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王都とギルド潜入
36.だまくらかしあい
しおりを挟むジョシュアが戦わされている者達は、敵ではない。味方だった。
視界がひらけて初めて、ジョシュアは目の前の二人の姿を確認する事ができたのだ。どうやら自分はあの魔族、ヴィネアに化かされていたらしい、と。
忘れかけていた記憶を思い出しながら己の不甲斐なさを猛省する。
最後にヴィネアの発した、始末しろというあの言葉。あれにはありったけの魔力が込められていた。気付くのが遅れていれば、危うくあの言葉に操られ、本当に二人を傷つけていたかもしれない。それを思うとジョシュアはゾッとした。
気付いたジョシュアがまず最初に行ったのは、それとなく攻撃の手を緩める事だった。
ジョシュアを堕とす為とはいえ、ヴィネアによって与えられた血液はジョシュアに力を与えた。飢餓状態から回復したが故、ジョシュアは吸血鬼としての本来の能力を取り戻しつつあったのだ。
エレナ達人間にとって、吸血鬼による打撃がいかに重い一撃となるか、ジョシュアも理解しているつもりだ。
打撃が当たる瞬間、その重心を僅かに外す。以前なら決して出来なかっただろうそれも、赤毛とヤり合った事でわかるようになった感覚だ。
それを何度か繰り返してやると、エレナもセナも気付いたようだ。ジョシュアの攻撃から威力が無くなった、もしや正気に戻ったのでは、と。
そして二人は、やはり端からはわからぬよう、チラリとジョシュアの目を見た。ジョシュアから見て、ヴィネアを背にしたその瞬間だった。彼等と視線がかち合うのと同時、ジョシュアはく、と僅かに頷いてみせた。
それできっと、二人には通じたはずだ。ジョシュアにはヴィネアの支配が完全に及んでいないのだと。
二人のハンターがここへ辿り着く直前まで、ヴィネアはジョシュアへと吸血をさせていたのだ。ヴィネアの魅了の威力を最大限に上げるために。それがジョシュアへ力を与えるとも知らずに。
ヴィネアの体液を取り込んで尚、ジョシュアはしぶとく正気を保った。それでヴィネアも意地になっていたのだろう。初めての難敵を倒す為、ヴィネア自身も身を削ったという訳だ。
それは功を奏した。しかし同時に、ジョシュアが術を打ち破るというリスクも高めた。
競り勝ちつつあったのはヴィネアだった。そのままあと数十分もしていれば、恐らく完全に嵌っていただろう。しかし、運はジョシュアに味方した。
そんな最中にだった。段々と近付いてくるエレナとセナの気配に、ヴィネアは気が付いたのだ。
そしてきっと、少なからず焦っただろう。この吸血鬼を今ここで支配出来なければ、自分はひとりで複数人と対峙する羽目になると。ジョシュアの魅了に対する抵抗力が予想以上に強く、時間が足りなかった。
そこでヴィネアは、魅了ではなく幻術で惑わせる選択をしたのである。幻術の中でもリアルに即したそれは、瞬く間にジョシュアを引き摺り込んでいった。
事前に、精神にダメージを及ぼすようなものを見せていた効果もあっただろう。ジョシュアはあっという間に取り込まれていった。抵抗する力を削がれたまま、幻覚の海に溺れてしまったのである。
そうしてジョシュアは、ヴィネアの幻術によりあのような戦いをさせられる羽目になった。
きっとヴィネアはその時点で勝利を確信しただろう。吸血鬼に敵う人間などいない。味方同士で戦わせれば、戦力を欠く事もなく楽にこの場を収められるだろうと。
だが、そんなヴィネアの思惑は破綻した。ほんの些細な事だった。
ジョシュアという吸血鬼がいかに常軌を逸しており、常に飢餓状態であるだなんて。一体誰が想像できようか。
この世では刻一刻と流れる時に追われながら、その場その場の判断により勝敗が決する。
何が原因でどうなるかなど、誰にも予想がつかないのである。
ジョシュアが己を取り戻してからはもう、全てが演技だった。ダメージが入らぬよう、二人を壁際までふき飛ばしたり、床に転がしたりもした。
もちろん、ハンターの二人も時折ジョシュアを投げ飛ばすなどもしたが。戦局がどちらかに傾き過ぎないように気を使った。
以前に一度、殺す気でぶつかり合っていた事が功を奏したのだろう。ボロボロになったジョシュアの努力もローブも、無駄にはならなかったのである。
その一撃一撃がただの時間稼ぎに過ぎない。過ぎ去ってゆく時間と気付かぬヴィネアを横目に、彼らは場の状況を支配していた。
「──おい、ちょっとお前、いくら何でも時間がかかりすぎてない? あの女の眷属だろうが。人間相手にこんなに手こずるなんて事、あるか……?」
そしてとうとう、場が動き出す。この状況を流石に不審に思ったのだろう、ヴィネアが不機嫌そうに言った。
そして同時、ヴィネアに問われたジョシュアは、その場で動きを止める。そのように行動したとしても、不自然には思われないと判断しての事だ。
意気消沈して項垂れている姿を装った。ヴィネアから顔がよく見えぬように位置を整え、しかし険しい表情は崩さない。未だヴィネアの幻術による影響下にあると、そう思わせ続けていたかった。
「おい、お前、聞いてんのかァ? あんまり使えないと、他所へやるぞ。俺程優しくて高貴な魔族は他に居ないんだからな」
またしても語られた言葉にピクリと反応しながら、ジョシュアはただその時を待った。魔族にもそのような身分があるのか。ジョシュアも初めて聞く話だった。
エレナもセナもまた、手を止めながら緊張した面持ちでことのタイミングを今か今かと見計らっていた。
「全く、魔王様の身内だってのにどいつもこいつも礼儀がなってない。カラダに教えてやらなくっちゃなァ」
魔王?
不意にその言葉を耳にした瞬間、ジョシュアは何故だか背筋に悪寒を感じた。
そんな者はこの世に存在しないはず。ただの作り話だ。そうわかってはいるのに。何故だかジョシュアは恐ろしくなってしまった。恐れているのは、取り込んでしまったヴィネアの血だろうか? 何となく、ジョシュアにはそのように思えてならなかった。
今や魔王だなんて、そんなお伽噺を信じるような者はハンター達の中にも、一般の人間達の中にもいない。
昔々あるところに、だなんてところから始まる子供の寝物語のひとつに過ぎないのだから。
魔族もモンスターも存在しなかった遥か昔。世界には人間と動物達が共に暮らしていた。
人間達の中には不思議な魔術を使える者が半分ほど、そしてもう半分は動物達と会話ができたのだ。彼らは最初のうち、みな喧嘩もなく仲良く幸せに暮らしていた。
だがある時、魔術を使える者の一人が言った。
『僕たちは魔術が使える。だから君たちよりもずっと偉いんだ。平等なのは不公平だ』
それを聞いた一人、動物達と会話をする彼らの内の一人が言った。
『僕らは動物たちと話ができる。狩ってきたお肉で美味しいご飯を食べられるのも、長い距離を動物たちに乗って移動できるのも僕らのお陰だ。君らは魔術だけで、自分じゃ何もできないじゃないか』
そんな両者の言い争いはたちまち世界中に広まり、魔術が使える者を偉いと言う者達と、役目を果たせる者が偉いと言う者達とで、世界は真っ二つに割れてしまったのだ。それが、人間(族)と魔族の始まりだった。
それから間も無く、魔族の中で王だと名乗る者が現れた。それが魔王である。魔王はバラバラだった魔族達を集めてひとつの国を創り、沢山の魔術実験をした。
動物達に魔力を与え、己が操れるモンスターを生み出した。魔族達に更なる力を与えようと、動物と魔族達を掛け合わせて新しい異形の魔族を生み出した。
そうして魔王は、危険な実験をたくさん繰り返して、新たな種族を次々と生み出し、力をつけて人間族を支配しようと企んだ――と、ジョシュアが知るのはそのような類いの話だった。
結局魔王は、神様から力を与えられた人間――勇者によって倒され、残った魔族達は罰として陽の光に当たる事ができないという呪いをかけられてしまった、と。
よくある勧善懲悪のストーリーである。そしてこれは、ただのお伽噺である。ジョシュアの知っているものは、そんな作り話だったはずだった。
魔王なんてものは実在しない。分かりきっている。
だが同時に、ジョシュアは思った。このヴィネアが、こんな時にこんなところで、冗談なぞ口にするだろうか?
どこか陰湿でねっとりとした、いやらしい猫なで声で囁いたその言葉は、どうしてだか真実味を帯びている気がした。
そんなものは存在し得ないはずなのに。ジョシュアは何故だかその魔王に恐れを抱きながら、ヴィネアの次の言葉を待った。
「は? アンタ馬鹿じゃないの? そんなもの存在する訳ないだろ」
唐突にその場に響いた素っ頓狂なセナの声。その声は何処か、嘲笑するような色味を帯びていた。
それを聞いたヴィネアはしかし、小馬鹿にしたような調子を崩さない。
「お前がそう思ってるのならそれでいいさ。お前らが知らないだけで、状況は刻一刻と変化してる。俺はその、優秀な尖兵という訳だ」
どこか楽しげにそうベラベラと話すヴィネアは、少しだけ冷静さを欠いているように見えた。こんな所でもジョシュアは、吸血鬼の能力の高さを知る。幸運にも、吸血鬼の魅了が中途半端に効いているのだろう。利用しない手はない。
誰も何も、口を挟まなかった。
そしてヴィネアは更に言葉を続けた。
「お前たちがただの愚鈍な亀だっただけの話。気付いてももう遅い。一体何人、俺の手の内にあると思う?」
その場でケラケラと笑い出したヴィネアは、恍惚とした表情を浮かべながら両手を広げると、仰々しく言った。
「俺の奴隷共は俺が呼べばいつでも駆けつける。俺と共にある限り、正気に戻る事はない。お前たちは孤立する。勝つのは俺たちだ」
そうして笑い声を上げた後で。ヴィネアは高らかに叫んだ。
「『仕事だお前たち。来い! 侵入者を排除しろ』」
声に魔力を込めつつそう言い放ったヴィネアに。
二人のハンター達はとうとう動き出した。ジョシュアには当然目もくれず。エレナもセナも、直接ヴィネアを狙った。
二人の剣の切っ先が、その喉元を狙う。
「っ何をしてるんだ吸血鬼! 俺が襲われてるんだぞ、何故動かない!?」
これにはさしものヴィネアも粟を食ったようで、ジョシュアに向かって叫びながら、彼らの攻撃をギリギリかわすことになった。
しかし、最早ジョシュアは動かない。
締め切った部屋の扉の向こうでは、俄かに慌ただしくなる様子が感じ取れる。しかし、反撃を開始したジョシュア達がそれらの気配を部屋に入れる訳がなかった。
ヴィネアは次々と襲い来る二人の連携攻撃に顔を歪め、動く気配のないジョシュアを視界に入れながら徐々にその目を大きく見開いていった。
「っお、まえ、まさか――!」
「そのまさかだよ。お前がベラベラと喋ってくれて助かったわ」
「ゲオルグ! 出入り口の方を頼むわ。この魔族をどうにかするまでは一人で堪えてちょうだい!」
ヴィネアの言葉に応えるように、セナとエレナがそう言い放つと。ジョシュアが躊躇なく扉の方へと素早く駆け出す。最早ジョシュアは、ヴィネアの命令には従わない。
そして、そんなジョシュアの姿が視界に入ると、ヴィネアはとうとう絶句した。
「分かった。俺はソイツに近寄りたくないから、頼むぞ。早めに片付けてくれ。――その様子だと、少しくらい殺したところで死なないはずだ。俺とやり合った時くらいに容赦なく叩いてやればいい」
ジョシュアはそんな事を口にしながら扉の前で待ち構える。
存外、自分は知り合いに殺されかけた事は根に持つらしい。そんな嫌な新発見を胸に、ジョシュアはその時を待った。
そして突如、勢いよく開かれた扉より同時に雪崩れ込んでくる数人の人影を。ジョシュアは容赦なく、その手脚で薙ぎ払っていくのだった。
彼らは恐らく、ヴィネアの手の内に堕ちてしまったハンター達なのだろう。見間違いでなければ、魔族も紛れているようだ。うまく人間に擬態し、匂いを徹底的に隠している魔族。
ジョシュアは狭い部屋の入り口に陣取り、部屋の中へは一人たりとも入らせなかった。魔力の動く気配があれば、優先して妨害していった。
そんな様子を横目に、二人のハンターに襲われるヴィネアは苦しそうに言う。
「な、ぜ……俺の魅了は奴にしっかりとかかって──」
「そりゃ、お前の勘違いだな。戦ったカンジ、あれはただの幻術だろ? ぶっちゃけさ、お前に魅力なんてものがこれっぽっちも無かったって事じゃん?」
「貴、様ッ、この俺を愚弄するのか!」
セナがそう言った途端、ヴィネアが毛を逆立てるように威嚇して声を荒げた。魅力がない、という言葉がいかに侮辱にあたるか。この魔族の在り方を思うと、ジョシュアには少しだけ分かる気がした。
そして同時に、怒ると分かってやっているだろうセナの陰湿さも理解した。彼らのやりとりを耳にしながら、ジョシュアはハンター達を相手にひたすら殴り付けていく。加減するのを忘れないように、骨の折れる作業を慎重にこなしていった。
「セナ、ソイツあんまり煽んないで。追い詰めすぎて妙な事されたらどうすんの」
エレナがそう言ってセナを嗜めていた時だった。
ジョシュアはその時気付いてしまった。この部屋に目掛けて猛スピードで近付いてくるその気配。果てし無くヤバい、それの存在に。
「おい、まずいのが来るッ、抜かれる! まともにヤり合うなよ!」
ジョシュアはすぐさま叫んだ。二人のハンター達への警告である。自分にも手の負えないような者がやってくるのだと。そう、教えるつもりだった。
だが、その言葉を言い終わる頃にはもう。その男は既に、ジョシュアの目の前にまで滑り込んできていた。
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