星とぼくの出会いのきずな

Y.Itoda

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2章

夢のそのまた夢

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『え、何それ?』
『たぶん何となくだけど』
『わかるの?』
『夢だからよく思い出せないんだけど』
 今日の学校の帰り道、私は小春にそう答えた。

「……」

 きたな。
 モヤりん……。
 目をつむると必ず現れるモヤかかったものを私はそう名付けた。
 あぐらの体勢からベッドに大の字になって寝転ぶ。
 体中の力が抜け自然に、ふう、と大きく息が出た。

 天井は、今日も四角い……

 何気なく眺めていると、あくびが出た。
 受験の反動? 近頃、異様に眠かった。
 学校でも何回もあくびを繰り返した。小春と一緒に登校するときも、教室で小春を囲んで美幸と真由ちゃんと談笑しているときも。
 これはこれまでに積み重なった睡眠負債のせいだ。きっと。

 できることならば、凄腕のスナイパーを雇って返済の取り立て屋を一つ一つ打ち落としてやりものである。

 あ、と思ったところで、また取り立て屋(あくび)がやってきた。

 これはおそらく……
 学校疲れもあるな。
 三日登校しただけだけど。

 一カ月ぶりか……

 皆と顔を合わせたのは。
 表情だけで充実ぶりが見て取れて嬉しかった。
 小春とは世紀末について話をした。
 小春は小春だった。
 いわく、人類は何度も滅亡の危機を高次の存在なる者に救ってもらっているから、心配ないなのだと言っていた。大丈夫かな……オカルティズムに拍車がかかっているような気が。私のせいならごめん——。

 神沢とは——、
 会えなかった。

 星崎町には明日戻ってくるとメールで知った。学校を休んで、来月から母親と一緒に暮らす家を探しているのだという。

 卒業式を最後に星崎町を離れる神沢。

 少しずつ聞こえてくる春の足音と共に神沢との別れも近づいてきた。

「ふあぁぁぁぁぁぁ~」

 大きく開いた口から体中がとろけるようなあくびが漏れ出す。

 ……ああ、まぶたが重たい。

 油断をすると今にもくっ付きそうだった。
 仰向けのままスイッチを探し、エアコンと電気を切ってから、布団の中に入る。
 何となく、スマホの電源も切って耳をすました。
 雑踏の奥の遠く遥か先へと……

 ——コイツは番人みたいなもんだな。

 しばらくすると、どこか、まぶたの中の遠くの方に、ぼんやりとしていたモヤりんが近くなってゆがんだ。
 その黒色の密度は濃くなり、いつかの夢に出てきた黒猫に姿を映し、「もう会えなくなるよ」と子守唄でも歌うようにささやいてくる。

 この猫はいったい何?

 「別々の学校に行けばおまえのことなんか忘れるし」「もっと話せばよかった」「今更遅い」「そもそも地球は滅亡」支離滅裂しりめつれつな言葉で頭の中を威圧する。「おまえのお父さん?」くくと笑い続ける。「もう死んでるって」

 ……まあ、そうかもね。

 私は心の中で、そう言ってやり過ごしてから、少しだけ内側に意識を集中させていった。するとわずかに光る遠くの方に、ぼんやりとあるだろう意識が無意識の中に引き込まれる。
 小さな子供に、優しく手を差し伸べるように。

『こらー、七海、落ち着けー。深呼吸しろー』

 お父さんの口癖——

 ……今ならわかるような気がする。
 お父さんの意図が。

 深層に潜れば潜るほどに気づかされる、私の中にあるお父さんの存在。これが潜在意識というものなのだろうか……
 よくわからんけど、やっぱり私は、これと向き合わなければいけないのだろうと何となく気づいていた。
 この箱の中の天井をいつまでも見て見ぬふりをしていたところで、また明日が繰り返してやってくるだけだ。

 一つ呼吸を研ぎ澄ますと、
 ——そうだ、と以前、見た夢の中でも自分は沈んでいたことを思い出した。

 モヤりんは私の未熟な感情を白っぽくモヤかかってみたり、紫と青が混ざった色に変化を繰り返したり、瞬時に赤色に発狂したりと、ちぐはぐな動きを繰り返してから、ようやく止まった。

 いたずらに何かを試すように……

 不規則に揺れる奇妙なそれを、私はぼんやりと俯瞰した。
 コイツは、何も考えようとしないようにするほど、思考のうじが湧いてくるのが難関だった。
 次から次へと出てくる感情、思考、思い、それらを右から左へと一つづつゆっくり受け流していく。
 これは良し悪しはさておき、機械的にやった方がグッドだった。
 すると気づいたときには思考はどこかへと消えていて、渦を巻きながら深みを増すモヤりんの中へと呑み込まれて行く。

 そう、どこか深く真っ暗な深海に沈んで行くみたいに。

 黒色のさらに奥の黒色へと——
 黒猫はもう跡形もない。
 ここには何もない。
 自分すらいない。
 自我とかエゴなんて手出し無用だ。 
 ありのままの世界がある。
 この世は何だって創造できるんだ。
 思いのままに。

 時間を巻き戻すように時が溶けていく。

 お父さんが言っていた、無限が広がっている。

 ——自由だ。

 変な感じ。
 何もないなんて思いながらいろいろ考えている。
 きっと、ここには時間なんてものも、過去も未来なんてやつもないのかもしれない。
 そう魂が言っているような気がした。

 何だかおかしくなってきた私は、ぼんやりと意識を自分の部屋へと移し四角い箱の中を感じ始めた……

 すると平衡へいこう感覚が鈍いのか、左右の壁、上下の天井と床が段々と定かではなくなってきた。

 壁と認識していたものが壁ではなくなる。

 壁と箱の外との境界がなくなる。

 この感じだ。

 そろそろ頃合いだった。

 目で認知している暗闇と脳が創造する暗闇が一緒になって、私の体ごと部屋一杯に膨らんでいくような。
 ……何もない空間に浮いてるような。
 私の存在がゆっくり膨張して掌握していき、もうこの箱の中では収まらない。

 ——そんな感じ。

 どんな感じだ? ほんとに変だった。
 耳をすませば、固定概念をぶっ壊すかのような耳鳴りが騒ぎ立て始める。そろそろだ。

 さあ行くぞ、と私は覚悟を決めた。

 よしっ、と意気込んでから、思い切って天井を踏みつけ箱の中を飛び出した。

 一気に体が軽くなる。
 心臓の鼓動とともに騒がしくなった耳鳴りが消える。

 はっと、一瞬にして全てが真っ白になった——
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