我が身は死人の世界

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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黄昏の吸血鬼

79.そこへと至る道筋(後)*

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 翌日、ジョシュアは朝も早い時間帯に目を覚ました。目を開けてまず、目の前には古びた木製の壁が広がっていた。早い時間から不貞寝してしまったせいか、頭は少しだけスッキリとしていた。

 首をもたげて部屋を見る。分厚いカーテンの隙間から漏れる淡い光から、まだ陽も上りかけであるのがわかった。

 はぁ、と軽くため息を吐いてから持ち上げていた頭を落とし、ジョシュアは仰向けに寝返りを打った。自分の腹に巻き付いている腕をどかしながらそうするのも、もうすっかり慣れてしまっていた。

 大の大人が二人、男同士で同じベッドに入って共寝するなんておかしい。そんな感覚が薄れてしまってから随分と経っている。最近では共寝でないと安眠できないのでは、なんて錯覚すら起こしてしまいそうだった。実際、自分の腹に乗っかっている重みに安心してしまっている自分がいるのだから。

 このイライアスには嫌われたくない。離れて行って欲しくない。自分だけを見ていて欲しい。いつからか、ジョシュアがそう思ってしまっているのは紛れもない事実のようだった。

 昨日の事なんて、その典型的な例のひとつだろう。随分と子供じみた理由でさっさと不貞寝してしまった。ヴェロニカと仲良さそうに話をしていたイライアスを見て、機嫌を損ねてしまうだなんて。穴があったら入りたい気分だった。

 かつてジョシュアが片想いをしていた時、似たような気分になった事はあるが。その時はここまで酷いものではなかったのだ。初めから諦めて何も行動を起こしてこなかったのだから、当然と言えば当然だが。

 その時とはまるで比較にならない程の強い感情だった。ふつふつと腹の底から醜くて熱いものが湧き上がってきて、自分の感情が全部その想いで染まってしまった。それ以外、何も考えられなくなってしまった。

 一晩眠ってスッキリとした今ならばジョシュアにも分かる。自分はイライアスを取られたようで気に入らなかったのだろうと。そう考えるのが自然の事のように思われた。

 あそこまで強い感情を抱いたのはまるで初めての経験だった。普段から感情の起伏はそれほどない、流されるままに大抵の事を受け入れてきてしまった。
 それがどうしてだか。昨日に限っては――イライアスの事に限っては、態度に出てしまう程に受容しかねたのだ。

 そろそろ、無自覚でいられる期間は過ぎてしまっているようだった。薄々と自分でも気付き始めている。

 イライアスはジョシュアにとって大切な存在である。何でも願いを聞いてやりたいと思うし、彼の為にできる事をしてやりたいと思う。彼とのも、自分から誘えるくらいには心地の良いものである。口付けも血を吸われるのも、行為中のだって全部許容できてしまう。離れて行って欲しくない。他の誰でもない、自分を一番に見て欲しい。
 そんな存在がイライアスであるのだ。その答えなんてもう決まっているに違いなかった。

――妙な吸血鬼がひとりやふたり、居ても可笑しくないのかもしれないねぇ――

 そう言った赤毛イライアスの言葉はずっと、ジョシュアの中に心地良く留まり続けている。ふとした瞬間に思い出しては、未だにジョシュアの心の柔らかいところを刺激し続けてくるのだ。

 数少ない、大切な仲間友人であるヴェロニカと並んで歩いて欲しくないと思ってしまう程、イライアスが好きだった。

(イライアスが、好き……好き、か)

 そう何度か繰り返し心の中で呟くようにハッキリと思い浮かべると、その言葉はストンとジョシュアの中に落ちていった。小っ恥ずかしい。けれどそう思えば、今までの自分の気持ちも行動すらも合点がいくようだった。

――だからお願い、俺だけのものになってよ――

 その言葉にハッキリと返事を返す時が来たのかも知れない。あの時からもう何度も肌を重ねているけれど、イライアスの態度は一貫している。言葉を違う事もない。そういう彼の性質は、素直に関心すべきものだった。

 そこまで考えて、ジョシュアは再び寝返りを打った。自分の胸の辺り、上掛けの隙間からイライアスの整った顔立ちが覗いている。堀の深い端正な容姿は、見た者の気分を惑わすような色香がある。魅了を使っていようがいまいが、彼に惹かれる女性が後を絶たない。
 普段はフードを被り気配も薄くしている為気付かれる事はないが、いざとなった時、その威力は存分に発揮される。

――ねぇ君、今時間ある? 実はお願いしたい事があってさぁ……?

 そうやってイライアスが声を掛ければ、誰もが頬を赤く染めて首を縦に振った。いっそ、声をかけられた女性を羨むような視線すら周囲からは感じられるほどに。

 そんなイライアスが、共に在る者として選んだのは、他のどんな女性でも人間でもないジョシュアだったのだ。それが堪らなく嬉しくもあり、歯痒くもあった。

 自分ジョシュアはイライアスほど器用ではないし、彼の選ぶ女性達のように美しくもない。そんな自分をどうして彼が選んでくれたのか。それが分からずに少しだけ不安だった。この、相性が抜群にいいというジョシュアの血に魅せられただけではないのか。それを思うと、あと一歩を踏み出すのに躊躇してしまうのだ。

 他人の前では眠りたくない。
 かつてそう言っていたイライアスの頭を眺めた。上掛けのせいで寝顔は完全には拝めなかったが、他人には晒される事のない無防備な姿が目の前に晒されている。それにもすっかり慣れてしまったなぁなんて、そう思うとジョシュアの中で込み上げてくるものがあった。

 目の前の男は、ぐっすりと眠り込んでいるように見えた。これならきっと、少しくらい何かしたとしても起きることはないだろう。そういう心づもりだった。
 ジョシュアはほとんど無意識に、イライアスの首元に腕を回してその額へと口付けを落とした。まるで頭を抱き込んでいるような体勢で。そのままうつらうつら微睡んでいると。
 突然、目の前の男の目がカッと見開かれた。びっくりと肩を揺らしたジョシュアの前で、イライアスは奇妙な表情をしていた。笑っているような困惑しているような、少しだけ何かに耐えてでもいるかのような。形容しがたい顔をしていた。

「ねぇなに今の……、ちょっと、ジョシュア?」

 その言ってガバリと身体を起こしたかと思うと、イライアスはジョシュアの身体の上に乗り上げてきた。ジョシュアの回された腕はそのままに、上からイライアスが見下ろしてくる。ぐいと顔を近付けて、互いの吐息すら感じられるような距離だった。

 至近距離から見たイライアスの顔は、やはり整っていて美しかった。まるで彫刻か絵画のよう。優しくて外面がよくてこんなにも端正な顔立ちをした男の表情を、ここまで乱しているのが自分かと思うと、それはやはりとてもいい気分のように思われた。
 微睡み半分に薄く笑いかける。ジョシュア自身もどうやら寝ぼけているようで、羞恥なんてのは半分くらい夢の中に落っことしてきてしまっているようだった。

「なんとなく?」

 問いかけにジョシュアがぼんやりと答えれば、呆れたような大きなため息が上から降ってきた。

「なんとなくって……っ今みたいな事してると襲いたくなっちゃうよ?」
「そう言ってならなかった事がないだろ。そんなのは今更だ……」

 瞑ってしまいそうな目を何とかこじ開け、いつになく素直にそう答える。紛れもない、ジョシュアの本心だった。
 他人の家や外ならば兎も角、ここは自分達専用の部屋だ。今更を断る理由なんてどこにもなかった。ましてや、好きだとそう、ハッキリ自覚した今ならば尚更。

「っうわぁーッ、無理、なになに、この前からさぁ、ジョッシュ……ったまんないんだけど――」

 そういう歓喜だか何だかよくわからない声を上げたかと思うと、イライアスはジョシュアの唇に噛み付いた。朝から元気だなぁ、いやでも吸血鬼にとっての朝は人間にとっての夜なのだからそれで正しいのか、なんてふざけた事を考えながらジョシュアはそれに黙って応える。

 好き――これが好き、なのか、なんて込み上げてくる衝動のままに自分からも舌を絡めた。その度、ビクリと微かに揺れる目の前の身体がおかしかった。

 いつもこんなではないのに。そういう変化を、イライアスの方もどうやら感じ取っているようだった。
 この時の口付けはいつもより長いものになった。互いの唇が離れる頃には二人共すっかり出来上がっていて、ジョシュアの眠気はとっくに明後日の方へと飛んで行ってしまっていた。

「もぉ今日無理……先に一回出していい? 二人で一緒に――」
「平気だろ。もう、慣れた」
「……へ?」
「ここへ来てから何度目だと思ってる……いいから、早く――ッ」

 いつもより性急なセックスだった。ジョシュアですらまるで余裕がなくて、ほとんど慣らされないままの挿入は、ジョシュアにいつもより強い圧迫感をもたらした。

「んっ、うぅ……くっ!」
「っ、……ちょっ、と無理あったよね? ……すぐイッちゃいそうだけど……うん、すごいきもちいい……。でもさ、次はちゃんと、もっとゆっくりシよ? ジョッシュがツラいはずだし」

 切羽詰まったような声で、イライアスが優しく喋り掛けてくる。正面からピッタリと密着して、ゆるゆると小刻みに律動させながらその剛直を奥の方へと進めている。

 最初こそきつかったが、ジョシュア自身の先走りに濡れていた後孔は、思っていたより苦労もせずイライアスのものを呑み込んでいった。苦しいのは確かにそうだったのだけれど、それ以上にこの状況に興奮していて苦しさなんてのはすぐに忘れてしまった。いっそ苦しさすら快感に変わった。

 自分の言葉に振り回されているイライアスが愛おしくて堪らない。いつもは自分の方が翻弄されてばかりだったけれど、こういうのも悪くない。本心からジョシュアはそう思ってしまっている。

「……ジョッシュの好きなとこ、ココだよね? 気持ち良くなれれば、きっと痛いのも吹っ飛ぶから」
「んん――ッ! あ、そこ……」
「っ……気持ちいー?」

 目の前には、ギラギラとした雄の本能をその目に宿しているイライアスの顔がある。ジッとジョシュアの様子を見ながら、身体を気遣ってその本能を押し留めている。そんな気がしていた。
 そんな、ジョシュアを気遣うばかりのイライアスに向かって、ジョシュアは言うのだ。

「んっ……イイ……好き、だ……」
「ッ――‼︎」

 そう言った途端にだった。イライアスが息を詰めたかと思うと、ジョシュアの肩口に額を押し付けながら身体を何度かビクビクと震わせた。
 先程から何度も限界を訴えていたのだ。この様子では軽く達してしまっていてもおかしくはないだろう。三擦り半、なんて言葉が頭に思い浮かんだがジョシュアは何も言わなかった。わざわざ喧嘩を売る必要もないし、そうさせたのが自分だと思うとむしろ勝ったような気分で。腹の中がどうしてだかきゅんと震えた。

 ジョシュアの肩口でしばらく息を整えてから。イライアスがようやくその顔を上げた。

「……ちょっと、ジョシュア? なんなの? なんでそんな可愛い事ばっか言うの? ……イきそうになったし……ってかちょっとでちゃったかもしれない……」

 そう言うイライアスは、今もなお何かに堪えるような表情をしている。赤らんで恥ずかしそうな顔がひどく扇情的に見える。どうやらは無事らしい、なんて、ジョシュアは高揚した気分のままそんな事を思った。

「ね、今のさ、もっかい言って?」

 しばらく拗ねていたイライアスが復活すると、繋がったまま、ジョシュアの耳元でそんな事を言った。吐息が耳に当たってくすぐったい。ゾクゾクと背筋が震えそうになるのを抑えながら、ジョシュアは上機嫌で囁き返す。

「……気が向いたら」
「ええー! 酷くない……? 一瞬勘違いさせておいてそんな……」

 勘違い、という訳ではない。けれど今はそう言う勇気は持てなくて、ジョシュアはいまだ知らないフリを決め込む。

 まさかこの時に言っておけば良かったと後悔するなんて露知らず。この日も表面上は変わらず、二人は長いを過ごすのだった。



◇ ◇ ◇



 始まりはアンセルムの一言からだった。いつもの業務連絡集会。まさかそれが幕開けとなるだなんて、誰も予想だにしていなかった。

「――ああ、僕はそちらの方角へは行きたくない。ヴィネア様の気配がするんだ。行くならば君たちだけで行っておくれ」

 アンセルムがそう、いつものようにのほほんと言い放った瞬間だった。その場に居た者達が、一斉にハッとしてアンセルムを見た。まるで示し合わせたかのように、全員が同じ動きをしたのだ。

「ん? 僕、何かおかしい事でも言ったかい?」

 アンセルムの素っ頓狂な声は、シーンと静まり返った部屋にはやけに大きく響いた。

 王都へは戻らないと決めてから数日程経ったその日、今後の行動方針が決まったようで、ミライアがジョシュア達全員を客間へ呼び出していた。次はどの街へと行くから全員気を引き締めろ、なんていつものそんな重要連絡の最中だった。まさか、アンセルムがそんな隠し球を持っていようとは。

「アンセルムお前……あの魔族ヴィネアの居所が分かるのか?」

 逸早くその衝撃から抜け出したミライアがそう聞いた。珍しい事に彼女もそれなりに動揺しているらしい。茶を取ろうと伸ばした手が空を掴んだのを、ジョシュアは見逃さなかった。

「うん、大抵の魔族の気配は遠くからでも分かるのさ。ヴィネア様のように、一度しまえばもう嫌でも分かってしまう。僕に備わった能力ってやつでもあるんだろう」

 カップを片手に首を傾げて言ったアンセルムに、焦る様子は見られない。本気でその能力の重要性に気付いていなかったようだった。

「昔から自然とできた。僕は魔術やらの専門家ではないし、他人に披露した事すらないから、これが正確にどういう類いの能力かは詳しく知らないのだけれど」

 その言葉を聞き、ジョシュアも成る程と合点がいく。通りで、ミライアからも他の吸血鬼からも隠れ続けられた訳だ。

 ヴィネアの気配がするだなんて――つまり彼の居所が分かるだなんて、重要極まりない情報である。ヴィネアの血を飲まされたジョシュアですら、その気配は遠くからでは分からないというのに。驚くべき事だった。

「それが本当だとして……どの程度正確に分かるんだ?」
「大体しか分からない。向かおうとすると、こっちの方角にいるなぁって何となく分かる。普段は向かう先に誰がいるかなんて区別もつけないけれどね。あのお方だけは特別みたいだ。不思議だよね」
「お前……そんな重要な事を何故今になって……」
「聞かれなかった。僕は部外者だよ? 僕にとって重要なのは、この街とラザールが無事である事だけだ」

 悪びれもせずに告げたアンセルムに、隣に座っていたラザールが思わずと言った風に口を挟んだ。

「待て待て待て、アンセルム……」
「うん?」
「それはさすがになぁ……俺らも世話になっただろ?」
「……だって……僕は兎も角、君がこんな人らと一緒に居たら命が幾つあっても足りないよ? 危険はあらかじめ回避するに限るでしょ」
「それはまぁ、そうなんだろうけど……」
「そうだよ。一晩中踊り狂えるような化け物とは違っ――」
「アンセルム! お口チャック!」
「……」

 マイペースな二人のやり取りに全員が脱力する。アンセルム当人は本気でそう思っているようだ。ジョシュアもその中に含まれていると考えると傷付く。
 だがこの瞬間、アンセルムの存在がヴィネア達の企みを阻止する鍵となる事が判明した。アンセルムの保護者としてのラザールも含めてだ。元々、アンセルムは重要な生き証人であるには違いなかったが、それが一気に格上げされた形だ。

「冗談は兎も角として。この先お前達にも我らの仕事を手伝って貰いたい」

 ミライアは殊更真剣な眼差しで、目の前で嫌そうに顔を歪めているアンセルムを見つめた。
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