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第三章 幼き魔女

3-9 一人で暮らすにはデカイ家だが、寂しいなんてことはない。

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 自宅に戻るとガレージで銀狼のシルバが出迎えてくれた。その横でビオラをサイドカーから降ろすと、シルバは鼻先で小さな背中をツンツンと押す。
 きょとんとしたビオラは振り返った。

「何じゃ? もふもふ」
「もふもふ……シルバだ」
「ふむ。シルバ、わらわに何用じゃ?」

 ビオラが鼻先を撫でると、シルバは首を巡らせて後ろを見た。その先を見ても、特に何かがある訳じゃない。
 二人で、シルバの言いたいことが分からず首を傾げていると、今度はその大きな体がビオラの背に擦りつけられた。

「今度は何じゃ、さっぱり分からぬ」
「……あぁ、もしかしたら」

 ふと思い至り、俺は手にしていた紙袋の山を、一度、サイドカーに降ろした。そして、ビオラの脇の下に手を通して持ち上げる。

「ラスまで何じゃ?」
「多分シルバは──」

 大きなシルバの背にビオラを乗せると、ふさふさとした太い尻尾が揺らされた。

「背中に乗れって言ってたんだ」
「重くないか?」
「大丈夫だろ。ビオラは小さいからな」
「小さいとは失礼な! それもこれも、ラス、お主が解除を失敗──わっ!」

 むっとしてまくし立てるように言っていたビオラだが、シルバが歩き出すと慌ててバランスをとるように、その背中に手をついた。
 シルバは自宅に繋がる階段を軽快に上っていく。そ様子を見ながら、荷物を抱えた俺もついて行った。
 ビオラを乗せたまま、シルバが立ち止まったのはリビングに繋がるドアの前だ。ドアを開けてやれば、当然のように大きなソファーに向かう。そこが、シルバのお気に入りでもあり、家にいるときの定位置でもある。

「お前を見つけたのもシルバだし、随分、気に入ってるんだな」
「ふむ……シルバはただの狼ではないじゃろ?」

 突然の問いに、テーブルに荷物を下ろした俺は硬直した。
 シルバの背からソファーに移ったビオラは、足元で丸くなったシルバを見下ろすと、その場に体を横たえた。そして、ふさふさした銀色の体毛にそっと手を伸ばす。
 撫でられたシルバは、気持ちよさそうに瞳を閉ざした。

「どうしてそう思う?」
「金の瞳は魔狼ハウンドの証じゃ。それにこの体の大きさ。よう、手なずけたの」
「……手なずけた訳じゃない。俺が小さい時、群れからはぐれたのを拾っただけだ」
「拾ったとはまた、おかしなことを言うの」

 小さかったシルバは崖下で怪我を負っていた。滑落かつらくしたのか、外敵に攻撃されたかは分からなかった。まだ息のあった幼い魔狼ハウンドを助けようと師匠に訴えると、あの人は少し困った顔をしながら、自分のマントを解いて血まみれの幼いシルバを抱えて連れ帰ってくれた。
 俺が今のビオラくらいの頃の話だ。

「人の手で育てたら群れには戻れない。それでも、助けてやりたかったんだ」
「……お主は、ほんにお人好しじゃの」
「師匠にも言われたな」

 あの時、俺を見つめた金の瞳が生きたいと訴えているようだった。
 ビオラの足元で丸くなっていたシルバが、おもむろに俺を見た。向けられるのはあの時と変わらない、綺麗な金の瞳だ。

「それに……母親が生きていたら、同じことをしたと思ってな」
「母君は亡くなられておるのか」
「俺が幼い頃にな」
「……そう言えば、この家は民家にしては大きいが、一人で住んでおるのか?」

 少し体を起こしたビオラは、広いリビングを見渡す。
 横になっているソファーは三人掛けだ。それもテーブルを挟んで同じものがある。さらに揃いの布張りの一人掛け椅子が二脚。どうみても一人暮らしの家にあるソファーセットではないだろう。
 ビオラは壁際の大きな家具チェストに並ぶいくつもの小さな額縁に気づいたようで、ソファーを降りると、そこに歩み寄った。

「この肖像画、ラスと母君か?」

 ビオラが手にしたのは、花に囲まれて笑う母と幼い俺だった。あまり記憶はないが、四歳の頃か。

「あぁ、俺の母親だ。死んだのは、その一年後くらいだったな」
「……そうか。すまぬことを聞いたの」
「もう二十年も前のことだ」

 いまさら寂しいなどという感情はないし、天涯孤独になった俺を師匠が引き取ってくれたことで、今がある。
 額縁を手に取った俺は小さく息を吐いて笑った。
 
「父親の顔は知らないし、俺を育てたのは師匠だから、あの人が父親みたいなもんだろうな」
「ふむ、この男か?」

 ビオラは少し大きめの額縁を指さした。そこには、ソファーに座る四十歳半ばの男と十歳ぐらいの少年、さらに足元には今より体つきの小さいシルバが伏せている。
 
「あぁ。それは俺が十歳の頃だな」
「生意気そうな顔をしておるの」
「お前に言われたくはない」
「妾は可愛い顔をしておるじゃろ!」
 
 ぷくっと頬を膨らませたビオラは俺の顔を見るやいなや、真顔に戻った。
 
「この師匠とやらは出掛けておるのか?」
「……師匠は七年前に店を俺に譲って旅に出てから、音沙汰なしだ。どこで何をしているんだか」

 連絡がないのは良い知らせ。そんなことを言う人もいるが、それは行き先や住んでいる所が分かっているからだろう。
 額縁を元の場所に戻し、俺はビオラに背を向けた。
 
「だから、この家に住んでいるのは、俺とシルバだけだ」
「……妾と同じなんじゃな」
「同じ……?」

 テーブルに倒れる紙袋の持ち手を掴んだ俺は、一瞬、動きを止めた。
 脳裏にジョリーとリアナ、露天商の婆さんや町の人たちの顔が横切る。そして、いつの間に歩み寄ってきたのか、足にすり寄ったシルバと視線があった。
 五百年後の世界で一人ぼっちのビオラと俺は、同じなのか。
 俺を振り返ったビオラは、にこりと笑うと俺のシャツを引っ張った。

「ラス、腹が減ったぞ!」
「……夕飯の用意をするか」

 小さな頭をそっと撫でると、ビオラは手伝ってやろうと、相変わらずの尊大な態度で胸を張った。
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