本当の絶望を

SALT

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貴族の特権の1つに、情報が早く伝わってくるということがある。

前日に、こうなることを知れた。

「お早うございます、ローズ様。街がざわついています」

その声に導かれるように、朝の食卓に届いた外号を手に取る。

『統括者オドール。
北の都・リバリフトに向かっていた最中、爆発事故に巻き込まれ死亡』

混乱はすぐさま広がった。アンディークは朝から、半ばパニックともいえる熱に包まれていた。

だが、ローズの胸の内は、表向きの騒ぎとは真逆だった。

殺伐としていた心が、音もなく沈静していくのを感じた。忌むべき人間がひとり、この世からいなくなった。そう、それだけのことに過ぎないはずなのに。

「ローズ様、これを」

ローズはソフィーから、一通の手紙を受け取った。



「ソフィー、予定が入ったので、午前の予定は時間を後にずらします」



アンディーク中心部。いつもローズが通っているシエル庭園から、徒歩十分ほどの場所に、古びたアイカス神殿はある。

アンディークがかつて神聖と称された時代から変わらずに佇む、古びた石造りの聖地。街がどれほど荒れようと、この神殿の静けさだけは変わらなかった。

灰色の石造りのその外観は、雨に濡れていっそう沈んで見えた。

早朝に送られてきた手紙、その送り主サレット、彼の指示通り、三本目の柱の陰に隠された階段を、下りていく。しめった空気が、頬にひやりとまとわりつく。

階段を抜けた先には、小さな石室があった。

私は扉をそっと押し開けた。

「お待ちしていました、ローズ様」

「貴方が、サレットのご子息で」

「はい、パシー・ガレットです。父の命に従い、依頼を遂行させていただきました」

その声音、所作、空気の質すら。サレットとよく似ていた。冷たく、端整で、どこか無垢な危険をはらんでいる。

この男が、オドールを――。

「依頼の内容は全て果たしました。証拠は一切残しておりません。ご安心ください」

「流石ですね 」

「当日は、今日のように雨が降っています。絶好の機会でした」

この時期のアンディークでは、雨と霧がしばしば重なり、視界を奪う。音は鈍く、気配は掻き消される。まるで殺意のために用意されたような気象だ。

「一体、どうやって殺したのですか?」

「オドールが北の都に向かう前夜、馬車に火薬を仕込みました。翌朝、リビーフ大橋ですれ違いざまに点火し、私は川へ飛び込むだけです」

あまりにも簡潔で、美しいほどに完結している。

「でも…リバリフトに行くのがこんなに早いとは」

「私がそうなるよう仕向けました。偽の召集書をオドール宛に送りました。差出人は、ロミナ第二王子」

「……」

「オドールはロミナと学友でした。今の地位を確立できたのもおそらく彼らのコネ。
ロミナの命なら、迷いなく動きます」

その一言で、すべての線が繋がった。

これが怪物の系譜、パシー家の天才ーガレット。

「これからはローズ様にのみお仕えしますと、父から命じられています」

「本当にいいのですか?」

「それが、私に課せられた任務です」

その言葉に嘘はなかった。ただ命令に従って生きる。その機械のような忠誠心には、どこか救われた気さえした。

「他三家への伝言も、私を通していただければ効率的です」

「助かります」

本当に、頼もしい方が来てくれた。

「報酬は、仕事内容に見合った額をお支払いします」

「報酬は、いただけません」

「受け取ってください。私が、それを望んでいます」

「……感謝申し上げます。依頼内容は完璧に遂行いたします」

こういう人間には、任せられる。感情に振り回されず、任務を遂行するためにのみ存在している人間。

「早速、ひとつ依頼を」

「相手は?」

「オドールに忠誠を誓っていた部下たちです。可能であれば、後追い自殺という形で処理してください」

念には念を、微弱でも危険分子は排除しなければ。

「承知いたしました。完了後は、この壁にチョークで文字を記します」

ガレットは近くの壁を指さした。

ガレットは指を伸ばして、部屋の奥の壁を指した。

「この部屋には水漏れがあります。酸性雨が中に入り、書かれた文字は一晩で消えるでしょう」

「なるほど。私がここに指示を刻んでも?」

「もちろん。神殿の監視は、我が家の者に任せております」

この場所が、私たちの報告所になる。

「お願いします。これから、アンディークは変わっていきます」

「……希望は、しばしば失望と絶望を育てます。私は、期待しません」

「それもそうですね」




オドールが死んでから、一週間が過ぎた。

混乱は収束しつつあり、デミアン邸も、アンディークの街も、平静を取り戻しつつあるように見えた。

時間という薬は残酷なまでに速やかにすべてを鎮める。

1つ問題があるとすれば、デミアン卿のことだ。

オドールが亡くなってから、デミアン様とは顔を合わせられていない。

というのも、オドールを殺すことを私はデミアン様に伝えなかった。

そのことを伝えていれば、自分自身が罪悪感に苛まれる事がわかっていたからだ。

今頃、私への怒りでいっぱいなのだろうか…
むしろその方がいい、私を憎んでくれればいい。

私は怪物になるしかないのだ。

善良さも、優しさも、温度も、全部切り落として、ただ復讐という形だけを残した怪物。

そんな自分の未来を思い描きながら、ローズは、アンディークの空の色を見上げていた。

淡く、うすら寒い、藍色。

今日もまた、雨が降りそうだった。
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