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第三章 幼き魔女

3-11 幼き魔女と魔術師の誓いは成立する。

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 テーブルの上の料理はソース一つ残さず綺麗に食べ尽くされた。
 これなら皿を洗うのも楽そうだな。そんなことを思いながら、腹が満たされて満足そうな顔をしているビオラを見た。

「ラス、これは最後の晩餐というやつか?」
「……なんだ、それは」
「ふむ。ずっと考えておった」

 椅子から降りたビオラは、キッチンには不釣り合いな布張りのソファーに腰を下ろして深く座った。

わらわは鏡に封印されていた。お主がそれを解除したのは仕事だからだった」
「……あぁ、そうだ」
「なら、妾はその鏡の持ち主に引き渡されるのが、筋というもの。違うか?」

 違わない。だが、本当にそれで良いのか。
 ビオラの見た目はただの幼女。どう考えても、メナード家の後継者争いを左右する切り札になるとは思えない。
 あの女であれば、ダグラスの母の意に添うことも出来たのだろう。とはいえ、あんなバケモノを俺が従わせるってのは、無理だったけどな。
 今、ビオラとあの女──が同一人物だと証明できるものは何もない。価値がないと判断されたら、ビオラは事情を知った者として始末される可能性も出てくるだろう。

 俺が押し黙っていると、ビオラは小さな口でため息をつく。

「妾には、知る権利があると思わぬか?」
「……そうだな」
「妾を呼び覚まそうとしたものは、誰じゃ。何ゆえそれを望んだ? その者は、本当に暴食の魔女を手に入れられると思っておるのか?」

 先ほどまでにこやかに笑い、口元を汚して肉に嚙り付いていた幼女は、そこにいなかった。
 毅然きぜんとした態度で、真っすぐ俺を見る瞳はまるで宝石のように美しいが、その輝きはとても静かだ。

「……この海洋都市マーラモードを預かるのはメナード伯爵家だ。先代が他界し、後継者争いが起きている」
「成程。そこで、妾を呼び出し、敵対勢力を亡き者にしようと思ったわけじゃな」
「いや、依頼主はそれを阻止しようとしている」
「おかしな話じゃな。何故なにゆえじゃ?」
「依頼主はメナード家長子ダグラス。第二夫人の子だ。第一夫人の子である弟ウィニーが後を継ぐこととなっていたが──」

 もともと夫人同士も兄弟も仲が良かったと聞いている。それを素直に信じるのであれば、第三者が介入しているとしか思えない。
 
「ダグラスが後継こうけいとなることを、母親が急に主張したそうだ。あの鏡を使えばダグラスの力になると」
「なるほど。母親は誰かに操られておるかもしれんということか」
「ダグラスはウィニーの後見人となり、兄弟で助け合いたいと言っているからな。そうなっては困る者が仕組んだ可能性もある」
「ふむ……その者の目ぼしはついておるのか?」

 その問いに、俺は押し黙った。
 引っ掛かるとしたら、あの魔剣事件だ。あれは明らかに俺を狙っていた。それも、メナード家に縁のある者にゆだねられた。
 確実に俺を始末する気があるなら、魔剣を暗殺者に預けるだろう。それをしなかったということは、他に目的があったとしか思えない。だが、その真実は未だ分からずじまいだ。

「──ダグラスが訪れる前、俺は命を狙われた」
「む? 何か恨みも買っておるのか」
「俺への恨みかどうかは分からない。何せ、犯人はまだ見つかっていないからな」
「そうなのか?」
「あぁ……精霊が封じ込められた魔剣を、何も知らない子どもに持たせた魔術師がいる。そいつは俺を殺すように嘘を並べ、その子どもに俺をるよう仕向けた」
「その魔術師がメナード家の者だと考えておるのか?」
「あぁ……その子どもってのが、メナード家に縁があるんだ。死んだ姉が、メナード家のメイドだったんだ」
「なるほど。確かに、その魔術師は関わっていそうじゃの。そやつが、封印の鏡なり、妾なりを手に入れようとしている可能性もあるかもしれんの」

 ふむふむと頷いたビオラはその後、ダグラスやウィニーの派閥にについている後ろ盾はどうなっているのか、母親たちの出自はどこかなど事細かに聴いてきた。
 俺も全てを把握している訳ではないが、聞きかじっている範囲で答えると、幼い娘らしくない真摯な眼差しでビオラは話に耳を傾けた。
 説明を終え、しばしの沈黙が流れた後、ビオラが口を開いた。

「ラス、お主は妾を渡す決心をしたのか?」
「それは……無理だ」
「なぜじゃ? 妾を渡せば、報酬が手に入るのであろう?」
「そうだが……魔力の戻っていないお前を渡せば、どうなるか分かったもんじゃない。命の保証は出来ない」
「生ぬるいことを言っておるの」
「……こっちの都合で五百年後の世界に呼び覚ましたっていうのに、訳も分からず殺されたら、後味悪いだろう?」

 暗に、殺される可能性があることを伝えると、ビオラは怯むことなく小さく「ふむ」と頷いた。

 完全に復活させていたら、そう簡単にはビオラを殺めることなど出来ないだろう。
 俺も、あの時は自分の身を守るのが精いっぱいだったくらいだ。暴食の魔女の魔力を半減させるために組んだ術式を発動する余裕なんて、一秒足りともなかった。
 本来のビオラが暴食の魔女かどうかはさておき、力を持った魔女に違いない。
 ただし、このになる前の話だ。今の魔力は一人前の魔女というには心もとない。

「ラスは可愛い妾に情が湧いたということかの」

 どうしたらそういう結論になるのか。
 呆れた俺がため息をつくと、ビオラは生意気な顔に戻った。ふふんと笑い、ソファーの上に立つと、腰に手をついて胸を張る。

「引き渡せばよい」
「──は?」
「本気じゃ。その代わり、お主には一つ約束をしてもらうぞ」
「約束?」

 首を傾げる俺に、ビオラはにっと笑った。
 
「お主には、妾の本当の力を取り戻してもらう」

 例え時間がかかろうとも。そう付け加えたビオラは小さな手を差し出してきた。

「心配せずとも、妾の悪運の強さは定評がある。何とかなるじゃろ」
「悪運ってな……」
「妾はお主が気に入ったのでな」

 赤い瞳が光を湛えた。その奥に強い魔力の揺らぎを見た気がする。

「ノエルテンペストの名を受け継ぎし魔女ビオラの名において誓おう。妾の力、お主のために使うことを。さぁ、名を名乗れ。妾を呼び覚まし魔術師よ」
「俺の名は──ラッセルオーリー・ラスト」

 小さな手を掴む。その瞬間、今まで感じたことのない強い衝撃が指先から体に突き刺さった。
 ビオラの小さな唇がニッとつりあがる。

「契約は成立じゃ」

 力のない幼き魔女。そう思っていた俺はとんだ間違いをしていたのかもしれない。
 小さな手が離れ、熱さを伴いずきずきと痛む指を見た瞬間、俺はそう思った。

 俺の右手、人差し指には赤い茨のような文様がくっきりと刻まれていた。
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