枯れない花

南都

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エピローグ

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 なよよかなワイシャツ。被さり皴のよったそれは、今にも脱げ落ちてしまいそうだ。

 目を伏せたまま吐息のように零す息。香ってきたのは桔梗が愛用する石鹸の香りがする香水の匂いだった。

「ええ。よもぎさんは湯たんぽみたいですね。起きはしますけど、もう少し……」

 落ち着く匂いだ。
 桔梗の背へと手を置き、気を落ち着けるようにその背を擦る。すると鎖骨に当たった頭部からは、すーっすーっ、と安らかな寝息が聞こえてきた。

 起こしたくせに、寝ているのは桔梗の方じゃないか。

 微笑む。すると揺れ動いた透明感のあるカーテン。吹き込んできた風が肌を撫でる。桔梗の髪が揺れ動き、Yシャツが擦れるように俺の身体に触れあった。
 同時に外気の冬の匂いが風に乗ってやってきて、香水とは違った爽快感を身体が覚える。

 肌と触れ合い火照りが強まっていた、そんな自分を冷ます心地よい風だ。
 ああ、こんな時間が永遠に続けばいい。いや、もう俺たちならば……。

 突如、壁際から震動音が響く。緊張感を覚えるほどの大きな音、それについ背筋が伸びた。
 寝息を立てていた桔梗も、ビクッと体を震わせる。その動揺は体が触れ合っていた自分には直に伝わっていた。

 桔梗が緩やかに体を起こす。そうしてベッドの脇に追いやられていた携帯端末へと手を向けた。
 横着し、端末の位置を確認せずにぽんぽんとシーツに手を落とすようにして。何度か空振った手のひら、しかしついに手にした、真っ白の携帯端末。

 左手に持ったスマートフォン、か細い人差し指を走らせる。そうして幾度かスライドさせ、開かれた画面。そこには三人の女性の姿が映っていた。

 その中の一人、俺が知っている人がいる。

「穂瑞さんからみたいです」

 写真を横に広くすれば、桔梗が俺に見えるようにと布団の上へと端末が置いた。
 三人の女性が楽しげにふざけあっている写真だ。その最も左側、歯を剥き出しに快活に笑った、髪をポニーテールにまとめたスレンダーな女性。彼女を俺たちは知っている。

 穂瑞 遼。彼女は空色と白色のマーブル模様のアイスを左手に、はつらつとピースを向けている。
 オフショルダー、厚手で黒染めの服装。その肩には銃弾が掠ったような傷跡がある。もう癒えることのない傷、しかし彼女はそれを隠さず堂々としている。

「元気そうですね、彼女も」

 本当の姿を取り戻した穂瑞だ。かつて障壁の能力者として戦った女性、彼女も回帰の力で姿を取り戻していた。モノクロームが開花した直後、真っ先に戻したのだという。

 油断も隙もないものだ。

「ええ。また遊びに行きましょう」

「一緒に店長を誘ってみたら面白いかもしれませんよ」

「そうですね、誘ってみましょう。会ってみたいとも言っていましたし」

 桔梗が穂瑞に『いいね』、『私たちともまた遊びに行こう!』と返信を送れば、その画面を閉じる。そうして周囲を一度見渡せば、足元の布団を退け、のそのそとベッドから降りていく。

 しかしベッドから足を下ろした時だ、桔梗の動きが止まったのは。続けて深く体を沈めたかと思えば、気持ちを吐露するように地へと言葉を紡いだ。

「私、本当は気づいていたんです」

 沈んだような低い声、表情は見えない。

 その後力強く立ち上がったかと思えば、その場で天井を見上げる。
 彼女が見ているのはきっとその先だ。その先の、どこまでも続く、突き抜けるような空。それを見上げる背中から伝わるのは、置き場のないやるせなさだった。

「桔梗さん?」

 顔をふるふると振るう。雑念を払うようだ、その仕草は。
 そうして四歩ほどベッドから離れれば、こちらを振り返った桔梗。下腹部手前で軽く指を汲み、彼女は悲し気に笑いかけた。

 彼女の左首にタトゥーが見えた気がした。シロツメクサの入れ墨、もう失われたそれが見えた気がしたのだ。目を擦っても、ぼんやりとそれが見える。霞みがかったかのように。

「シオンが勝てないと気づいていた。世界もシオンが主人公になることは望んでいない、それに気づいていたんです。世界も鼓が主人公になることを望んでいた。未来視が運命操作への対抗手段であると勘付いた時、それに気が付いたんです。だから、シオンは勝てないと分かっていた。主人公にはなれないと」

 モノクロームの目には微かに涙が浮かんでいる。どことなく表情には影が差していた。

 それでも決して泣き出しそうな様子ではなかった。声もしっかりとして通っており、崩れ落ちそうな精神的な不安定さもない。それでも、彼女の目から頬を伝った一筋の涙。

「本当は能力を消すなんてどうでもよかった。シオンが中心になるのであれば、シオンが主人公になり得るから。しかし鼓の役割に気が付いたとき、心のどこかではどうでもよくなっていた。あなたが生き抜けばそれでいい、そう思い始めていたんです」

 そうして彼女はこう告げるのだ。心のつかえを吐露し、自白でもするように。

「ごめんなさい」

 涙と裏腹に、浮かべたのはどこかあどけない笑顔。その笑みに噓偽りはなかった。

 見間違いはない、そこにいるのは桔梗だ。ひとえに俺を見ていて、優しく、どこかズレているところがある。そんな彼女が向けた、どこまでも正直な笑顔だ。

 その笑顔には、悲しさ、悔しさ、謝意、憂い、嬉しさ、愛情、そして安心感。その全てが入り混じっている。たった一つの表情だけなのに、あらゆる感情を物語っていたのだ。
 俺は知らぬ間に彼女に重荷を背負わせていた。モノクロームの優しさが、彼女に使命感を与えていた。

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