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この手を伸ばす先:ティレアヌス
揺らぐ春の手紙
しおりを挟む敬愛するヨハネス様へ。
夏の訪れとともに、光と暖かさに満ちた季節を謳歌する日々が始まりました。そちらでは春は盛りを迎え花々は美しく咲き、夏へと移りゆくころでしょうか?
先日、私は教会へ行きました。その時、エミリアさんがいらっしゃいませんでした。現在、彼女との交流はほとんどございません。彼女は教会から締め出されている身でありますが、いつも教会の隅に立っている方でした。エミリアさんが体調を崩されたのかと考え、彼女に手紙を出してみましたところ返信はありませんでした。もしやエミリアさんの身に何かがあったのでしょうか?
ヨハネス様。アウリスに住まう、貴方様にお願いするのはおかしいと存じ上げておりますが、もしお心当たりがございましたら、お教えいただけますと幸いです。
心よりお返事をお待ちしております。
エリザベスより。
手紙に目を通したヨハネスはハアとため息を吐いた。
エミリア・ガゼル。ティレアヌスの貿易商会、ガゼル商会の大旦那の妹。熱心なクリスチャンと聞いているが、国王陛下の愛人でもある。彼女はなぜ側妃でなく愛人なのか、詳しい事情は知らぬ。 ――そもそもエリザベスが彼女と関わらなければ私とは一寸の関わりもない女だった――。エミリア・ガゼルの身に変化があったとすれば、4月に陛下がティレアヌスへと行った時に何かがあったのだろう。
私は椅子を押しのけるように立ち上がった。椅子が壁に勢いよくぶつかった。ロイスが驚いたように書類から目を離した。私はロイスにエリザベスからの手紙を渡した。
「ロイス。この手紙を読め。エリザベスからの手紙だ」
「かしこまりました」
私は窓を開けた。カーテンが風を孕み大きく揺れた。手紙を読み終えたロイスは小さく唸った。私は窓枠に腰掛けた。
「エミリア・ガゼルの身に何があったと其方は考える?」
「推察は出来ますが……」
ロイスは困った子を見るように苦笑した。
「まずはエリザベス様がエミリア・ガゼルに深入りしようとしていることを再度注意なさるべきでは? エリザベス様の身を慮るなら尚更……」
まず為すべきことを指摘され、私は机の引き出しに目を向けた。
「それも、そうだな。だが、どうしてエリザベスはよりによってエミリアなどに心を寄せるのか……」
「そう言うお年頃なのでしょう。エリザベス様は18歳。成人なさってから3年、気が緩むころでしょう」
「実体験か?」
ロイスにはエリザベスよりひとつ下の娘マカレナがいる。
「ええ……」
ロイスは片手で顔を覆った。
「マカレナを育てるのはさぞ苦労したのであろうな……。マカレナが優秀だからこそ余計に……」
「マカレナは優秀というよりは好奇心旺盛故に知見が広いのです」
それを人は優秀、と呼ぶ。エリザベスに社交をさせるつもりはないため、マカレナが私の第一夫人となることは大いにハイド家の力となるであろう。
エリザベスはあのままティレアヌスに留めておくか、いずれこちらへ呼び戻すのか……。どちらがよいのだろうか。あのままティレアヌスに留めておく場合、エミリア・ガゼルから引き離さなければ。そうでなければ今度は何が吹き込まれるのか。エリザベスとデイヴィス王朝との繋がりは血筋だけで充分だ、これ以上は遠ざけなければいけない。陛下から疑いの眼差しが向けられるような事態はなんとしても避けなければいけない。エミリア・ガゼルと顔を合わせぬようにするにはまず教会から遠ざけなければ。ティレアヌスにいる限り教会から離すのは難しいだろうか。
胸の重苦しさを除くよう深く深く息を吐いた。
脳裏に浮かぶのは1人の女。かつて父の乳母だった彼女。母が亡くなったのち、我々兄弟の養育を務めたフリーダならば……。
「ロイス。フリーダは暇をやった後、何をしている?」
「母上ならリオナスにおります」
「ならばフリーダをアウレリオの別荘に送ろう」
「かしこまりました。母には私から手紙を送りましょうか?」
「いや、私から送ろう」
フリーダをエリザベスのもとに送ることはハイド家からの命でなく、私個人からのものだから。
私は再び椅子に腰掛け、机の引き出しから便箋を取り出した。
親愛なるフリーダ・ド・ローレンスへ。
春の光がようやく山間にも届くようになり、木々の芽吹きが季節の移ろいを静かに告げております。貴女がリオナスで健やかに過ごされていると聞き、安堵しております。
本日は、ひとつ貴女に頼みたいことがあり、こうして筆を執りました。
エリザベスのことでございます。あなたもご存知のように彼女は昨年末に病に倒れ現在、ティレアヌスにて静養しております。しかし最近になって、心を煩わせるようなことがいくつか起きているようです。まだ確かなことは申しませんが、彼女には誰かの目と心が必要だと感じております。
フリーダ。私は貴女にしか頼めません。もしよろしければ、アウレリオにあるハイド家の別荘へ赴き、しばらく彼女の傍にいていただけないでしょうか。
貴女には今の穏やかな生活があること、よく承知しております。それでもこうして頼ることをお許しください。かつてのように、どうか私の家族を見守ってください。
貴女の変わらぬご厚情に、深く感謝を込めて。
ヨハネス・ド・ハイド。
フリーダ宛の手紙を書き終え、エリザベス宛の手紙を書こうと更に便箋を取った。
ロイスは「おそらくエミリア・ガゼルは懐妊したのでは……」と眉根を寄せた。
仮に、エミリア・ガゼルが本当に身ごもっているのだとすれば……。この70年、落ち着きを見せていたゴーディラック・ティレアヌスの関係は大きく揺らぐであろう。エミリア・ガゼルが生んだ王子を頭領に旧ティレアヌス王朝を復活させたい輩が息を荒くするだろうな。
「……それが真実ならば、嵐どころでは済まない」
指先からガサっという手触りを感じた。書きかけの手紙だ。「愛するエリザベスへ」と書いた一文に皺が寄っていた、無意識のうちに握りしめていたようだ。
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