悪辣令嬢に恭順

猫側縁

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"君の瞳が美しいから"

その言葉を、言おうとした訳でもない。なのに勝手に口が動いた。

……一体どこの吟遊詩人だ。こんなの社交界に出たばかりの青い貴族の子ですら言わないだろう。

彼女は一瞬、虚を突かれたように見えた。しかし、直ぐに笑った。それはもう、屈託なく。令嬢らしくも、悪女らしくも、計算高い貴族らしくもなく、ただ素直に。

笑われているのに腹立たしくはなかった。

一頻り笑って満足した彼女は、婚約と、次の夜会のエスコートを了承するつもりでいると言った。……つもり。つまり、確定ではない。

「侯爵殿の了承が必要ということでしょうか?」
「必要ございません」

あまりにもはっきりと言い切られて、私は少々驚いた。では、なんだというのか。

彼女は先程の笑みを忘れてしまうほど、
貴族らしく、悪女らしく、大凡普通の令嬢が持たない妖艶さを纏って嗤った。

「私が"シュヴェリテ侯爵"になる協力をしてくださいますか?」

今日は一度も見せていなかった、あの夜の瞳だ。
怒りも憎しみも苦しみも痛みも溜め込みながらも、炎の様に激しく、強く、宝石の如く煌めく瞳。

言葉の意味を考えるより先に答えていた。

「勿論です」
「……取引成立。
書状があるなら出してくださる?サイン致しますわ」

その取引を持ちかけてきたのは彼女なのに、その回答に一瞬驚いた様に見えたのは、気のせいだろうか。

その後は淡々と書面にサインが入り、そのまま私がそれを持っていく事で婚約は成立。
その後帰国した侯爵からは特に抗議もなく、現在に至る。

そして、私は未だに、彼女が何に驚いたのかも、どうしてあんなに無邪気に笑ったのかも、……分からずにいる。
お陰様で寝ても覚めても考えているのは結局婚約者の事。その為私は稀代の悪女に見事に籠絡され、盲目的に彼女に執愛している空け者とまで揶揄される事となった。




そしてあの出会いから、早一年。
私たちは今、"一仕事"を終えて茶を楽しんでいる。
変わる事なく…いや、だからこそと言うべきなのか、煌々と、強く光る。
目的達成を目の前にして、
より慎重に、
より狡猾に、
より冷静に、
憎悪を燃やして暗く黒く然し、眩く。

「……何を思ってらっしゃるの?」
「貴女の事ですよ」

最も私が魅力的に映るように計算して微笑むが、「あらお上手」と、微笑み返すだけで、彼女は全く動じない。相変わらず、対令嬢用のハリボテは彼女には通用しないらしい。

「……嘘では、無いのですがね」
「その紳士らしさに免じて、今回はそう言う事と致しますわ」

何について考えていたのかは、追及しないと明言された。ならば、

「貴女の瞳の美しさに見惚れていました」

優雅を形にしたようなその指先が、カップに触れかけて止まった。

「……そう言えば、ディル様と取引した時、何故私なのか伺いましたわね。

その時、『君の瞳が美しいから』だなんて御伽噺の王子も裸足で逃げ出すような言葉を至極真面目に言われて、流石の私も面食らいましたのよ。

よくもまあ、普通の令嬢と違うと知りながら、直前に殺意を向けられて置いて、そんなことが言えたわね。…って」
「あの時の貴女の事を今でもよく覚えていますよ。実に刺激的な一時でした」
「ええ、そうね。私を"弟殺しの悪辣令嬢"と知りながら婚約者にと望むのだから、何か明確な目的があるのかと思って待っていたのに、気付けば一年。
私は未だに、貴方の"根源"を知らないわ」

そう言いつつ聞いてこないのは、大体想像がついているからか、それとも興味が無いのか。どちらだろうか。

「まあ、こちらの計画は順調だから、別によろしいのだけれど」
「あと、2人……ですか?」
「うち1人への罠は設置済み。あとは勝手に転んで、そのうち当家から追い出されるのを待つだけ。
……けれど、もしかしたら」

何を思い出したのだろうか。今朝から偶に遠くを見ているようで、私から意識が逸れる。先程吊し上げた商人すら、終始あの目を見ていることが出来たのに、私に対して向けられない事実に少々苛立った。

「……もしかしたら、もう1人、増えるかも」
「順番に、確実に"潰してきた"のに?」
「……そうね。もし蘇るなら、きちんと磔にして、灰になるまで焼いて差し上げましょう。ええ。そうよ。私の苦労を差し置いて、冠だけを掠め取るだなんて許さないわ」

捧げるために欲したわけではないのだから。それだけは、許せない。そう呟いた。……まるでそれ以外は許したかのような口ぶりだ。
思わず笑いが込み上げた。

「…何か面白いことでも?」
「ふ…。いや、失礼。貴女でも不安になる事があるのだと、意外に思っただけですよ。

あれだけ周到に準備をして、確実に芽を摘み取り、間違っても次が無いよう世間の信用も社会的地位も奪い取っておきながら、一度手にかけた相手がこんなに短期間でまた挑んで来ると思うのですか?」

少なくとも、あの異母兄弟達では無理だろう。既に対処済みも含めて、父親以外の頼れるところといえば婚約者の家の家長。そしてその家長は、伯爵であれ侯爵であれ、既に処分されている。権力は二度と振るえない。加えて異母兄弟に力を貸しそうな貴族(後ろ暗いところしかない)についても彼女がほぼ潰し切った。思いがけず私にとって望ましい状況になっている。

これでこんなチェック寸前で計画を掻き回せる駒があるのなら聞いてみたいところだ。

「…我が父親の判断次第で、死者が蘇るかもしれないでしょう?」
「無いです。死者は死者。葬り去る事はあっても、墓を掘り返すなんて事を侯爵はなさらないでしょう」

物憂げな顔は同意を得られないからか、不満気に目が細められた。

「婚約者(わたくし)よりも私の父親に詳しいのですね?」

父に興味がおありで?と笑顔で聞いてくるその言葉を意訳するなら、恐らく「いつから男色に?」ということだろうか。

「婚約者の父親ですから。なるべく悪印象は持たれたく無いですよ。婚姻直前で、貴女を手放したく無いと邪魔をされたくありません」

出来る限り愛おしそうに、彼女の手を取り指先に唇で触れる。……大抵の令嬢はこれで落ちるか、そうで無い令嬢も絆されるのに。彼女には効いた試しがないので、気休めにもならないが仕方ない。

「よく回るお口ですこと。婚姻なんてする気は無いのに」

3つの感情がせめぎ合った。
驚愕、図星、そして困惑。

「どういう、意味ですか?」

平静を装ってみたが、彼女にはその動揺は筒抜けなのだろう。

「心に決めた方がいらっしゃいますわね」

心中を抉られるような衝撃。何故。いつそれを。どこで気取られた?……いや、

「貴女の事でしょうか?」

これは篩だ。1年間、事あるごとに此方の核心を突くような揺さぶりをかけられた。最近はそんなこともなかったので、遂に信用は勝ち取れたと思っていたが、今回のための布石だったらしい。中々、良いタイミングだった。

見極めの為かややあって、彼女はいつもの様に、残念。引っ掛からなかったと、笑った。


取引成立から1年で彼女と私が行った事。
1つ、領民を虐げ浪費ばかりの第二夫人長男と長女は、領民から直接金品を巻き上げる瞬間を抑え、侯爵に直訴し家から無償労働機関へと追い出させた。

2つ、執事及び町長や司教を買収し、当家に納められる税をちょろまかした第三夫人長男は、町や教会の有志たちから提出された会計報告と当家の帳簿とある情報源を利用して侯爵に報告し、厳罰。逃亡の恐れがあるので牢屋行き。

3つ、第一夫人長女と次男が学園内で密かに行なっていた有力貴族子息の婚約者への嫌がらせ(嫌がらせという言葉では生温い行いも多々含まれる)を白日の下に晒す事。
因みにその過程で、私が侯爵が手を下したと思っていたことの一部が彼らの手によるものだと判明した。そこで私の個人的な楽しみとして、令息らの処分は私に一任してもらった。侯爵は既にこの次男と縁を切る事を決定しているし、長女に関してはどうやらさらに別件でシェルニーの怒りを買っていたらしく、婚約者の家共々潰れる予定である。

4つ、第一夫人自体の排除。どうやってとは言わないが、まあ、第一夫人の子供たちはどうにも侯爵には似ていないので…そのあたりを少し、詳しく、調べた。

5つ、とある商会長を中心に悪徳商法などで世間を騒がせている幾つかの商人を逮捕した。その過程で何故か他国の貴族と、第一夫人の長男が不思議な事に軍事機密にあたる内容の書類を囲んで楽しく酒を飲んでいる現場に遭遇した為、そちらは国家の威信に関わる問題として城にて拘束されている。

ここまでの大仕事を終えて、既に侯爵の跡取りとして何の問題もなく、かつ功績をあげているのは彼女のみ。
この状況で、それぞれもう詰んでいる…手も足も出ない死者同然の異母兄弟たちがどうやって息を吹き返せると言うのか。

「……死者、…死者か」

まさか、本当に死者が?

彼女は、今朝、侯爵が急用で外出をしてから、その方角を気にして居た。隣国で侯爵が技術と財政協力をしている開発区画で大規模な火災が起きたためだ。隣国との共同事業である以上、責任者として侯爵が外交官達と向かったのだ。
死傷者も出ていると私も報告で聞いている。…その死者の中に、何か気になるものがあるのか?

「クレイ、死傷者の名前と身元を急いで調べろ。国籍の内外問わずだ」
「?かしこまりましたー」

波乱が起こる予感がした。
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