神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第3章 帰らぬ善者が残したものは

プロローグ④ 悩むもの 国生蛍司

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「ふーっ、これでよし……と」
「随分とご機嫌じゃない」
「かえちゃん!」

 受話器を置いて一息ついた蛍司に窓の外から声をかけてきたのは、顔に泥をつけたツナギ姿の森永かなえだった。

「いい加減その呼び方はやめろ、全く。全然来ないから何かあったのかと思ったのに……みんな待ってるんだけど?」
「とっちんに連絡したらすぐに」
「灯真に?」
「向こうにいた時の友達がこっち来るっていうから、とっちんも誘おうと思って」

 向こうにいた時……そのセリフを聞き、かなえの表情に影が差す。

「大丈夫なの?」

 灯真が心に深い傷を負っていることはかなえも理解している。しかし、その詳細については灯真や蛍司を含め、あの事件の被害者たち全員揃って口を閉ざしている。症状の緩和が見受けられたという報告は高見医師からかなえの元にも届いている。しかし、心の傷が何をきっかけに悪化するかわからないことも彼女は知っている。

「正直なところわからない。でも……」

 蛍司はその細い目で、自分の右手を見つめる。傷だらけで皮膚が硬くなった指を小指から一本ずつ曲げて握り拳を作る。

「やれることは、やってみないと」
「そう……」

 わずかに口角を上げる彼の、いつもと変わらない表情。それを見たかなえは、自分の顔を隠すように手に持っていた麦わら帽子を深く被り踵を返す。

「早めにこっちに来なさいよ。そうしないと瑠佳が作業できないからね」

 軽く手を振りながら、かなえは窓から離れていった。

「あ~、そうだった。すぐに行きますよ」

 彼女が窓から見えなくなると、蛍司の顔に浮かんでいた笑みはスーッと消えていった。

 蛍司はすぐに灯真に電話をかける。しかし、繋がらない。彼が電話に出られない時は、外に出て調査の仕事をしているか、家で仮眠の最中だ。

「メールだけ送っておくか……」

 慣れた手つきで画面に指を滑らせると、1分とかからずに本文を完成させる。宛先を灯真にして、あとは送信のマークをタップするだけ。しかし、蛍司の指が画面の手前でピタッと止まる。

 本当に大丈夫だろうか……そんな不安が蛍司の決断を鈍らせる。光秀の奥さんが駅前で誘拐されかけたときも、奥さんを救出するために倉庫のシャッターを破壊したときも、己の感じるままに行動した。それが最善の手だと考えたからだ。これからやろうとしていることも、灯真のためにすべきことだとそう思っている。

「はぁ……何やってんだか……」

 蛍司は昔から自分の直感を信じて疑わなかった。幸いにも、妙な方向に進んでしまっても正しい方向へ導いてくれる人やフォローしてくれる人が彼の周りにいたので、失敗することはなかった。しかし、こうして独りで行動しなければならない時はいつもこうだ。彼の胸の奥に、何かに刺されたような鋭い痛みが現れる。メールアプリを開いたままだったスマートフォンの画面は暗くなり、不安が色濃く出た自身の顔が蛍司の目に映る。

「あっ……」

 曇りガラスの引き戸が突然動き現れたのは、上下灰色のジャージに身を包み黒いガスマスクを被る人物。蛍司の存在に気付くと慌てて引き戸の裏に隠れようとする。ガラスなので姿は丸見えだが……。
  

「あ~、ごめん、ルッカちゃん。すぐ出るから」

 ガラス越しに頭が数回小さく縦に振られたのが見えると、蛍司はスマートフォンをポケットにしまい部屋を出ていく。条件反射というべきなのだろうか、他の誰かが来たのを悟った瞬間から蛍司はいつもの明るい顔に戻っていた。
 引き戸に張り付くように隠れているルッカと呼ばれたその人物は、ずっと下を向いて蛍司と顔を合わそうとはしない。

「無理……しないでね……」

 マスク越しの小さくこもった声が蛍司の耳に届く。驚いて蛍司が振り返るも、声の主はいつの間にか部屋の中に入っており勢いよく引き戸を閉められた。彼女の後ろ姿だけが、曇りガラス越しに見える。

 ここドルアークロに来てから彼女に声をかけてもらったのは、初めてのことだった。それが嬉しくて思わず蛍司の頬が緩む。同時に少しだけ、先ほどから続いていた胸の痛みが和らいだ気がした。

 誰もいない廊下を、蛍司は静かな足取りで進む。普段は子供たちの声が聞こえる家の中も、今はみんな畑の手伝いに駆り出されていて蛍司と先ほどの彼女しかいない。換気のために開けられた窓から、蛍司の体に冷たい風が届く。服に守られていない顔や手に浴びせられた冷気で蛍司の体が小刻みに震える。
 思わず目を閉じてしまった彼の瞼の裏に1人の青年の背中が浮かび上がった。燃え盛る炎のような赤い髪に鍛え抜かれた筋肉が浮かぶ白い肌の左腕。袖を捲った灰色のツナギは、背中に交差する金色の金槌とたがねの刺繍が施されている。

「オウドエルド ラムルスモどんなに小さくてもウト ……だよな、ディレブ兄貴

 目を開いてそう呟いた蛍司は、首から下げた皮紐の先にある小さな袋を手に取る。優しくそれを握り、中に入った小さい何かの存在を確かめていた。
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