1 / 8
第一章 勇者奇譚の始まり
#1 炎の中で拾った光
しおりを挟む
世界が変わった瞬間を、わたし――四季崎葉――は覚えていない。
当時まだ六歳の子供だったから、というわけではない。きっと大人だったとしても覚えていなかったと思う。
世界が壊れるときは案外静かなものなのかもしれない。爆音と悲鳴と共に始まったはずの『関東大魔災』もわたしの記憶の中では無音だ。
音が戻ってきたのは、七つ年上のお姉ちゃんと一緒に隠れていた神社の床下から出てきて、惨殺された死体の山を目の当たりにした時からだった気がする。
記録によれば、それは今から十年前。
大正十二年九月一日、午前十一時五十八分のことだったらしい。
神奈川県相模に突如として空間の歪みが発生し、そこから魔王軍を名乗る怪物――魔物――たちが出現し、瞬く間に神奈川全土と東京の半分、そして、わたしが住んでいた千葉の南端を壊滅させた。
大日本帝国はそんな強大な力を持つ異世界からの来訪者の手によって滅びの危機に瀕した。
しかし、そんな帝国を救ったのも、同様に異世界からの来訪者――勇者――たちだった。
彼女らは魔王軍との戦いで数多の魔物を倒すと同時に、魔物に対抗できる魔法という力をこの世界にもたらした。
やがて、彼女たちの活躍により魔王軍は滅ぼされ、帝国は救われた。
人々は最初こそ魔王軍の再来を恐れていたが、一向に現れないことを受けて、少しずつ魔王軍の侵攻を『関東大魔災』という歴史上の一つの出来事として受け入れていった。大地震や疫病の蔓延と同じような、稀に起こる大災害として。
今では、壊滅した都市も異世界情緒溢れる街並みに変化したものの無事に復興を遂げ、繋がった異世界――オニロガルド――とこちらの世界の間で人々が普通に行き来するようになった。こちらの世界の人間も一部ではあるが魔法を使えるようになり――。
様々なことが魔災前と変わったとはいえ、大日本帝国がまことしやかに囁かれたのが嘘みたいに、今、帝国は平和だ。
少なくとも表向きには。
○
大正二十二年五月のある日、わたしは燃え盛る神社の社殿で転がっていた。
真っ白な煙の向こうに、炎に包まれている梁がうっすらと見える。今にも崩れてきそうだなんて、のんきに思った。仰向けた顔を熱風が撫でる。熱い。それ以外の感想が思い浮かばない。
……いや、もう一つあった。息苦しい。息をするたびに喉が焼けるようだ。違う。ちょっと間違えた。「ようだ」なんて比喩はこの場面だと正しくない。多分、本当に焼けている。
わたしは炎と煙に囲まれながら、仰向けに倒れこんでいる。直前に二本角の馬のような魔物に吹っ飛ばされ、神社の壁を破壊する勢いで背中から地面に叩きつけられたせいでこんなことになっている。今にも焼死しそうなのに状況を淡々と説明しているのは、床に激突した時の痛みで身体をほとんど動かせないからだ。動けるならとっくにこの場を離れている。
多分、わたしはこのまま焼け死ぬんだと思う。継ぎ接ぎだらけの木綿の着物は、とっくに煤だらけになっている。外にわたしを吹っ飛ばした魔物がいる気配を感じるけれど、こちらに近づいてくる感じはない。何かを探しているみたいだったし、わたしを殺すよりも探しものを優先しているのだろう。あるいはすでにわたしが死んだと思っているか。
少し考えればこうなることは分かっていたはずだ。あの子を逃がすために囮となって、転がっていた棒切れ一本で魔物に立ち向かって、あげく死にそうになっている。
でも、いいか、もう。正直、死んでもいい気がする。死ねばきっと、十年ぶりに両親には会えるだろうし。それに、いるかわからないけど、花お姉ちゃんにも……。
そんなことを考えていたら、十年前のあの日の記憶が蘇ってきた。
お姉ちゃんと隠れていた場所から出てきた後、変わり果てた集落をさまよっているうちに、お父さんの遺体と、死ぬ寸前のお母さんを見つけた時のことだ。お母さんはわたしたちに気づくと、安堵の涙を流した。そして――。
「花……葉……あなた達だけでも生きて。何があっても……」
それだけ言い残して、そのまま、息を引き取った。
お母さんの最期の言葉を思い返して、わたしは生きなきゃいけなかったことを思い出した。
そうだ。こんな簡単に死ぬわけには行かない。それにあの子との約束もある。
背中の痛みが少し引いてきて、わずかに動けるようになったので、体勢をうつ伏せに変える。まずはこの場を離れようと、地面を這い出したその時、火の中に光るものを見つけた。
真っ赤な炎の中にある青白い光。わたしは熱さも忘れ、這いつくばって光に近づく。不思議とこの光に呼ばれたような気がしたのだ。
手が焼けることすらもはや気にせず、炎の中にあるそれを掴む。それは小さな結晶だった。触れた瞬間に、結晶からより眩い光が溢れだした。
時間が止まったみたいだった。
炎の燃える音が聞こえなくなり、熱も感じない。ただ、そこに優しい光だけがあるとでもいうような静寂。
その光が、わたしの中に流れ込んでくる。
光の温かさに満たされるような気持ちになると共に、不思議と力も漲ってきた。
傷が癒え、全身の痛みがあっという間に消えていった。思わず勢いよく立ち上がる。身体が軽い。光はまだわたしの身体を包んでいる。
「これは……?」
やがて、その光が弾けると、わたしの煤けた着物はフードのついた赤いマントに変化しており、ボロボロの草履は赤いブーツへと変わっていた。胸にはいつの間にか黒い胸当てが装着され、手には黒い手甲がはめられていた。気が付けば、わたしの姿は十年前に魔王軍からこの世界を救った勇者たちのような姿になっていた。
こうして、わたしは勇者の力を得て、この後、この神社を燃やした魔物と戦うことになるのだけれど、そもそも、どうしてこんなことになったのか。
きっかけらしいきっかけをあげるなら、それは多分、今日近所の子供の親孝行に付き合うことになったことか、あるいは昨日仕事をクビになったことが原因だろう。
当時まだ六歳の子供だったから、というわけではない。きっと大人だったとしても覚えていなかったと思う。
世界が壊れるときは案外静かなものなのかもしれない。爆音と悲鳴と共に始まったはずの『関東大魔災』もわたしの記憶の中では無音だ。
音が戻ってきたのは、七つ年上のお姉ちゃんと一緒に隠れていた神社の床下から出てきて、惨殺された死体の山を目の当たりにした時からだった気がする。
記録によれば、それは今から十年前。
大正十二年九月一日、午前十一時五十八分のことだったらしい。
神奈川県相模に突如として空間の歪みが発生し、そこから魔王軍を名乗る怪物――魔物――たちが出現し、瞬く間に神奈川全土と東京の半分、そして、わたしが住んでいた千葉の南端を壊滅させた。
大日本帝国はそんな強大な力を持つ異世界からの来訪者の手によって滅びの危機に瀕した。
しかし、そんな帝国を救ったのも、同様に異世界からの来訪者――勇者――たちだった。
彼女らは魔王軍との戦いで数多の魔物を倒すと同時に、魔物に対抗できる魔法という力をこの世界にもたらした。
やがて、彼女たちの活躍により魔王軍は滅ぼされ、帝国は救われた。
人々は最初こそ魔王軍の再来を恐れていたが、一向に現れないことを受けて、少しずつ魔王軍の侵攻を『関東大魔災』という歴史上の一つの出来事として受け入れていった。大地震や疫病の蔓延と同じような、稀に起こる大災害として。
今では、壊滅した都市も異世界情緒溢れる街並みに変化したものの無事に復興を遂げ、繋がった異世界――オニロガルド――とこちらの世界の間で人々が普通に行き来するようになった。こちらの世界の人間も一部ではあるが魔法を使えるようになり――。
様々なことが魔災前と変わったとはいえ、大日本帝国がまことしやかに囁かれたのが嘘みたいに、今、帝国は平和だ。
少なくとも表向きには。
○
大正二十二年五月のある日、わたしは燃え盛る神社の社殿で転がっていた。
真っ白な煙の向こうに、炎に包まれている梁がうっすらと見える。今にも崩れてきそうだなんて、のんきに思った。仰向けた顔を熱風が撫でる。熱い。それ以外の感想が思い浮かばない。
……いや、もう一つあった。息苦しい。息をするたびに喉が焼けるようだ。違う。ちょっと間違えた。「ようだ」なんて比喩はこの場面だと正しくない。多分、本当に焼けている。
わたしは炎と煙に囲まれながら、仰向けに倒れこんでいる。直前に二本角の馬のような魔物に吹っ飛ばされ、神社の壁を破壊する勢いで背中から地面に叩きつけられたせいでこんなことになっている。今にも焼死しそうなのに状況を淡々と説明しているのは、床に激突した時の痛みで身体をほとんど動かせないからだ。動けるならとっくにこの場を離れている。
多分、わたしはこのまま焼け死ぬんだと思う。継ぎ接ぎだらけの木綿の着物は、とっくに煤だらけになっている。外にわたしを吹っ飛ばした魔物がいる気配を感じるけれど、こちらに近づいてくる感じはない。何かを探しているみたいだったし、わたしを殺すよりも探しものを優先しているのだろう。あるいはすでにわたしが死んだと思っているか。
少し考えればこうなることは分かっていたはずだ。あの子を逃がすために囮となって、転がっていた棒切れ一本で魔物に立ち向かって、あげく死にそうになっている。
でも、いいか、もう。正直、死んでもいい気がする。死ねばきっと、十年ぶりに両親には会えるだろうし。それに、いるかわからないけど、花お姉ちゃんにも……。
そんなことを考えていたら、十年前のあの日の記憶が蘇ってきた。
お姉ちゃんと隠れていた場所から出てきた後、変わり果てた集落をさまよっているうちに、お父さんの遺体と、死ぬ寸前のお母さんを見つけた時のことだ。お母さんはわたしたちに気づくと、安堵の涙を流した。そして――。
「花……葉……あなた達だけでも生きて。何があっても……」
それだけ言い残して、そのまま、息を引き取った。
お母さんの最期の言葉を思い返して、わたしは生きなきゃいけなかったことを思い出した。
そうだ。こんな簡単に死ぬわけには行かない。それにあの子との約束もある。
背中の痛みが少し引いてきて、わずかに動けるようになったので、体勢をうつ伏せに変える。まずはこの場を離れようと、地面を這い出したその時、火の中に光るものを見つけた。
真っ赤な炎の中にある青白い光。わたしは熱さも忘れ、這いつくばって光に近づく。不思議とこの光に呼ばれたような気がしたのだ。
手が焼けることすらもはや気にせず、炎の中にあるそれを掴む。それは小さな結晶だった。触れた瞬間に、結晶からより眩い光が溢れだした。
時間が止まったみたいだった。
炎の燃える音が聞こえなくなり、熱も感じない。ただ、そこに優しい光だけがあるとでもいうような静寂。
その光が、わたしの中に流れ込んでくる。
光の温かさに満たされるような気持ちになると共に、不思議と力も漲ってきた。
傷が癒え、全身の痛みがあっという間に消えていった。思わず勢いよく立ち上がる。身体が軽い。光はまだわたしの身体を包んでいる。
「これは……?」
やがて、その光が弾けると、わたしの煤けた着物はフードのついた赤いマントに変化しており、ボロボロの草履は赤いブーツへと変わっていた。胸にはいつの間にか黒い胸当てが装着され、手には黒い手甲がはめられていた。気が付けば、わたしの姿は十年前に魔王軍からこの世界を救った勇者たちのような姿になっていた。
こうして、わたしは勇者の力を得て、この後、この神社を燃やした魔物と戦うことになるのだけれど、そもそも、どうしてこんなことになったのか。
きっかけらしいきっかけをあげるなら、それは多分、今日近所の子供の親孝行に付き合うことになったことか、あるいは昨日仕事をクビになったことが原因だろう。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる