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第八章 赤の魔女

8-3 「ラスは妾と寝れば良かろう」

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 美しい花に囲まれた公園で、大きなバーガーに嚙り付いているビオラは満足そうな顔だ。その口周りはケチャップで汚れている。
 なぜ長閑のどかな景色を前に、熱いコーヒーを啜っているのかと首を傾げた。
 見上げた空はどこまでも青く、雲一つない。

 風車村と呼ばれるロスヴィラのいたるところには風車があり、随所で花畑を見ることが出来た。この村そのものが観光地であり、花畑の近くでは様々な移動販売車ケータリングトラックを見かけた。
 丁度、昼時にここへと辿り着いたこともあり、ビオラがトラックを指さして腹が減ったと騒ぎだしたのが数分前のことだ。
 今に至る流れを思い返しながら、俺は無意識にため息をついていた。

「車の中でも食えるだろうが」
「急いで事故を起こしては元も子もありませんからね。ラスさんにも休息は必要ですよ」
「そうじゃ、そうじゃ……このバーガーというものは、実に美味いの! サンドイッチとはまた違う味わいじゃ」

 頷き、再びバーガーに嚙り付いたビオラは、ややあって少し冷めた紅茶で口の中のものを飲み込んだ。

「ここからはどう進むのじゃ?」
「休憩を挟みながらさらに北に進みます。ネヴィルネーダ王城へ、最短の北ルートを通るとなると、ベルギル山を越えるのですが──」
「ベルギル山を越えるとな? 十日以上かかろう?」
「うーん、そこまではかからないと思いますよ。ラスさんの運転次第ですけどね」

 首をかしげるエイミーに、ふむと頷いたビオラは俺に視線を投げた。
 ビオラの感覚は五百年前だ。馬車や徒歩での感覚であれば、十日上以上という言い方はあながち間違っていない。馬車で進むなら、一日進むのに精々五十キロ程度だろうからな。さらに今よりも魔物の出没も多く、下手すればマーマレースから向かうには一か月以上かかっただろう。
 
 ビオラの視線から顔を逸らし、地図を広げた俺はカップの中身を飲み干して、目的地までのおおよその距離を計算した。
 
「ここからなら、ふもとの町まで二日弱として……三日もあれば越えられるな」
「三日じゃと!?……車とやらは可愛くないが、凄いの」
「大体それくらいだと思います。問題があるとすれば、山道の整備があまり進んでいないことですかね」

 それを織り込んでの、片道三日の計算だ。
 車道の整備が遅れている山道に魔物が出没することは常識だ。だから、一般人であれば列車での移動を選択する。山越えを選ぶ奴はか、何かことがある奴、あるいは魔術師くらいだろう。厳つい四輪駆動であれば魔物を振り切ることも可能だし、ビオラがいれば魔法で対抗も出来る。胡散臭い魔女エイミーも一緒だし、問題はないだろう。

「ビオラ、山道は魔物が出る。俺は運転に集中するから、お前が何とかしろ」
「うむ、任せておくのじゃ!」
「私も微力ながら、お手伝いさせて頂きます」

 気合十分で意気投合する二人を前に、やはり、どうしてこうなったと疑問を抱かずにはいられない。
 ビオラの口元に着くケチャップを紙ナプキンで拭うと、僅かな憂鬱感が肩にのしかかった。

 この日の夜、小さな魔術師組合ギルドの経営する宿に辿り着いた。受付でエイミーのことを問われるかと思ったが、特に疑われることもなく、部屋のキーを渡された。
 部屋はベッドが二つと長椅子が一つ、小さな布張りの椅子が二つ。シャワールームも付いていて、三人でとまるには申し分ない作りだ。

「ベッドはお前らで使え」
「そんな! 私は床でも寝られますので、ラスさんがベッドを使ってください!」
「指名手配が出てるお前は、文句を言える立場じゃないよな?」
「え、あ、はい……?」
「ラスは妾と寝れば良かろう」
「それも却下だ」
「つまらぬの」

 唇を尖らせるビオラは、さっさと自分のベッドを決めたようで、荷物をそこに投げ出して飛び込んでいった。
 床に荷物を下ろしたエイミーの横をすり抜け、俺は長椅子に腰を下ろした。ここが居場所だと示すために。
 
「ラスさん、優しいんですね。守銭奴魔術師なんて言われてるから、どんな極悪非道な魔術師さんなのかと思ってました」
「勘違いするな。お前にこれ以上、借りを作る気がないだけだ」
「……借り、ですか?」
「車を借りている」
「それは私が好きでやっていることですから、お気になさらず!」
「なら、俺も好きで長椅子に寝る。それで文句はないはずだ」

 たかがベッドで拘ることでもないだろうに。そう言いたげなエイミーから視線を外し、俺はテーブルに地図を広げた。

「エイミー、ラスはこういう奴じゃ! 妾も何度も一緒に寝ようといっても断られての」
「そうですか」
「気にせずベッドを使うがい」
「……では、遠慮なく!」

 ビオラの一押しに頷き、ベッドに腰を下ろしたエイミーは両手を伸ばすと、気持ちよさそうに息を吐いた。一日中、他人オレの運転する車に揺られていたのだから、それなりに体も疲れていたのだろう。
 買ってきたナッツの袋を開けながら、俺は小さなため息をついた。

「ところで、エイミー。カラクリの話をしてくれるのかの?」
「あぁ、そうでしたね!」

 勢いよく起きたエイミーは突然、白いシャツの首元を飾るリボンを解くと、シャツの小さなボタンに指をかけた。

「エイミー、何をしてるのじゃ!?」

 ビオラの驚愕の声が響き渡った。
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