それは素晴らしきメイド達の世界

夏ノ木の実

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最終章 異世界のメイドさんを救うのは

第五十五話 メイドさんを失って

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「鳥太様…………これは…………」

 トマトは俺の手を握ろうとして躊躇い、手を引いた。灯りをつけると屋敷の静けさがきわだつ。
 広い講堂の奥へと進む。
 誰もいない。
 昼間俺達が出て行ったときとほぼ同じ状態で、赤いソースのついた食器がテーブルの上に放置されている。

「フィルシーさんっ! オレンッ! ココナッ! チズ! トイプ!」

 叫び声は屋敷の中に吸い込まれて消えた。目を背けようとしても嫌な予感がじわじわと湧き上がってくる。

「シュガー! クシィ! マカロ! トイプ! チョコちゃん! みんな、どこですかっ!」

 トマトも声を張り上げ続ける。が、物音ひとつしない。

 どこかに出かけているだけ、どこかに集まって秘密の会議でもしているだけ、そう心の中で繰り返しながら、震えそうになる声を抑えた。

「屋敷の中を探そう。俺は三階から調べてみる。トマトは一階のできるだけ目立つ場所から調べてくれ」
「はい……」

 屋敷の中に敵が潜んでいる可能性も考え、俺はトマトに防御壁(エグラ)を付与した。使い方を間違っていたかもしれないが、そんな判断をできる余裕もなかった。

 俺達は数十分の間屋敷中を探した。が、ルッフィランテに誰もいないという事実だけがはっきりとした。

 食堂で俺とトマトは向かい合って座る。お互いに何も言うことができない。
 様々な予想が浮かび、その黒い映像を消し去ろうと心が蓋をする。

 みんながどこかへ消えた。連れ去られたのか、あるいは…………。

 暗い想像はどこまでも深く沈んでいき、その息苦しい闇と向き合うほど気が狂いそうだった。トマトが視界に入っていることだけが唯一、俺の正気を繋ぎ止めていた。

 ネガティブな言葉を口にしたらお互いの精神が崩れてしまう気がする。

 俺達は無言のまましばらく机に視線を落としていた。

 このまま朝になったらどうなるのか。ひょっとしたらどこかに解決策が落ちていて、まだ取り返しがつくかもしれない。皆を救う時間制限がある可能性も考えられる。

 その予想が脳裏に過った瞬間、俺は口を開いた。
 乾燥した喉が張り付く。

「ディークの法案、あれが強制的に制定されるまで、まだ猶予があったんじゃないのか…………」

 トマトをこれ以上苦しめないように、声のトーンには気を遣ったつもりだった。
 その言葉は再び長い沈黙を生み、トマトは小さく声を落とした。

「猶予が正式にいつまでだったのか、わかりません。速報が遅れていた可能性もあります」

 わずかなやり取りで、この絶望的な状況の本質が見えた。

 速報の情報は遅れていた。英雄のニュースも、俺が知ってから三日は経っていたのだから、全てのニュースがそれくらい遅れていたと考えられる。ディークの法案が通ったのは今日か、ひょっとしたらもっと前だったのかもしれない。

 目を背けなければこの状況に対する答えは一つしかなかった。
 ディークの法案が通り、奴は俺達の予想より遥かに早く動き出した。そしてルッフィランテのメイド達とフィルシーさんを連れ去った。

「帰り道、レアクレアは灯りがついてた。門番もいたよな」
「ええ、私達が最初の…………だったのかも……しれません」

 ターゲット。トマトはその言葉を口にすることができなかった。
 世界一の規模を誇るメイド喫茶であり、敵対する俺が所属している場所でもある。狙われる理由には十分すぎた。

 世界中のメイド喫茶を解体するなんて簡単にはいかない。それなら見せしめに、最も力の強いルッフィランテを従えればスムーズにことが運ぶ。

 ディークの思考を想像した瞬間、生まれて初めて殺意を覚えた。

 俺の大切な場所を、大切な人たちを、あいつは自らのくだらない信念のために奪っていった。

 一瞬でもあいつの言葉に耳を傾けた俺は、どうしようもなく甘かった。あいつの言い分が少しでも正しいだなんて思った俺は、どうしようもなく馬鹿だった。

 あいつの主張が間違っていたことを、この胸の痛みが告げている。
 ディークの心に正義があるだなんて綺麗ごとだ。

 だってこんなに痛いじゃないか。
 こんなに苦しいじゃないか。
 あいつの正義はこんなにも人を傷つけるじゃないか。

 俺はあの場であいつを止めなかった。あの場であいつを殴らなきゃいけなかった。どんなに力が及ばなくても、命に代えても、あいつを倒しておかなきゃいけなかった。

 ダンッッッッッッッッッッッッッッ!

 拳に痛みが走り、俺は机を叩いたことに気付いた。
 トマトは涙を浮かべて、俺を見つめていた。

「ごめん…………」

 また、傷つけた。
 俺はどれだけメイド達を傷つければいいんだ。
 彼女達を助けるなんて言いながら、俺が最後にしたことは何だ。

 正義のヒーロー気取りだった。日の当たる場所で敵と戦い、勝利を収めるヴィジョンを思い浮かべていた。くだらない。

 本気で戦う人間が綺麗でいようだなんて甘かったんだ。
 手を汚して、人を傷つけて、踏みにじって、憎まれて、こうやって、こうやって、こうやって、勝たなきゃいけなかったんだ。

 このルッフィランテには、信じられないほどの幸福が詰まっていた。どんな夢よりも楽しい毎日が詰まっていた。

 それを奪うことを躊躇わなかったあいつの冷徹さに、俺の甘さが負けた。

「………………っ」

 椅子を引く音が講堂に響く。
 立ち上がった俺を、最後の“守るべきもの”は引き留めようとした。

 俺はその手を解いて、屋敷にいるように言い残し、屋敷を出た。
 大好きだったその顔を、見ることはできなかった。


 日は完全に落ちていて、冷えた風が頬を叩いた。
 これまで信じていた正義なんてものはもうない。
 暗闇に沈んだ足元を見つめながら、ただ歩を進めた。

 失ったものを奪い返す為の拳は空っぽで、だからこそ容赦なく、固く、握りしめることができる。

「ルッフィランテを襲った執事を知ってるか」

 街をゆく執事に無作為に声をかけた。執事は全て敵に見える。
 ディークに繋がっている可能性がある奴を片っ端から潰していく。
 手段を選ぶつもりはなかった。

「ディーク・バシュラウドに雇われている執事。その情報を握っている奴。誰でもいい。ディークに繋がる人物を教えろ」

 執事が何と答えたのか覚えていない。けれど、気付くと俺の足は目的地へと向かっていた。

 街で最大の執事喫茶――ディヴィダス。

 門を蹴り開いた。門番は俺を止めようと攻撃体勢に入ったが、俺はその腕を捻り上げた。

「ディーク・バシュラウドに雇われている執事を知ってるか」

 屋敷の周りを巡回していた執事が俺に気付き、慌てた様子で玄関に消えた。警備を呼ばれたか。どうでもいい。

「貴様…………葉風鳥太だな…………」
「余計なことはしゃべらなくていい。ディークに繋がる情報を知ってるか。知らないなら主人のところへ案内してくれ」

 執事は俺の手を振り払おうともがき、振り向いた。

「私は門番だ。命に代えても主人から脅威を遠ざける。貴様の目的は知らないが、我々を舐めすぎだ」

 その瞳はおそらくこれまで俺が敵に向けていたものと同質だった。

 こうやって正義を信じてずっと戦っていければよかった。
 けど、もう駄目なんだ。

 俺は何に変えてもメイドを守る。その為なら、過去の自分くらい喜んで捨てる。

 屋敷の扉が開き、おそらく侵入者の報告を受けた十数人の執事達が庭に出てきた。

 動きからして全員が戦闘執事。屋敷中の戦力を掻き集めてきたのか。俺一人相手に随分と警戒しているらしいが、丁度いい。

「ディーク・バシュラウドに繋がる情報を貰いに来た。俺が勝ったら出してもらう」
「侵入者の要求を呑む心構えは持ち合わせておりません。葉風様、お怪我をされる前にお帰りください」

 リーダー格の執事は深みのある声で答えた。

「それともこの人数を相手に戦いますか?」
「そうさせてもらう」

 俺は門番の執事から手を離し、地面を蹴った。

 黒い影が周囲を取り囲んでいく。統率の取れた動き。全方向から間合いを詰めてくる。

 どうでもいい。くだらない。

 適切なポジションを取るつもりなどなかった。防御をする気もなかった。
 脳が理性を拒んでいた。
 ただ闇雲に拳を振るう。

 腹を殴られ、鈍い痛みが走る。
 黒い影を蹴り飛ばし、踏みつけ、掴み、また殴る。

 体のあちこちに重たい衝撃が走り、視覚は徐々に周囲を認識しなくなっていく。

 皮膚に纏わりつくようなぼんやりとした熱がじわじわと動きを鈍らせたが、それでも体は動き続けた。

 殴る。殴る。殴る。蹴る。殴る。蹴る。殴る。蹴る。殴る。蹴る。

「うぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 近づいてくる黒い物体に、単調な動きをひたすら繰り返した。
 体の中心にいつもある温かな炎には、気付かないふりをしていた。

 俺の戦いを支えていた彼女達は、もういない。
 それでも、彼女達の忠誠心を汚すつもりはない。
 汚れるのはこの拳だけでいい。痛いのはこの体だけでいい。 
 だから。だから。

「助けてくれよ…………。メイド達を、フィルシーさんを、助けてくれよっ…………!」

 いつの間にか俺は地面に蹲っていた。
 血と砂の味がした。
 痛みを伴う振動に身を任せていれば、何かが許されるような気がした。

 でもわかってる。
 俺はどうしようもなく無力で、こんなことをしたって誰も助けられない。最初から気付いていたんだ。

 俺はディークを見つけられない。
 見つけたところできっとディークと戦うことすらできない。奴にも精鋭の従者達がいる。
 この世界でずっと俺が続けていた戦いは、もう終わったんだ。

 メイドを守る戦いに、俺は…………


「皆さん、少々よろしいでしょうか」 


 聞き慣れた声がした。
 甘く優しい響き、だけどどこか遠く、冷たい。
 ぼんやりとしている意識の中で声の主を探った。

「あ、あなた様はまさかっ…………何でこんな場所に………………」

 その声を合図に執事の攻撃が一斉に止んだ。
 熱を持った皮膚を冷たい風が撫でる。
 微かな明かりを受けた白い影がゆったりと近づいてくる。

 プライドの高い執事達を言葉一つで止められる人物は、俺の知る限り一人しかいない。

「何をしているのですか?」

 降ってきた声は純粋な疑問を問いかけてきた。
 面白がっている様子もなければ、同情している様子もない。不思議そうな声音。 

 別世界で生きているお嬢様は、泥まみれになったことも、人に殴られたこともないんだろう。
 けれど今は、その真っ白な声にさえ、縋りたい気分だった。

「リリア、ルッフィランテのみんなが攫われた。ディークが、あいつが、全部奪って、ぶち壊していった……」

 こんなことを言ってどうにかなる相手ではないとわかっていても、言わずにはいられなかった。

 きっとこの女はあのときと同じように、「だから?」と言うんだろう。
 青目と戦え、か、もうあなたには興味を失った、かもしれない。

 暗闇に浮かぶ星が滲んで見えた。
 吐く息が体内の熱を奪っていくけれど、殴られたせいで全身はまだ熱を持っていた。

「それでなぜ、関係のない執事と戦っているのでしょうか……? 彼らはディークの手下ではありませんよ?」
「ははっ……」

 真っ当すぎる答えに意表を突かれた。
 この令嬢はやっぱり馬鹿なことも、嫌なことも、普通の人が経験する色々なことを知らないんだ。

 それはある意味幸せで、ある意味不幸なのかもしれない。
 これからもずっと透明なヴェールに包まれて、傷つくことなく、けれど本物の世界に触れることなく生きていくのかもしれない。

 ふと、心の真ん中からスルリと抜け出したように、口が言葉を紡いだ。

「リリア、助けてくれ……」

 不思議なほど気楽に、本心を言葉にできた。
 本当はずっと前からこう言うべきだった。

「俺一人じゃ勝てないんだ。いままでだってそうだった。ずっと俺は誰かに支えられて、なんとか戦ってこれたんだ。俺は一人だと、こんなに弱い」

 トマトがいて、フィルシーさんがいて、ルッフィランテのみんながいた。
 日々の生活で支えられ、作戦や下調べでサポートしてもらい、訓練の相手をしてもらい、俺は戦ってこれた。

 みんながいなくなった途端に、心の中がぐちゃぐちゃになって、生きている心地がしなかった。いつも握っていた拳が意味を無くし、こんなにも軽くなっていた。

「私は青目と戦うつもりはありません。負けるとわかっている戦いに挑むつもりはないのです。ただ、あなたはやっぱり面白いですね」
「俺なんてただの弱い一般人だ。何が面白いんだ。大公や侯爵の中にはもっと強くて、信念のあるやつがいるだろ……」
「ええ、そうかもしれません」

 リリアは表情一つ変えず答えた。

「けれど、あなたは勝てない相手と戦おうとしています。こうしている今も、必死に何かをしようとしています。それが面白いのです」
「はは……そっか」

 小ばかにしているようにも聞こえる無邪気な台詞に、不思議と腹は立たなかった。

 リリアは変な奴だ。けど、リリアにとっては俺が変な奴なんだろう。
 俺達はお互いに、相手の知らない世界を知っている。

「リリア、俺はディークと戦うことをまだ諦めてない。だから、俺があいつを倒すところを見せるよ。一番大切なものを守る男が、必死に戦うところを、特等席で見せる。だからあいつと一対一で戦えるところまで、サポートしてくれないか」

 ふっと小さく笑う声が、頭上で聞こえた。
 リリアにとって予想外の提案だったのかもしれない。それに満足したように、大きく首が縦に振れる。

「わかりました。直接青目と戦うのはあくまでもあなた、という条件でならお手伝いしましょう。今から青目の屋敷に乗り込みます。ただし、私の執事達は戦闘特化ではありませんので、青目の従者達に勝てる保証はありません。それでもいいですか?」

 声を出したら震えてしまいそうで、俺は目元を覆いながら小さく頷いた。
 リリアの声は相変わらず無機質で、だけど今の俺にはどんな声よりも温かく聞こえた。

「紫(プルプ)、必要な事項を考え、諸々の手配をお願いします。大丈夫ですね? ついでにあの人にも声をかけておいてください」
「かしこまりました。仰せのままに」
「それと、藍(カルレウ)は反対するかもしれませんが、彼の説得も任せますよ」
「大丈夫です。彼の固い頭をマッサージしておきますので」

 リリアの大雑把な指示に軽々と答えていた声は、キツネ顔の執事だった。
 悪趣味な紫色と、人を小ばかにした笑み。けど、そんな執事でさえ頼もしく思えた。

 メイドと執事の違いがどこにあるのかはわからないけど、誰かが側にいてくれることは、こんなにも心強い。

「葉風様、諸々の準備をいたしますので、我が主の別荘にご案内いたします。葉風様の連れていたメイドも、まだどこかにいるのなら迎えを送りましょう」

「失礼ですが、その話、お待ちいただいてもよろしいでしょうか」

 割って入ったのは、喫茶ディヴィダスのリーダー格の執事だった。

 止めるのも無理はない。突然侵入され、戦闘を仕掛けられれば、怒りは収まらないはずだ。

「悪い……。さっきまでのことはまた今度改めて謝りに来る。だから、今だけは見逃してくれないか。一刻も早く行かなきゃいけないんだ」
「それはできません」

 執事は仰々しくかぶりを振った。
 従えていた十数人の執事達に目配せをし、さらに声を張り上げた。

「あなた方は“英雄”の宿敵に戦いを挑みに行かれる。黙っているわけにはいきません」
「それはどういうことかしら? 私をここで止めますか?」
「いえ、我が主はディーク・バシュラウドの提案した“王制”に反対の意を示しておられます。今から意向を窺ってまいりますが、おそらく喫茶ディヴィダスもその戦いに参加させていただきたくお願い申し上げると存じます」
「そうですか。丁度いいですね。駒が増えました」
「フッ、言ってくださいますね」

 さっきまで殴り合っていた顔は不器用な笑みを浮かべたまま、俺に向けられた。

「ということで、我々も同行させていただくことになりました」
「本当に、力を貸してくれるのか……?」

 問いかけると、執事は不敵に笑って見せた。

「葉風殿、あなたがディークを倒すのは構いませんが、我々も彼を倒すつもりでございます。主の意向です故」
「わかった。よろしくな」

 そう答えると手が差し出された。
 無骨だが手入れしてある妙な手。軽く握ると、洗練された動きで引き上げられた。

 体についた土を払い、リリアと肩を並べる。

 闇に沈んでいた街並みが、今は不思議なほどはっきりと見えた。




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