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峯森誠司
9話 勇み足、勇む足(1)
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喫茶店の前で円堂先輩と別れて、なんとなくぼんやりとその後ろ姿を見つめた。
あの背中を必死で追っかけた、当時の記憶が蘇ってくる。
あの時の俺は、本当に不思議なくらい見境をなくしていた。
中学一年生の文化祭で、美術室で見てしまったあの絵の衝撃よりも、俺は激しい衝動を抑えられないでいた。
一度噂となっていた羽馬と円堂先輩のことは、二度目の炎上レベルが桁違いに猛烈だった。学校全体が揺らぐほど一気に火の手が上がるような、そんな広まり方だった。
同級生上級生誰もがみな隠す気なんかなく、口々にふたりの話題を持ち上げる。
俺は、以前あった上級生の攻撃を、羽馬がまた受けるんじゃないかとヒヤヒヤしていたし、なるべくそうならないように彼女の行動を意識していた。だから、あんなにいつも元気一杯だった羽馬の表情がどんどん暗くなっていっているのにも気付いたし、部活もせず帰路についている姿も見てしまった。いつも楽しそうに誰かと喋っていて、部活終わりに筧とワーキャー言いながら帰っていた姿は、パタリと消えてなくなった。
ひとりでコソコソと逃げるように帰っていく姿を何度目かにして、テニスラケットを握る自分の腕が震えているのに気付いた。
頭に血がのぼってしまっていたんだろう。その日、初めて部活をサボっていた。美術室に向かって、そこでもう三年生は引退して来ていないと聞いて三年生の教室に向かいなおしても、俺の足は止まることはなかった。
円堂先輩を、渡り廊下にあえて呼び出した。羽馬が以前、上級生たちに嫌がらせを受けた場所に。
「どーいうつもりですか」
落ち着こうとすればするほど、声は震えてしまって、もう自分でもコントロールできそうにないと思った。目の前で不思議そうにこっちを見る先輩に、ただただムカムカとしていた。いや、怒りの感情にむしろ身を委ねていたかもしれない。
「なんのことかな?」
「アイツが、どんな目に合うかわかってて、やったんですか?」
「……あぁ、なるほど、ね」
円堂先輩の表情は変わらない。ある程度、予測していたんだろう。だとしたら、なおさら許せないと思った。
「先輩の勝手な行動で、羽馬がひとり犠牲になってるんです。部活も行けない、逃げるように帰らなきゃいけない。なんであんなことっ」
「じゃあ――」
俺の言葉を遮るように、先輩は一歩前にきた。
「僕はずっと遠慮していかなくちゃいけないわけだ。周りの目を気にして、目の前のものを奪われるのをただ見守るだけの人形になれっていうの?」
「そんなこと言ってない! あんな目立つやり方、わざわざすることないじゃないですか!」
「ああ、そうだね。確かにね……。でも、あれが僕の精一杯の自制なんだよ」
先輩はうかがうように、ジッと俺の目を見つめてきた。
「君は、ない? どうしようもなくなること。僕はきっと無理。目の前で気持ちを伝えたら、自分がどうするかわからない」
なんとなく、その時、あの絵が浮かび上がった。儚げで女性的で……。
「僕は、彼女を抱き締めたいし……なんだったらそれ以上のことをしたいと思ってるよ」
ガッと鈍い音がして、狭まった視界の中に頬を押さえる円堂先輩の姿があって。
ジワジワと右手が疼いてきたことで、自分が仕出かしたことを悟った。
そのまま逃げるように飛び出した三年前のことを、俺は今、先輩の背中を見送りながら思い出してしまったことにうなだれる。
当時は思い至らなかったけど結局のところ、円堂先輩はなにひとつ悪くない。俺がガキすぎてたったひとつの正義だけで殴ってしまった。あの時も、今だって、先輩はあの行為について怒ってこなかった。先輩は、どこまでいっても俺の前を行く人で、とうてい追い抜くことのできない相手なのだ。この疼きまくる劣等感は、きっと晴れることはないんだろう。
あの背中を必死で追っかけた、当時の記憶が蘇ってくる。
あの時の俺は、本当に不思議なくらい見境をなくしていた。
中学一年生の文化祭で、美術室で見てしまったあの絵の衝撃よりも、俺は激しい衝動を抑えられないでいた。
一度噂となっていた羽馬と円堂先輩のことは、二度目の炎上レベルが桁違いに猛烈だった。学校全体が揺らぐほど一気に火の手が上がるような、そんな広まり方だった。
同級生上級生誰もがみな隠す気なんかなく、口々にふたりの話題を持ち上げる。
俺は、以前あった上級生の攻撃を、羽馬がまた受けるんじゃないかとヒヤヒヤしていたし、なるべくそうならないように彼女の行動を意識していた。だから、あんなにいつも元気一杯だった羽馬の表情がどんどん暗くなっていっているのにも気付いたし、部活もせず帰路についている姿も見てしまった。いつも楽しそうに誰かと喋っていて、部活終わりに筧とワーキャー言いながら帰っていた姿は、パタリと消えてなくなった。
ひとりでコソコソと逃げるように帰っていく姿を何度目かにして、テニスラケットを握る自分の腕が震えているのに気付いた。
頭に血がのぼってしまっていたんだろう。その日、初めて部活をサボっていた。美術室に向かって、そこでもう三年生は引退して来ていないと聞いて三年生の教室に向かいなおしても、俺の足は止まることはなかった。
円堂先輩を、渡り廊下にあえて呼び出した。羽馬が以前、上級生たちに嫌がらせを受けた場所に。
「どーいうつもりですか」
落ち着こうとすればするほど、声は震えてしまって、もう自分でもコントロールできそうにないと思った。目の前で不思議そうにこっちを見る先輩に、ただただムカムカとしていた。いや、怒りの感情にむしろ身を委ねていたかもしれない。
「なんのことかな?」
「アイツが、どんな目に合うかわかってて、やったんですか?」
「……あぁ、なるほど、ね」
円堂先輩の表情は変わらない。ある程度、予測していたんだろう。だとしたら、なおさら許せないと思った。
「先輩の勝手な行動で、羽馬がひとり犠牲になってるんです。部活も行けない、逃げるように帰らなきゃいけない。なんであんなことっ」
「じゃあ――」
俺の言葉を遮るように、先輩は一歩前にきた。
「僕はずっと遠慮していかなくちゃいけないわけだ。周りの目を気にして、目の前のものを奪われるのをただ見守るだけの人形になれっていうの?」
「そんなこと言ってない! あんな目立つやり方、わざわざすることないじゃないですか!」
「ああ、そうだね。確かにね……。でも、あれが僕の精一杯の自制なんだよ」
先輩はうかがうように、ジッと俺の目を見つめてきた。
「君は、ない? どうしようもなくなること。僕はきっと無理。目の前で気持ちを伝えたら、自分がどうするかわからない」
なんとなく、その時、あの絵が浮かび上がった。儚げで女性的で……。
「僕は、彼女を抱き締めたいし……なんだったらそれ以上のことをしたいと思ってるよ」
ガッと鈍い音がして、狭まった視界の中に頬を押さえる円堂先輩の姿があって。
ジワジワと右手が疼いてきたことで、自分が仕出かしたことを悟った。
そのまま逃げるように飛び出した三年前のことを、俺は今、先輩の背中を見送りながら思い出してしまったことにうなだれる。
当時は思い至らなかったけど結局のところ、円堂先輩はなにひとつ悪くない。俺がガキすぎてたったひとつの正義だけで殴ってしまった。あの時も、今だって、先輩はあの行為について怒ってこなかった。先輩は、どこまでいっても俺の前を行く人で、とうてい追い抜くことのできない相手なのだ。この疼きまくる劣等感は、きっと晴れることはないんだろう。
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