吾亦紅 〜誰かの物語〜

神永 遙麦

文字の大きさ
上 下
5 / 10

第5話

しおりを挟む
 翔太は不貞腐れ、ベッドに飛び込んだ。
 
 今日は碌なことがなかった。
 寝坊した。電車に乗り遅れたせいで1限目に出られなかった。点呼があったらしい。単位落とした。あの融通の効かない鬼教授が。

 舌打ちすると、本を取った。

 読書レポがどんどん出ている。出遅れてはいられない。


 ***

 仕事を終わらせたクリスティーヌはベッドに体を投げ出した。
 
 また今日が終わった。店と家の往復だけだった。
 店ではただ花を売り、家では仕事をして……。
 きっとこのまま。クビになることはあっても、このまま生きて行くしかない。この顔だから、この性格だから、結婚も出来ない。
 
 顔の向きを変え天井を見つめた。何もない、灰色が広がっているだけだ。

 でも、時々夢を見る。
 誰かに愛されて、その誰かと結婚して、小さな赤ちゃんを授かって慈しんで。
 ただそれだけの夢。
 人並みで良いから、性格の良い働き者になりたかった。人並みの顔で生まれたかった。気が利いて、心優しく、朗らかで頭のいい女性になりたかった。
 顔はどうしようもないけど、性格は変えられるかもしれない。そう思っても、変えられない。

 つ、と涙が流れた。
 
 夢の中では、あたしはただの少女だ。善良で、器量もいい、朗らかで、友達もいる。そんな少女。当然のように恋人もいる。見れば見るほど、あたしとの違いが浮き彫りになって苦しくなるだけなのに。
 
 クリスティーヌはベッドに顔を擦り付けて涙を拭った。

 仕方がない。あたしは、2人の人間を不幸にした。生まれてすぐに、クレアを殺した。あたしなんか、いなければ良かったのに。
 もし、あたしなんかが居なかったら、父もクレアも幸せだった。太陽のように美しいクレアと「ハンサムで気のいい若者だった」という父と。
 でも、あたしは生きなきゃ行けない。生きて償わないと行けない。生き続けて、課せられた償いを果たし続けなくちゃいけない。
 
 *

 彼女の身なりを見る限り、貧民なのだろう。だが、初めて会った日、彼女を連れて行った男の身なりは悪くはなかった。麻のスーツだろうな。あの馬車は、恐らく貸馬車だ。
 あの男の年頃から見ると、父親だろうか?あまり似てないが、日曜日だったそうだろうな。父親でなくとも、保護者だろうな。

 ジャックは地図を広げ、2つの地区を凝視した。
 
 あの教会に毎週行っているのなら、この地区だろう。貧民街と集落。
 読みが外れて居なければこちらの集落だろうな。平均所得は中よりの下。集落の中に市場があるから生活にも職にも困らない。
 行ってみよう。

 笑みが顔中に広がってゆく。

 ***


 不穏過ぎてヤバ。
 クリスティーヌは、ただの刷り込み。
 蛯名 蝶も、そんな感じだったんかな?そんな風に、どこまでも暴言を吐かれ続けて、自分の価値すらも分からなくなって。どこまでも可哀想な子だ……。
 ってかジャックはストーカーになったな。ただのヤベェ奴だ。

 翔太はチラッと時計を見た。23時48分を差している。

 後もうちょっとで終わるし、徹夜すっか。
しおりを挟む

処理中です...