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第3章 帰らぬ善者が残したものは

プロローグ② 抱えるもの 如月灯真

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「えーっと今日は……」

 束ねた金色の髪を揺らしながら、ディーナは上機嫌に本棚に並ぶ背表紙を指でなぞる。『守護者の軌跡 マーク・アレクサンダー』と書かれたそれは、アメリカで話題になり日本でも翻訳されている人気漫画である。

「ディーナ、最近ずっとそれを読んでいるみたいだが、気に入ったのか?」

 灯真は彼女のことを横目に見ながら、手に持っていた書類の内容を確認している。彼が見ているのは先日巻き込まれた、光秀の妻が誘拐された事件の調査報告書。あの時灯真たちの後ろから現れた子供のことが気になり、報告書を作った紅野 幸路に無理を言って提出されたばかりのものをコピーさせてもらったのである。

「はい! 素敵なお話です」
「そうか。きっとマークも喜ぶと思う」
「マークさんって……お知り合いなんですか?」
「まあ……な」

 反応が乏しい灯真を見て、ディーナは彼から目を逸らし本棚の方に向き直す。一瞬だけ伝わって来た理由の分からぬ苦悩が、それ以上の追求を躊躇わせた。

「これ……?」

 前回読んだところを確認し次の巻を取り出そうとしたところで、ディーナはその本の後ろにひと回り小さい色の違う背表紙の本を見つける。表紙に何も書かれていないそれが気になり、ディーナは取り出して中を覗いてみる。1ページ目から日付と起きた出来事がびっしりと書かれていた。
 


* * * * * * 

5月1日

入っちゃいけないと言われていた山に入った。
山のてっぺんに行けば、空に近いところに行けば
母さんに会えるような気がした。

登ってたら途中で大人の男の人が2人見えた。
何か言い争ってるような感じだった。
山を降りるように言われたけど、母さんに会えなくなる気がして嫌だと言った。
もう片方の男の人の後ろには神社にあるような小さな社あった。

僕が話しかけられていたら、突然地面が光った。すごく眩しかった。
何が起きてるのかよくわからなかったけど、とにかく怖くて目を閉じてた。

気がついたら地面に横になってて、目を開けたら森の中にいた。
でも、それまでいた場所とは雰囲気が違った。全然違う場所みたいだった。
社もなくて、代わりにあったのは大理石みたいなピカピカの石畳と、その真ん中に立ってる杖
。自分よりも低かったので多分130cmくらい。
男の人は1人いなくなってて、僕に山を降りるよう声をかけてきた人だけ一緒だった。

* * * * * * 
 


 そこまで読んだところで、ディーナは何かに気づき本棚にある守護者の軌跡の1巻を取ってページを捲る。

「同じ……」

 何度も読み返していたディーナはそのシーンをよく覚えている。1巻の序盤、主人公が異世界へと迷い込みヒロインと出会う。社から発生した白い光や森の中の描写、そして石柱などその日記に書かれた内容と非常によく似ている。
 ディーナは再び取り出した本に目を向ける。書かれていた文字をよく見ると、それは灯真が書く字によく似ていた。ディーナはその本を持って立ち上がり、書類と睨み合う灯真の下へ向かう。

「灯真さん……」
「なんだ?」

 再び声をかけてきたディーナの目は、いつにも増して大きく開き子供のように煌めいて見える。同時に彼女が何かにワクワクしていることが灯真に伝わってくる。

「灯真さんが……マークさんなんですか!?」
「……ん?」
「ここに書いてあることと、お話の内容が一緒でした!」

 そういってディーナは見つけた本を灯真に向ける。

「あぁ……そこに入れたままだったか」

 物憂げな様子でディーナから本を受け取ると、灯真は表紙をじっと見つめる。懐かしさと共に込み上げてくる暗い記憶。かつての自分を思い出し苦笑する。

「その本は俺のだが、ディーナが読んでた漫画を描いたのは俺じゃない。マークは別人で、今はアメリカに住んでいるよ」
「じゃあどうして……」
「昔、マークに話したことがある。それを元に書いているんだろう。本人から聞いたわけじゃないからわからないが、多分」

 灯真は本をディーナに返すと、それ以上何も話そうとはしなかった。




「もう13……いや、14年か」

 明かりを消した部屋の中、窓から入る月の光がリビングの中を照らす。ベッドで寝るように言っても聞かないディーナが、テーブル横に敷かれた灯真の布団の上で心地良さそうな笑みを浮かべながら寝息を立てている。
 灯真はテーブルの上に置かれた、ディーナが本棚から見つけてきたあの本をじっと見つめていた。それは過去を忘れないために書き記したもの。魔法をもっと万能なものと勘違いしていた頃に、を考えるために作ったものだ。灯真はゆっくりと表紙に指をかける。
 
(どうしてだ……)
(彼を返して……) 

 頭の奥の方から声が聞こえたかと思うと、胃の中から熱いものが昇ってくるのを感じて灯真はすぐに本から指を離した。
 
 アーネスや死んでいった人たちとの邂逅、そして光秀から受け取った感謝の言葉。それらによって灯真の心に少しずつ、あの頃を思い出すゆとりが生まれていた。しかし、未だに止まない声がある。普段は他のことに意識を向けるようにしているため寝ている時以外聞こえないそれが、本の中身を見ようとすればするほど強く聞こえて、表紙を捲ることもできない。

「ハァ~……」

 灯真は深いため息をつくと、テーブルに置かれたスマートフォンを持ってディーナが寝ている布団ではなく硬いフローリングの上に寝転ぶ。画面には、蛍司から届いたメールが表示されていた。

『まーさんが日本に来るんだって。少し時間取れるみたいだから会いに行かないか?』

 詳細な日時まで書かれた文面に目を通すと、灯真は持っていたスマートフォンを胸に置いて窓の外で煌々と光る月を見上げた。

「会いたくないわけじゃ……ないんだけどな……」

 灯真は誰に伝えるでもなく、ただ空に向かって小さくつぶやいた。
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