神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第3章 帰らぬ善者が残したものは

17話 交戦するもの レクイース(探求者)

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******

「誰か! 返事をするっす!」

 遠征から帰ってきた3人の男たちが目にしたのは、変わり果てた町の姿。あちこちで建物から煙が上がり、メインストリートには町の人々から流れ出た血が排水路に向かって無数の細い線を描いていた。3人は慌てた様子で生存者の確認を始めるが、自分たち以外の声は聞こえない。

「生きているものは……いないか……」

 倒れている男性の首元に、フードの男が触れる。体は冷たくなっており、息絶えてからかなり時間が経過しているのはすぐに分かった。

「アニキ、ピオリアを見なかったっすか!?」
「ラーゼア、来るな!」

 ラーゼアと呼ばれた短い金髪の男が建物に入ろうとすると、赤いメッシュの入った黒髪の男が体で道を塞ぐ。そこは3人がよく通った酒場。遠征後は必ずここで飲み明かしていた。

「どうしたんすか、アニキ?」
「入るな……オメェは……入っちゃダメだ」

 兄と慕う男の言葉が何を意味するのか、ラーゼアは分かってしまった。男を押し除けて無理やり前に進む。男は必死にラーゼアを止めたが、彼の目に男が見せたくなかったものが入ってしまう。

 引きちぎられたボロボロの服を纏い、四つん這いになった女性の姿。両手は木の床にナイフで刺され、胴体の乗った椅子ごと貫いている黒い槍によってその体位を保っているに過ぎない。毛先に向けて緑色に変わっているセミロングの黒髪は、自身の探していた女性であることをラーゼアに理解させた。

「嘘っすよね……こんなの……」

 彼女の姿を見られてしまったことで、ラーゼアを押さえていた男の手は離れていく。震える足でなんとか体を支えながら、ラーゼアは彼女の側に歩み寄った。涙の跡が残る彼女の頬に優しく触れると、刺さったナイフと槍をそっと抜いて彼女を仰向けに寝かせ隣に腰を下ろした。彼女の目を閉じ乱れた髪を整え、着ていたジャケットをかける。彼女の指には、ラーゼアが遠征前にプレゼントした指輪があった。
 ラーゼアは声を出さなかった。出なかった。現実を受け入れられない彼の心がそれを妨げた。しかし、目から溢れる涙が止まることはなかった。静かな部屋の中で雫が床に落ちる音が絶えず聞こえる。

「もう……大丈夫っすよ……」

 手の甲に空いた穴から流れ出る血はもうない。それでもラーゼアは、彼女が痛がらないように冷たくなった手を優しく握る。

「アディージェ……」
「ヴァイリオか。誰か生きてる奴ぁいたか?」

 フードの男、ヴァイリオは静かに首を横に振る。

「そうか……一体誰が……」
「こいつは、グランセイズ王の仕業よ」

 どこからか聞こえた男の声。アディージェはすぐに腰に携えたナイフに手を添える。

「どこだ!?」
「こっちだ、こっち」

 声のした方に2人が目が動く。声の主は向かい側の焼けた建物の間から何かを引き摺りながら現れた。それから手を離し、肩を回す男。2m近くある細身の体躯に、肩まで伸びた激しくもつれた水色の髪。鱗の様な模様が見える胸当てとガントレット、そして前腕に取り付けられた鞘とそれに収まるショートソード。2人は現れた男が自分たちとは違う種族の人間であるとすぐに分かった。

 彼が引き摺っていたのは立派な金属製の鎧を身に付けた騎士。肩に入った紋章にアディージェは見覚えがあった。

******




『いい腕してるぜ!』
「貴方も!」

 何度も体を捻りながら護はリーダーの男、アディージェのナイフを避け続ける。刃の根元には魔道具と思われる石が付いている。受け止めるのは得策ではない。逆に彼の手からナイフを落とそうと、護はアーネスから借りたナイフで腕や肩を狙うが、アディージェもまた飛んで跳ねて護の間合いの外へと上手く逃げる。
 互いに相手の出方を窺っているが、彼らが逃げるときに起きた爆発はこの男の仕業。護の作った魔力の膜は絶えることなくアディージェの動きを捉え続ける。それは相手も同じ。少ない魔力で作られた薄い膜は、範囲は狭いものの魔力抵抗が弱まり相手の膜を透過する。近距離戦闘における拡張探知の基本戦術であった。

(このおっさん、只者じゃねぇな)

 一瞬の油断が命取りとなる。アディージェはそう感じ額から出る汗が止まらない。余裕がないことを悟らせないよう笑みを浮かべるが、その余力すら惜しいと感じ始めていた。対して護は彼の攻撃に……というよりも彼の狙いに疑問を抱いた。命を奪りにきている攻撃ではない。そういう戦いに身を置いていた護にはそれが不思議でならないかった。その気になればすぐにでもこの戦闘を終わらせられる。そうしなかったのは、妻から教わったことが頭をよぎったからである。「相手が本当に敵なのか、ちゃんと見極めなきゃいけない」と。

『邪魔しないで、欲しいっす!』
『なんなのよ、これ』

 かぶっている鍔のない帽子からわずかに金色の髪がはみ出ているラーゼアに向かって、何度もアーネスが接近を試みるが、どうにもスピードが出ない。理由はわかっている。先ほどまで固かったはずの地面が、耕した畑の土のように柔らかすぎるのだ。踏み込むたびに足が沈み、余計な力を持っていかれる。これでは速度を上げられない。それどころか、少しでも油断すれば足が沈みこみ動きを止められる。そしてその度に、ラーゼアの持つ杖の先端から放出された炎がアーネスに襲いかかる。

『フォウセの魔法は、設置側っす。動く範囲を制限すれば、怖くないっす』
『すぐにそのイライラする喋り方を強制してやるわよ!』

 この2組とは違い、静かな戦いが繰り広げられていたのがジノリトとフードの男、ヴァイリオであった。言葉を交わさず見合う2人だったが、ヴァイリオの足下には細く長い針に刺さった翠玉の羽がある。

『貴様らの目的は主様の羽……ではなさそうだな』
『それは目的の一つに過ぎぬ』
『そうまでしてノガルダの角を手に入れたい理由はなんだ?』
『……其方らには関係のないこと』

 ヴァイリオがジノリトではなく、その後方にいるノガルダに向かって何かを投げつける。いくつかはジノリトの槍が叩き落としたが、落とし損ねたものがノガルダの頭部に生えている角に向かった。
 それはヴァイリオの足下にあるのと同じ細い針。それ自体は簡単に薙ぎ払える代物だが、数が多く見えづらい。

『こんのぉ!』
 
 灯真を守るため後方に控えていたフェルディフも必死に槍を振るうが、それでも全てを止めることはできない。

『厄介な力やんね。あぁちの羽が盗られるえ』
『刺したものを奪い取る魔法か』

 ノガルダの手前で針は動きを止める。主の翼がそれを食い止めていた。しかし針は巻き戻されたようにヴァイリオの下に戻っていく。突き刺さった羽を付けたまま。

「主様……」
『心配はいらんね。あのくらいよく抜けるえ』

 灯真にかけられた主の声は、ずっと変わらず穏やかだ。しかし、戦況は良くない。護はアディージェから離れられず、アーネスはラーゼア相手に苦戦を強いられ、ジノリトとフェルディフは主を守るため2人の援護にいけない。灯真だけが何もできていない。戦う力を持たず役に立たない。灯真は肩を縮め左腕を力強く掴む。

『其方らと戦うのは不本意。手を引いてはもらえぬか?』
『角を失ったノガルダの末路はよく知っているのでな。共に生きる仲間の危機に戦わない者などいないだろう?』
『然り』

 ヴァイリオが軽く握った指の間からスーッと細い針が姿を現す。次の攻撃が来る。そう察したジノリトは持っていた槍を地面に突き刺した。

『諦念……ではないな』

 それまで守りに徹していたジノリトが取った新しい行動を目にして、ヴァイリオに緊張が走る。

 先に戦ったアーネスの力は理解している。六十代目エクシエントユエス縛封師ドニブドゥルレスタムを襲名した彼女の力はレクイース探求者の間でも有名で、一度実際に受けている。だがこの男は、ジノリトの力はわからない。

 ジノリトがフォウセの長であることをヴァイリオは知っている。以前、交易のため町を訪れていた彼の姿を遠目から見たことがある。優しい目をした人の良さそうな男だった。しかし、長でありながら縛封師ドニブドゥルレスタムに選ばれなかった男と言われているだけで、その力に関する情報は一切ない。2人の子供に才能を持っていかれたなどと、自分から笑い話にしていたくらいだ。本当にそうなのかと、ヴァイリオは思った。目の前にいる小柄な男は、彼の纏う空気は、感じられる力の圧は、アーネスの比ではない。離れた位置にいた護やアディージェでもそれに気付く。

『あまり使いたくはないが、仕方あるまい』
『遠慮はいらんえ、ジノ』

 主の言葉が耳に届くと、ジノリトは突然両手をがっしりと組んだかと思えば、勢いよく組んだ手を離し両手を大きく広げた。手を組んでいたところから見えない何かが広がるのを、灯真を除く全員が感じる。
 一瞬で空気が冷たくなった。肌がチリチリと痛み、体の動きが鈍っていく。

『おんしら、わちのそばから離れたらいかんえ』

 羽を大きく広げると、主は近くにいたノガルダとフェルディフを自分に抱き寄せた。羽の内側は外と違い寒さを感じない。

『アーネス、すぐに主様のそばに』
『それじゃあ父さんが』
『言う通りにしなさい!』

 父の怒号にアーネスは驚きを隠せない。フェルディフも同じ反応をしていた。

『父さんが……あんなに怒鳴るなんて……』

 一族の長として厳しい人ではあったが、声を荒げることは今までなかった。それはどちらかといえばアーネスや妻であるラスカの役目だった。
 いつもと違う父にアーネスは何も言い返すことなく、静かに後退する。それを見て、ラーゼアはどこかホッとした様子を見せている。

『あの子らも苦しんでおるんね』
「苦しむ?」

 主の言葉の意味が灯真にはわからない。攻撃を受けているのは自分たちだと言うのに。小さく唸っているノガルダたちも何故か自分たちを守っている主の翼の外に出ようとする。後退したアーネスがそれを宥め、主の翼の内側からジノリトの様子を伺う。

『これ……父さんの魔法?』
『多分そうだと思うわ。あたしも初めて見る」
『フォウセでも知ってるんは少しだけだえ。ジノリトの力は周りを巻き込んでしまうから、使いたがらんね』
「あっ……霜が……」

 地面が僅かに盛り上がっているのを灯真が発見する。白い霜柱が立ち、生えている草も凍りついていく。主の翼に守られている灯真たちはなんともないが、護やアディージェたちの息は白い。

(さっきジノリトさんの手から広がったものが、空間全体を冷やしてるのか……怖い魔法を使うな)
『クソッ!』

 アディージェが叫ぶと、彼の周辺の地面が爆発を起こす。一瞬だけ周囲の温度は上がるが、すぐに寒さは戻っていく。護はずっと指をこまめに動かし続け、下半身はステップを踏んでいる。アディージェたちにはそれが奇怪な行動に見えただろう。自分たちを油断させるための行動とも思えただろう。しかし、実際は体の内側が冷えるのを防ぐためだ。
 魔法による攻撃を直接受けているのなら、障壁エービラルによる防御は可能だ。しかしジノリトの使った魔法には効果がなかった。試している護たちがそれを一番実感している。寒さはどんどんアディージェたちの体力と正常な判断力を奪っていった。

『聞いたことがあるっす。この森で冬を感じたらすぐに引き返せって』

 それはラーゼアが他の街で耳にした噂話。単に食料の現地調達が難しくなるからとか、冬眠前に餌を探す大型の獣がいるからとか、そう言う類だと思っていた。

『だけど、引き返すわけにはいかないんす。こんなところでやられていらないんす!』
『ああ、そうだ。オレらにゃ……』

 突如、アディージェの魔力の膜があるものを捉えた。ラーゼアの着ている上着から伸びる、一本の鎖を。護との戦いのために膜が広がるギリギリのところで確認できたそれは、間違いなく彼らがここに来るために使ったプレウ・イナウク救いの鎖であった。

『一体どこから!?』

 同じく異変に気づいたヴァイリオが鎖の伸びた方向に目を向ける。プレウ・イナウク救いの鎖魔道具マイトは、壊滅した町に一つも残っていなかった。持っているとしたらそれは、街を襲った連中以外にない。

「ギャウ!」

 灯真のそばにいたノガルダが突然、主の翼を押し退けてラーゼアに向かって走る。押さえようとして鞍に捕まっていた灯真を引きずったまま。手を離そうにも、紐が絡まって抜くことができない。

「止まって! 止まってよ!」
『トーマ!』

 助けに行こうとするフェルディフを主の翼が止める。主の目には彼の方に向かう護の姿が映っていた。

『おいおい、もしかしていいところに来れちまったか?』

 鎖に手繰り寄せられて現れた1人の男。水色の髪を靡かせ、釣り上がった目は狙いを定めるかのように、ラーゼアの方へ走るノガルダに向けられる。灯真を助けに向かいながら、護も彼の姿を視界の端に捉える。応援が来た。ジノリトはそう考えて警戒を強めた。

『アウストゥーツ、何故貴様がそれを!?』
『騒ぐなよ、ヴァイリオ。お前らが気にすることじゃねぇ』

 アウストゥーツと呼ばれた男の両手からスーッと2本の黒い槍が姿を現す。突然隣に現れた見知った男の手にラーゼアの視線が集中する。それは最愛の人の命を奪っていたものと同じ形をしていた。

『アウストゥーツ……それって』

 何故彼がそれを出しているのか。町を襲った連中が使っていたものじゃないのか。そう問いただそうとしたラーゼアの背中からお腹にかけて痛みが走る。ラーゼアが手を近づけると、自分の腹から飛び出る黒い物体、見覚えのある黒い槍がそこにあった。

『お前らの役目は終わったんだよ』
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