信長伝

夢酔藤山

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第三話 甲斐国主の不在2

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               二


 高野山に登った穴山満春は、武田信重と行動を共にしていた。
「儂はここで出家する。そなた、どうする」
「ご一緒に」
 塔頭のひとつ引導院に赴いた二人は、出家の意を申し出た。
「高野山には諸国のことが耳に入ります。甲斐のこと、大変なことに」
「我らは謀叛に並びし者にて、幕府に対しても畏れ多い哉」
「そのこと、幕府が咎めるとは思えませぬ」
「罪は罪、そのことは変わりませぬ」
 意思の固さを解くことは出来なかった。引導院は躊躇いながらも、二人を剃髪した。信重は修行のために西国へ発ち、満春だけが高野山に留まり読経に明け暮れた。
 本当に、数日の差だった。
 そこに、幕府の使者がきたのだ。
「御所様がお会いになります」
 つまり上洛し、将軍に会えというのだ。その気がない満春は、二度、断った。三度目の使者がきたとき、さすがに拒めなかった。三顧の礼を以てなおも所望されて、断る理由はみつからなかった。
「しかし、才知に乏しい当方に、兄の代わりは務まりますまい」
 満春の懸念はそこだ。いま甲斐へ赴いたところで、逸見有直と戦っても勝てる自信がない。それでは幕府に泥を塗ることになる。
「先ずはご懸念、御所様に存分申し立てませ」
 使者は満春のために駕籠を用意していた。空山と号していた満春は、観念した。
 観念とは、還俗の意である。
 ただひとつの気懸かりは、甥の信重だ。が
「あれはこのことを知らず、いま旅の空の下にいる」
 引導院の僧侶は、今から追えば播磨あたりで会えると訴えた。
「いや、先ずは儂だけが裏切ることにする。あれが還俗すると云えば、儂はすぐに迎えを寄越すであろう。左様、お伝えあれ」
「それでも、追ってこのことを伝えます」
 浅はかだったという後ろめたさが引導院にもあった。もっと説得を重ねれば、頭を丸めずに済んだのにという悔やみがあった。その苦しみを強いたことが、満春の良心を苛んだ。
 後味の悪い得度だった。
 京都に入った満春は室町第に案内され、そこで将軍・足利義持と面会した。
「探したぞ」
「恐れ入ります」
 還俗を固辞することは出来ない空気だった。
「禅秀入道の謀叛は、唆した者がいたから生じた。禅秀も武田家も迷惑を被ったに過ぎぬ。元に復すことが大事と心得よ」
「は」
「謀叛の罪を心に抱えるそなたの想いは、理解している。よって、新たな名を名乗り、生まれ変わったつもりで励むべし」
 義持は満春に陸奥守の位階を授け、さらに諱を下した。〈信元〉という。以後、彼を武田信元と呼ぶことにする。
「武田の家は由緒あるもの。甲斐の守護は由緒ある者に託すのが幕府の方針である。等持院(尊氏)様を支えた武田家の忠孝に報いるために、将軍家も覚悟していること。そなたにも知って欲しいのだ」
「は」
「ただし、綺麗事は云わぬ」
「は」
「逸見なる者、武力で国を横領していると聞く。されば甲斐へ赴き、むざむざ殺されては気の毒。ゆえに武田と縁深い者が補佐する」
 義持が呼ぶと、小笠原右馬助政康が参上した。
「右馬助殿?」
「久うござる、伯父上」
 小笠原政康の母は信元の妹である。小笠原家は甲斐源氏の分派で信濃守護職を任じられている。これほど心強い援軍はない。

 武田信元の甲斐入りには諸説ある。
 応永二四年説。これについては上杉禅秀の乱が決着したばかりの年で、状況的に入国が困難と考えられる。しかも実効支配の現状や、高野山に登った信元の説得も考慮におくと、時間的には短すぎるきらいがある。二四年説は、恐らく信元に白羽の矢を立てたのみで、甲斐に赴くことではなかったのだろう。
 応永二五年説。これは『信濃史料』にも記されているものだ。恐らくは二五年に小笠原政康を補佐とするところも含めて、武田信元はこの年に甲斐へ赴いたと考えるのが自然であろう。
 幕府が甲斐地下一揆を知ったのは、応永二五年二月一五日。
 そして小笠原政康に補佐を命じたのが同二一日。このふたつの出来事は、ゆるやかに一貫性を以て、武田信元を甲斐へと向かわせる一因だったと思われる。
「甲斐入国というよりも、ひとつお願いが」
「申せ」
 信元が将軍・足利義持へ望んだのは、旧領の南部河内領の回復だった。
「うむ、そのことも承知した」
 義持は頷いた。国内の回復を求める以上、国内の一部の回復も同じことであった。
 が、この認識は、甲斐の他国にいる者の思惟には想像の隔たりがある。甲斐国とは、峡北・国中を一体とした地域と、郡内と、南部河内が、それぞれ独立した集合体である。この地域性は、他国の理解が得られ難い。信元にとっては、自分の領地を回復し、そのうえで兄の支配を引き継ぐといった意図を含んでいた。このことを知らずに、足利義持は同意したのである。
 甲斐守護職の任命と入国。幕府は鎌倉府へ使者を以てこれを伝えた。
「ふざけやがって……」
 足利持氏は低く呟いた。
 何としても甲斐守護職の主導権を鎌倉府に与えない心底が滲むようで、持氏は不快だった。このことは甲斐国内にも流布されたが、逸見有直の驚きは想像に易い。
「納得でき申さず」
 鎌倉へ駆けつけた逸見有直は、馬鹿にされたような心地だと、持氏へ不服を吐き出した。鎌倉府からの要請を無視した幕府への不満は、二人にとって、たちまち憤怒へと変わっていた。
 ただの信元入国だけならば、逸見有直は問題なかった。
「あんな奴、隙をみて討ち滅ぼせる」
 それが出来ない事情があった。
 信濃守護職小笠原家の軍勢に守られながら、信元が帰国する。これは逸見有直に対する踏み絵である。
「攻めるなら来い」
 途端に幕府勢が怒涛の勢いで逸見討伐に及ぶ。それだけではない、逸見有直を推挙した鎌倉公方には任命責任を質し、これも大軍を以て尋問する。
 全ては計算尽くめだった。
 悔しいが、幕府勢と戦う動機が甲斐守護職を巡るものの場合、鎌倉府には一切の大義がない。鎌倉府の失態から賛同せぬ輩も生じる。
「儂は、甲斐と共倒れするつもりはない」
 持氏はじっと逸見有直を睨んだ。逸見有直も後ろ盾を失うことは出来ない。
「公方様の仰せなら」
と、逸見有直は悔しそうに呟いた。
「のう、中務丞。ここで一戦に及ぶよりも、今は退き刻と心得よ」
「と、申されると」
「機が熟すのを待て、ということじゃ」
 さてと、逸見有直は首を傾げた。
「よいか、武田の生き残りは陸奥守のみと考えてよかろう。安芸守の子らは行方知れず、ならばこの者が絶えれば、武田の血脈は経たれる。となれば、甲斐守護職は空席に出来まい。どうじゃ」
 足利持氏の考えだ。それは逸見有直の望むものと重なる。
「恐れ入りました。深慮遠謀、公方様の知恵には感服仕ります」
「こんなことは、いつまでも続くことではない」
「はい」
「ようは、陸奥守が死ねばいい。その意味が、分かるな?」
「刺客を、常にと」
「長くはない、そう思う」
 逸見有直は何度も、己に云い聞かせるように呟いた。
 このとき鎌倉府では、信重の存在を確認していない。信元とともに高野山へ逃れた事は、幕府もまだ把握していなかった。
 不気味な存在だったのは、ひとり。
「八郎とかいう者は、乱ののち、どこで討たれたか聞いておらぬ」
 ふと、持氏は思い出した。信満の次男で武辺の者がいた。上杉禅秀の乱へ参加した武田の別動隊を率いたと聞いている。
「あのとき甲斐へ向けた軍勢五〇〇を、明神峠で撃退したのが八郎と聞いている」
「たかが若造です」
「儂だって若造だ」
「公方様は別です」
「その若造が甲斐討伐の弊害になった。儂ならば、そんな真似は出来ぬ。恐るべき奴、生きていたら、何とする」
 たしかに信長の躯は信満の陣所にはない。郡内の小山田陣所でも、その死体を発見したという知らせがなかった。
「八郎が死んだという証はござらぬが、甲斐で一揆が生じ、それに加担していないことをお考え下さい。生きていたら、とっくに合流しておりましょう」
 逸見有直が応えた。どこからも、信長が生きているという噂は聞いていない。それだけは間違いなかった。ならば、信満に殉じて自刃したか、野垂れ死にしたものか。
「そうであって欲しいものだ」
 持氏はそう呟いた。

 武田信元の甲州入りは三月。日付は明確ではないが、将軍・足利義持から小笠原政康に宛てた甲斐入府と今後の支援の書状が三月一四日付で残されているから、それ以前と考えられる。
 逸見有直は表立って抗争する態度を避けた。本領の西郡に戻り、息を殺して、神妙な態度に徹した。
 帰国早々、信元は鎌倉府へ出頭した。鎌倉公方に挨拶するためである。
「ようきたな」
 持氏は事務的な対応だった。全ては上辺だけ、丸く収まった。が。上辺だけ、という点が重要だった。
 持氏も逸見有直も、信元の死を指折り数えた。信満の弟だから、もう若くはない。刺客に斃れれば、もっと早まる。機を待つことが大事だった。
 信元が甲斐で行った最初のこと。
 それは、上杉禅秀の乱で散り散りになった武田の家臣を呼び戻すことだった。逸見有直の武威に圧され、野に隠れていた家臣たちが、続々と戻ってきた。
「各々が従前にしていたことを行なうべし。足りぬ人手は優先されることに融通する」
 内政の手腕に長ける信元である。甲斐の国中を中心に、荒廃した国内の富国政策が急がれた。信元の内政は百姓の支持を得た。逸見有直に抵抗した地下一揆も、戦さの収束に従い静かな日常に復した。天災ばかりは人の才に及ばないが、少なくとも搾取が減少したことは目に見える功績だった。
 一〇月、信元は懸案だった下部南部の平定を試みた。小笠原政康が積極的にこれを支援し、無事に整った。将軍・足利義持はこの報告に満足し、小笠原政康に功労を褒賞する手紙を発給した。
 が。
 小笠原政康は信濃守護職である。自国の治世が双肩にあり、いつまでも甲斐の面倒を見ている訳にはいかなかった。
「どうしたものかな」
 帰国のことを切り出すと、信元は泣いて引き止めた。元々武辺に優れぬ信元は、独自の軍事力で逸見有直と渡り合える器ではなかった。た。
「ここで放り出すのも、気が引ける」
 小笠原政康の悩みどころだった。
 結局、小笠原政康は名代を甲斐に留める選択をした。小県郡の豪族で小笠原の傍流にあたる跡部駿河守政家は、政康に召出され緊張を画せずにいた。
「その方、我が名代として甲斐に留まり陸奥守殿を補佐すべし」
「は?」
「儂の顔に泥を塗れば、すぐにでも成敗に駆けつけるだろう」
「ご、ご冗談を」
 小笠原政康はじっと睨んだ。冗談ではないという表情だ。跡部政家は生きた心地もしなかった。命令により跡部政家は小県から一族揃って甲斐へ移り住んだ。こののちは、武田信元の守護代として支えることが期待された。
 跡部駿河守政家とは、小笠原政康の忠実な被官である。跡部家は小笠原家から分派し、小県跡部郷に根を下ろした一族だ。ゆくゆくは小県の滋野三家を蹴落として、この一帯を支配するという野心を秘めていた。
「それが、未熟な甲斐守のお守りを仰せだ」
 正直なところ、跡部政家は面白くない。が、政康の命令は絶対である。逆らうことは決して許されない。
「心強く思う」
 武田信元の人畜無害な表情が、妙に憎らしかった。
(こんな奴のために)
 積年の夢である小県の覇権を捨てるのか。何だか無性に腹が立つ。
 しかしだ。跡部政家は、あることに気がついた。
(小県よりも甲斐の方が、旨味はある)
 つまりだ。甲斐守護職を傀儡とすれば、自ずと甲斐を我が物に出来る。小県の利よりも大きいではないか。問題や不興が生じても、それは守護たる武田家のもの。
(美味い汁が転がり込んだかも知れない)
 とにかく小笠原政康だけが恐いのだ。この琴線に触れない限り、跡部政家は甲斐で好きが出来るのである。
(悪事は露呈したら、すべて逸見のせいにすればいい。もしくは無能な武田が負う)
 跡部駿河守政家が野心を秘めていたことを、このとき誰も知らなかった。
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