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012 手札が増えると謎の全能感が生まれるよね。たいていの場合は突っ込んで失敗するんだけど。

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「成功した、ってことでいいのかね」
「うん。とりあえずはそう見ていいんじゃないかな」
「ならありがたい。そういや、魔法スキルは魔力を消費しないんだよな?」
「ボクは嘘をつかないぜ。気になるのなら確認してごらんよ」

 羊太郎はポケットからステータスカードを取り出す。

 カードの上部をサッと見ると、魔力量は10のまま変動していない。つまり、《スケープゴート》の使用による魔力消費はなかったということだ。

「減ってない」
「だろう? 体から魔力が抜ける感覚もなかったはずだ」
「確かになかった。ただ、声がブレたような感じがしたな」
「声に魔力を乗せればそうなるさ。発声せずに使えばそうはならないよ」
「口に出さなくてもいいのか」
「まあね。唱えたほうがイメージしやすいのは確かだけど」

 あれは不思議な感覚だった。無意識に羊太郎は喉をさする。
 ともあれ、魔法スキル《スケープゴート》を発動できた。結果からして、自身に向けられた敵意を他へ移す能力なのだろうと羊太郎は推測する。

「ヨータロー」

 振り向くと、鼻先が触れるほどの近さでノアが悪戯な表情を浮かべていた。

「考えるのはいいけど、まだ戦闘は終わっちゃいないよ? なにせこのボクがまだ残っているんだから」

 黄金色の瞳に嘉悦が満ちている。視線が交錯した瞬間、凍えるような怖気とともに全身の筋肉が震慄した。

 羊太郎がその場を飛びのく。ノアはこらえきれずに「ぶふっ」と吹き出した。

「あはははっ。いい反応するなあキミは!」
「おまっ、ふざけんな! マジでふざけんなよ!」
「んふふふふ……一瞬遅れて理解したときの顔と言ったら……ぶふっ、ダメだこれ! こらえきれない!」

 羊太郎は感情を消した。チベットスナギツネのごとく憮然とした表情である。

 怯えた姿を大笑されれば、誰だってこんな表情にもなろうものだ。無言でノアのつむじに拳骨を食らわすと、ふぎゃっと尻尾を踏まれた猫のような叫びが響く。

「わ、悪かったよ……でも戦闘が終わってないのは本当だよ……?」

 ノアは両手で頭を抑えながら、上目遣いにこちらを見上げてくる。

 しかし羊太郎はこれを一蹴。あざとい女は蜂ヶ谷で間に合っているのだ。

「それに関しては礼を言っとく。ありがとう」
「つ、つめたい。目が冷ややかだよヨータロー……」

 羊太郎はナイトスライムの動向をつぶさに観察する。

 四体のナイトスライムが、ヘイトを移された一体を取り囲んだところだ。四体はそれぞれの得物を構え、仲間であるはずの一体へ攻撃を開始する。

 羊太郎はほっと胸を撫でおろす。これを繰り返せば戦闘は終わるはずだ。

 しかし、その安堵は覆された。各個体は標的に初撃を加えると、我に返ったようにくるりと方向転換したのだ。

「……そういうパターンか」

 暗闇に差した光明が実はヒカリゴケでしたと言われた気分である。楽ができそうだと思ったが、そう上手くはいかないらしい。

 羊太郎は先ほどの光景を目蓋の裏に浮かべて強く念じる。

 ──……ダメか。

 内心で魔法スキルを唱えるものの、ナイトスライムたちには何の反応もない。

 二度目は通用しないのか、それとも《スケープゴート》自体にクールタイムがあるのか。いずれにせよ、羊太郎の切り札は捨て札も同然となったらしい。

 羊太郎は唇の端をゆがめながら剣を持つ手に力を込める。

 騎士甲冑の弱点は、打撃武器による殴打のほかにもある。装甲部の継ぎ目を狙った斬撃や、バイザー部分にある穴への刺突などだ。

 しかし、これらの弱点も中身がスライムであることによって解消される。

 ──熱した油でもあればな……。

 金属である以上、騎士甲冑に対しては熱も有効的だ。なかでも、甲冑は完全に外界を遮断しているわけではないため、熱した湯や油には滅法弱い。

 スライムだろうと、おそらく熱には勝てないはずだ。

 とは言え、ないものねだりをしてもネコ型ロボットは現れないのである。

「へいへいヨータロー」

 諦めかけた羊太郎にウザったい声が掛けられた。

 出っ歯をつけた眼帯姿のノア=アークスである。ご丁寧に黒のジャケットまで羽織った拳キチ女の登場に、羊太郎は著作権的な意味で真っ青だ。

「ボクとの熱い訓練を忘れちまったのかい? ボクが自分の快楽のためだけに火球をぶつけるサディストだとでも思ってるのかな?」
「ある意味変態的だとは思うが」
「拾ってほしいのはそこじゃないんだけどなぁ!?」

 くぅ、と大仰にかぶりを振る拳キチ女。

 勢いのままヘッドスリップに移行するノアに、羊太郎もナイトスライムもドン引きだ。シャドーの状態でデンプシーロールを繰り出しながら、ノアは息も切らさず言葉を継ぐ。

「理外の力ってのは、魔法だけじゃないだろう?」
「……なるほど。そういうことか」

 羊太郎はうなずき、ノアは得意げに体を斜めにしてポーズを決める。

「え、いまので何が伝わったんです?」とは蜂ヶ谷の言である。

 ナイトスライムに遊ばれていた蜂ヶ谷だが、羊太郎の特訓が始まると同時に苦行から解放されていたのだ。蜂ヶ谷の相手をしていたナイトスライムとは、実は羊太郎の背後を取っていた個体である。

 場の雰囲気を読んで空気に徹していたのであろう蜂ヶ谷だが、さすがに羊太郎とノアの謎の通じ合いに疑問がわいたので挙手したと言ったところか。

 ノアがきょとんとする蜂ヶ谷のそばに寄る。

「魔術のことさ」
「? 魔術スキルのことですか?」
「ん? ああ、そうだったね。ダンジョン内では、魔術スキルを何度も見ることによってそれを習得できるんだよ。公開してる情報だけど、知らなかった?」

 ノアがさらりと教えると、蜂ヶ谷は驚愕して全身を硬直させる。

「えっ! 見ただけで覚えられるものなんですか!?」
「正確には、持ち主の魔力を使ってステータスカードがんだよ。……あ、いまのオフレコね。社外秘ってやつでした☆」

 羊太郎はもう一度ステータスカードを見る。

 先ほどは魔力量ばかりに目を取られて気がつけなかったが、カード下部のスキル欄には『魔術スキル:ファイア』との記載が増えている。

 羊太郎は息を吐くとともに体のこわばりをほぐす。

 胸中に高揚感がわく。手札が増えたのだ。それが他人から与えられたものであっても、取り得る選択肢が増えることほど楽しいことはない。

 心の逸りを抑えきれずに飛び出した羊太郎は、しかし《《一発目の《ファイア》で魔力量が底をつきてぶっ倒れるのだった》》。後輩の前で恥を晒すのは二年ぶりだった。

「ま、とりあえずミッションクリアとしておこうか」
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