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第1章 その翼は何色に染まるのか

16話 強襲防衛

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 ガン!っと大きな音が鳴り、松平は灯真を哀れむように目を閉じてフンッと鼻で笑う。しかしすぐに違和感に気がつく。殴られた後の、床に倒れる音が聞こえない。再び目を向けると、そこには変わらぬ姿で立っている灯真がいた。
 実際に拳をぶつけた男もまた、人の顔に当たった時のそれとは違うことに気付いていた。今、彼の拳が当たったのは肉のような弾力のあるものではない。当たれば砕けるはずの骨でもない。分厚い金属の壁……いや、鉄よりも遥かに硬い何かだった。

「ディーナォウ デディンフィクトォン ルエグナォン ティルフ(ディーナを見つけたときの発光結晶の光)…… エルアウ アトナールァク?(あれはお前たちか?)」

 当たっていれば頬の骨は砕け、体を数メートル先まで飛ばしていただろう拳は、灯真の数センチ手前で止まり当たっていなかった。理解し難い現状にとまどい、男の耳には灯真が話す聞いたことのない言語は入ってこない。大きく見開いた灯真の目が自分に向けられていることに気付いた男は、背筋が凍りつくような寒気を感じすぐに広瀬のところまで下がっていく。

「何やってんだ山本!」
「今の攻撃を防げるほどあの羽の防御力は高くない。何らかの魔道具マイトが使われてる」

 彼らが魔道具マイトの使用を疑うのには理由がある。

 一人の魔法使いが生涯習得できる魔法はたった1つ。どんな魔法を覚えるかはその人の経験や願望が大きく影響し、2つ以上の魔法を覚えることや違う魔法に変化することはないと言われている。

 防げるはずのない広瀬の魔法がまるで効果がないことや、死角から狙った男の強烈な一撃を防いだことから、彼は自分の羽とは違う別の魔法、つまり魔道具マイトを使っていると考えたのだ。立ち上がった広瀬と共に山本と呼ばれた男は灯真の動きを警戒するが、灯真の視線は再び松平に向き二人をまるで見ていない。
 広瀬は次の攻撃に備え探知デクトネシオを使い始める。また先程のような醜態を晒すわけにはいかない。彼から放出された魔力は薄い膜を形成し膨らむシャボン玉のように広がると、それに触れたモノの存在が彼の頭の中に映し出されていく。

「なんだよこれ……」

 探知デクトネシオは、一般的な魔法使いには無用な技術のため覚える者が少ない。しかし、魔法使いを相手にする法執行機関キュージストの隊員にとっては、より早く魔法の発動を察知するために必要不可欠な技術である。それを今まで使っていなかったのは、ルイスや君島の魔法が視認できるものであること、そして灯真自身の能力を脅威とは思っていなかったためだった。

 広瀬は方法を間違えてはいない。必要な量の魔力を放出し詳細に感知できる適切な速度で広げた。なのに見えたのは、ピントがまるであってないボヤけた像だけ。普段ならば、目の前にいる灯真たちや背後にいる松平たちの存在も、灯真が出しているであろう見えづらい羽がどこにあるかも全てわかるはずだった。
 探知デクトネシオを使ったのは広瀬だけではない。隣にいた山本や、ルイスも状況を確認するために使っている。全員が焦点のはっきりしない画像の中から必死に人の姿を確認するようとするが、かろうじて何かがあるということがわかるのみだった。

「トーマ……全てを教えていなかったな?」
「ラーズィオウ ソーペクス ケイブトン(力は晒すべきじゃない)」

 灯真の口から出た謎の言葉を理解できたのは、彼の後ろに隠れているディーナと問いかけたルイスだけだった。最も、ディーナはその言葉の意味を考えるほどの余裕はなく、ルイスも単語の意味から推測しているに過ぎない。

「社長、さっきから彼が喋ってるのってもしかして……」
「ヴィルデム語だ。私も詳しくはないが、おそらく《力を知られるべきじゃない》と言ってる。協会ネフロラの登録情報を偽ってたか、話していないことがあるんだろう。じゃないと、この状況を説明できん」

 魔法使いとして松平よりもさらに上のランクであるルイスが首から下の自由を奪われた現状で、最もランクが低い灯真が自分の意思で言葉を発するなど、そこにいる誰もが想像すらしていない。しかしただ一人、ルイスだけはずっと灯真の力量を疑っていた。そしてそれは、彼の返事で確信へと変わる。緊急事態だというのに、ルイスの頬の緩みが治らずこの時を待っていたと言わんばかりに胸が躍る気分であった。

「何でこの状況で笑っていられるんです!?」
「すまない。こんなにやる気を出したトーマは初めてみたからつい……」

 事情を知らない君島には、この状況を楽しんでいるルイスの笑みに苛立ちを隠せない。

「どうするんです? 私の方はいつでも動けますけど、このままだとディーナちゃんが……」

 体の拘束が取れていることを確認した君島だったが、この後にとるべき行動を決めかねていた。ディーナを助けたいという気持ちは強いが、法執行機関キュージストと争うことは避けたい。対魔法使い戦を得意とする彼らと、調査を専門とする君島たちでは分が悪かった。

「少し様子を見たい。何かあれば私が動く」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃ……」
「もし……もし私の推測が正しかったのなら……」
「なら?」

 言葉を濁すルイスの表情から未だ笑みは消えていないが、額から落ちる一雫の汗は、滅多に自分のペースを崩すことがない彼がいつになく緊張状態であることを表していた。いつもと違う上司の姿を見て君島も思わず息を呑む。

「トーマは……」

 ルイスが何かを言いかけたところで松平達が動いた。彼の周りにいた4人の男達は、松平が手を挙げたのに合わせて左右に広がり右手を灯真の方へと向けてまっすぐ伸ばした。彼らが身につけているブレスレットの宝石が青い輝きを放つ。

「撃て!」

 松平の号令と共に男達の眼前に大量の氷柱が出現し、鋭く尖った先端を灯真に向けると、一斉に飛んでいく。当たれば怪我では済まないであろうと思われたが、その全てが灯真から数十センチほど離れた位置で何かに衝突し粉々に砕け散った。響き渡る音に驚き一瞬怯んだ君島は、小さな氷の粒が宙を舞う中、灯真を警戒していた山本の姿が見えないことに気がつく。

「今度は手加減無しだ」

 砕けた氷が灯真の視界を遮っている隙を狙い、広瀬は右手に魔力を集中させていく。

「光は声 傀儡の糸 俺の意思はお前の意思 全てを決めるは俺の声 俺の光!」

 右手から黄色く輝く粒子が溢れ、その掌の中で野球ボールほどの小さな光球を形成する。広瀬がニヤリと口を曲げると、球体から一条の強い光が彼の目に向かって伸びた。
 光を見せることで効果を発揮する広瀬の魔法で最大の効果を出すこの方法は、相手の意識を完全に奪い広瀬の操り人形へと変える。動き回る相手ではなかなか難しいが、動く様子のない灯真は絶好の的であった。レーザーのような細い光が灯真の左目に命中するが、灯真はすでに目を閉じている。

「目蓋を閉じたって無駄なんだよ!」
 
 未だ最初の魔法が灯真に効かなかった理由は不明だが、光を透過する灯真の羽では防げるはずがなく、どんな魔道具マイトを用いようとも灯真の力量では本気を出した自分の魔法を防ぐことはできないと、広瀬は勝利を確信し嘲笑する。

「如月さん、上!」

 君島が上から来ている脅威を知らせるために大声で灯真に呼びかけるが、彼は微動だにしない。

「あれを受けて無事とは思わんが……止めだ」

 姿を消していた山本は、重力に逆らうように灯真を真下に捉えながら天井に立っていた。天井を力強く蹴った山本の体は、今度は重力に従うように落下を始める。拳を握り締めて灯真の頭頂部に狙いを定める。

「殺しはしないから安心しヴェ」

 ゴッと鈍い音をたて、落下する山本の顔面に何かがぶつかった。灯真の作り出した羽だった。落下と共にスピードに乗った彼を受け止めきれず、羽はガラスのように砕け散って消えるが、その後も灯真のところに着くまで羽は何重にも山本を待ち構えていた。羽は当たっては砕け彼の落下速度を緩め灯真の頭上1メートルほどのところについた頃には、羽は砕けることなく山本の体を受け止めていた。

「い……いづのばに……」
「アトナァヒン テラルェド スオイラブ レルトオウラム (あんたには後でいろいろ聞かせてもらう)」

 山本の体は空中で逆立ち状態のまま、灯真の作り出した羽に囲われてその動きを封じられた。落下の衝撃で自分が負傷しないよう、活性(ヴァナティシオ)によって強化されていた山本の体は無事だったが、手足の動きを制限されて彼の羽を突破することができずにいる。
 協会ネフロラに登録されている記録によれば、灯真が作る羽の耐久度は一般的な家の窓ガラスと同程度。羽を見えない位置に展開していたとしても、天井の高さから落下する山本を受け止めることなどできるはずはない。だが最低ランクの男の魔法は見事に彼を止め封じ込めた。山本がどれだけ力を込めても、羽はびくともしない。未だ自分の作った光を灯真の目に当て続けている広瀬もこの状況に困惑していた。

「てめぇ……なんで……何で勝手に喋ってんだよ!?」

 広瀬の魔法が効いているなら、灯真が勝手に言葉を発することはありえない。魔法を解除し動くなという命令を込めているからだ。自分の作った魔法の羽を予め展開していたとしても、位置の固定を解いて無力化しているはずだった。冷静になれと自分の言い聞かせる広瀬だったが、未知の能力を持つ敵を前に彼の意思は大きく揺らぎ、灯真に向けている光はわずかに細くなっていく。

(油断してくれてるようで助かったな)

 灯真は自分の周囲に漂わせている100を超える数の羽を、次の攻撃に備え再び自分たちの周囲に展開し直す。対魔法使い戦のスペシャリストである彼らがこの程度で終わるはずがないと、警戒をさらに強めていた。


(怖い……痛いのは嫌だ……)

 一切油断を見せない灯真の心の中に、ほんのわずかだが彼の行動とは異なった声がディーナに聞こえた。数日間一緒に暮らしてきて、灯真の心の声が聞こえたことは、特に起きているときにはほとんどなかった。
 ずっと下に向いていたディーナの目線が少しずつ灯真の背中の方に動く。彼の体が不思議と小さく見えたかと思うと、ディーナは暗闇の中に佇んでいた。

「ここは……?」

 近くにいたはずの君島や、対峙していた松平たちの姿は見当たらない。掴んでいたはずの灯真の服はなく、目の前にいるのは灯真よりも体の小さな少年であった。その背中には獣の爪に切り裂かれたような4本の傷と、何かに突き刺されたような小さな穴が3つあり、着ている服は血に染まっている。その傷は、ディーナが一度だけ見たことがある灯真の背中にあった傷痕と酷似している。

「痛い……死にたくない……」

 震える声で繰り返し呟く少年にディーナが声をかけようとすると、周囲を覆い尽くしていた闇が少年の前に集まり人の形を成していく。黒い幕がはがれ現れたその空間は、かつて彼女が夢に見た血の色に染まった世界だった。

『守ることしかできないのに、どうして守らなかった?』
「僕じゃなくて他の人だったらよかったんだ……」
『他に誰もいなかっただろうが』
「僕なんかには無理だったんだ……』
『相手に怖気付いて魔法を発動できなかっただけだろう』
「痛いし……魔法も使えないし……」
『ちゃんと魔法を使えていたなら、死ぬことはなかったんだ』

 そう言って人の形をした黒い塊は、少年の足元で横たわる少女を指した。赤黒い血に染まった服に身を包むその子を前にして少年は口籠る。

『もう誰かがいなくなるのは見たくない』
「……もうずっと独りでいい」
『でも、誰かと関わることは避けられない』
「……ディーナは……僕なんかといるべきじゃないんだ……僕といたらまた……」
『守ることしか俺にはできないんだ』
「守ることしか……僕にはできない……」
『だから守るんだ。ディーナを。今度こそ』

 少年と黒い人形(ヒトガタ)の会話を聴き終えた直後、ディーナの目の前にあったのは白いシャツとそれを掴む自分の手。顔をあげるとそこには大きな灯真の背中があった。

「今のは……灯真さんの……」

 ディーナが見た景色や聞いた声は、普段灯真が決して表に出すことのない心の奥底。敵対するものを前にして、閉じている扉がわずかに開いたことで聞くことのできた彼の心の声だった。

「何をやっている! さっさとあの薄っぺらい羽を突き破れ!」

 相手の攻撃は今も続いている。灯真の目に刺さる光は未だ消えず、頭上で拘束された男は力を溜めて灯真の羽を破ろうともがき、正面からは無数の氷柱が灯真を目掛けて飛んできている。宙を舞う氷の欠片が天井の照明に照らされキラキラと輝き幻想的な景色を生み出しているが、未だ灯真の盾が破られる気配はなかった。
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