悪辣令嬢に恭順

猫側縁

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プロローグ?

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悪辣令嬢様に恭順


「そう…、出来なかったの…」

残念ねとでも言いたげな声色が、

溜息を通す赤色の唇が、

不満を孕み伏せられる瞳が、

扇を閉じる指先が、

優美ながらも落胆をよくよく現している。

悲しげな表情はどこか扇情的で、報告をした男は先程までの焦りや恐怖も忘れて目が離せなくなっている。


身体の線を見せるような紅色のドレスは、瞳の色と揃いで、彼女によく似合う。女帝を思わせる出立ちの彼女は深く椅子に腰掛けており、男はその前に跪いていた。

彼は気づいていないだろう。彼女が今、何をその物憂げな表情の下で思っているのかを。彼女という存在が目に見せている様子しか感じ取れない男には、決して、見えない。

冷たく鋭い輝きを孕んだその怒りは。

死線をくぐり抜けた兵士であっても彼女を前にして一度口籠る理由は、私が何より気に入っているあの瞳に囚われるからだろう。

怒りの鋭さを、憎しみの深さを閉じ込めたような強い意志が、煌々と輝く赤色の瞳。

それが彼女をより強く魅せる。
細い身体、健康ではあるが色白な肌、おとなしそうな印象を受けるはずの見た目が、見かけ通りにその令嬢をか弱く見せない。
それこそが私が彼女を気に入った理由でもあった。

現在国内で最も富んでいる侯爵家と言っても問題ない程の家の令嬢である彼女は、生きることに必死にならずとも良い筈なのだ。婚約者もいる。心配せずとも未来は安泰。そんな高貴な身分の令嬢が、何故あれ程、生への執着を秘めた瞳を爛々と輝かせているのか。自分の道を塞ぐものは何であろうと全て壊してやろうという気概の原因は、一体なんだというのだろうか。
私とは違い、苦労も絶望も知らない典型的な高飛車令嬢のはずなのに、私と同じくらい…いや、それ以上の意思を持つ理由は?

私はそれを純粋に知りたいと思った。

私が彼女について考察し続ける間に、話は終わったらしい。そもそもあの男は焦ってこの部屋に入ってくるなり、青褪めた表情を隠しもせずに彼女に謝り命乞いを始めた為、碌に話もしていないのだが。

……しかし、まあ、そんな一方的な報告など本来必要は無かった。彼がどんな仕事をしていたのか、その結果については既に私から報告済みな上、彼女自身、自分が転がす事にした玩具を見張っていないはずが無かった。

「ではその役立たずな手は、要らないわね?」

誰もが見惚れる柔らかな笑顔が、彼女の前に跪く男の脳裏に強く焼きついた。深く焼印を押すかのように、男が彼女によって傷跡を残された事は私の心中に嫌なザラつきをもたらした。ああ、…羨ましい。

次の瞬間、令嬢は跪く男の利き腕を蹴り飛ばした。あの細い脚で、一体どこにそんな力を秘めているのかと問いたくなるような、足の振り抜きである。
小枝の折れるような乾いた音の後、男は悲鳴をあげて腕を押さえて蹲る。痛みに震える男が垂れた頭を、令嬢は蹴り飛ばした足でそのまま踏み付ける。容赦も、情けもない。
そこにあるのは冷徹な程、落ち着いて、乾いた笑顔。

「私は、貴方に、商家を1つ、潰してきてと言ったのよ?」

泣く子供を嗜めるように穏やかに、

「方法は、いくらでもあったはず」

聖書の一節を朗読するように柔らかく、

「使えるものは使いなさいともいったわね」

慈愛に満ちた眼差しで、

「無能だと知っていて使うから、きちんと道具まで用意してあげたのに、ね」

まあ出来ないことは知っていたけど。と、毒を吐く。

「だから私は、初めから貴方の後始末をしておいたわ」

令嬢は椅子に座り直す。

「商家を1つ、潰しておいたの」

痛みに、恐怖に咽ぶ男が、どこを?と、愚かにも問うように彼女へと注意を向けた。しかしそれに答えるのは彼女じゃない。私だ。

「君は気付くべきでしたね。彼女はどこの商家とも言っていないのだから。ここに来るまでに達成できないのであれば、絶対に達成できる事をすればよろしいのに」

私が話し出すと、彼女はようやく、呆れたように、不満そうに私を見た。嗚呼やっと、こちらを見てくれた。あの瞳が私だけを写す。気分がいい。彼女の感情全てを集めたような消えない火が、全て私に向けられている。その焔を見て、私は私の怒りを思い出せる。

「貴方が貴方の一存で、たった1つサインをするだけで確実に潰せる商家があるでしょう?
ドルネ・ハーエス。
ハーエス商会会長殿?」

男は叫び、逃げようとする。折れた腕を引き摺って、縺れた足を急いで動かして、這うように。残念ながらこの部屋の唯一の出入り口は、私の背後。必然的に此方へ向かってくる男。 

私に向かって「退け」と吠えるなど、正気では無いにしろ不敬ではないだろうか。いくら彼女より私の格が低いからと言って、到底許せるものでは無い。

伸ばしてきた手を避け、手首を掴み、足を払う。たったそれだけの単純な作業で、男は床へと叩きつけられる。折れた腕も掴まれた腕も使えない為、何の障害もなく顔面からぶつかった。いい音がしたが鼻先は無事だろうか。まあ無事では無い方がいい顔立ちになれるかもしれないが。

……嗚呼、高い椅子の上で踏ん反り返っていた傲慢な人間がここまで落ちるのか。その男に、私が最も思い跪かせたい人間の顔を重ねる。

奴をこうして、踏みつけたなら。

背中にじわじわと圧をかけ続けると、少しして動かなくなった。……気を失ったのか。

「サンドバッグにしては、耐久性が足りないと思いますよ」

令嬢に声をかけるが、彼女は既に興味をなくしたらしく、優雅なティータイムに入っていた。


ふと思う。彼女を跪かせたなら、どんな顔をするのだろうか。組み敷くでも構わない。屈辱に顔を赤らめて、けれど屈しないあの瞳で私を射抜くのだろうか。それとも令嬢らしく泣き喚くだろうか。
再び思考して沈みかけた意識は引き戻された。

赤い眼が、私を見ている。

「座ってはいかが?椅子が1つ空いてしまっているのよ。レディーに1人でお茶会をしろとでも言うのかしら。気の利かない紳士は嫌われますわよ。退屈は嫌いなの。早く楽しいお話でもしてくださる?」

先程までの仄暗く鋭く強い瞳では無い。それを正面から向けてもらえない事を不満に思うのは、あの瞳が好きだからだろうか。それとも自分の覚悟が揺らぎそうになるからだろうか。
彼女は言うだろう。
揺らぐならそれは覚悟などでは無い。と。

そうだ。揺らぐ覚悟なら、覚悟では無い。私は成し遂げる。その為だけに、実の弟を殺してまで爵位を奪い取る事にした彼女と取引したのだから。まさに悪魔との取引だ。だからといって最後にその悪魔も食って笑うのはこの私だが。

美しさと対を張る苛烈さを持つこの令嬢は、私の復讐の為の大きな鍵である事に間違いはない。

その為なら耐えてやる。
この令嬢と同じように、耐えて、隠して、秘めて、そして、この令嬢の父親である侯爵への復讐を遂げてやる。

私は笑顔で婚約者(共犯者)の対の席に腰を下ろす。

「仰せのままに」

さあ今日も、互いに互いを探り合おう。

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