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第六章 堕ちた遺跡≪カデーレ・ルイーナ≫

6-2 まずは受付で手続きをすませよう。

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 落ちた遺跡カデーレ・ルイーナ一階層は、いくつもの柱で支えられた広い空間だ。まるで舞踏会でも始めそうな城の大広間のようで、壁には逆さの状態で絵画がかけられている。

「なんで、逆さなんっすか?」

 花農家次男オーソンが不思議そうに首を傾げ、ドレスを身にまとった女の絵画を見ていた。
 よく見れば、壁にかかるものが全て逆さだと気づくだろう。照明や窓の作りも何もかもがだ。

「この遺跡は、その名の通り上下がひっくり返った状態で落ちてきたんだ。だから、内装も何もかもが逆さのままだ」
「はぁ……なんか居心地悪いっすね」
「名前通りで雰囲気出てるし、良いんじゃないの?」

 眉間にしわを寄せるオーソンに反し、三男レムスはどこか楽しそうだ。

「おい、はしゃいで傍を離れるなよ」
「はしゃいでないし!」
「レムス! 兄貴に口答えするんじゃない」
「口答えなんてしてないし」

 大した口答えでもないと思うんだが、長男マイヤーはレムスの顔を覗き込むように睨みつけている。
 悪人面をしてビオラに言いがかりをつけてきた時も、そうやって止めに入って欲しかったもんだ。そうすれば、面倒を見ることも関わり合いになることもなかったと言うのに。
 俺がため息をつきそうになると、ビオラは傍で「マイヤーは細かいの」と言って笑った。全く、こいつは俺の気も知らないで。

「そんなことより、はよう進もうではないか! 上に行くのはあっちかの?」
「待て。まずは手続きが必要だ」
「……細かいのぉ」
「お前が色々と大雑把おおざっぱなんだよ」

 大股で歩き出そうとするビオラの首根っこを掴み、傍を離れるんじゃないと念を押して、その小さな手を引いた。
 遺跡の内部に進むには、受付で手続きが必要だ。この大広間の右手奥を見れば、一般客がずらりと並ぶガイドの申請を兼ねた窓口がある。それと少し離れたところにあるのが、魔術師や盗掘屋トレジャーハンターの受付だ。
 基本的には、通行証となる組合証を見せれば問題なく通れる。
 今日は、想像よりも魔術師と盗掘屋の姿は少なく、すぐに受付の順番が回ってきそうだった。

「のう、ラス……聞きたいのじゃが」
「どうした?」

 すぐ横で急に大人しくなったビオラが袖を引っ張り、少しばかり体を傾けて下を見ると小声で何かを尋ねてきた。しかし、周りの雑踏でその声はかき消えてしまう。
 
「悪い、聞こえなかった」
「じゃから、その……あそこにいるのは、もしや獣人かの?」
 
 ぐんぐんっと強く引っ張るビオラの傍にしゃがむと、耳元に小さな口を寄せて小声のまま、そう訊いてきた。
 何のことかと思って受付を見てみると、そこには笑顔で接客をしている女性がいる。そのこげ茶の頭髪からのぞく長い耳は髪色と同じ色で、典型的な兎の獣人だと分かるだろう。
 
「獣人だな。それがどうした?」
「何故そのように平然としておるのだ? 獣人じゃぞ。しかも、草食系ではないか。保護をせずとも良いのか? それとも、ここで不当に働かされ──」
「あぁ、なるほど。安心しろ。彼女はここの職員だ」

 青い顔をしておろおろするビオラの頭をポンっと叩くと「次の方どうぞ」と声をかけられた。
 
「おはようございます。こちらは、第三階層以上に向かわれる組合員の方専用窓口になります」

 営業スマイルを浮かべた受付の女性は長い耳をぴくりと動かすと、俺の足にしがみついているビオラに気付いたようだ。

「一般の方の受付はあちらになりますが」
「いや、こっちで間違いない」

 俺は自分の組合証をジャケットの内ポケットから取り出して見せると、ビオラと三兄弟に仮の通行証を提示させた。

「これは失礼しました。特任魔術師様でしたか。本日のご予定はどちらの階層でしょうか?」
「第五階層だ」
「分かりました。あの、差し出がましいことかとは存じますが、そちらの皆様の通行証ですと、万が一の場合、保証が効きません。よろしいですか?」
「第五階層なら問題ない」
「……では、こちらにご同行される皆様のサインをお願いします」

 曖昧に笑った女性は、いわゆる承諾書をバインダーに挟んで出してきた。そして、ビオラがそれに名前を記入するのを見届けると、微笑んでポケットからキャンディーを取り出した。

「お父さんの傍を離れちゃダメよ。第五階層も怖い魔物が出るからね」
「う、うむ……そ、その、あの……」
「どうしたの? あら、怖がらせちゃったかしら」
「そんなことはないぞ! そうじゃなくての……お、お主は、兎かの?」

 もごもごとビオラが尋ねると、女性はつぶらな瞳をぱちくりとさせ、微笑ましいものを見たと言わんばかりの笑顔になった。

「あら、兎の獣人に会うのは初めてかしら?」
「う、うむ……その、なんじゃ、ここの仕事は辛くないかの?」
「ふふっ、とっても楽しいわよ。お嬢ちゃんみたいに可愛いお客様も来るし、一緒に仕事をしているお友達もたくさんいるのよ」
「お友達……」
「そうよ。辛いことがあっても助けてくれる。そんなお友達がいっぱいいるわ」
「それは良いの」

 うんっと頷いたビオラはちらりと俺を見てきた。
 おそらく、こいつのいた五百年前では獣人族との争いや差別なんてこともあったのだろう。それを気にして、もじもじしていたようだ。
 今でも、獣人に対して差別視をする人間はいるが、獣人も人と同じように居住権を持ち、同等に働いている。獣人であることを理由に不当な扱いをした場合、罰則を与える法も定められている。

「ここは実力社会だからな。遺跡で働くのもそれなりに力のある魔術師や盗掘屋だ。心配はない」
「そうなのか……では、そなたは、強いのじゃな!」
「ふふっ、お嬢ちゃん、心配してくれたのね。ありがとうございます」

 にこりと笑った兎獣人の受付嬢は、三番昇降機をご利用くださいと言うと、手を振って俺たちを見送ってくれた。
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