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4章 過去の亡霊
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高橋との一件以来、五十嵐怜央の心は常に張り詰めていた。完璧だったはずの日常に、見えない敵が仕掛けたノイズが、まるで水面に広がる波紋のように広がっていく。彼はスタッフやビジネスパートナー、さらには友人にまで疑いの目を向け始めた。笑顔の裏に隠された真意を探ろうとし、その結果、人間関係はぎこちないものへと変わっていった。
そんな中、怜央の元に、差出人不明の小包が届いた。
中身は、古びた一冊の絵本だった。『星の王子さま』。子供の頃、母親がよく読んで聞かせた、彼の思い出深い本だ。表紙は色褪せ、ページには薄っすらと鉛筆で書かれた落書きが残っている。それは間違いなく、幼い頃の彼自身の字だった。
ゾクリ、と背筋に冷たいものが走った。この絵本は、実家で大切に保管されているはずだ。いや、保管されていた、が正しい。彼は数年前、実家を整理した際に、この絵本を見つけられずに諦めていた。それがなぜ、今、自分の手元に? しかも、差出人不明で。
その夜、怜央の睡眠は浅かった。絵本の記憶が、忌まわしい過去の断片を呼び起こす。
三年前。
彼はまだ、これほどの大物ではなかった。小さなウェブメディアを運営し、知名度を上げようと必死だった。その過程で、彼はある若手クリエイターの作品を、巧妙な手口で自らのものとして発表した。そのクリエイターこそ、桐生悠の妹、**桐生沙織(きりゅう さおり)**だった。
沙織は繊細で、才能に溢れた少女だった。自身の作品を盗用され、その上、怜央の仕掛けた根も葉もない噂によって、彼女はSNSで激しい誹謗中傷に晒された。その精神はあっという間に壊され、自ら命を絶ってしまった。彼女の死は、「若き天才の突然の悲劇」として一時的に報じられたが、怜央の関与が公になることはなかった。彼は完璧に証拠を隠滅し、何食わぬ顔で成功への階段を駆け上がっていったのだ。
怜央はベッドの上で、冷や汗をかきながら目を開けた。絵本のページをめくる、幼い頃の自分の指。そして、そこに刻まれた「さおりちゃんへ」という、鉛筆書きのメッセージ。
あの時、沙織が最後に描いていたイラストに、その絵本の登場人物がモチーフとして使われていたことを、怜央は知っていた。それが、彼女が大切にしていた、ある種の「お守り」のようなものだったことも。
これは、単なる嫌がらせではない。犯人は、彼の**「過去」**、それも最も深く隠蔽したかった部分を正確に知っている。そして、その過去が、彼を苛むための「凶器」として使われている。
翌日、憔悴しきった怜央の元に、さらなるメッセージが届いた。それは、彼の個人用メッセンジャーアプリに、匿名のユーザーから直接送られてきたものだった。
そのメッセージには、たった一文だけが書かれていた。
「あの星は、まだそこにありますか?」
「あの星」——それは、沙織が唯一心を許していた、彼女だけの隠れ家。そして、二人が密かに共有していた、秘密の場所の名前だった。
怜央は絶句した。このメッセージを送れるのは、当時、沙織とごく一部の人間しか知らないはずだ。まさか、沙織の死に関わった人間の中に、まだ自分を恨んでいる者がいるのか? あるいは、沙織の遺族が?
彼の視線は、デスクに置かれた絵本へと吸い寄せられた。表紙に描かれた、王子さまが見上げる小さな星のイラスト。
桐生悠は、自宅のモニターに映る怜央の顔色の悪さに、満足げに目を細めた。絵本は、沙織の遺品の中から、悠が密かに持ち出していたものだ。沙織が命を絶った後、彼女の部屋から見つかったスケッチブックには、あの絵本の登場人物をモチーフにした、怜央に盗用された作品の原案が残されていた。そして、その中のページには、沙織が唯一心を許し、共に夢を語り合った、兄・悠への感謝の言葉が記されていた。
「あの星は、まだそこにある。お前の嘘が、光を曇らせるまではな」
悠は、冷えきったコーヒーを一口飲んだ。復讐の次の段階は、怜央の公の場での「失態」を誘発することだ。彼のプライド、そして社会的な地位を、白日の下に晒していく。
そんな中、怜央の元に、差出人不明の小包が届いた。
中身は、古びた一冊の絵本だった。『星の王子さま』。子供の頃、母親がよく読んで聞かせた、彼の思い出深い本だ。表紙は色褪せ、ページには薄っすらと鉛筆で書かれた落書きが残っている。それは間違いなく、幼い頃の彼自身の字だった。
ゾクリ、と背筋に冷たいものが走った。この絵本は、実家で大切に保管されているはずだ。いや、保管されていた、が正しい。彼は数年前、実家を整理した際に、この絵本を見つけられずに諦めていた。それがなぜ、今、自分の手元に? しかも、差出人不明で。
その夜、怜央の睡眠は浅かった。絵本の記憶が、忌まわしい過去の断片を呼び起こす。
三年前。
彼はまだ、これほどの大物ではなかった。小さなウェブメディアを運営し、知名度を上げようと必死だった。その過程で、彼はある若手クリエイターの作品を、巧妙な手口で自らのものとして発表した。そのクリエイターこそ、桐生悠の妹、**桐生沙織(きりゅう さおり)**だった。
沙織は繊細で、才能に溢れた少女だった。自身の作品を盗用され、その上、怜央の仕掛けた根も葉もない噂によって、彼女はSNSで激しい誹謗中傷に晒された。その精神はあっという間に壊され、自ら命を絶ってしまった。彼女の死は、「若き天才の突然の悲劇」として一時的に報じられたが、怜央の関与が公になることはなかった。彼は完璧に証拠を隠滅し、何食わぬ顔で成功への階段を駆け上がっていったのだ。
怜央はベッドの上で、冷や汗をかきながら目を開けた。絵本のページをめくる、幼い頃の自分の指。そして、そこに刻まれた「さおりちゃんへ」という、鉛筆書きのメッセージ。
あの時、沙織が最後に描いていたイラストに、その絵本の登場人物がモチーフとして使われていたことを、怜央は知っていた。それが、彼女が大切にしていた、ある種の「お守り」のようなものだったことも。
これは、単なる嫌がらせではない。犯人は、彼の**「過去」**、それも最も深く隠蔽したかった部分を正確に知っている。そして、その過去が、彼を苛むための「凶器」として使われている。
翌日、憔悴しきった怜央の元に、さらなるメッセージが届いた。それは、彼の個人用メッセンジャーアプリに、匿名のユーザーから直接送られてきたものだった。
そのメッセージには、たった一文だけが書かれていた。
「あの星は、まだそこにありますか?」
「あの星」——それは、沙織が唯一心を許していた、彼女だけの隠れ家。そして、二人が密かに共有していた、秘密の場所の名前だった。
怜央は絶句した。このメッセージを送れるのは、当時、沙織とごく一部の人間しか知らないはずだ。まさか、沙織の死に関わった人間の中に、まだ自分を恨んでいる者がいるのか? あるいは、沙織の遺族が?
彼の視線は、デスクに置かれた絵本へと吸い寄せられた。表紙に描かれた、王子さまが見上げる小さな星のイラスト。
桐生悠は、自宅のモニターに映る怜央の顔色の悪さに、満足げに目を細めた。絵本は、沙織の遺品の中から、悠が密かに持ち出していたものだ。沙織が命を絶った後、彼女の部屋から見つかったスケッチブックには、あの絵本の登場人物をモチーフにした、怜央に盗用された作品の原案が残されていた。そして、その中のページには、沙織が唯一心を許し、共に夢を語り合った、兄・悠への感謝の言葉が記されていた。
「あの星は、まだそこにある。お前の嘘が、光を曇らせるまではな」
悠は、冷えきったコーヒーを一口飲んだ。復讐の次の段階は、怜央の公の場での「失態」を誘発することだ。彼のプライド、そして社会的な地位を、白日の下に晒していく。
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