信長伝

夢酔藤山

文字の大きさ
上 下
37 / 49

第一二話 古河3

しおりを挟む
               三


 足利と上杉の講話はなかった。これにより、関東は大きく割れた。利根川より西は上杉家が支配に及んだ。
 もはや和解は不可能だった。
「騎西を攻めよ」
 成氏は古河にとって一番近い軍事拠点の攻略を必要としていた。騎西城の攻撃は、武田信長・里見義実・簗田持助・一色宮内大輔らが請負った。一二月三日、庁鼻和上杉・長尾左衛門・武州七党が横合いから阻止するため討って出たが、信長たちは野戦にてこれを退けた。
「武田八郎がいるぞ!」
 それだけで、敵の戦意を揺さ振った。六日、成氏方の総攻撃により、遂に騎西城は陥落した。
 この日、成氏は関宿城へ移り、東西南北をぐるりと見渡せる遠望に感嘆した。ここからは武蔵や上野、下野までも一望できる。常陸の筑波山も見えた。眼前の利根川を下れば、上総へと至る。
「関宿か、いいところだ」
 成氏は長いこと安房や上総のことを忘れていた気がする。
「安房には、上杉の勢力がいるという。面白くのないことだ」
 関宿城主の簗田河内守持助は、その言葉に頷いた。
「安房だけではござりません。上総も同様です。また、下総においても、容易に油断はなりますまい」
「そうか、上総もか」
「上杉と分断されている今こそ、安房と上総へは攻める好機と存じます」
「そんなこと、武田八郎も云っていた」
「さすがは八郎殿」
「とはいえ、武蔵を睨むいま、大軍を割くことは望ましくない」
 成氏とて、上総を屈服させる急務を痛感している。どうしたら最適なものか。
「されば、上杉方の圧政に困っている在地の武士どもへ、こちらへの同心を呼びかけるのは如何でしょうか」
「簡単ではあるまい」
「合戦巧者を選りすぐり、その傘下へ馳せ参じることを呼びかけるのです。寝返っても安全だと分かれば、心安んじて応じるものかと」
「そんな簡単なことではあるまい。第一、そんな合戦に長けた者がいるならば、むしろ本陣に留めておきたいくらいじゃ」
「上杉から安房・上総両国を切り離すことは有為なること。取ってしまえば、もう上杉に戻ることはありますまい」
 簗田河内守持助の云うことは、理解できる。
 たしかにそれは、有為である。
「分かる話だが……」
 そのような適任者がいるだろうか。その答えも持助は用意していた。
「安房へは里見、上総には武田というのは、如何かと」
 成氏は即答しなかった。しかし、適材かという観点から見れば、なるほど、面白いほどに的を射る。
「わるくはないな」
 成氏は頷いた。
 古河の御所に武田信長が招かれたのは、康正元年(1455)年暮れのことだった。
「すまぬが、上総国を奪って欲しい」
「上総を?」
 以前、斥候を頼まれたことがあった。こういう布石だったのかと、信長は腑に落ちたのだが、上総のどこから攻めるというものか。
「全部じゃ」
「全部?」
「左様、上総からそっくりと、上杉の勢力を一掃したい」
 それでは長丁場となる。成氏の側から離れてしまうだろう。
「それよりも、ぜひとも上総が欲しい。こんなことを頼めるのは、全軍を見渡したところで、武田八郎以外におるだろうか」
 信長は思案した。思案の果てに
「心得た」
と、信長は応えた。
「河内守、あれを持て」
 簗田河内守持助が大きな盆を抱え、それを信長の前に置いた。何か、入っていた。
「開いてみよ」
 信長はゆっくりと、畳まれた布を開いた。
「こ、これは……」
 日の丸に桐の紋。これこそ公方の正統なる将士であるという証。これを掲げて攻め入れば、武田の武威と成氏の威光に跪かぬ者などない。後年、この御旗を〈鎌倉成氏朝臣旗〉というが、おいそれと家臣に与える代物ではない。
「お前は我が片腕、片身も同然。八郎の軍に、儂の代わりに旗が従う。どうだ、我ながら出来がいいと思うのだが」
「勿体なき哉」
 信長は感極まり、涙を落した。
 かくなる上は上総を平らかにし、早々に成氏のもとに戻ることを信長は宣言した。その言葉を成氏は制した。武田信長が古河にあっても、与える要職がない。戦さだけに用いるのでは、面目が立たぬ。ゆえに成氏はひとつの提案をした。
「上総一国、八郎の国とせよ」
「公方様!」
「上総一国くらいで許してくれ」
「そんな、勿体ないことにて」
「お前の値打に相応しいと、観念して受け取ってくれ」
 それほどの厚遇を得た男は、果報者だ。幕府でさえ、相模国に猫の額ほどの土地しかくれなかった。それを思えば、破格の恩賞といえる。
「ああ、でもな。先ずは敵を倒してからのことだ。今までのことは、すべて口約束に過ぎない。が、八郎なら現実のものにしてしまうだろう」
「は」
 されば、上総侵攻にあたり信長は口上した。
「上総の東に安房国がござる。ここに敵が逃れることは、将来安んじて上総を守れますまい。ゆえに安房へも別働の軍勢を差し向けられまいか」
「そのことも承知しておる」
 成氏が手を叩くと、男がやってきた。
「お呼びでしょうか」
「これへ」
と、成氏は手招きした。男は、里見義実である。
「まだ話しをしていなかったが、この者に安房攻めを任せようと思う」
 初耳だと、里見義実は目を丸くした。
「安心せい、上総は武田八郎に一切を任せる。お前は安房に専念してよい」
 上総に武田信長、安房に里見義実。これが同時侵攻をする。上杉の援軍は利根川を渡ることはない。ゆえに勢いのある側が有利となる。
「里見殿ならば、安心じゃ」
「どうぞ、お手柔らかに」
 信長は大きく頷き、里見義実の手を取った。よかったと、成氏は簗田持助をみた。
「八郎殿がいなくなると、我らがもっと頑張らねばなりますまい」
「そうじゃ、河内も手を抜くまいぞ」
「これはしたり!」
 信長は大声で笑った。

 康正二年(1456)正月一九日、成氏は自ら兵を率いて、下総国市川城(現・市川市国府台)を攻めた。千葉氏内紛は、昨年の合戦で宗家が滅亡し馬加康胤が千葉介を相続したことで決着したはずだった。ところが、上杉家と結ばれた胤直の甥・実胤と自胤が、自力で千葉氏を再興させたことで内紛が蒸し返されたのだ。
 それだけではない。
 都から東常縁が大軍を率いてきた。康胤の本拠地である馬加城(現・千葉市馬加町)を、電撃に陥落したのである。成氏が自ら出馬をしなければいけない由縁だ。求心力の低下は、足下を疎かにする基だった。
「武田右馬助、こんなことなら手放すのを早まったかな」
 その呟きは、武田不在でも我が力ありという家臣団の発奮につながった。
「我らだって、やるときはやります!」
 成氏勢の猛攻に、市川は陥落した。実胤・自胤は、夜陰に乗じて舟で対岸へ逃れ、二度と渡河することがなかった。
「市川、脆いなあ」
 このままではいかんと、東常縁は上総国東金城に駐屯して防衛線を張った。この常縁に国分・大須賀・相馬といった下総・上総の豪族が従った。
「これでは面目なきゆえ、野州(東常縁)攻めのご助力を賜りたし」
と、馬加康胤は城の奪回を成氏に哀願した。
 戦さの駆引きを東常縁は心得ていた。
「あれは只者ではないな」
 ただの風流人ではないことに、成氏は舌を巻いた。東常縁はじっと動かずに、戦力を蓄え続けていた。成氏は多忙な正月を寒空の下で過ごすこととなる。

しおりを挟む

処理中です...