21 / 63
1章
****
しおりを挟む
「——んもーーーー。遅いーーーー!」
小春はものすごい血相を変えて駆け寄ってきた。
「ごめんごめんっ」私は全力で謝るけど息切れが半端なかった。不可抗力で手と膝がくっついた。
頭と地面もくっつきそうだった。額から汗が滴り落ちる。
「もー心配したってぇーー」
「ちょっとタンマ……」私はちょこっと片手を上げて小春を制止した。
つまずかないことだけを考えて必死に駆け下りてきた。運動神経がないなりに。
はいこれっ、と小春から受け取ったラムネを飲み干す。すっかり気は抜けていて生ぬるかった。
でも、ようやく喉が潤って生き返った気がした。
「もう桑水社来てるから行くよ!」
あと少し休憩を……
と思いつつも自責の念もあって、私は促されるまま小春について行く。
——せーの! よっそら! そらそら! よっそら! そらそら!
——せーの! よっそら! そらそら! よっそら! そらそら!
すでに山車は神社前の交差点に勢揃いしていた。
太鼓、横笛、手平鉦が奏でる祭囃子。天まで届けと威勢の良いかけ声。老若男女、祭り衣装に身を包み、地域民たちが山車を引き回す。その熱気を帯びた魂の叫びは打上げ花火のようにはかなく映った。
「きれー……」
私は吸い込まれたように口を開いた。
幾つもの提灯が放つ橙色の灯りによって装飾された山車は、幻想かつ神秘さを醸し一層豪華で、しばらくじっと食い入るように眺めた。
「七! あれあれ、いたいた」
小春は私の肩を、ちょんちょん、と触って指差した。
桑水社をみつけた。重さんが先して綱を引いて山車を誘導している。
——じじいの炎とくと見ときゃー。
さっき、重さんが言い残した台詞。
ひょっとしたらこの勇姿が見れるのも今年が最期なのかもしれない。年齢と現在の不安定な社会情勢からそう思った。
「わきゃー衆ー! 気合いみせやーー」重さんは身体全体で皆を鼓舞する。声を張り上げ笛を何度も吹き鳴らす。
あ、快晴だ。
隣でひときわ大きい体で目立っているのは快晴の友達の元気くんだった。楽しそうに声を張り上げながら山車を引いている。
「よっそら! よっそら!」
重さんのかけ声で、一斉に「そら! そら!」と声が上がり、山車はゆっくりゆっくり回りだす。
回転の勢いが増すにつれ、かけ声も大きくなっていく。それに伴い取り囲むようにできた見物客からは歓声が沸いた。
——それそれ! それそれ! と言うかけ声に触発されるように、祭り子たちの声は更に勢いを増して大きくなっていく。
その光景はまさに圧巻だった。
もの凄い迫力に、私の魂も揺さぶられていく。
——それ! それ! それ! それ! 感化された隣の山車が桑水社に近づいて競うように引き回し始めた。
互いにヒートアップしていく。
山車の停止は恥とされていた。——そら! そら! そら! そら! 桑水社とあいまって物凄い大声で、まるで喧嘩しているようだ。
「いけいけー」
小春も感化されたのか、何度も拳を突き上げて飛び上がっている。
私の気持ちも皆と一緒だった。
あの世とこの世が混在する空気。熱気で生ぬるい酸素を取り込んだ血液は体中を駆け巡っていた。
喧騒に心臓が震えて心が麻痺していく。
あと少しで火は打ち上がる——それ! それ! と、心の中で叫んでいる。ほんとうの声を聞かせて——
私はぎゅっと、手に汗を握りしめていた。
「そろそろ行くー?」
小春が袖をちょんちょんと軽く引っ張る。
お祭りは終演を迎えようとしているところだったが、中学生は九時には帰宅しろと仰《おおせ》つかっていた。
「だね。行こっか」
私は手でオーケーと合図した。
なるべく人にぶつからないよう、二人で人波を掻き分けて進んで行く。
あと少しだ……
やっと抜けるかな、と思った瞬間。ふいに、物凄い勢いの音が割り込んだ。らしからぬ音で祭囃子とは別のものだとすぐにわかった。
──ピーピピピピーピーーッ! ピーピピピピーピーーッ!
祭囃子とかけ声に紛れ込んで、一向に止まる気配のない笛の音。
何だかあっちの方が騒がしい。こっち側では、ほとんどの人が気づいてすらいなかった。怪我人でもでたのだろうか? 私は足を止めた。
小春も「あ、ごめん」と私に軽くぶつかる形で立ち止まる。「どしたん?」
「なんか異様に騒がしくない?」
小春は私が指を差した方に視線を向け、たしかに、と背伸びをする。
私も一緒になって背を伸ばし目を凝らす。
すると、「あ!」
祭りとは関係のない何か別の人だかりができていることに、私は気がつく。怒鳴り声のような声が聞こえて、私はちょっと驚いた。
男の人が声を荒げ、周りの人だかりからは、「キャー」「やめてー」と黄色い声次々とあがっている。
──あ、警察だ。
笛を吹きながら一人、二人、三人と警察官が向かって行く。「あれやばくない?」小春も気づいた。
「すごっ……」二人で様子を眺める。
私は、まるでスマホの画面を切り抜いたワンシーンみたいな光景に息を呑んだ。
そして今観ている韓国ドラマを回想した。きっと主人公のシジンなら、ここで登場する。軍人だけど。しかも自分でビッグボスなんてコードネームつけるような大尉だから、姿を現すときは空からヘリコプターでやってくるはずだ。
いかん、いかん。
そんなことを考えていたら現実の出来事とは思えなくなってきた。てか、これ。ネットニュースに出てきそうだな……。
警察が駆け込んでからは、そう時が経たずに騒動は収束に向かった。ざわついていたのは、あそこの一部だけで、他は我関せずとお祭りを楽しんでいる。
小春は「さすが警察っ」とガッツポーズして、私と顔を見合わせた。
「かっこいい……」私はまだ、取り押さえる警官と韓ドラの主人公をダブらせていた……
主は男二人のようだ。
野次馬の熱も一気に下火に向かい、だいぶ状況が把握できてきた。
二十代前半くらいか? いかにも威勢が良さがそうな男が警官二人に取り押さえられて連れられて行く。
あと、もう一人は。
ずいぶん年配の人に感じた。小柄だった。
え⁈ なんか、まだ怒ってる。
叫びながら警官の制止を必死に抵抗している。老害ってやつか……
警察官も三人がかりで手を焼いているようだった。
——あれ? あの法被。桑水社の法被じゃないっ⁈
私は目を見張った。
「離しゃー! あのバカタレ一回どついたるけん!」
間違いない。独自の方言なまりですぐにわかった。
「重さんじゃん!」「おじいちゃんっ」
犯人は星崎町の重鎮だった。
一気にネットニュースから、身近な世間話へと距離が縮まった気がした。
重さんは警察官にがちがちに取り押さえられてどこか連れて行かれる。
元海軍。田中重松。九州男児。愛車は自前で塗装したスーパーカブで、『蘭』が好き。
ほんと、困った人だ。私の笑いのツボにどハマりしている……
家に帰るまでが遠足です、とはよくいったものだな。
小春は、もーー、と声を荒げて重さんの元に走って行く。
そんなことはどこ吹く風で、祭囃子は鳴り響いている……
さ、気をつけて帰ろっと。
小春はものすごい血相を変えて駆け寄ってきた。
「ごめんごめんっ」私は全力で謝るけど息切れが半端なかった。不可抗力で手と膝がくっついた。
頭と地面もくっつきそうだった。額から汗が滴り落ちる。
「もー心配したってぇーー」
「ちょっとタンマ……」私はちょこっと片手を上げて小春を制止した。
つまずかないことだけを考えて必死に駆け下りてきた。運動神経がないなりに。
はいこれっ、と小春から受け取ったラムネを飲み干す。すっかり気は抜けていて生ぬるかった。
でも、ようやく喉が潤って生き返った気がした。
「もう桑水社来てるから行くよ!」
あと少し休憩を……
と思いつつも自責の念もあって、私は促されるまま小春について行く。
——せーの! よっそら! そらそら! よっそら! そらそら!
——せーの! よっそら! そらそら! よっそら! そらそら!
すでに山車は神社前の交差点に勢揃いしていた。
太鼓、横笛、手平鉦が奏でる祭囃子。天まで届けと威勢の良いかけ声。老若男女、祭り衣装に身を包み、地域民たちが山車を引き回す。その熱気を帯びた魂の叫びは打上げ花火のようにはかなく映った。
「きれー……」
私は吸い込まれたように口を開いた。
幾つもの提灯が放つ橙色の灯りによって装飾された山車は、幻想かつ神秘さを醸し一層豪華で、しばらくじっと食い入るように眺めた。
「七! あれあれ、いたいた」
小春は私の肩を、ちょんちょん、と触って指差した。
桑水社をみつけた。重さんが先して綱を引いて山車を誘導している。
——じじいの炎とくと見ときゃー。
さっき、重さんが言い残した台詞。
ひょっとしたらこの勇姿が見れるのも今年が最期なのかもしれない。年齢と現在の不安定な社会情勢からそう思った。
「わきゃー衆ー! 気合いみせやーー」重さんは身体全体で皆を鼓舞する。声を張り上げ笛を何度も吹き鳴らす。
あ、快晴だ。
隣でひときわ大きい体で目立っているのは快晴の友達の元気くんだった。楽しそうに声を張り上げながら山車を引いている。
「よっそら! よっそら!」
重さんのかけ声で、一斉に「そら! そら!」と声が上がり、山車はゆっくりゆっくり回りだす。
回転の勢いが増すにつれ、かけ声も大きくなっていく。それに伴い取り囲むようにできた見物客からは歓声が沸いた。
——それそれ! それそれ! と言うかけ声に触発されるように、祭り子たちの声は更に勢いを増して大きくなっていく。
その光景はまさに圧巻だった。
もの凄い迫力に、私の魂も揺さぶられていく。
——それ! それ! それ! それ! 感化された隣の山車が桑水社に近づいて競うように引き回し始めた。
互いにヒートアップしていく。
山車の停止は恥とされていた。——そら! そら! そら! そら! 桑水社とあいまって物凄い大声で、まるで喧嘩しているようだ。
「いけいけー」
小春も感化されたのか、何度も拳を突き上げて飛び上がっている。
私の気持ちも皆と一緒だった。
あの世とこの世が混在する空気。熱気で生ぬるい酸素を取り込んだ血液は体中を駆け巡っていた。
喧騒に心臓が震えて心が麻痺していく。
あと少しで火は打ち上がる——それ! それ! と、心の中で叫んでいる。ほんとうの声を聞かせて——
私はぎゅっと、手に汗を握りしめていた。
「そろそろ行くー?」
小春が袖をちょんちょんと軽く引っ張る。
お祭りは終演を迎えようとしているところだったが、中学生は九時には帰宅しろと仰《おおせ》つかっていた。
「だね。行こっか」
私は手でオーケーと合図した。
なるべく人にぶつからないよう、二人で人波を掻き分けて進んで行く。
あと少しだ……
やっと抜けるかな、と思った瞬間。ふいに、物凄い勢いの音が割り込んだ。らしからぬ音で祭囃子とは別のものだとすぐにわかった。
──ピーピピピピーピーーッ! ピーピピピピーピーーッ!
祭囃子とかけ声に紛れ込んで、一向に止まる気配のない笛の音。
何だかあっちの方が騒がしい。こっち側では、ほとんどの人が気づいてすらいなかった。怪我人でもでたのだろうか? 私は足を止めた。
小春も「あ、ごめん」と私に軽くぶつかる形で立ち止まる。「どしたん?」
「なんか異様に騒がしくない?」
小春は私が指を差した方に視線を向け、たしかに、と背伸びをする。
私も一緒になって背を伸ばし目を凝らす。
すると、「あ!」
祭りとは関係のない何か別の人だかりができていることに、私は気がつく。怒鳴り声のような声が聞こえて、私はちょっと驚いた。
男の人が声を荒げ、周りの人だかりからは、「キャー」「やめてー」と黄色い声次々とあがっている。
──あ、警察だ。
笛を吹きながら一人、二人、三人と警察官が向かって行く。「あれやばくない?」小春も気づいた。
「すごっ……」二人で様子を眺める。
私は、まるでスマホの画面を切り抜いたワンシーンみたいな光景に息を呑んだ。
そして今観ている韓国ドラマを回想した。きっと主人公のシジンなら、ここで登場する。軍人だけど。しかも自分でビッグボスなんてコードネームつけるような大尉だから、姿を現すときは空からヘリコプターでやってくるはずだ。
いかん、いかん。
そんなことを考えていたら現実の出来事とは思えなくなってきた。てか、これ。ネットニュースに出てきそうだな……。
警察が駆け込んでからは、そう時が経たずに騒動は収束に向かった。ざわついていたのは、あそこの一部だけで、他は我関せずとお祭りを楽しんでいる。
小春は「さすが警察っ」とガッツポーズして、私と顔を見合わせた。
「かっこいい……」私はまだ、取り押さえる警官と韓ドラの主人公をダブらせていた……
主は男二人のようだ。
野次馬の熱も一気に下火に向かい、だいぶ状況が把握できてきた。
二十代前半くらいか? いかにも威勢が良さがそうな男が警官二人に取り押さえられて連れられて行く。
あと、もう一人は。
ずいぶん年配の人に感じた。小柄だった。
え⁈ なんか、まだ怒ってる。
叫びながら警官の制止を必死に抵抗している。老害ってやつか……
警察官も三人がかりで手を焼いているようだった。
——あれ? あの法被。桑水社の法被じゃないっ⁈
私は目を見張った。
「離しゃー! あのバカタレ一回どついたるけん!」
間違いない。独自の方言なまりですぐにわかった。
「重さんじゃん!」「おじいちゃんっ」
犯人は星崎町の重鎮だった。
一気にネットニュースから、身近な世間話へと距離が縮まった気がした。
重さんは警察官にがちがちに取り押さえられてどこか連れて行かれる。
元海軍。田中重松。九州男児。愛車は自前で塗装したスーパーカブで、『蘭』が好き。
ほんと、困った人だ。私の笑いのツボにどハマりしている……
家に帰るまでが遠足です、とはよくいったものだな。
小春は、もーー、と声を荒げて重さんの元に走って行く。
そんなことはどこ吹く風で、祭囃子は鳴り響いている……
さ、気をつけて帰ろっと。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
12
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる