はずれものの恋、ユーラシアのはぐれ島で 外伝

アイザッカ

文字の大きさ
2 / 2

沈黙の残照

しおりを挟む
「デイヴィス夫人、レティシア嬢。退いていただきたい」
「いいえ」と母は伏せていた顔を上げた。「息子たちは引き渡しません」

 石造の塔にある8月だというのに涼しかった。外気の影響を強く影響を受けやすい建物なのに。
 母は汗を流しながら庇うように両腕を広げ、戸の前に立っていた。母の背に守られながら私はカミーユとルーカスを掻き抱いていた。アブラーモも私の側から離れず母の肩越しに兵を見ている。無力感のある眼差しだ。

 私はこっそりと「アブラーモ、諦めないで。お母様は強いのよ」と囁いた。
 
 アブラーモは祈るように目を瞑り、何かを呟いたがよく聞き取れなかった。「王族たるもの明瞭にものごとを言うように」と言われながら育ったのに。特にお父様の第一王子だったアブラーモは私以上に厳しく育てられただろうに、どうして曖昧な発音をするのかしら?

「そうですね、姉上」

 アブラーモは優しい笑顔を浮かべた。カミーユとルーカスの頭を撫でた。私も2人の頭にキスを落とした。ふと目を上げるとアブラーモは歯を食いしばっていた。私が口を開きかけた時、お母様が突き飛ばされた。咄嗟に飛び出したアブラーモはお母様の肩を支えた。2人とも少しよろめいている。カミーユは私の腕から抜け出そうと身を捩った。私はより強く抱きしめた。離してしまえばお父様のように会えなくなるような予感がしたのだ。母を突き飛ばした兵を押し退けるように少佐が中に入ってきた。
 
「国民の権力を奪い、独占した国王の息子はすべてこちらで養育する。故に王子たちを引き渡せ」と少佐の無情な声が響く。
「いやです!」とお母様は悲鳴を上げた。

 少佐は小さく顎を動かした。すると兵が数人、無遠慮に入ってきた。カミーユとルーカスを抱き締める私の腕を数人の兵が掴む。私は必死に腕に力を入れた。お母様が駆け寄ろうとしたが、1人の兵がお母様の顔を殴った。お母様は倒れ込んだ。唖然としたアブラーモはお母様の顔を軽く叩いている。お母様は意識をなくしたようだ。目を見開く私の腕がボキッと開かれ、幼いルーカスが腕から消えた。悲鳴を上げる私を嘲笑うようにカミーユも奪われた。

「やめろ!」とアブラーモの力強い声が部屋に響いた。「母上と姉上には危害を加えないでいただきたい」

 襟首を掴まれたルーカスが泣いている。助けようと伸ばした私の左腕はダランと下がってしまった。顔を顰めた。折れたのかもしれない。アブラーモは少し青ざめた表情だ。微かに震えている。だがアブラーモはお父様のように力強く立っている。

「そして4歳のルーカスはこれから如何ようにも其方らが望むように育つことも可能だ。生かしさえすれば後世の其方らの子孫が民衆と家臣らを操るため、ルーカスの身に流れる王家の血を使うこともできる」

「血」という単語に冷たいものが背筋を走った。
 少佐は軽く鼻で笑い、兵たちに非情な指示を出した。カミーユとルーカスは部屋から出された。少佐は仁王立ちするアブラーモの前に立った。

「王家の血。それはレティシア嬢も持っているであろう」と下卑た視線を私に向けた。

 アブラーモは小さく身を動かした。少佐の視線が遮断された。

 少佐は「ではアブラーモ元・皇太子。我々に同行願いたい」と侮蔑するようにお辞儀をした。
「では姉と少し話をさせていただけますか?」とアブラーモは穏やかに丁寧に言った。

 少佐の許諾が得られたらしくアブラーモは振り返り、身を屈めた。そして痛む私の腕を取った。

「これは……関節が外れているのでしょうか?」と小さく顔を顰めた。
「アブラーモ」と弟の名を呼ぶ私の声は情けなかった。「危険なことはやめて。あなたはお父様の息子なのよ、身を落とす必要などないわ……」

 アブラーモは安心させるように笑い、私の目尻を優しく拭った。

「姉上……、なぜ涙を流しているのですか? まるで僕が死ぬみたいではありませんか。父上だってまだ生きているのだから、大丈夫ですよ」

 涙を抑えようと上を向こうとしたが、アブラーモから顔を離したくなかった。一雫、頬から落ちた。
 私たち兄弟は「感情を表に出しすぎないように」と乳母に言われて育った。だから、泣きそうなアブラーモの顔など初めて見る。きっとアブラーモも、私の涙など初めて見るだろう。私たちは第一王女、第一王子だったのだから。
 幼かったバベットが突然亡くなった時も、フローレンスが寒さに震えながら冷たい石の部屋で命を落とした時も……私たちはお互いの前で涙を流さぬよう務めた。
 涙を堪えるため無理やり唇の端を上げた。アブラーモの琥珀色の瞳を見るに、きっと彼も妹たちのことを思い返していたのだろう。

「姉上」と無理やり明るい声を出したアブラーモ。微かに空気が震えている。「母上をお願いします。彼女はあまりにも王族らしくも貴族らしくもなく感情が豊かな人でしょう? だから、母上の心を守ってあげてください」

 きっと私も声を出せば、無様にも震えた声を出してしまうのだろう。私は何も言わず頷いた。アブラーモはゆっくりと立ち上がった。

「母上に愛していると伝えてください」とアブラーモは笑った。それからふ、と目線を逃した。「そして……同じ言葉を姉上にも送ります」

 私はキュッと唇を噛んだ。あの少佐さえいなければ私は、震える唇で15歳の弟への愛の言葉を贈っただろう。
 アブラーモは踵を返した。少佐に腕を捕まれ、部屋を出た。私は格子越しの窓の向こうへ目を向けた。

「神様、どうか弟たちに……お父様の上にあなたの加護を……」

 神様は洗礼式があった時以外、教会へ行ったことのない私の祈りなど聞いてくださるのかしら? 部屋の隅で倒れるお母様に目を向けた。
 
「あなたを心から愛する私のお母様……ジョセフィン・デイヴィスの夫と息子たちです……。どうか、お母様に免じてお守りください……」

 それからいつも通り、太陽が淡々と沈み上ることを片手で数えられるほどの回数繰り返した。窓から大きな声が響いた。民衆が集まっているのだろう。どうしてかしら? 静かに朝食をとるお母様を横目で見てから、椅子を引きずり窓の下に置いた。椅子の上に立ち、窓から広場を見た。熱気のある民衆が口々に叫んでいる。異口同音とは程遠い彼らの叫びは殺意に満ちていた。私の目は一点に止まった。お父様が断頭台に上っていた。護送馬車の中に弟たちがいる。やめて。民衆の叫びが最も高くなった時、私は目を逸らした。息が荒くなっている。右腕で格子を掴みながら私はしゃがみ込んだ。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...