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第一章 勇者奇譚の始まり
#3 相変わらず、美味しくない
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わたしが仕事をクビになったのは、これが初めてではない。十六歳にして、両手の指で数え切れなくなり、数えるのを諦めるくらいには仕事をクビになっていた。
十年前に両親を失い、六年前にはお姉ちゃんも仕事中の事故で生死不明になった。唯一頼れるお姉ちゃんがわたしの前から姿を消したことで、わたしは一人で生きていかなければならなくなった。
けれど、何の力もない戦災孤児だったわたしにとってこの世界は非情なモノだった。とにかく、孤児ってだけで不当に扱われる。舐められたらもう終わりだった。だから、舐められないように、舐めたことをした相手には容赦しないことにした。誰が相手でも叩きのめせるように、仕事の合間に独学で身体も鍛えた。
その結果、しょっちゅう問題を起こしたり、問題に巻き込まれたりするようになり、その度に仕事をクビになってきたのだ。
同じ地域で何度もクビになると、噂が広まってその地域ではもう雇ってもらえなくなるため、その度に引っ越してきた。永治村、松戸、浅草、日本橋、新橋、三田、品川、そして、現在暮らしている川崎……覚えている限りでも、これだけの地域を転々としてきたのだ。
今回の一件で、そろそろ川崎も出ていかないといけなくなるかもしれない。
そんなことを考えながら、夕暮れの川崎の街を、わたしは一人で歩いていた。
西日が建物の隙間から差し込み、長い影を地面に落としている。街路には魔導灯が並び、夕暮れとともに淡い光を放ち始めていた。ガス灯よりも明るく、安定した光を放っている。遠くには魔導列車の汽笛が響き、レールの上を走る列車の音が聞こえる。蒸気機関と魔力を併用した列車は、この街の人々を支える重要な交通手段だ。
やがて、わたしの住む長屋が見えてきた。
古い木造の建物。大魔災の前からあったという歴史ある長屋だ。壁は所々剥がれ、屋根は少し歪んでいる。それでも倒れずに立っている。
この長屋は、大魔災の被害をかろうじて免れた数少ない建物の一つだ。周囲には新しく建てられたオニロガルド風の建物も多いが、この長屋だけは昔のまま。おかげで家賃がかなり安い。わたしの稼ぎでもギリギリ支払えるくらいだ。
その分、部屋は狭く、隣の音がよく聞こえるくらい壁が薄いけれど。
「あ! 葉ちゃん!」
自分の部屋の引き戸に手をかけた時、突然後ろから声をかけられた。
振り向くと、小さなリボンで髪を左側へひとつにまとめた少女がいた。隣の部屋に住む九歳の少女だ。名前は信子。苗字ははっきりと覚えていない。確か、吉……何とかだったような気がする。いや、違うかもしれない。それすらうろ覚えだ。
「……なんだ?」
「葉ちゃんも今帰ってきたの?」
「まあな」
「そうなんだ。のぶは夕ご飯の材料を買って今帰ってきたところ。葉ちゃんは今日少し帰りが早いんだね。具合悪いの? 大丈夫?」
「別にそういう訳じゃねえよ」
信子は、知り合ってからというもの、やたらわたしに絡んでくる。母親と二人暮らしで、その母親が日中働きに出ているらしいし、人恋しいのだろう。誰かを待っている時間が寂しいものであることはわたしも知っている。だから、なんとなく邪険にできない。
「もし、具合悪くなったら言ってね。のぶがお世話してあげるから」
「……まあ、気持ちだけもらっとく」
「あ、それとね。またこの近くの神社で火事があったって学校の先生が言ってたよ。最近、よく火事が起きてるんだって。危ない人とか魔物とかがすぐそばにいるかも知れないから用心するようにって。葉ちゃんも気をつけてね」
「ああ……信子もな」
「うん。じゃあ、のぶ、今からご飯作らなきゃだから。またね、葉ちゃん!」
屈託のない笑顔で小さく手を振ると、信子は自分の部屋に戻っていった。ガタついた引き戸を開けて、わたしも自分の部屋に入る。
部屋は四畳半ほどの広さ。真ん中に小さなちゃぶ台が一つあって、隅に畳んだ布団が一組置いてある。壁際に前の住人が置いていったらしいボロボロのたんすが設置されている。これがわたしの暮らしている部屋の全てだ。
「……わたしも飯にするか」
独り言を漏らし、わたしはかまどの前に立つ。かまどの上には一昨日かなり多めに作った鶏肉と白菜の水炊きの残りが入っている。
着火用の魔石を強く握りしめて魔力を込めた後、それをかまどの焚き口に入れる。一瞬のうちに料理にちょうどいい火力の炎がかまどの中で燃え上がる。
この魔石は、どんな人間にもわずかに流れている魔力を利用して、簡単に火をつけられる魔道具だ。わたしみたいにまったく魔法を学んでいない人間にも使用できる。魔道具様様だ。
鍋の中でくたくたと煮込まれる鶏肉と白菜を眺めながら、ふと思う。
さすがにちょっと飽きてきているんだよな。
一昨日から今日までずっと、少しずつちまちま食べてきたのだけれど、三日も同じ味を食べ続ければ飽きが来る。元々、塩と昆布でしか味付けしてない薄味だし。
とりあえず適当に味を濃くしてみるか。
戸棚から、醤油と砂糖とみりんを取り出し、雑に鍋の中に加える。具材もほとんど残っていなかったので、家にあった乾麺のうどんを追加で入れた。そして、ひと煮立ち。
かつて水炊きだったクソズボラうどんの完成だ。
魔石でつけた火は、使う時に込めた魔力が無くなれば勝手に消えるので放っておく。昨日も使って、そのままちゃぶ台のそばに転がしていた鍋掴みを手にはめて、鍋ごとちゃぶ台の上に移動させる。
いちいち器を出したりはしない。洗うのが面倒だからだ。
箸だけ持ってきて、わたしは鍋から直接うどんを啜る。
——相変わらず、美味しくない。
いや、なんだかんだ味はちゃんとしていると思う。
鶏肉の旨味に醤油のしょっぱさ、砂糖の甘味にみりんのコク。それらすべてを身にしみこませたうどん。悪くはないはずだ。
でも、美味しいとはどうしても思えない。
淡々と口に運び続け、やがて、完食。
お姉ちゃんと一緒に暮らしていた時もわたしが食事を作っていた。そしたら、ある日、お姉ちゃんが大魔災の時に持ち出したお母さんの形見の献立帖を、「葉が持っていた方がいいと思うから」と託してくれた。
あの頃は、その献立帖通りに調理すればちゃんと美味しいものが作れていた。
けれど、今はお母さんの献立帖通りに作っても、自分で適当に作っても、あの頃と違って美味しいと感じられるものが作れない。
お姉ちゃんがわたしの元に帰ってこなくなったあの日から、わたしは年々料理が下手になっている。献立を考えたお母さんにも、献立帖を託してくれたお姉ちゃんにも申し訳ないばかりだ。
そんなことを思いながら、わたしはごろんと横になった。
これからの仕事のことも考えなきゃいけないけれど、今日はもういいや。このまま、寝てしまおう。わたしはちゃぶ台上の鍋も下げずにそのまま目を閉じる。
そして、いつもと同じ悪夢を見た。お姉ちゃんがいなくなるまでの日々を。
十年前に両親を失い、六年前にはお姉ちゃんも仕事中の事故で生死不明になった。唯一頼れるお姉ちゃんがわたしの前から姿を消したことで、わたしは一人で生きていかなければならなくなった。
けれど、何の力もない戦災孤児だったわたしにとってこの世界は非情なモノだった。とにかく、孤児ってだけで不当に扱われる。舐められたらもう終わりだった。だから、舐められないように、舐めたことをした相手には容赦しないことにした。誰が相手でも叩きのめせるように、仕事の合間に独学で身体も鍛えた。
その結果、しょっちゅう問題を起こしたり、問題に巻き込まれたりするようになり、その度に仕事をクビになってきたのだ。
同じ地域で何度もクビになると、噂が広まってその地域ではもう雇ってもらえなくなるため、その度に引っ越してきた。永治村、松戸、浅草、日本橋、新橋、三田、品川、そして、現在暮らしている川崎……覚えている限りでも、これだけの地域を転々としてきたのだ。
今回の一件で、そろそろ川崎も出ていかないといけなくなるかもしれない。
そんなことを考えながら、夕暮れの川崎の街を、わたしは一人で歩いていた。
西日が建物の隙間から差し込み、長い影を地面に落としている。街路には魔導灯が並び、夕暮れとともに淡い光を放ち始めていた。ガス灯よりも明るく、安定した光を放っている。遠くには魔導列車の汽笛が響き、レールの上を走る列車の音が聞こえる。蒸気機関と魔力を併用した列車は、この街の人々を支える重要な交通手段だ。
やがて、わたしの住む長屋が見えてきた。
古い木造の建物。大魔災の前からあったという歴史ある長屋だ。壁は所々剥がれ、屋根は少し歪んでいる。それでも倒れずに立っている。
この長屋は、大魔災の被害をかろうじて免れた数少ない建物の一つだ。周囲には新しく建てられたオニロガルド風の建物も多いが、この長屋だけは昔のまま。おかげで家賃がかなり安い。わたしの稼ぎでもギリギリ支払えるくらいだ。
その分、部屋は狭く、隣の音がよく聞こえるくらい壁が薄いけれど。
「あ! 葉ちゃん!」
自分の部屋の引き戸に手をかけた時、突然後ろから声をかけられた。
振り向くと、小さなリボンで髪を左側へひとつにまとめた少女がいた。隣の部屋に住む九歳の少女だ。名前は信子。苗字ははっきりと覚えていない。確か、吉……何とかだったような気がする。いや、違うかもしれない。それすらうろ覚えだ。
「……なんだ?」
「葉ちゃんも今帰ってきたの?」
「まあな」
「そうなんだ。のぶは夕ご飯の材料を買って今帰ってきたところ。葉ちゃんは今日少し帰りが早いんだね。具合悪いの? 大丈夫?」
「別にそういう訳じゃねえよ」
信子は、知り合ってからというもの、やたらわたしに絡んでくる。母親と二人暮らしで、その母親が日中働きに出ているらしいし、人恋しいのだろう。誰かを待っている時間が寂しいものであることはわたしも知っている。だから、なんとなく邪険にできない。
「もし、具合悪くなったら言ってね。のぶがお世話してあげるから」
「……まあ、気持ちだけもらっとく」
「あ、それとね。またこの近くの神社で火事があったって学校の先生が言ってたよ。最近、よく火事が起きてるんだって。危ない人とか魔物とかがすぐそばにいるかも知れないから用心するようにって。葉ちゃんも気をつけてね」
「ああ……信子もな」
「うん。じゃあ、のぶ、今からご飯作らなきゃだから。またね、葉ちゃん!」
屈託のない笑顔で小さく手を振ると、信子は自分の部屋に戻っていった。ガタついた引き戸を開けて、わたしも自分の部屋に入る。
部屋は四畳半ほどの広さ。真ん中に小さなちゃぶ台が一つあって、隅に畳んだ布団が一組置いてある。壁際に前の住人が置いていったらしいボロボロのたんすが設置されている。これがわたしの暮らしている部屋の全てだ。
「……わたしも飯にするか」
独り言を漏らし、わたしはかまどの前に立つ。かまどの上には一昨日かなり多めに作った鶏肉と白菜の水炊きの残りが入っている。
着火用の魔石を強く握りしめて魔力を込めた後、それをかまどの焚き口に入れる。一瞬のうちに料理にちょうどいい火力の炎がかまどの中で燃え上がる。
この魔石は、どんな人間にもわずかに流れている魔力を利用して、簡単に火をつけられる魔道具だ。わたしみたいにまったく魔法を学んでいない人間にも使用できる。魔道具様様だ。
鍋の中でくたくたと煮込まれる鶏肉と白菜を眺めながら、ふと思う。
さすがにちょっと飽きてきているんだよな。
一昨日から今日までずっと、少しずつちまちま食べてきたのだけれど、三日も同じ味を食べ続ければ飽きが来る。元々、塩と昆布でしか味付けしてない薄味だし。
とりあえず適当に味を濃くしてみるか。
戸棚から、醤油と砂糖とみりんを取り出し、雑に鍋の中に加える。具材もほとんど残っていなかったので、家にあった乾麺のうどんを追加で入れた。そして、ひと煮立ち。
かつて水炊きだったクソズボラうどんの完成だ。
魔石でつけた火は、使う時に込めた魔力が無くなれば勝手に消えるので放っておく。昨日も使って、そのままちゃぶ台のそばに転がしていた鍋掴みを手にはめて、鍋ごとちゃぶ台の上に移動させる。
いちいち器を出したりはしない。洗うのが面倒だからだ。
箸だけ持ってきて、わたしは鍋から直接うどんを啜る。
——相変わらず、美味しくない。
いや、なんだかんだ味はちゃんとしていると思う。
鶏肉の旨味に醤油のしょっぱさ、砂糖の甘味にみりんのコク。それらすべてを身にしみこませたうどん。悪くはないはずだ。
でも、美味しいとはどうしても思えない。
淡々と口に運び続け、やがて、完食。
お姉ちゃんと一緒に暮らしていた時もわたしが食事を作っていた。そしたら、ある日、お姉ちゃんが大魔災の時に持ち出したお母さんの形見の献立帖を、「葉が持っていた方がいいと思うから」と託してくれた。
あの頃は、その献立帖通りに調理すればちゃんと美味しいものが作れていた。
けれど、今はお母さんの献立帖通りに作っても、自分で適当に作っても、あの頃と違って美味しいと感じられるものが作れない。
お姉ちゃんがわたしの元に帰ってこなくなったあの日から、わたしは年々料理が下手になっている。献立を考えたお母さんにも、献立帖を託してくれたお姉ちゃんにも申し訳ないばかりだ。
そんなことを思いながら、わたしはごろんと横になった。
これからの仕事のことも考えなきゃいけないけれど、今日はもういいや。このまま、寝てしまおう。わたしはちゃぶ台上の鍋も下げずにそのまま目を閉じる。
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