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賢者の飼い犬!
しおりを挟む走馬灯のように、今までの行動を思い出した。
陶器の割れる大きな音が部屋に響き渡り、次いで、死神の足音がそこまで迫ってきた。
震えが止まらない、しかし、疑われたら終わりなのだ。
バレなければ良い。そうすれば今まで通り、幸せでいられる。
───────────────
空白む早朝。霧のかかった山間から、やさしい光が部屋を照らした。
浄化の光と呼ばれ、暗闇を照らす大いなる光だ。今だけはそれが悪魔のように思える。……朝って、何でこんなに辛いんだろうか。
犬小屋にしては豪華な部屋から、朝の冷たい空気を感じつつ半ば本能的に立ち上がる。苦労して扉を開け、階段を降りた。
大剣、甲冑、ローブ、杖、腕輪。両側に飾られているそれらがキラキラと眩しい。どれもが伝説級のアイテムで、これだけで国が興せるらしい。
大きなアクビをして眠気を覚ます。
今日の朝食は何にしようか。と、昨日のオーガ肉を思い出して涎が垂れた。
逸る気持ちを抑えて、キッチンへ小走りで向かう。ただし、スニーキングミッションである。普段怒らないからこそ、怒ると余計に恐いんだよな、ご主人さまって。
キッチンへは階段と廊下を抜けて、右手の扉を開けるとたどり着く。遠い距離に辟易とするけれど、運動と言われれば何も言えない。ボクの部屋は三階で、キッチンは一階、正に端から端である。
ちなみに、最後の扉が一番の難関だ。慣れたとはいえ。
急げ、急げ!
一足で階段を飛び降りる。足の痺れる感覚、今はそれが心地いい。
廊下には花が飾っており、甘い匂いが充満している。クラクラしそうだ。
額縁に飾られた絵画や調度品を見て、余程お金がかかっているんだろうな、と何時も思う。
そうしてキッチンに着いたとき、目の前に広がる大量の食材。
多分、一年はここで暮らせそう。まさにパラダイス!
肉や野菜、水かミルクか、それを抜きにしても選び放題だ。
オークの高級豚肉もどき、ミノタウロスの硬くて安い不味い肉。同じくミノタウロスの高級ミルクもどき。
それらを気分に任せて運び、食卓につく。
すると見たこともないような金色の輝きを放つ薬瓶があった。
「……ゥ?」
ご主人さまがつくったものだろうか? と考えてみる。
賢者と呼ばれる人だ、いかにも凄そうなポーションだが、わけもなく作れるということだろう。
……何か、引き付けるような魅力か何かがある感じがする。目が離せないのだ。堪えられそうにない。チラッと扉の方を向く、誰もいない。行け、行ってしまえとボクの中で天使がささやく。
そーっと、恐る恐る、そして普通に、さらに力を込めて。固く閉じられたコルクをはずそうとするが、しかし開かなかった。ちょっとイラッと来た。
そう、ここで諦めるボクではない!
半ば自棄になって、これで無理なら仕方がないから諦めよう、と渾身の力を振り絞る。瞬間、あってはならない事が起きた。前足が空を切る感覚。
スポッという間の抜けた音を立てて、薬瓶はお皿に突っ込んだ。
──ガシャァァァン!!
……。
一瞬で凍りつく。何もかも。時間でさえ。光でさえ。
目の前が真っ暗だ。ほんとに、何やってるんだろう。
取り敢えずでいい。急げ、早く再起動するんだ。もうすぐ死神が起きてくる。
その前に……。
凍りついた時間はやがて過ぎ去り、思考の波がボクを襲う。
よかった、薬瓶は割れていない。
しかしコルクは外れて、ワイバーンの肉に黄金の液体が……。
「………………ワフッ」
前足が滑った。
「むぅ、リュエルか?」
と、呟くご主人の声が聞こえて、慌ててお肉を口に突っ込んだ。
完全犯罪。
もはや証拠は残っていまい。
何食わぬ顔で、ご主人さまを待つことにする。
「どうしたのじゃ、大きな音が聞こえた気がするのじゃが?」
そうしてガチャリと扉を開けて姿を現したのは、温厚そうなお爺さん。
魔法使いの中の魔法使い、賢者と呼ばれる人だ。
その名の通り知識も豊富で、一部の人たちからは生ける図書館とまで呼ばれている。
うーん、今日も渋くて格好いいね!
「ワフッ(気のせいだよ、ご主人さま)」
自分に言い聞かすように、ご主人さまに声をかける。
「……ふむ、いつもお主は可愛い奴じゃのぅ、リュエル」
大きな手だ──。
やさしく撫でる手にすり寄り、甘えた声で舐め回す。
「クゥゥン、ハッハッ!」
尻尾を振って、取り合えずご主人さまに媚を売る。
そうすればご主人さまは相好を崩してボクに微笑む。
……フッ、チョロい。
たとえご主人さまでも、ボクの完全犯罪は見破れまい。
ポーションは既にボクの腹のなか。
一番の懸念は割れたお皿だが──お皿はうっかり割ってしまっただけだ。
証拠になんてならないし、全然大したことじゃない。
まぁ、ご主人さまがボクを疑うコトなんて、滅多にないから大丈夫だ。
「何じゃ口を動かして、ん? 朝食を食っておったのか?」
そうですよ、ご主人様。
ボクには何もやましいことなんかありません。
「ふむふむ、怪しいのぅ?」
怪しくありませんよ?
「──して、リュエルよ、この薬瓶はどうしたのじゃ? この瓶の中には金色の液体が入っていたじゃろう?」
黒い双眼が、ボクを見抜く。
「………………ワフッ」
……本当に、どうしたんだろうね?
何が、『疑われないから大丈夫』なんだろうか。
バレそうになってるじゃないか。
「えらく間が開いたのぅ、リュエル? お主の考えを聞かせてくれんか?」
「──ワンッ(きっと誰かが転がしたんだよ、っはっはっは、困ったなぁ~)」
誰だよ転がしやがった奴。ボクか。
尻尾をピンッと立てて、ご主人さまの顔を伺う。
心なしか黒く見えるのは気のせいだろうか。
きっと気のせいなのだろう。
「「………………」」
気まずい。
冷や汗を流していると、何かゾワリとしたものが背筋を這う。
「はぁ……『過去視ペスト・ビジョン』」
言葉と共に、ボクは瞬時に察する。
終った。完全なる敗北である。これなんだよな、ご主人さまが賢者と呼ばれる理由は……。
「ワゥ……」
思いつきで魔法を作ってしまう人なのだ。
疑われれば確実にバレるし、抵抗なんて無意味。抵抗しようものなら、確実に恐ろしい目が待っている。
「まさか、リュエル……飲んだのか?」
信じられない、といった風にご主人さまはボクを見つめる。
あぁそうさ、ボクが真犯人だったのだよ。
やるなご主人さま。だからその目を止めてくれ。
「あれは伝説級の、儂でさえ作ることの叶わなかった。不老のポーションじゃぞ? 解っておるのか?」
えっ、不老?
思わず瓶とご主人さまを交互に二度見する。
「こりゃ何か考えんといかんのぅ……」
哀れみの目線が痛い。
飲んだことを怒っているのかいないのか、ハッキリしてくれ。
…………ていうかさ、なんでそんな大切なものをそこに置いてたの!?
バカなの? 遂にボケたの? 死ぬの? 生まれ変わって出直してこい!
瞬間、ため息。そしてご主人さまは口を開く。
「のぅリュエル、儂、今まで秘密にしてきたんじゃが……」
神妙な顔で詰め寄るご主人さま。
何だろう、この圧倒的なプレッシャーは。
「儂、心が読めるのじゃよ」
あぁ、残念だ。
遂にご主人さまが壊れた。
「昇天するか?」
しねーよ!
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