冒険者に拾われ聖騎士に求められた僕が、本当の願いに気づくまで。

鳴海カイリ

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第二章 冒険者ギルド

79 アラン・悪夢

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 暗い冷たい部屋に、鎖の音が響く。

 ――これは、夢だ。あの頃の夢をまた……見ている。

 そう思うのに身体は自由が利かない。視線を上げと吊り上げられた両腕は鎖で繋がれ、暗い天井まで続いている。ここは地下に備えられた、お仕置き部屋だ。どれほど助けを呼んでも絶対に声は届かない、絶望の部屋……。

 湿っぽくて、かび臭い匂いが鼻を突く。
 同時に感じるのは、血と肉の腐ったような匂いだ。

 頭がガンガンしてくる。

「う……」

 呻いて視線を遠くに向けると、部屋の向こうに倒れている者の姿があった。
 壁に備え付けられたロウソクの灯り一つでは、誰なのか……顔までは分からない。それでもきっと、同じ奴隷部屋に投げ込まれた誰か……だ。

 倒れた者が身じろぎする。

 生きているのか。

 俺は言葉を上げようとするが、喉は張り付いたように声は出ない。

 倒れていた者が俺の方に向いて、虚ろな瞳で俺を見上げる。そして囁く。「助けて」と。俺は駆け寄ろうとするが鎖が鳴るだけでまともに動くことができない。

 床に横たわる者はそれでもなお、繰り返す。

「助けて。助けて。助けて。助けて……」

 ギチ、ギシ、と鎖の鳴る音が重なる。

 叫び、駆け寄り、抱き上げたいのに両手首を噛む鎖は頑丈で、引きちぎることができない。気づけば床に横たわる人は、一人、二人と増えている。
 俺に手を伸ばす。
 手を伸ばし囁く「助けて……」と。

「今――」

 助けてやると声を上げる直前、ビシッ、バシッと背中を裂くような痛みが走った。
 空を切る鞭の音。
 そして低く笑う、男の声。

「九番……」

 髪をわし掴みされてのけ反るように顔を上げさせられた。
 髭面の男の臭い息が、耳元から頬をかすめる。

「おめぇは誰も、助けられねぇよ」
「う……」
「お前は……俺の言うことだけを聞いていればいいんだ」

 そう言ってまた、背中に鞭を振り落とす。
 肌が裂け、熱いものが滴り脇腹を伝って石の床に落ちる。血の匂いが充満していく。

「お前のあるじは誰だ?」
「……う」
「言え。お前の持ち主は誰だ?」

 男は繰り返し囁く。
 答えるまで鞭を振り続ける。そこに冷たい液を垂らす。

「あぁぁぁああ!!」

 焼けるほどの痛み。頭がおかしくなる。

「九番……お前は誰の命令に従う?」
「ズ……ビシェ、ク……。ズビシェク……」
「忘れるな。お前はただの奴隷だ」

 鞭が振り下ろされる。
 鎖が鳴る。皮膚を溶かす液が身体を舐め、目の前では子供たちが死んでいく。

 ――気が、狂いそうになる。




 ふ、と目を覚ました。背中がじんじんしている。

 一瞬、自分がどこに居るのか分からず、緊張に身構える。

 暗い部屋。だが……真っ暗ではない。窓の外が仄かに明るい。
 しんとした静寂。窓の外で雪が降っている。
 これは雪明り……か。

 柔らかな布と木の匂いがする。暖炉の薪の匂い。食べ物の残り香もある。何より、すぐ側にいい匂いのする温かなものがあった。

 同じベッドに眠る、小さな子供だ。

 茶色がかった地味な苔色の髪。でもよくよく見てみれば睫毛が銀色だ。
 ぽっちりとした鼻と小さな唇。ふっくらとしたばら色の頬。安心しきった顔で安らかに眠っている。この世の恐怖も哀しみも、何もこの子を脅かすことはできないと言うように。

 幸せそうな。

「サシャ……」

 今、自分の置かれている状況を思い出した。
 夢に見た世界は過去のことだ。俺はあそこから逃げ出した。逃げ切って、今は戦う力もつけた。もう簡単にやられたりはしない。
 そしてこの目の前の子供も、大切な人を喪っている。
 恐怖も哀しみを知っている。

 それでも……今は、安らかに眠っている。

「サシャ……」

 そっと頭の下に腕を挿し入れ、抱き寄せる。

 たくさんの仲間や子供の死を見た。誰も、助けることができず俺は逃げ出した。
 死んだ者たちを生き返らせることはできない。俺は、前に進むことしか……できない。

「……サシャ、サシャ……」

 助けたかった。
 助けてほしかった。

 俺は弱く、何もできないガキだった。

 奴はあまりに強かった。

 今もふと……不安になる。
 ズビシェクの影に怯えるだけの子供に戻ってしまうのではないかと。無力な、ただの子供になってしまうのでは……と。だから……早く大人にならなければ、と。

 ふと、腕の中でサシャが身じろぎした。
 慌てて少し身体を離す。
 と同時に、寝ぼけた顔で透き通った水色の瞳が、瞼から覗いた。少し紫がかった、宝石のような色だ。その瞳がゆっくりと俺の方に向けられる。
 そして柔らかな……笑みの、形になった。

 もぞもぞと寝返りをうって、俺の胸にぴったりと頬を寄せる。
 俺の心臓の鼓動を確かめるかのように。
 そしてまたゆっくりと、穏やかな寝息を立て始めた。

 じんわりと生きたものの温かさが染みてくる。

「サシャ……」

 小さな肩を抱き、アオニ草で染めた髪に口づける。

 たった一人しか守れないかもしれない。でも俺は、こいつを守る。

 命に換えても……サシャを守る。
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