナってそういう男がタイプ?」
雰囲気を丸ごとぶち壊すような素っ頓狂な声がして、二人は同時に体を離した。余りに突然で、そして無遠慮な声に驚いてしまったのだ。
二人が慌てて振り向くと、そこには金髪のチビーーセナが立っていた。
あまりにも遠慮のない彼の乱入に、エレナは肩を怒らせ声を荒げる。
「セナ……アンタってホント、無神経ーーッ! 空気読めよバカ!」
ジョシュアだってここまで酷くは無い。
彼女の苛立たしげな声は、静かな夜の闇の中へと消えていったのだった。
それからすぐのことだ。エレナにこってりと絞られた後で、【A】級ハンターだというセナは、口を尖らせながら言った。
「――だってコレ、わけ分っかんないし! 気付いたら意識失ってて、突然女が起こしにきたかと思えばここに行けって言われてさ……俺にも事情、教えてくれるんでしょう? エレナなんて獲物だった奴と抱き合ってて尚更意味分かんないしッ」
声を荒げながらそう言い切った彼は、無遠慮にジョシュアの方を指差すと、ブスッとした表情でエレナを見つめた。
その気持ちは分からなくもない、とジョシュアは彼に同情する。しかし、そんなセナを嗜めるように、エレナは言うのだ。逃しはしないと。
「勿論、あの人が戻ったら説明するから。事情が変わったの。アンタにも少し、手伝ってもらうから」
「面倒なの出てきたっぽいんでご遠慮したいんだけど。そこは確定?」
「当たり前でしょ。だってアンタ、生かされたじゃない?」
にっこりと笑いながら小首を傾げ、エレナは脅し文句にそんなことを言う。彼女に怯んだのか、セナはグッと言葉を飲み込んだようだった。
きっと彼も感じたろう。彼の言ったその女が、自分では到底太刀打ちできない者であると。だから大人しく言われるがまま、こうして従っているのだと。セナは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
彼らのやり取りを見ながらジョシュアは思う。エレナも中々の策士だ、なんて。自分だけではなくセナを巻き込むために、エレナはあえて大事な所をぼやかしている。先に巻き込んでしまえば断れないと、きっとそう踏んでいるに違いない。
彼女のそんな逞しいところを見ながら、ジョシュアはその器用さを羨ましく思うのだった。
セナはブスッと口を尖らせたまま、不服そうに言った。
「それ、マジですか」
「マジです。アンタにも、国とギルドには今日のことについてシラを切ってもらう。不審人物など居なかったと。屁理屈並べて手玉に取るの、アンタ得意でしょう?」
「……いや、まぁ、そうだけど」
「アンタが一番信用できるの」
その瞬間、セナはポカンとした顔でエレナを見遣った。その口から次なる言葉は出ないまま。
「一応、アンタの腕は買ってるのよ、言わせないでよ」
「いや、まあ、……ありがとうございます?」
「そこは素直に喜べ。んでね、あとはコイツなんだけど……」
「ああ、そこそこ、俺が聞きたかったのはそこだ。小一時間も逃げ回ってくれちゃって……膝蹴りもクッソ痛かったし。そのヒト、魔族でしょ? どこ種よ。次会ったらタダじゃおかないし」
「セ、ナ、」
「……へいへい」
そこで話題に上がったジョシュアは、チラリと窺うようにエレナを見た。
先の話にもある通り、セナとジョシュアは一度殺し合っているのだ。当人達同士で話すよりかは、エレナを間に入れた方が話が進むに決まっているのだ。
うん、と合図を送ってみせたエレナの好意に甘え、ジョシュアは何も言わずにエレナに全部を任せることにした。
「彼、ゲオルグよ。私の古い仲間でね――この人、今は吸血鬼なの」
「は?」
「吸血鬼。今も存在するんだって、本当に。ちなみにこれも他言無用だから」
エレナからそんな言葉を聞かされて、セナはジョシュアを見ながら押し黙ってしまった。セナもまたハンターなのだ。当然、吸血鬼の噂くらいは耳にしているはずだ。
エレナは、そんなセナに構わずに言葉を続けた。
「だから、肝に銘じて欲しいんだけど……コイツの事、一切他言しないでもらえる? 下手すると私の命も危ないから」
「んん!?」
「ほら、モンスターの隷属契約ってあるじゃない? 撃ち倒したモノを従えさせることができるっていうあれ。一般的にはあまり知られていないけれど、あれって相手が魔力さえ保持していれば、その飼い主になれるってことだからーー魔族が対象であっても、有効になるらしいのよね。その真名さえ知っていれば」
そこで一度言葉を切ったエレナは、申し訳なさそうにジョシュアを見た。そんな気はまるでなかったのだと、その目が語っている。
「ついね、私、ゲオルグを負かしちゃったし、その上で名前なんて当然知ってるから呼んじゃって。……こんなのは事故よ事故、魔族にも有効だなんてそんなのは知らなかったし、更々そんな気は無かったんだしさ。そんな訳で、私は吸血鬼の主人として、魔族や人間から所有権を巡って命を狙われる危険性がある、ってことね」
分かった?と、そう言いながら、エレナが話し終えると。途端にセナは険しい顔になる。そのまま彼は、勢い良くエレナに向かって訴えかけた。
「何、それ怖っ、そんなのとっとと放棄しなよ!」
「解き方が分からないのよ。そんなもの結ぶつもりなんて全然なかったし……モンスターならまだしも、同じヒトだなんて。まったく……信用できる魔術師にでも手紙を出して、破棄方法を聞いてみるわ」
大きくため息を吐きながら、エレナは再びジョシュアを見る。今度はどこか、悩ましげな表情だ。
「ま、それでも実際、協力してもらえればありがたい話ではあるのよね。私やアンタとタイマンどころか、まとめて相手取れるのよ? 今まで出来なかった事が出来るかもしれない」
「まぁ、それは……俺も一発食らったし。久々に殺られるかと思ってドキドキした」
「うん、そういう事よ。こんな隷属関係なんて私の好みじゃないから、すぐに契約は破棄するつもりだけど……ミッシャさんが王都に居る間位なら、協力してもらえないかな、って思ってるの」
「ミッシャ?」
「それは――」
「私の事だ」
エレナが彼女のことを話そうとした時だった。不意に、座り込んでいる彼らのすぐ背後から声が降ってきたのだ。
「っ!」
「あっ」
音も気配すら感じられないミライアの登場に、人間の二人はギクリと身体を揺らした。ジョシュアはもはや驚きもしない。こんなことはもう、日常茶飯事になってしまったからだ。
ミライアには少し、突然現れて人間を驚かせることを楽しんでいる節がある、とジョシュアは思っている。ジョシュアはもう慣れてしまったから、新たなターゲットを見つけて少し、彼女も張り切っている気がする。
これからたびたび驚かされることになるだろうこの二人に、ジョシュアはこう、何とも言えない、生暖かい視線を送るのだった。
「ミッシャと、そう呼べ。ただし、この名は余り広めてはくれるな。名前の威力は、我等が一番身に染みて知っている。エレナの言うように、我等魔族ーー特段、吸血鬼にとって名前とは己を縛る枷のようなもの。我らは真名こそあれど、特定の名は極力持たんのだ。理解したか? そこなチビ助」
いつものように仁王立ちしながら、ミライアがそう言うと。
途端、セナの額がヒクリと震えるのを、ジョシュアは目撃してしまった。
それと同時、エレナはバッと勢い良く顔を背けた。心なしかその肩が揺れている気がする。
何かが起こりそうな気がして、別の意味でハラハラとしながら、ジョシュアはその場を見守った。
「チッ、チ、……チビ、すけ」
「ん? 気に食わんのか? 貴様は我が下僕よりも小柄だったものでな。言動も到底大人とは思えん。貴様も呼んで欲しい名があれば言え、名前くらいは呼んでやる」
ジョシュアの隣で、エレナがより一層プルプルと震えている。
目の前のセナは、怒りやら何やらを呑み込んでいるように震えている。
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