星とぼくの出会いのきずな

Y.Itoda

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2章

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 ——はあ、はあ、はあ、はあ、はあ。

 息づかいの荒さが、背中から伝わってくる。
 温もりも。

「……神沢、ごめん」

 言う通りだった。間違っていなかった。
 夢の中で触れた石版には、しっかりと神沢が予想していた年数が刻まれていた。きっと、今と昔とではこよみが違うのだろう。月日が多少前後したのはそのせいだ。
 直感的に読み取れた、あの暦は、『十三の月の暦』。古来の人たちは、完全に月の動きとシンクロしながら生きていた。

「ん? 何?」
 ちょこっと後に顔を見せた神沢に「平気、平気っ」
 と、私は首を横に振った。
 神沢は、優しく微笑み、わかったよ、と答えるように軽くうなずいてから前を見た。
 風の音が耳に当たる。私の声なんか届いていないのだろう。神沢は全身を使ってペダルを漕いでくれている。
 私のために。
 ……少しだけ、腰に回していた私の手に力が入った。

 何も言わなくたっていい。
 神沢には、それでも伝わっているはず。
 
 何かにき付けられるように走り出した思いも、お祭りで何発も空に向かって打ち上げられる花火は、いつか終わりを迎えるように、結末が近いことをあの赤い空を見て感じ取る。
 自転車のライトが右手の路地裏に入っていくと、あたりは急に閑散とする。
 まばらな街灯を頼りに聞こえてくるのは、神沢の息づかいと自転車のペダルの音だけだった。

 ——あの赤い空を、私は見た。
 いつの日か見た、夢の中で。
 
 さっきから、頭の中の微かな記憶と重なる気がしていた。断片的で消えそうなくらいの映像ではあるけど。
 空の下の部分は、オーロラみたいに赤く染まっていた。
 オーロラと聞けば、幻想的で猗麗なイメージしかなかった。目の前のあれは、何だか現世と冥界をつなぐものように、物凄く不吉なことの前兆とも受け取れた。

「星宮ーーー、ごめーん!」

 突如、神沢が大きな声を出した。
 何かを伝えたいのか続けて話しかけられるけど、私にはその声をはっきりと聞き取ることはできなかった。
 神沢は真っ直ぐ前を見て、必死にペダルを踏み回し、風を切っている。
 私は背筋を伸ばし、神沢の首筋の方まで耳を近づけて叫んだ。
「何ーー? 聞こえなーーい!」

 ——自分の声で、はっとする。
 ……そうだ。

 今、目の前の現実と、ちぐはぐな夢の中の記憶が重なった。

 ——このあと、

 神沢は、自分だけが手袋をしていることに今更ながら気づいたと、叫んで謝る。
 そして、そんな実直な神沢に対し、私はとんでもなく、そんなの申し訳ないという思いを強く伝えてから、神沢のコートのポケットの中に、そっと手を忍ばせるのだ……。

 私はこの物語の結末を見たことがある——

「着いた! 星宮っ!」
 星崎神社に着き、自転車が止まった瞬間に私は飛び降り、泣きじゃくりながら近づいてくる小春と抱き合う。
「なな七、そそそ空……。あ、あ、あぁ」
 恐怖のためか、取り乱して呂律ろれつが思うように回らない小春の両肩に手を置いてから、
「絶対に大丈夫だから!」
 と、安心するよう強い意思を示して、私は小春の目をじっと見る。
 
 ——そして、そのあとは……

「星宮っ!」

 自転車の前カゴの中にあるリュックから取り出した、ペンライトと、自らつけていた手袋を、神沢から受け取り、

「神沢っ、ありがとっ!」

 と声を張り上げ、うなずく神沢と視線を合わせてから、私は一目散に走り出す。
 手袋をはめ、『ほんと、ありがとう』そう胸に刻みながら。

 丘の上へと続く入口の前にやって来た。鳥居に向かって軽く会釈して、連なる鳥居をくぐって駆け足で上がって行く。力強く踏み込んで、心の中で強く言う。
『待ってろ』と。

 しばらくすると、呼吸が乱れ吐く息が白くなっていることに気付いた。鼻からもれる白い息で、あたりは冷え込んでいることがわかった。
 登りの傾斜がきつくなったところで、歩くペースを調節する。
 呼吸を整えるように。ペンライトが照らす方へと。

 いつのまにか、赤いオーロラは消えていた。

 どうしてだろう。
 こんなときに、ふと憔悴しょうすい感が覆い被さってくるのは。
 喧騒を離れ、一人になったせいだろうか。
 耳の奥で揺れ動く鼓動を聞きながら、今は現実? まだ夢の中? そんなふうに、何だか頭の中がぐしゃぐしゃで、整理が追いつかなかった。
 足を進めるけど、

 ——社会の常識という呪いがまつわりついてくる。

 神沢といるときは、一度もこんな思いをしたことがない。

 神沢の……手袋。
 自然と、手に持つ物に視線が移る。
 一本のペンライトに。

 ふいに『1+1=1』が頭の中で浮かぶ。

 初めて足し算というものを覚えた頃。
 お父さんは、一つの指ともう一つの指を前後に重ね合わせて、そう言った。
 幼い私は全力でバカにして否定したけど、お父さんは笑ってこう返した。
『おれはバカだけど、1+1=1が当たり前の世界だってあるかもしれないだろう?』
 それを聞いて私は、一つの指と指を横に並べて、『こうすれば1+1=11だ!』
 と、声を大にして自慢した。

 ——お父さんはいつだってめちゃくちゃだ。

 何でこんなときに、と思うけど、私は笑いを堪えきれずに吹き出した。
 お父さんは、そんなバカげた人たちが、きっとこの世界を平和にするのだとも言っていた。

 ……私はずっと自分をつくろって生きてきたのかもしれない。
 普通になろうとした。それが、お母さんの望みだった。……でも、だめだった。
 誰かが作った常識。
 窮屈で仕方がなかった。
 その押し付けがましさが、過去の私を四角い部屋の中に閉じ込めていたのだと思う。

 ほんとうの私は、黒い箱の中で、ずっと一人で塞ぎ込んでいるのだから……

 きっとお父さんなら、私のバカげた憶測の考察だって、親指を立てて、いいね! と言ってくれるはずだ。

 おそらく、私が……
 夢の中で過去に干渉することで、現実世界に何らかの影響を及ぼしている。
 何度も何度も永遠と繰り返される、夢と現実の狭間で……。

 どうだろう? 違うだろうか?

 過去で、もやもやした感情を癒すと、それらの事象が周りの人たちの意識にも干渉し、少しずつ変化を促す。

 自分が変われば、自ずと周りも変わっていった。

 そもそも、美幸と真由ちゃんとは、ずっと挨拶を交わす程度の関係だった。中学校に入学をした当初から。
 小春のいない学校で、手を差し伸べてくれた二人。
 あれは、小春の差し金だった。
 私が独りぼっちにならないようにと。
 二人が手を差し伸べる手を、拒んだ私と。受け入れた私——。

 そして、二つの世界線ができた。

 私たちは知らず知らずのうちに誰かの夢を生きているのかもしれない。
 お互い干渉し合い、変化し、各々、自らが創造した未来を引き寄せる。カルマのように、思い巡らせ、巡っていき、いくつもの世界線ができる。
 ……いや、少し何かが違う気がした。でも、今は答えがでない。

 私は足を早める。

 ——この世界線は……間違いない。

 私が望んだ未来だ。
 この先に、必ず——

「あ!」

 つまずいた。
 咄嗟とっさに視界に入った木の枝を掴んだけど、折れた音と共に、体は崩れ落ちた。地べたに両手をつき、膝を大きく擦りむく。
 ペンライトが無情にも暗闇に転げ落ち消えていった。
 こんなに頑張っているのにどうして、と嘆きたくなるけど、大きく息を吐き出し口を結んだ。
 つい、上を向いてしまう。
 立ち上がり、月と星が見下ろす、淡い夜空を仰ぎなら、私は走り出した。
 ぎゅっと手を握りしめて。

 今こそ、呪いを解き放て——
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