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大切なことほど時に、冗談みたいなストーリーでしか伝わらないのかもしれないね

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 世の中には「ゼクハラ」という言葉がある。「セクハラ」ではなく「ゼクハラ」である。

 結婚に焦る女性がしばしば、某有名な結婚情報雑誌をわざと見えるように置くことで、彼氏に結婚を脅迫するという事例から生まれた言葉らしい。

 つまり、結婚する気のない遊び盛りの男性に、結婚に対する無言のプレッシャーをかけようというのである。なんとも恐ろしい。その恐ろしさたるや、女の私でさえ想像するだけで震え上がってしまう程だ。

 うーむ。個人的に彼氏をいじめ抜くのには最適だと思うのだが、本当に結婚したい場合にこの方法は果たして……?

 否。上記の見解は私の勘違いなのかもしれない。日本人女性は、本当は物凄く奥ゆかしいのである。だから、激しい主張ができない。

 困った、困った。主張はできないけれども自分の想いを相手にどうにか伝えられないものか? 考えに考えた結果。雑誌を置くという行動で、感情を吐露するという結論に至ったというだけの話なのかもしれなかった。

 うーむ。これは面白い。つまり、「ゼクハラ」をする気はなくとも相手が「ゼクハラ」と感じた瞬間に、「ゼクハラ」は「ゼクハラ」になるということなのだ。「セクハラ」と全く同じ現象が起きるのである。

 と。真面目に考えてみたところで何だか楽しくなってきてしまった。私もやってみたーい。やってみよう、やってみよう。

 だって、暑くなってきた夏日には丁度良い。背筋の寒くなるようなホラー!!! って、やっぱりホラーなんかい。


○○○


 お気に入りの花柄のワンピースを着て、サンダルに足を通す。淡い水色のシンプルなネイルには、日差しが水面に反射してキラキラと光る海を思わせるような、夏の予感があった。

 玄関から一歩、外に足を踏み出す。眩しさに思わず目を細める。じわりとした暑さが足元から伝わってきて、あっという間に150センチの私の小柄な全身を包み込んだ。

 え。こんなに暑かったっけ? 仕事で家を出る時は朝早いから、全く気がつかなかった。

 思っていたよりも私の苦手な夏が近そうである。本屋が途方もなく、遠く感じた。だが、すべてはホラーのために。じゃなかった。すべては愛のために。

 えいやっ!! と私は勇気を振り絞って歩き始めた。

 うーむ。暑いよぅ。暑すぎるよぅ。溶けるぅ。溶けるよぅ。溶けると言えば、アイスゥ!! って誰が連想ゲームをしろと言ったのだ。

 だが、こんな日はアイスに限る。仕方がない。ついでにアイスる同棲生活2年目の彼氏様の分も買って帰ろう。って、だ・か・ら。誰が連想ゲームをしろと言ったのだ。って、もはや連想ですらない。

 いろいろな意味で重たい結婚情報雑誌なるものと、さわやまな美味で冷たいアイスクリームなるものを引っ提げて、私は帰宅した。

 うーむ。しかし、途中から思考回路が暑さでショートしていたような気がする。どうしてこうなった?

 私は仕事で疲れて帰ってくる彼氏を、まず結婚情報雑誌でホラーなドン底に突き落とす。それから、背筋まで凍りついた彼氏に言うつもりらしいのだ。

「ほれ。アイスだ。美味で冷たいアイスは好きであろう? ほれ。アイスだ。アイスをお食べ」

 うーむ。こんなことを言う私は、さすがに私ではないので口調がどこぞの継母みたいになってしまったのだが。誰コレ? いじめ抜くにも程がありすぎやしないだろうか。

 まあ、問題ないけどな。何が問題ないかって——。


○○○


「ちょっ、まさかのゼクハラ!?」

 仕事から帰ってきて、机の上に置かれた結婚情報雑誌を見た私の彼氏。とやらは、身をよじってゲラゲラ笑っていた。さほど悪かない顔面は今や崩壊しきっている。

 うーむ。見事に予想通りの反応だ。寸分の狂いもない。彼の精神力たるや、なんと大方のホラーが惨敗を喫するのである。

 そして、ゼクハラとは心外な。「ゼクハラ」は「ゼクハラ」と思わなければ、「ゼクハラ」にはならんのだよ。笑ってばっかりいないで。たまには恐怖して怒ってみたらどうなんだい。

 と。正直、半分くらいは拗ねたい気持ちも私の中にはあった。しかし、笑いっぱなしの彼を見ていると不思議なことに、私の内側からも笑いが込み上げてくるようなのだ。

 だから、2人して笑い転げる結果になった。笑い声に笑い声が重なる。朗らかな雰囲気の彼の隣は居心地が良かった。こんな笑いさえあれば、どこへでも行けるという気持ちにもなった。

 本当は行きたい場所なんて多分ない。だからこそ、実感する。私は私の明確な意思で、ここにいる。

 ひとしきり笑った後は一緒に夕飯を食べた。デザートは勿論、定番のバニラアイスクリーム。

 なめらかなアイスをスプーンにのせて、ひと口。甘くて豊かなコクのある香りが鼻をくすぐる。まろやかで優しくて口溶けが良い、飽きのこない味だった。

 それが私の好きな、目の前の彼の笑顔と重なる。私と目が合うと、彼はまた微笑んだ。

「それで、どうしてこうなったんだっけ?」

 うーむ。で、どうしてこうなったんだっけ? ワタシ?

 わからなかったので、私も私に聞いてみた。
 無意識のうちに思い浮かんだことがあった。
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