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第二章

⑩一ヶ月間の停学処分

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一月

 年が明け、また生徒たちが学園に戻ってくる。会えない時間は気持ちを増幅させるもので、三年生を乗せたバスが到着した時、冷たい雨の中傘を差し、ソワソワと駐車場まで迎えに出てしまった。
 昨日から学園に戻って来ている教諭も職員も「おかえり」「おかえり」と生徒たちを迎えている。
柚木ゆのき先生、これあげる」
 天文部や園芸委員の子に、銘菓などの小さなお土産をもらったりもした。
 そして私は、敦貴あつきが駆け寄ってきてくれるのを待っている。しかし、三台あるどのバスにも敦貴は乗車していなかった。

 美智雄みちお雅史まさし先生も、昨日今日と姿を見ていない。美智雄は研究所から呼び出され、朝からあちらに行っていると聞いている。とりあえず敦貴の部屋のあるC棟寮父に何か知っているか聞きに行った。
「柚木先生はまだお聞きではなかったですか?敦貴は一ヶ月程度の停学処分になるそうです」
「え?一体何を……」
「暴力事件を起こした、と美智雄副理事より先程電話がありました。詳細はまだ何も」
 慌てて部屋に戻りスマホを見ると、美智雄からメッセージが届いていた。
「今夜ゆっくり話すが、敦貴が問題を起こした。学園はしばらく休ませる」
 少しの事情も分からない文章にイライラが募った。
「敦貴に怪我は?」
 そう送信すると随分時間が経って、返信が届く。
「拳から血が出た程度だ。相手は歯が数本折れた。とにかく帰ったら詳しく話す」
 心配で心配で、美智雄が戻るまでの時間が永遠にも感じる。何度か美智雄に「今どこですか?」とメッセージを送信したが、既読無視され続けた。
 何をしても手につかないから、温室の中をうろうろと歩き回り、誰かの誕生日の為に立てられた水色の旗を無意味に数えたり、枯れたダリアの葉を見つけてむしったりという単純作業を繰り返し、時間を潰す。
 ガラス張りの窓の外では、雨が雪に変わり、白い大粒のものが舞い始めた。

 美智雄は消灯時間過ぎに戻り、雅史先生とともに温室へやって来た。
「あぁ、ここはいつでも暖かいな」
「そんなことより、敦貴は?」
「今はまだ花睡かすい研究所にいる」
「研究所?なぜ?」
 美智雄が大きく溜息をついて、置きっぱなしだったパイプ椅子に座り、話し始める。
「昨晩のことだ。敦貴が研究所に忍び込んだ。そして地下にある非合法な牢屋へと侵入した。元々あの研究所は外部からの侵入に対してセキュリティが甘い部分があった。表向きは青少年の記憶構造についての研究という地味なテーマを扱っている場所だからな。目的を果たした後は捕まってもいい、という無謀な侵入を試みれば、突発できてしまう適度だったのだろう」
「それで敦貴は何を?」
理久りくを殴った」
「理久?光夜こうやを刺したあの理久?」
「あぁ。牢屋とは呼ばれているが、鉄格子がある訳ではない。壁などが全てクリアガラスで作られたプライバシーなどない環境で、あの時の殺人者らは研究対象として生活をしている。現状逃げ出そうとする者もいないから、監視が緩い部分があったのかもしれない」
 ここで理久の名前が出てくるとは思っておらず、理解が追いつかない。
「地下には三十人弱の人間がいたが、敦貴は的確に理久をターゲットにし、いきなり襲い掛かり馬乗りになって殴りかかった。私はその時の様子を防犯カメラで見てきた。すぐに周りの者が取り押さえたが、三、四発は殴っていたな。あのスペースにいる者は、名前が分かるような物を身につけてはいない。更にその時間、互いの名を呼び合っている様子もなかった。どうして理久を殴ったのか、どうしてその男が理久だと分かったのかは、敦貴が黙秘を貫くから分からない」

 雅史先生を見ると、何か知っていそうな顔をして、気まずそうに視線を逸らされた。
「雅史先生は、何かご存じですか?」
 美智雄が問いただすも「知りません。もし何か知っていても校医としての、守秘義務がありますので」と話してはくれなかった。



 敦貴は実家に帰された。一ヶ月間の謹慎処分だ。親には学園で友達を殴った、ということにしてあるらしい。その辺りは親戚だという雅史先生が上手くやったのだろう。
 美智雄は私が敦貴に連絡を取ることも禁じた。一月半ばには敦貴の誕生日があり、ダリアを贈ることを楽しみにしていたのに本当に残念だ。
 毎晩、敦貴はどうしてこんなことを、と考えずにはいられない。きっと私の光夜への気持ちが関係しているのだろう。
 雅史先生は時々、敦貴の様子を見に行ってくれているようだが、彼にも肝心なことは何も話さないらしい。
「次に会いに行く時にダリアを一本持って行ってくれませんか?」
 そう託すと「美智雄副理事には内緒で」と頷いてくれた。
 そしてダリアを届けてもらった三日後、私宛の長い手紙を、雅史先生経由で受け取った。変わらず黙秘を続けている敦貴からだった為、研究所が開封しコピーを取ったとのこと。
 敦貴もそれを承知し、それでも私にと手紙を書いてくれたらしい。美智雄も雅史先生も既に手紙を読んだそうだ。
「僕はね、柚木先生。一年前に敦貴が僕を訪ねて来て、何とかこの学園に転校させてくれって言った時から、そんな気がしてたんだよ。春に転入してきて柚木先生と一緒にいるのを見かけた時には、より強くてそう思った。だって僕には、縁を見る力があるからね。縁って何だろうね。例え切りたくても切れない特別なものなんだろうね。いい縁は手放さないように、悪い縁とはできるだけ距離を置いて、生きていきたいよね」
 雅史先生の眼の端に涙が浮かぶ。
「敦貴の手を離さないであげて。お願いだよ、柚木先生」
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