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第三章 試練の町カサル
130 ベドジフ・死にたくなければ
しおりを挟むサシャが川に飛び込んだ話は、翌日から冒険者仲間の間でも囁かれるようになった。今も、噂話をしている者たちがいる。
「……んじゃ、そのサシャって子供は今、どこいるんだ?」
「さぁな、どっちにしろこれ以上アランさんの手を煩わせるなら、どこかほかの所に預けた方がいいって」
あれから数日たった日の午後、裏道にあるさびれた薄暗い飯屋のテーブルで、俺――べドジフとミランは、一緒に呼び出されていたモイミールを待っていた。
ずっと子供に頃から三人一緒だったモイミールは、あの日から俺たちとつるむことを止めていた。
今更だっていうのに、サシャに謝るのだと。
そんな言葉を聞いてムカついて、俺の方でも知るか! と放っていたが、冒険者ギルドのギルマス、クレメント・ダイから呼び出しがかかった。嫌な予感しかしない。
酒を飲む客たちの声が聞こえてくる。
「ほーんと、マロシュの言っていた通りだな」
「落ちた石を拾おうとして川に入ったんだろ?」
「どれだけ貴重なお宝だったんだか。バカなヤツ」
声を上げて笑う。聞こえてくる噂話に、俺はテーブルの上の拳を握る。
俺たちがサシャを捕まえて奪った魔石を、マロシュさんが川に落とした……という部分は知られていないみたいだ。
そんなことが知られたなら俺たちはどうなるのだろう。
隣の席に座るミランもずっと青い顔をして、手にした飲みものを口にすることもできずにいる。目の下にクマもできているから、夜も眠れないでいるのだろう。
俺も……ずっと胸がざわざわしている。
あいつは何度も「離せ」と言った。「返せ」と叫んだ。
必死だった。
そんなに大切な物なら、家に置いておいて持ち歩かなければいいんだ。あんなふうに首から下げている方が悪い。
俺たちは悪くない。
俺たちが突き落としたわけじゃない。あいつが勝手に川に飛び込んだんだ。俺たちは悪くない。
「ジフ……クレメントさんはまだか」
気が付けば、モイミールが店に来ていた。
明るい赤毛の彼は、去年からサシャと同じ生薬ギルドで働いていた。元々は冒険者ギルドで俺たちと一緒に働いていたが、戦闘が苦手であまり冒険者向きの性格ではなかった。それはミランも同じで、彼は今、武具ギルドで働いている。
俺だけが冒険者ギルドに残っていた。
「まだ、だ……でも、そろそろ来るだろう」
俺の言葉に、モイミールはイスを引いて少し距離を取るようにして座った。
彼もまた顔色が悪い。
「クレメントさんから何か聞いているか?」
「いや。けど、サシャのことだろ」
「サシャは?」
かすれた声でミランがたずねる。
モイミールは眉間のしわを深くして答えた。
「あれから生薬ギルドには来ていない。今朝……辞めたと、ギルマスのヨゼフさんから聞いた」
辞めた。それはもう、生薬ギルドには来ないということだ。
ミランが訊き返す。
「怪我か何かがひどいの?」
「知らない」
「ギルマスは何て?」
「何も聞いていないらしい」
はーっ、とモイミールが深いため息をついて頭を抱えた。
「俺も生薬ギルドをクビになった。理由はクレメントさんに聞けってさ」
モイミールに両親はいない。年老いた祖父と幼い弟と妹の四人で、どうにかその日の暮らしている。仕事が無くなれば明日の飯にも事欠くはずだ。
幼馴染みを見つめていたミランが、「僕も」と呟いた。
「今朝……武具ギルドをクビになった。父さんのお酒、買えない……」
ミランの母親は、彼が幼い頃に逃げ出した。
今は父親と二人暮らしだが、酒が切れると親父さんはミランに手を上げる。
そんな所から逃げ出せと言ったこともあるが、逃げて見つかったらもっと酷いことになるからと、ミランは言う。
二人がそれぞれのギルドでクビを言い渡されと聞いて、嫌な予感は更に強くなる。
俺には病弱な母親がいる。兄弟や父親は居ない。
夢は冒険者よりも騎士になることだ。けれど平民で学も金もツテも無い俺は、ランク持ちの冒険者なることでしか、騎士の試験を受けることができない。
俺は今、十五歳だ。
アランさんは、十五歳の時にはもうCのランク持ちになっていた。
マロシュさんもDのランクを持っている。
俺はどれだけ試験に挑戦しても、まだ……ランクを手に入れられないでいる。今、冒険者ギルドをクビになったら、どうすればいいんだ……。
「揃ってるな」
不意に声が聞こえて顔を上げた。
不機嫌な顔を隠しもしない。俺が世話になっている冒険者ギルド「狂戦士の爪」のギルドマスター、クレメントさんがイスに座ることなく、俺の目の前に小さな革袋を置いた。
チャリ、と鳴った音からお金が入っているのだとわかる。
「べドジフ、今日までの稼ぎの精算分だ」
「えっ……?」
「俺のギルドからは除籍させてもらおう」
嫌な予感が現実になって、俺は血の気が引いていく。
「まっ、待ってください」
「待つ?」
「理由は……」
「言わなきゃわからないか?」
低く響く声は静かだ。けれど見下ろす視線には、切れそうなほどの怒りが滲んでいた。
「俺は以前忠告したはずだ。憧れのアランさんと親しくなりたければ、ヤツの大切にしているものには手を出すな……と」
サシャがこの町に来てアランさんと二人、家を探していた時の話だ。
どこに住むのか知ろうとして、「探りは止めろ」と言われた。その後に、クレメントさんからも忠告を受けていた。
それでも俺たちは、サシャにちょっかいを出し続けていた。マロシュさんに「アランの邪魔をする者は追い払わないと」と言う言葉を信じて。
クレメントさんは続ける。
「アランにはまだ、何故サシャが川に落ちたのか教えていない。あいつが真実を知ったなら、冒険者の資格を失ったとしても報復するだろう。それがどういう意味か分かるな?」
ミランが震える声で答える。
「僕たちを……殺す?」
「やりかねない。そして奴はいつか必ず真実にたどり着く。それも遠くない未来に。今ならまだ、逃げる時間がある」
クレメントさんは、俺たちがアランさんに殺される前に逃げろというのか。
「まっ、待ってください聞いて下さい! ちょっとしたイタズラだったんだ。まさかあいつがあんな行動に出るなんて思わなかっ――」
ぐいっ、とクレメントさんが叫ぶ俺の襟を掴み、唸るように言う。
「その言い訳、あいつに通用すると思うのか?」
嘲笑を含んだ顔に、背筋が凍る。
投げ捨てるように襟を放してから、クレメントさんは最後に言い放った。
「死にたくなければ、もう二度と顔を見せるな」
それはこの町……いや、この国ではもう、冒険者として働くことができなくなったことを意味していた。
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