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第4話 どろどろと血みどろと

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 セクレントン西南部。紅国イストラ方面出入り口、貧民区画。
 ここはその名の通り貧しい身なりの人々が多く住まう場所であり、立ち並ぶ家々は背の低い岩の削り出しのように粗末なものばかり。形といえばマルからシカクにサンカクまで、あるいは天然の洞窟を利用した野性的なものまでもが存在する。
 つまり壁は丸出しの岩肌のまま。しかしそれは確かなことだが、天井と床だけは木造りのアンバランス。
 それというのもただ寝る場所であるという意識を示しており、生活が他の区画とは大きくかけ離れた価値観の下に成り立っているということを表していた。

 『貧民区画は働き者の居所』
 看板はちょうど入り口にあたるひっそりとした路地裏の前に堂々と。そして入ればわかる看板の言葉。そこにいる働き者は、朝から汗を額から流し日々を過ごしているのだ。 
 老人から子供まで分け隔てのない顔ぶれは、昨日と一昨日もいた変わらぬ人々。働く理由は人それぞれでも、ここに居る者の行動は決まっていることだ。
 ここはそんな場所。
 そして今日も今日とて、貧民区画の一日はすでに始まっていた。

「魔物の巣は──うーん……。というか街の中に居るなんて思えないし、僕らの確認っているのかな?」
「要るからやっているのよシャーロット。目撃情報が入っているんだから、確認しないわけにはいかないでしょう。それにここは冒険者以外の人も住んでる区画なの。『もし』は、命に係わる大問題よ。もちろんセクレントンにとってもね」
「そうだよね……確かに」
「そーよ。というか忘れてる? 無理言ってセリーナに特別に見繕ってもらった依頼よ、コレ。なるべく危険のない依頼から経験を積もうって計らいをそんな風に言うもんじゃないわ。本来ウチに回ってこなかった依頼なんだから、文句はダメよ!」

 新参者の二人、シャーロットとルル。
 だというのに新顔と感じさせない程に馴染んだ泥だらけは、服装は身軽で汚れても構わないモノ。
 彼らはここ貧民区画で、橋の下に伸びるトンネルの中をくまなく見渡していた。
 
「いや、そこに文句を言ってるわけじゃないんだ。セリーナにはよくしてもらってるし、悪口を言うつもりはないよ。
 ……ただその。12回もこんなことをして、でも何の異常もないからさ。こんなくらいジメジメした場所なのに拍子抜けで、実を言うと安心しているんだ僕」
「何言ってるの、まだ確定じゃないわよ。隅から隅を見て初めて『異常なし』って、そう言っていいの。魔物の巣があるかもしれないってのに、安心しちゃあダメでしょうが。それは油断してるっていうのよ。
 ──って。それより今、セリーナの事呼び捨てにした!? アンタ達いつの間にそんな仲に??」
「ああ。前に、心配だって言われたからちょくちょく会ってるよ。呼び捨てはそう呼んでって言われたからかな。堅苦しいのは自分だけでいいって、だから僕の一方的だけど」
「……う、私も信用されていなかったのかしら。一緒に居れば大抵の危機はどうってことない自信あったんだけど……」
「どうかな。初日に竜に出くわしたのはなんというか、実力でカバーできない運もあるってことになりそうだけど。」
「ぐ……、痛いとこつくわね。なるほどよセリーナなら多分そう言うでしょうね」

 不運、あるいはお茶目なドジを度々しでかすルル。
 ついこの間に竜を封印から解放してしまった彼女にとって、セリーナが抱くであろう心配というのは認めざるを得ないことであった。実力があっても何かしら問題を抱えているという点で、マキナと共通点を見出されてしまったことは不服だが、事実に言い返す言葉は見つからなかった。 
 
「──はあ、まあいいわ。話は変わるけどシャーロット。アンタ、マキナに対しては未だに敬語じゃない。でもセリーナに対してはそういう口調なのね。ほら、マキナから前に、堅苦しいのは止めてくれって言われてたんじゃなかった? 退屈になるからって」
「すごいな、よく聞こえてたね。……でも、うーん。何でって言われても、ちょっと困るかな。何となくな気持ちで、単に憚られる気がするんだよ。だからあんまり気安く常時無礼講というのは、それでもやっぱり気が重いかな。うん、マキナさんには申し訳ないことだけど」

 響くシャーロットの声。
 すっかり奥へ入りきったためか、トンネル内は浅い水たまりを踏みつける音と、二人の発する音だけしか聞こえない。
 だが、指定された地点まではまだ辿り着いておらず、彼らは依然として進み続けている。

「それにしても『舞台裏』って、言葉通りの建物だったんだね。初めて聞いた時はてっきり、表舞台に出てこない陰ながら暗躍する集団、って意味かと思ってたんだけど……」
「そうね、実際はそう格好のつくもんじゃないわ。劇場の後ろにあるってだけの木造の地味な建物よ。
 実際最初驚いたんじゃない? 目の前にあった豪華な劇場が『舞台裏』のギルドだと思って、息をのんで見惚れちゃってたじゃないの」
「……あれはずるいだろう。ここだよって指で指しておきながら、実際はその後ろの建物を指していましたってさ。びっくりというか落胆というか、後ろから膝を蹴られたような感覚になったよ」
「期待どおりよ。ふふ、それにしてもあの顔面白かったぁ……唖然として口ぽっかり空けちゃってね。私もう、笑いを堪えるのに必死だったわ。
 でも安心なさい、最初はみんなああやってからかわれるのが恒例なの。私だって引っかかったから。一人じゃないって聞くと、むしろイタズラ心が湧いてくるものでしょ。
 聞いた話だとウチのギルド、マキナが劇場管理者から無料で譲って貰ったらしくってね。さっき言った劇場、それを新しく建てるってなった時、もう使わない方を最後の給料代わり受け取ったらしいわよ」
「へえ、マキナさん舞台俳優だったんだ……異色の経歴……!!」
「ま、だから舐められてるんだけどね、女優上がりって。
 ただ本人は気にしてないみたいだし、あんまりどうでもいい話ね。それにきっとマキナの耳にそもそも届いていないでしょうから」
「そうなのかな? 僕は会ってからそう時間は経っていないけど、冷静に見えて割と感情的に動いているような人だったと思うよ、マキナさん」
「あはは、その通りよ。人間観察の才能でもあるのシャーロット? 的確な表現ね」
「そ、そうかな?」
「そーよ。付け加えるなら、マキナには強者の余裕が根底にあるからってことくらいかしら。概してマキナの実力を知らない人間は、大したことのない奴等だからね。下の人間が何を言おうと気にする必要は無いのよ。マキナにとっては他人の評価がどうであろうと関係な──、ん?」


 トンネル内部、十字路。即ち最終チェックポイント。
 赤い目印は貧民区画と他の区画との境を表す境界点。横に走る境界線を越えた先ががらりと変わるかと言えば、この十字路以外そうでもないため、うっかり他の担当する箇所まで進んでしまうところだった二人。
 しかしルルが止まった理由というのはそうではなかった。きっちり担当だけを完璧にこなすという意識の元からくる停止ではなく、彼女は長年の経験と魔法によって研ぎ澄まされた感覚から、シャーロットへ警告を促したのだ。

「……左の壁、他と違って妙に濡れてる。いや先の床もそうね。……天井から水漏れは無いのに──ああ、なるほど。這いずった跡かも」
「ルル、もしかして何かいるの……?」
「ええ、一匹だけ。何かの拍子で運悪く紛れ込んじゃった野良の魔物ね。天然の洞窟と条件があんまり変わらないから、このまま街に出てくることが無かったんでしょう。
 シャーロット、相手は低級だけど何か感じたりしない? 魔力の流れとか」
「いや分からない、かな。特に何か感じるっていっても……ここは暗くてジメジメしてて、静かで──あと、強いて言うなら雨のにおいがする」
「あら、それが分かるなら上等よ。そうね、魔力感知は次の機会に教えるわ。
 ……シャーロット、その角を覗いてみなさい」
「角? 一体何が……」

 指さすそこは境界線の向こう側。近づく度に雨の匂いが段々と強まり、シャーロットは僅かにたじろいだ。確かに何かがそこにいるという生物の気配を薄ら感じたために、足取りは慎重に一歩ずつ。
 ズリ、ズリ……と。耳にはそんな水が染み渡る、流れる微かな音が彼の耳に届く。
 
「あ」

 ソレを目の前にして声はそれだけ。
 ただのそれだけで済んだのは、シャーロットが最近竜という遥かに強大な魔物に出くわした経験の賜物である。きっとここから先、彼はどんな魔物に遭遇しようと、「でも竜に比べればどうってこともないなぁ」なんて、そんな態度でいるだろう。
 そこにいたのは濁った水色のスライム。比べればちっぽけすぎる、そんな貧弱な魔物であった。

「出かける前に渡したでしょう、よく狙って撃ちなさい。
 本来物理攻撃はスライムに効かないけれど、魔術式による魔力装填の仕組みを持ったソレなら問題ないわ。ええ、もちろん外さなければの話だけれど」
「さ、さすがの僕も動かない敵なら……多分……大丈夫」
「からかっただけよ……何で自信無くしてるのよ?」

 
 顔のない魔物に銃口を向けるシャーロット。
 濁ったその見た目は可愛げのある姿なかったことが幸いか、その動作に一切の躊躇は無かった。的を狙うのに何の感情も揺れ動くことが無いのと同じ、
 しかし。唯一違うのは相手が魔物で、スライムにしては濁っているぶん、不気味な恐ろしさを纏っていたことだった。おまけにシャーロットに気が付いたのか、無表情のままゆっくりと、獲物を捕食するために近づいてきている。

「う、く……」
「シャーロット?」

 震える銃口は小さな的を中心に捉えられない。
 撃てば終わるというのに、引金は今の彼に重すぎていつまでも動かない。

「なにしてるのよ撃ちなさいって。あんまり近いと酸を浴びるわよ」

 スライムは酸で獲物を溶かし、それを食らう。その相手に銃という選択肢は、安全な場所から一方的に攻撃ができるという点で非常に有利な武器である。
 けれどシャーロットは撃てずにいる。撃たずにいる。
 それを見てルルはさすが心配と、彼の肩を叩いた。
 
 ……それでも、彼はぴくりとも。
 魔物と一人で戦うという経験はこれまでに一度としてなかったシャーロット。
 彼は銃を向けた瞬間から恐怖に身を包まれたのか、氷漬けされたかのように動けづにいた。
 
 そして。
 ピチャと、何かが飛び跳ねる。跡を残して跳躍したのだ。
 いつの間にやら目と鼻の先にスライムは迫っていた。それも宙に。

「っあ、やばっっ!」 

 たかがスライムの攻撃では、常時魔法で身を守っているルルには傷一つつけることはできない。しかし、シャーロットは違う。ただ魔力を流すだけならまだしも、基本的な魔法も魔術も使えない彼にとって、攻撃から身を守る手段は皆無なのだ。

「シャーロットっ!!」

 飛び掛かるスライム。
 大口を開けるように体を膨張させ、一飲みにしようと迫りくる。
 すぐさま体が溶け落ちるほどの強い酸性は無いにせよ、まさか無傷でいられるほどの優しいものではない。これは捕食なのだ、下手をすれば死んでしまう。
 数秒後の未来、シャーロットはその人生を再び終えることになるのだ。

 ドンッッ。

 ──間際。
 最悪の結末は一発の弾丸に、魔物と共にははじけ飛んだ。
 びちゃりと音を立て、残骸は壁に叩きつけられる。
 中心から扇上に飛び散る液体はスライムの管理下から外れ、酸性は消えてただの水となって壁にまき散らばった。雨の匂いはそれで止んだ。

「あ、つぅ……肩が……」

 絶命の寸前、シャーロットの肩は僅かにスライムに触れられてしまっていた。酸で服は溶け、皮膚は水脹れ。露出した肩には痛々しい火傷。
 シャーロットはこれが全身にかかっていたらと想像し──やっぱりやめておいた。

「大丈夫、シャーロット? ほらこれ、薬草」
「……ありがとう。でも大丈夫、自分で治せるから」

 そう言ったシャーロットの肩は、もうその時には完治していた。
 薬草による自然治癒能力の促進などとは比べるべくもない圧倒的スピードと、まるで何事もなかったかのようにさえ思える復元力。服までもが再生していた。
 
「時間を巻き戻せるって便利な魔法ね……聖女の真似事までできちゃうんだから。もう薬草なんて買う必要ないかしらこれ」
「どうかな、けっこう魔力の消費が結構激しいんだ。あと出来て数回が限度かも。
 うん、慣れない魔法で、効率が悪いだけかもしれないんだけどさ」

 
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