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第3章 帰らぬ善者が残したものは

10話 診ていたもの 高見 幸大

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「急ぎの要件とはいえ、電話で申し訳ない」
「いいえ、そんな」

 陽英病院救急部の医局に入った一本の電話。最初に応対した医師は緊張のあまり表情が固まったまま。相手の名は日之宮 一大ヒノミヤ モトヒロ法執行機関キュージスト北欧支部主任にして、この陽英病院を経営する日之宮家の次期当主と名高い人物である。
 
 彼はこの医局で勤務している高見 幸大医師に用があると言った。彼と日之宮家に特別なつながりは無い。何か問題を起こしたのかと、部屋にいた医師たちは心配そうに見つめている。

「先日、神楽塚から運ばれてきた女性を担当していたのは君で間違いないだろうか?」
「はっ、はい。その方なら覚えています。残念ながら助けることはできませんでしたが」
「カルテの方は見させていただいた。あの状態では仕方なかっただろう」
「……はい」

 1週間前……光の柱が世界中で出現したあの日、神奈川県東部にある神楽塚から救急搬送されてきた1人の女性がいた。腹部を何か太いもので突き刺され心肺停止状態だった彼女を、高見は自身の魔法『時をエミトォウ保持するエペクダン』を用いて治療を試みるたが、残念ながら助けることはできなかった。

「伺いたいのは、その女性の傷のことだ」
「傷……ですか?」
「そうだ。高見先生から見て、その傷が何で出来たものと考えるのかを伺いたい。法執行機関としては、その女性が光の柱の発生に何か関わりがあるのではないかと見ている。しかし、被害者の女性は検死のため警察がすでに引き取ってしまっていて魔力残渣ドライニムを調べることもできない」

 警察関係者の中には魔法使いの血筋のものも少なくない。事件や事故があった際に情報を提供してもらうことはあるが、出来るのはその程度。証拠品や被害者の遺体を調べさせてもらうなんてことは不可能。それは、協力者の立場が危うくなるようなことを協会ネフロラが許さないためだ。

 協会ネフロラの理念は、魔法使いの存在が世に広まらないようにすること。そして、魔法使いたちが自らの出自や持っている力に関係なく一般社会で生活できるようにすることである。それを脅かす行為があれば、 協会ネフロラは直属の特殊部隊を動かし犯人の処理に動くと言われている。最も、 協会ネフロラ法令でそう謳っているだけで実際に部隊が動いたという記録は残っていないが……。

 一大の言う通り、高見は運ばれてきた患者の傷を間近で見ている。が、電話を持ったまま高見は言葉に詰まる。法医学は医学部時代に講義で多少受けた程度。傷の状態から凶器を予想するだけの知識は持ち合わせていない。

「協力者からの情報では、警察は傷の大きさから鉄パイプのようなものが突き刺さったのではないかと予想しているようだが、凶器は見つかっていない」
「……それは……違うと思います」
「どういうことだ?」
「確かにあれは杙創だったと思いますが、傷の形状から考えてもアレは鉄パイプというより……」
「教えてくれ。こちらとしてはどんな小さな情報も欲しいところなんだ」
「杭のようなもの……だと思います」
「何か根拠はあるのか?」
「傷は患者の前面、上腹部から斜め上に向かって突き刺さり、背中の大動脈を破って貫通している状態でした。しかし、傷の大きさは入口の方が大きく、背中側は一回り以上小さいものでした。鉄パイプのように一定の太さのものが刺さって貫通したのであれば、斜めに刺さっても腹部と背中側で傷の大きさがさほど変わらないはずですので……」
「先端が細いものである可能性が高いというわけか」
「専門ではないので、私が考えられるのはそのくらいしか」
「いや、それだけでも十分だ。感謝する。失礼」

 ツー、ツー、という音を確認して高見はそっと受話器を元の位置に戻す。

「早く捕まるといいけど」

 患者が亡くなったことを知らせた時のことが高見の脳裏に浮かぶ。膝から崩れ落ち、声を上げる力すらも失った家族の姿が。院内でも、法執行機関キュージストが犯人を早急に捕まえることを望む声が多い。皆、人が絶望する瞬間を見たくはないのだ。

 再び電話が鳴り出す。赤いランプを光らせるそれは、救命センターにいる看護師から、救急患者受け入れを知らせるものだ。

「はい高見……はい……すぐいきます」

 高見が部屋にいた他の医師たちに手で合図を送ると、彼らは首を回し、肩を回し、体を伸ばしながら部屋を出ていく。
 
 彼女を助けられなかったことは、今も高見の心に棘となって刺さったまま。しかし、いつまでもそれに囚われているわけにはいかない。自分は医師であり、まだ助けられる命がここに来るのだから。そう言い聞かせながら、高見は机の上に置かれた聴診器をつかみ自らの戦場へと足を運んだ。

 
 無くなった患者に刺さっていたものがなんだったのかはわからない。病院に患者を運んできた救急隊は高見にそう言った。場所が場所だけに、魔法が使われた可能性は否定できない。高見も、そして法執行機関キュージストもそう考えている。しかし、1週間経った今も彼らは現場に入れず、魔法が使われたかどうかの調査が全く出来ていなかった。警察による規制線は無くなったものの、野次馬やマスコミが頻繁に訪れているためだ。


◇◇◇


「隊長、いつまでこうしてればいいんですか!?」

 神楽塚を任されていた岩端桃矢の班はこの1週間、遠目から現場の監視を続けていた。人が捌けたらすぐにでも現場の調査に入るためだ。

「これ以上は時間の無駄になるかと……駄犬と同じ考えなのは癪に触りますが」
「アンタ、誰のこと言ってんのよ」
「自覚があるなら、声のボリュームを下げたらどうだ?」
「隊長、今すぐこのバカ辻をぶちのめす許可を下さい!」
「誰がそんな許可を出すか」

 嘆息する桃矢だったが、2人の気持ちがわからないわけではない。直接現地を確認できないのであれば、この場所で監視を続ける意味は確かにない。野次馬たちに見られないよう、周辺の調査から開始したい旨を伝えている捜査員は多かったが、上からの許可は降りなかった。協会ネフロラが止めているという噂が隊員の耳に入ってきている。

「仕方ねぇ……辻原、すぐに交代をここに寄越すよう伝えろ」
「上が許してくれればいいですが……」
「こういう時の言い訳はお前の得意分野だろう」
「……分かりました。やれるだけやってみます」

 どこか得意気な表情を見せながら、武文は桃矢から離れ、どこかに電話をかけ始める。

「交代が来たところで、あそこの調査はできませんよ?」
「いくのはあそこじゃねぇ。交代が来たら辻原と一緒に帰って着替え取ってこい」
「着替え?」
「宮崎に行く。朝比奈が最後に目撃されたって場所にだ」
 


******



『ん~』

 光秀の顔についた傷跡を、ネーシャは険しい顔で見つめていた。傷の方はもう塞っており、包帯も取られている。

「あの……何かありましたか?」

 ネーシャに呼ばれてから実際には10分と経っていないが、彼女は光秀に何か言うわけでもなく、時折傷跡をなぞっては唸り声を上げる。目の見えない光秀には、すでに何時間も経過したんじゃないかと思えてきた。

『変なんだよ……』
「変……ですか?」
『そう、傷の感じが。切られたっていうより、先端の尖った何かで抉ったみたいな』
『確かに刃物でやられた傷には見えなかったもんね。誰かの爪とか?』

 後ろから様子を見ていたモーテの言葉に、ネーシャは首を横に振る。

『それだったらもう少し傷が綺麗だ。それに、ミツヒデはこれをやった相手を見てないんだろ?』
「はい……」
『じゃあ、上から強襲?』
「そんな危険な生き物、僕の住んでるところにはいないです」
『生き物っていうか……ミツヒデたちには出来ないの? あ、コルニイスってこと?』
「コルニ……なんのことですか?」
『うそ……え、じゃあクリ二オムは? キリニウスもわからない?』
「えーっと……」
『モーテ、あんたセルキールの人にも同じ反応してたよ』
『だってだって! 気になるじゃない!」
「あの……何なんですか、そのコルニ…ウス? っていうのは」
『コルニイスね。説明聞くより見たほうが早い気もするけど……その目じゃ』
『任せて、ネーシャ。良い考えがあるの!』

 腕を組んで自信ありげなモーテだったが、ネーシャは目を細め何を企んでいるのかと疑心暗鬼であった。
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