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いざなうこえ
しおりを挟むふと気がつけば、あれだけ響いていた蝉の鳴き声がピタリと止んでいた。
イツキは急に怖くなった。
先程からずっと森の中を歩いているのに、いつまでたっても神社が見えてこない。
薄暗い小道は、この街にひとつだけある神社へと続く道のりだ。
夏祭りへ行こうと、友人のタカヤと二人で待ち合わせをして、この森へはつい十分ほど前に入ったところだった。
イツキとタカヤは親友だ。知り合ってそれ程たってはいないが、二人とも一番仲が良いと信じて疑わなかった。
この神社近くの公園で、春の中頃に、二人は出会った。
イツキがたまたま通りかかった公園に、タカヤが居たのだ。
桜の散る中、ひとり公園に佇むタカヤは、彼の目にはとても美しく見えた。桜の花びらが風に流されてサアッと飛び散ると、タカヤがその中に埋もれて消えてしまいそうで。
だからイツキは、ダメだとは思いながらも彼に、声をかけてしまったのだ。その姿に魅せられてしまったのだ。
タカヤは優しかった。
イツキが家族からのけものにされている話をすると、彼はまるで自分の事のように悲しんでくれた。
いつも自分を家まで送り届けてくれて、また明日、と言いながらイツキに手を振るのだ。
『おまえさん、あまり深入りせん方がええよ。わしゃあ、忠告したからな』
近所に住む老婆にそのような事を言われた時も。タカヤは悲しそうに笑いながら、ごめんね、とそう言ってくれたのだ。
町の人々はひどく内向的で、よそもののイツキには冷たかった。
優しいタカヤ。イツキの大切なタカヤ。イツキは彼の名前を叫び続けた。
申し訳程度に石が並べられた地面は、木々の根や木の葉に埋もれほとんど朽ちかかっているかのようだ。
すっかり日も傾きかけ、小道に沿って開けている空には、夕暮れ時の真っ赤な茜色が不気味なほど鮮やかに広がっている。
イツキはひたすら声を上げながら、小走りに進んだ。神社へ向かう為の、薄暗く雰囲気のある道が続く。
隣を歩いていたはずのタカヤは、いつの間にか姿を消してしまっていた。つい先程まで、隣にいたはずなのに。
「……タカヤ? ねえ、どこ行っちゃったの?」
普段から、タカヤは不思議な青年だった。気付けばイツキの隣に並んで歩いていて、家の近くまで送ってくれる。たまに、迎えに来てくれる事もあった。
けれども。イツキはタカヤの家を知らない。
何故だかいつもはぐらかされてしまうのだ。ここからは遠く、家族がうるさいのだと。
イツキは気にしなかった。タカヤが何であっても、彼の一番には違いないから。
「タカヤァー! どこーっ!?」
涙混じりの叫び声が森にこだまする。イツキは、不安と疲れとで、じわり浮かぶ涙を拭いながら、草臥れたようにのろのろと歩いた。
それから間もなくだった。イツキは突然、ハッキリと、タカヤの声を聞いた。
「イツキ?」
声に反応して勢い良く振り返る。
道を大きく外れた所に、タカヤが困ったような笑みを浮かべて立っていた。
顔立ちの整った彼が浴衣を着ている姿は、やけに馴染んで見えた。
さわやかにも艶やかな彼の笑みに、イツキはホッと胸を撫で下ろす。
そして──、イツキは小道を外れた。
途端、バチンッと微かな音が周囲に響いたが、走ってタカヤに駆け寄るイツキは気付かない。
「タカヤァ! どこ行ってたんだよ! 探したんだからな!?」
「ごめんごめん、気付いたらこっちの方まで来ちゃってて──」
いつものように笑って頭をなでるタカヤ。イツキは不安などもすっかり忘れ、満面の笑みを浮かべた。
「ねぇタカヤ、早く行かないと、お祭り始まっちゃうよ?」
イツキは彼の手を引き、元の道へと戻ろうと振り返る。しかし、タカヤはその場から動かなかった。穏やかに微笑んだまま、ジッとイツキを見下ろしている。
「タカヤ?」
どうしたのだろう、とイツキはタカヤの応えを待った。
ゆっくりと、タカヤが一歩、イツキに近寄る。
「ねぇイツキ、俺ね、イツキに黙ってた事があるんだ」
いつもとは少し違う、どこか色気を含んだ彼の言葉に、イツキはドキリとする。
頬に、タカヤの手がそえられた。暖かい、いつもの大きな優しい手。自分のそれとは大違いだった。
「な、なに?」
その手がゆるりと顔の輪郭をなぞり、顎へ添えられる。
そのままくいと持ち上げられ、唇同士が触れてしまいそうな程に間近で。タカヤは言った。
「君が、好きなんだ。今日言おうと思ってた」
「!」
「イツキは? 俺のこと、好き?」
話す度に吐息が触れる。そんな事にすらドキドキと胸を高鳴らせながら、イツキは真っ直ぐにタカヤを見上げた。
もう、答えなど最初から決まっていた。
あの日、不思議な雰囲気をまとったタカヤに出会ってから、ずっと。
「うん。好き。おれも、タカヤが大好き。いつも優しくしてくれるし……多分、ひとめ惚れ、なんだ」
「そう、良かった。俺達、両思いだ……じゃあさ、イツキ──?」
イツキにとっては長いようにも思われた沈黙の後で。タカヤは名前を呼びながら、そっとイツキに口付けた。
深く長い、イツキの思考力を失わせるような口付けだった────
その年の夏、その町ではひとりの少年が姿を消したと騒ぎになった。
タカヤという少年は、友人と夏祭りに出かけると言ってそれっきり、戻らなかった。
小さな古臭い町のことだ。誰もがとられてしまったのだと言って怖れた。
しかし不思議なことに。
ひと月もすると、町の人々は皆、少年のことを忘れた。
町の外の人間が時折、それはおかしいと指摘するも、町の人々は『そういうものだ』と言って取り合わなかった。
今日もまた、あの森には終わることのない夕暮れ色の空が広がっている。
時折、楽しそうな少年たちのわらい声が響いたが、そこには何もみえない。
町の人々はまた、今年もそこで祭りをする。
盆の十五日。この世とあの世との境目が揺らぐ時。人々はかれらとふれあうのである。
了
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