星とぼくの出会いのきずな

Y.Itoda

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2章

ムシノシラセ

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 朝、目が覚めると、カーテンの向こうから微かに光が差し込んでいる。いつもよりも心地が良く、眩しく感じた。
 昨夜はほんとによく眠れた。何年ぶりだろ? 夢のない熟睡なんて。

 カーテンを開けると眩しいくらいの光が注ぎ込んできた。

 窓にはきらめく雪結晶が写り込んでいる。私は窓にそっと手をやった。

 新しい朝だ。

 ひんやりと冷たい澄んだ空気をいっぱいに吸い込んだ。窓を開けて、出かけよう、そう思った。
 すると、ふいに私の手の甲にやってきたテントウムシもそう言っているような気がした。

 黒い点が七つ。

 ゆっくりと上げた手の指先から赤い羽根を広げて飛んで行った。
 昨日まではこれっぽっちも思いもしなかったけど、光が射して、降り積もった雪が溶け落ちていくのを眺めていると、やっと私も新しい時代のスタートラインに立てたような気がした。今日から始まる。

 不思議だ……
 いつもより静かだった。
 雪が空気の振動を吸収してしまっているのだろうか。

 簡単に身支度を簡単に済ませ、それとなく防寒対策をして外へ出た。寒さで頬が冷たさを感じる。玄関先のふかふかの真っ白な階段に足跡を付けていく。
 足を滑らせて転げ落ちないよう一つ一つ慎重に。真っ直ぐ進んで、右へと下りて行く。
 昨日、短くした髪のせいか、ニット帽の被り心地はちょっぴり落ち着きがなかった。
 綿菓子みたいな粉雪がわずかながらに舞っている。頬に落ちた雪は、気体になってすぐに消えた。

 門扉を開き、おお、と思わず心の中で歓喜する。家の外も真っさらな雪道だった。足跡一つない。新しい道に一歩踏み出すと、心地良い静寂にコミカルな音がふわりと弾んだ。

 そのときだった。

「ほっ星宮っ……」
 神沢が、突如として私の目の前に現れたのは。
 このあと、神沢がする仕草は、いつかの日に見た夢の記憶にあった。
 その屈託のない笑顔が私を困らせる。

 *****

 このとき神沢は、ただただ一心で、私の家めがけて走ってきた。私が目の前に現れた瞬間は、奇跡だと思った、と、のちに教えてくれた。
 神沢は受験勉強をしながらも、ずっと巨大隕石について調べていた。
 でも、勉強との両立は困難を極めた。何が現実で何が真実なのか、考えれば考えるほど頭の中の常識はぐちゃぐちゃになっていった。
 それはまるで、自分一人だけが地図のない海を彷徨っているみたいで、自分の存在そのものが薄れていくように孤独だった。
 N大学でリザ教授に会った日、頼みの綱だったルーク・ブルーウォーカーのサイトが閲覧できなくなったのが大きかった。リアルタイムに観察できた宇宙望遠鏡の映像も見れなくなってしまった。
 彼女のお父さんの手掛かりを見つけると約束したのにどうすればいいんだ——
 失望と同時に恐怖心も一気に出てくる。
 神沢は勉強机に向かいながらリザ教授の言葉を思い返していた。私たちは世界中の政府機関から監視される身となった。
 と同時に、そのあと寄ったファミレスでのひと時も思い出す。
『無数の並行現実へ移動することが可能ならば回避できる』
 そんな常識外れな台詞を平然と口にする彼女の姿が思い浮かぶと、ふっと笑みが溢れた。
 きっと普通じゃないのは自分一人だけじゃない。
 そう思えた。
 そんなことを言うと、彼女は真っ赤な顔をして全否定してくるかもしれないけれど。
 再び笑みが溢れる。
 彼女の仕草を一つ一つ思い浮かべる。
 笑った顔。すねた顔。慌てた顔。
 剣道場で黙想をしている、健やかで凛とした佇まいの美しさには、思わず見惚れてしまった。
 机の引き出しにある石のペンダントに目を落としてから窓を開け、目の前の星空と、彼女と一緒に見上げた夜空を重ねる。すっと肩が軽くなった気がした。
「空が灰になり大いなる清めの日が近づいたとき、欠けた石を持って戻った竜が、世界を邪悪から清め平和に導きいれる……」
 小さく声が出た。
 父親からこの石をもらったとき、何かこの世界のためにやらなければいけないんだ、とずっと思っていた。巨大隕石を見つけてから、彼女が現れて、ひょっとしたらと、確信に変わった。
 でも、ほんとうは違うのかもしれない。
 まだ、上手く言葉にできないけどお父さんは、自分の思うがままに生きればいい、と言っていた。
 ありのままでいい。今は彼女の願いを叶えてあげたい。

 そう思ったときだったと言う。神沢が黒い猫に首輪を付けようと考え始めたのは。私が黒猫を、魔女の猫、と呼んでいるのを聞いて、ひょっとしたら魔法使えるのかな、なんて思ったらしい。
 そして何日か経ち、何食わぬ顔で現れた魔女の猫に思いを託したのだと語った。
 それと、結局のところ私の託した願いは、神沢の元に届いたのだという事実……

 魔女の猫め。

 この猫が、願いを叶える魔女の猫としてSNS上でざわつき始めるのは、もう少しあとの話である。
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