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叫ぶ心は
しおりを挟む「――っどうしてお前がッ……!?」
チカゲの目の前でギャアギャアと騒ぎ立てるのは、この世界で最も強力な魔術師の一人として数えられる男だった。
金色に光り輝くその長い髪を振り乱し、次々と地面から湧き出る木の蔓に絡み取られて宙に浮いている。
見覚えなんてないはずなのに。この男のみっともない姿を見るだけで、チカゲは胸のすく思いがした。まるで親の仇であるかのような憎悪が、チカゲの中で燃え盛っていた。
かの国に侵攻してまず、チカゲは王城へと侵入した。命令された通り、要人達を狙いに疾走していた。けれども、城へと突入した途端、チカゲは違和感に見舞われる事になった。
初めて来る場所であるはずなのに、何故だか既知感があったのだ。斥候による案内がなくても、チカゲには自然と道が分かった。何がどこにあるかも、どこから彼らが逃げることになっているかも、チカゲには不思議と分かってしまった。
廊下を駆け抜ける間、何人もの人間に目を見開かれた。その場にいた多くの兵士が、碌な攻撃もせぬまま風の刃に切り裂かれて死んだ。それは、目的を達成するために邪魔を排除するという、ただのいつもの作業だ。
けれど、この日はどうしてだか違った。
次々と障害物を蹴散らしていく。多くの兵士がその場で崩れ落ちていく。ただのそれだけで、チカゲは何故だか快感を覚えた。理由もなく、己の気が晴れていく。戦闘の中で、こんな気分になるのは初めてのことだった。
チカゲは城の廊下を迷う事なく、まるで知り尽くしているかのように突き進んでいった。それから間もなくのことだ。大広間へと続くその巨大な廊下で、チカゲはとうとう彼らと出くわした。
城の人間達が我先にと逃げ惑っている最中だった。その中には標的の王も、その右腕である男も居た。彼らに逃げられてしまったら、この作戦は危うくなりかねない。
それらは、チカゲが真っ先に狙わなければならない獲物である。
飛び掛かってくる護衛達を蹴散らしながら、チカゲはその標的に狙いを定めていた。
だが、そんな時だった。チカゲの目に、ある男の姿が飛び込んできたのだ。
男はチカゲの姿を凝視したまま、その場で立ちつくしていた。カッと見開かれた男の目には、驚愕と恐怖の色が浮かんでいる。
チカゲは、その男から目を逸らすことができなかった。記憶など何もないのに、チカゲの本能が告げていた。
その男を殺せと。決して逃してはならないと。チカゲはそんな心の声に逆らえなかった。
チカゲは標的を変えた。自身の中に眠る魔力をこれでもかと引きずり出し、何も考えずに魔術を行使した。新たな標的となった男もまた、黙ってはいなかった。同様に魔術を繰り出し、チカゲのそれに抵抗する。
初撃の魔術は互いにぶつかり合い、相殺されて消えてしまった。
相手を仕留めるために、チカゲは次々と手を打った。彼が兵器として実戦に投入され、実際に使用された回数はもうじき三桁を超える。
チカゲがこの男に及ばない因子はもう、どこにもなかった。
周囲の声などは、チカゲの耳には入らない。全身が沸騰するかのように熱い。かつてないほど、チカゲはこの戦闘に興奮を覚えていた。
こんなことは、この世界にやって来てからは初めてのことだった。
例え城が壊れる事になろうとも、後で主人に罰を受ける事になろうとも構わない。チカゲは無我夢中だった
「ぐぅ――ッ、押される……!」
何故だか、チカゲはその男の手口を知っていた。男は、己の魔力の強さを誇示するように、大技を好んで使う。様々な系統の魔術を操り、かつ高火力の攻撃力を持ち、おまけに守りも堅い。
男はこの世界でも指折りの高位魔術師だった。彼と並ぶような魔術師は、この世界において片手で数えるほどしか居ない。特にこの国においては、彼に勝る魔術師なぞは存在しなかった。しかしだからこそこの男は、己の魔術の欠点に気付く事が出来なかったのである。
チカゲのように、男の高火力の魔術をすら受け止め、操り、小技で翻弄しながら守りを崩す。そんな戦いが出来る魔術師と戦う事になるだなんて。男はきっと、想像すらしていなかっただろう。
「ッぐああぁ――ッ!」
チカゲと男の操る魔術が互いにぶつかり合い、反発し、けたたましい音を立てながら爆発した。爆発地点の近くに居た男は、悲鳴を上げながら飛んでいったかと思うと、半壊した廊下の壁へと激突した。そのまま自重で床にベシャリと落ちたが、男は諦めなかった。這いつくばりながらもその手で、魔術を行使しようとしたのだ。
それを寸でのところで捕らえ、チカゲはまるで、その手でギリギリと握り潰すように拘束しながら男を空中へと持ち上げていった。
太い木の蔓に幾重にも巻き付かれながら宙に浮かんだ魔術師は、その顔に恐怖をすら浮かべ、錯乱でもしてしまったかのように騒ぎ立てていた。
「ッき、貴様――! だから私の判断は正しかったのだ! お前のような怪し気な者が我らの国に居るべきではなかった! 召喚物でありながら、召喚者の支配が及ばぬなど――このッ、魔王めが! この私は正しかったのだ!」
ギャンギャンと煩く喚く男に、チカゲは胸を焦がす程の憎悪を覚えた。何故だかは分からない。けれども、この瀕死の男の声が耳障りで仕方なかった。
ギリギリと、骨が軋む程締め付けていけば、男の悲鳴はどんどん煩くなっていく。
「――チカゲ……?」
「も、もしやあれは……行方が分からなくなっていた、あの――」
魔術師の叫び声が甲高く響く中、外野も少なからず騒がしかった。
城内は、チカゲに続く叛乱軍の襲撃により阿鼻叫喚の様相を見せていたが、一部の者達は他の魔術師や兵に守られながら、チカゲを見ては口々にその名を囁いていた。
けれども今のチカゲには、そんな声など微塵も聞こえない。己に向けられ始めた攻撃から身を守りながら、男をじわじわと締め上げていく。
「こ、の――っ……!」
長く苦しみながら死ね、だなんて最初は思っていたはずであるのに。男の悲鳴はただ、チカゲの不快感を一層酷くしただけだった。そうして、段々とそれがどうでも良くなったチカゲはとうとう。
男の首を、その場で刎ね飛ばしたのだった。大きな音を立てて、斬り離された首が床にゴロリと転がる。
その瞬間、周囲はシンと静まり返った。
その場の誰もが戦闘を止め、何故だか吸い寄せられるようにチカゲを凝視した。
男が力尽きたのとほぼ同時に、チカゲに変化が起こった。
チカゲは突然、首を押さえて咽せ出したかと思うと、その口からどろりと黒い液体を吐き出し始めた。大きく咽せる度に多量に吐き出されるそれは、服や床に落ちると黒い霧へと変わって跡形もなく消え失せてしまった。
そのまましばらく、チカゲはその不気味なものを口から吐き出し続けたのだった。
その発作が完全に収まった頃。チカゲはようやくその顔を上げた。多少赤らんではいたが、そこには先程と何ら変わりない、冷たい目をした彼の姿があった。
「やっと……あのクソ野郎の呪いを解く事ができたって?」
その首を両手で包み込みながら、チカゲはポツリと呟いた。彼のさりげない呟きの言葉は、不思議とその場に居る全員が理解できたのだった。
彼らが日本語を理解出来るはずもないのに。まるでユウキのように、チカゲは彼自らの力によってこの国の人間たちと意思疎通ができるようになったのである。
「セヴラン……?」
ポツリと溢れ落ちた主人の声が、チカゲの耳に入った。その声につらて顔を向ければ、先行した部隊と合流したのであろうその男が、顔を険しくしながらチカゲを凝視していた。
その男の視線を真っ直ぐに受け止めながら、チカゲは口を開いた。
「ボス、エヴラール」
「!」
「多分知らなかっただろうから言っておきます。俺は、別世界からの召喚物です。本名をチカゲと言います」
「!?」
喉を潰され話せないと思っていた元奴隷の部下が、突然ベラベラと話し出した。
チカゲの主人であるエヴラールは、もはや言葉を紡ぐ事もできない様子だ。けれども構わず、チカゲは話し続けた。
「あの魔術師の計略で記憶も声も消され、あの地に転送されました。もう元の世界での記憶も何もかも、ここでの事に塗り潰されてしまって俺には何もありません」
ずっと誰かに聞いてほしかった事だった。記憶は消されても、胸の中で消える事のなかった違和感。自分の存在は元々、こんな風に落ちぶれるようなものではなかったはず。自分にだってちゃんと、存在する意味があったはず。何をされても、チカゲはずっと諦めきれずにいた。
そして、そんなチカゲにこの世界で唯一、存在する意味を与えてくれたのはエヴラールであった。兵器という意味ではあったが、今のチカゲならば何でもできる。この国一の魔術師ですら殺して見せた。このまま国を落とすことだってできてしまうだろう。
チカゲをそういう兵器に仕立て上げたのは他の誰でもない、エヴラールだった。他所で彼が憎まれようとも嫌われようとも、チカゲにとっては些細な事だった。
チカゲはエヴラールの所有物なのだ。契約が続く限り、この男が生きている限り、チカゲはエヴラールのものである。それは決して変わる事がない。
チカゲは、その衝動のままに喋り続けた。
「先程の命令違反については、どんな罰でも受けます。何でもします。だから――アンタは俺を、捨てないでいてくれますか……?」
真っ直ぐに眉根を寄せながら、主人であるエヴラールを見つめる。チカゲの不安と恨みと期待とが入り混じったその眼差しは、エヴラールのその目を刺し貫いていた。
だがそんな時だった。突然、彼らのやりとりに水を差す者が現れたのだ。
「チカゲ!」
ここに居るもう一人の召喚物であるあのユウキが、護衛を振り切りチカゲの元へと駆け寄ってきたのだ。エヴラールは途端に表情を険しくし、チカゲは感情の籠らない無機質な視線を彼へと向けた。
「チカゲ、一体何があったんだ……? 突然行方が分からなくなって、俺、皆と一緒に色んな所を探し回ってたんだ。なのに、どうして――」
チカゲの表情に気付きもしないのか、ユウキはその腕に縋り付き、訴えかけるように話し始めた。チカゲはそれを、冷たい眼差しで見詰めている。
そのまましばらくは、誰の邪魔も入ることなくユウキは喋り続けた。しかし、相変わらずチカゲからの返答はないままだった。
「――だからそれで……なぁ、チカゲ? 何で何も言わないんだ?」
一言も話そうとしないチカゲを不思議に思ったのか、ユウキはそこでようやく口を噤んだ。
「どうしたの、チカゲ?」
この世界の穢れを何も知らない、日本にいた時のままのユウキがそこにいる。チカゲは、その差をまざまざと感じ取りながら、ようやくユウキに向かって口を開いた。
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