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十一章 野望

#1

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 翌日、さっそく出版社の担当編集S氏に電話してみた。

「……ということがあったんです。どう思いますか?」

「ヒュー」という口笛が聞こえてきた。

「新人作家なのにもう弟子をとったのか、君らしい」

「そんな大げさなことではありません。近所付き合いですよ」

「それで、作品はできそうですか?」

「まだわかりません。原稿用紙10枚読んだ限りでは日記ですね。あの子らしくはかけてると思います。本人を知っているから興味深く読めるんですけどね」

「日記形式の小説もあるからね。そりゃ、東方くんの腕の見せ所でしょう。小学生であることはデビューの大きなメリットだから急いだ方がいいでしょう。普通なら小学生をデビューさせるなら何か賞を上げるのがいいでしょうが幸い、今回の文部科学大臣賞を実績にして処女小説でデビューさせることも難しくない」

「じゃあ、処女作品の出来次第ですね」

「東方くんがついているなら大丈夫でしょう。作者本人はどんな感じの子ですか?」

「ボーイッシュで、最初はわたしも男の子だと思ってたんですが、可愛らしい女の子です」

「なに、そのラノベんによくある設定みたいなの。それならアイドル売りもできるかもね」

「アイドル?」

「作者本人にアイドル要素があれば内容のハードルは低くなるし、売り文句が多くなるから」

「ふーむ。本人の写真は明日の朝刊に載ります。そのまま写真を載せると周囲が騒がしくなりそうなので少し変装させましたが」

「おそらく***通信の文化欄配信記事ならどの新聞にも載るだろうからチェックしておきます」

「よろしくお願いします」

(もし、希望が小説家デビューしたら帯の推薦文考えなきゃな)

 書籍帯の推薦文は勇もまだ未経験だった。

 電話を終えて、それから夜まで大学の講義の復習をしていた。

 日頃、国民が当たり前のものとして受け入れている社会や国家も、勇にとっては当たり前のものではなかった。勇のように別の世界から来た人間にとっては今ある社会や国家の成立根拠は興味深いものだった。

 勇のように現代社会に比べて統治機構が未発達だった社会においては、自分がいた世界が現在いる世界とどう違うのか、常に意識させられ10代後半を過ごしてきた。

 大学では政治思想史や社会科学の歴史を学ぶ授業がある。勇は思う。

(こっちの世界の為政者はアーシェスのそれに比べて強欲なんじゃないかな)

 社会と個人の関わりを考える時、代表的な思想家の説を時代順に並べると理解がしやすいと悟った。

 ソクラテスから始まり、プラトンの国家論、アリストテレスとポリス論、キケロのレス・プブリカの概念と自然法、アウグスティヌス、トマス・アクィナスの政治思想、ホッブズの社会理論、とくにホッブスが唱えたリヴァイアサンと言う言葉は創作でもよく使われる。ジョン・ロックの統治論、ルソーの社会契約論、アダム・スミスの経済思想、ヘーゲルの法権利の哲学、オーギュスト・コントの社会再組織と実証哲学。このあたりを抑えれば地球における社会と個人の関わり方が理解できる。

(文明の進化には同じ一つの方向性があって、自分がいた世界もその過程にあったものなのだろうか? 考えてみれば魔王領の進歩的文明は世界のあるべき進化速度を逸脱していた感がある。おそらく自分と同じように現地民に知恵を授けた異世界からの客人がいたのだろう)

 こういった勉強は創作の糧にもなる。自分が熟知している社会制度であっても、それを読者に理解させるためには、既存の社会制度と比較してどう異なるのかということを説明していくのか有効である。

 勉強を終えて布団に入り、これからのことを考えた。

「希望が小学4年生、小学生作家を売りにデビューさせるとしたら、6年生の4月には本を書店に並べて出版社にプッシュしてもらいたい。作品の完成から改稿と校正と印刷まで半年はかかる。いや、もっとかもしれない。すると一年も時間はないか」

 限られた時間で岬希望を、天才小学生作家としてデビューさせる算段をつけなければならない。しかし、勇はまだこの時知らなかった。一度、作品を完成させると出版界を挙げて希望を「天才『美少女』小学生作家」として売り出すことになることを。

 翌日もコミュニティ・カフェで希望と会った。母君の許可は得たものの、自宅に招くのは憚られた。夕刻までかかるなら、母君が帰ってきてから希望の自宅にお邪魔することにしょうと考えた。

「希望、小説家になりたいか?」

「なりたい! でも、師匠と一緒に小説を書ければ本にならなくてもいいです」

 希望は顔を輝かせた。彼女に野心は無く、純粋に創作活動に憧れているようだ。

(無邪気なものだな)

「もし、それなりのものが書けたらおれが出版社に交渉して本にすることもできるだろう」

「マジで!? でも、初めて書いた小説でデビューなんて無理だよね?」

 希望の方が物事の理をよく理解していた。

「賞を取る作者というのは意外と初めて書いた作品で受賞というケースが多い」

 これは作者の自己申告なので本当かどうか疑わしい。苦節数十年、新人賞に挑んで受賞した人間も「これが処女作です」とのたまう御仁は多い。

「コネがものを言う世界だからな。そう言う意味では汚いところもある世界だぞ」

 自分で言っておいてなんだが、そんな殺伐とした世界に小学生を巻き込んでいいのかと疑問が胸によぎった。

(小学生のなりたい職業を調べると、漫画家が10位前後にいつも入るというが、小説家になりたいというのもそれに近いものだろう)

「師匠、また原稿書いたので読んでください」

 希望は1日一枚の原稿用紙を欠かさず勇に店に来る。

 なかなか早いペースで小説と本人は言っているが内容は日記だった。そこで、読書感想文の時は気にならなかったが、小説として読ませるための最初のアドバイスを行なった。

「セリフの部分は、その人の言ったことそのままという体裁でいい。実際にあったことを参考にして参考にして文章を整えるために脚色、つまり書き換えを行なってもいい。ただセリフ以外の文章を地の文と呼ぶけれどそこは視点を統一させないといけない」

「地の文」

 教え始めた頃は、正面に向かい合って座っていたが、最近では隣の席に座り、原稿用紙のひとマスひとマスを一緒に読みながら指導していた。

「小説というのは作者による読者の実況中継だから、地の文は作者の視点、作者の言葉として一貫して同じ人間の物言いとわかるように書かないといけない」

「そうか、ぜんぶ僕の言ったこととして書くんだね」

「ざっと見て、たぶん大人が読んでいることを想定しているんだろうが希望の言葉として、~です。~ます。となっていたり、純粋に事実を説明しようとして、~だった。~である。と不統一な表現がある。ふつうの小説だと~だった。~である。の文末が多いけど、一人称小説で主人公がそういう人柄である場合に、~です。~ます。の文体になることもままある。だから小学生の一人称で綴られた日記小説なら~です。~ます。調もありだろう」

 内容自体はいまどきの小学校の様子がよく伝わってくるものだった。

「最近の小学校はこんな感じなのか」

「そんなカンジだね」

 朝の読書運動でずっと勇の書いた本を毎日読んでいると書かれていて照れる。百合や唯もすっかり勇の作品のファンであるようだ。気になるのは毎日、勇の本を欠かさず同級生に勧めているということだ。なおかつ勧誘の結果、今日は%%くんが読み始めた、次の日は##さんに声をかけてみよう。そのような報告が続いている。

(すごいバイタリティだ)

「希望、押し売りはいけないよ」

「いいんだよ。べつにみんなこれを読むって決めてるわけじゃないんだから、勧めたって問題ないよ」

「すごい優秀な営業マンになりそうだな、きみ」

 一応、希望は最初はライトノベルを読んだことがある生徒に声をかけたようだ。同好の士は希望に話題を振られてとても喜んだそうだ。

(うーん、そりゃそうだろう。小学校4年生で本格的((サブカル的な意味でだが))ライトノベルはまだ早いように思うが)

 ここで勇が言う本格的ライトノベルと言うのは、やや小学生に勧めるのが憚られる癖のある作品群のことだった。

(中高生男子をターゲットにしたお色気描写も多いしな。あんまり子どもにはどうかと)

 小学校低学年向けにライトノベルの前段階として(こう言うとおれの作品は違うとお怒りになる作家の方々もいるかと思うが)、青い鳥文庫などの児童小説の文庫レーベルがいくつかある。

 勇が10歳前後の頃は、経典や読み書きや算術の教本を読むばかりで、現代日本ほど娯楽は多くなかった。歴史書を兼ねた叙事詩などは庶民も好んで読んでいた。

 傾向としては、児童書では主人公が読者と同年代の小学生であることがほとんどだが、内容としてはオーソドックスな小説の体裁を取っているのに比べて、ライトノベルの方が、より漫画的な内容に偏っている。

(順番としては逆にも思えるのだが、ライトノベルは毒気が強いからな。あまり幼い子どもには勧められないか)

「ライトノベル好きは多いのか?」

「うーん、多くはないかな。動画とか漫画をスマホで見てる人が多いよ。あと、ゲーム」

「そうなのか、近頃の子どもはそんなだと聞いたがやはりそうなんだな。あまり健康的には思えないが、大丈夫なのかな」

 希望は勇の言葉に釣られたのだろうか、瞼を指で押さえた。

「みんな疲れてるようには見えるね。ぼくはスマホでたまにパズルゲームするぐらいだけど、家にゲーム機ある人はかなり長時間やってるみたい」

 ブルーライトの影響とか、睡眠障害をもたらすとか医学的根拠はわからないが、デジタル機器への依存が身体に良くないというのは勇にも想像できる。

「動きの激しいゲームかと、ものすごい情報量だもんな。目だけじゃなく脳も処理が追いつかないのではないかな」

「上手い人は上手いよねー」

「ゲームはいちにち1時間ぐらいにとどめたほうがいいと思うぞ」

「昔の偉い人もそう言ってたってね」

「男の子たちはおれの作品を読んでなんと言ってたかな」

 希望の顔が曇った。あまり反応は良くなかったのか。唯や百合たちもおおしろいとは言ってくれたがに感想を聞いたが淡々としたものだった。ただ、登場人物に萌えさせる「キャラ萌え」と称されるような作品の方が気軽に語りやすいとネットでの書評を見ると思う。

 この時点で勇は知らなかったのだが、中高生男子向けのお色気描写と思っていた他作家の演出は実はもっと高い年齢層をターゲットにしたものだった。

 多くの美しい少女に囲まれた恋愛生活とはむしろ30~40代の男にこそ刺さるのである。

 希望は勇の小説を押し売りしてくれたようだが、きっとライトノベル好き小学生男子も悪い気はしなかったろうと思う。

 勇は朴念仁であるがゆえ、また、知己朋友に希望に瓜二つな少年がいたせいで彼女のことを男子だと思い込んでいた。クラスメイトはもちろん最初から彼女のことを女の子と知っていただろう。希望から自分と同じ趣味について話しかけられたらそりゃ嬉しいだろうと想像できる。

(改めて見れば、見るほど美少女であることは否めないな)

「師匠、どしたの? まじまじと人の顔を見て」

「今まで男の子だと思っていごめんな」

「いいよー、わざとそう見えるようにしてたんだし」

「言い訳じゃないんだが、もう遠い場所に引っ越してしまったけれど、昔、親友がいた。その子がきみにそっくりだったんだ」

「その人は男子だったの」

「そうだ」

 希望は疑わしそうに唇を曲げてみせた。

「ほんとうはその子も女の子だったんじゃないの? 師匠が男だと思ってただけで」

「それはない。男子寮で暮らしてたし、風呂も一緒に入ってたし」

「ひっ!」

 ぞわぞわと希望の背筋に冷たい電気が走った。

「ん? どうした」

「え? あ、いやなんでもない」

(なんだろう、いまの気持ち悪い感覚?)

 希望もそのとき悪寒が何によって引き起こされたものかわからなかったが、それはきっと自分の肉体の性差の部分に触れられた拒否反応だったのだろう。

「世の中に自分とそっくりな人が3人はいるって言うよね」

「そうだな。たとえばサミュエル・L・ジャクソンとローレンス・フィッシュバーンとか、マーク・ウォルバーグとマット・デイモンとかな。あと、ジャック・ニコルソンとヒース・レジャー」

「最後のは、バットマンでジョーカーを演じた人同士ってだけじゃん」

 サミュエル・L・ジャクソンとローレンス・フィッシュバーンはSF映画によく出ているから、中高生にも認知度は高いだろう。もっとも最近の興行ではスペ9択する作品はあまり日本で受けず、恋愛ものやホラー作品の方が客の入りがいいらしい。何故だろうか?

「よく知ってるな」

 希望は小学生にしては映画通だった。映画をたくさん見ることは小説を書くに当たって財産になる。

「もしかしておれが思うより、きみはずっといろんな知識を持っているのかもしれないね」

 希望の視点で描かれる小学生の世界はきっと大人の関心を強く引くだろう。希望は日記を書くのに熱心だが、そこに描かなかった部分に無尽蔵の面白いエピソードがあることに勇は気づいていた。子どもというのは支離滅裂な存在だ。だからこしそのカオスから無限の可能性が生まれる。



『おい、外国人、日本語喋ってみろよ』

 勇は自身の中学生時代を思い出した。もっと昔の記憶だと参考にならない。日本語を覚えるために猛勉強したが、それでも周囲に違和感を抱かせないレベルの日本語を使いこなすのに一年以上かかった。

(よく、いじめられたよなあ)

 そんな勇を周囲の生徒は格好のからかいのターゲットとした。周囲の人間には自分ほどの戦闘力が無いとわかっていたのでなるべく取り合わないようにしていたのだが、ものわかりのいい態度を見せると上長していじめをエスカレートさせるのがこの国の未成年者の習性だった。

 あまりにしつこいので、かっとなって反撃してしまったことが幾度かあった。当時は、とある事情があって今ほど勇は情緒が安定していなかった。ヒグマと中学生が戦うようなもので何度も警察沙汰になってしまう。

 戦乱の異世界で騎士だった勇である。性根の腐った中学生ごときが叶うはずもなく、全ての敵対する生徒が地に伏すこととなった。それでも懲りずに一度喧嘩に敗れた生徒は他校やOBの助っ人を連れて勇を闇討ちしようと試みた。

 面倒臭くなった勇は売られた喧嘩を全て買うようになった。

 勇がおとなしく嫌がらせに耐えていた時は見て見ぬ振りしていた教師たちも、しまいには土下座して「もう喧嘩線といてくれ」と懇願する始末だった。

 この頃のことはとても希望には聞かせられない結果になるのだがそれはまた別の機会に。

(しかし、もしおれが希望たちの学校に通っていたら、あのような荒んだ学生生活にははならなかったかもしれない。人間は周囲の環境で育ち方も大きく変わるのだろう)

 中学生から日本社会に溶け込んだ勇である。

(あるいは、どんなに美しい心を持つ子どもでも成長とともに汚れることからは逃れられないのか。願わくば、希望には今の感性を損なうことなく社会で生きられる強さを得てほしいものだ)

「希望、その日記、本にしたいなら構成を考えないといけない。起承転結を考えないといけない。おれと考えるか?」

「うわーい、面白そう!」

「本にするならすべての内容をフィクションにする」

「この番組は架空の内容であり、実在する人物、団体とは関係ありませんってやつね。でも、これほんとのことだよ」

 希望は母の帰りを家で待つ時間が多いからテレビにも詳しいようだ。

「ところで、希望の学校にはいじめとか無いのか?」

「あまり酷いのは無い。でも、意地悪な人はいる。上級生の間ではもっとひどいことがあるらしい」

「困ったことがあったら俺に言うんだぞ。たとえ希望自身がターゲットでなくてもすぐ解決するからな」

 希望の笑顔は花びらのように美しい。記憶の親友も同じ笑い方をした。勇は仮に希望がいじめられていたとして「解決して『やる』」と言う言い方はしなかった。押し付けがましいからではない。希望に悩みや苦しみがあるなら取り去ってあげたいと思うのは、勇の願望だからだ。希望の母に頼まれなくても行うことだし、たとえ誰が止めても勇は止まれない。過去幾度かの従軍で、仕方なく状況に対処したことなど一度もない。自分の意思で敵軍と戦い、自分の殺意で敵将を売ったのだ。

「師匠、ぼくがいじめられたらどうする?」

「手段は選ばない」

「ははっ、なんか怖い言い方だね。師匠」

 勇の返答をはそのへんの大人とは違うだろうと希望は思っていたけれど、やはり少し別次元の発想をする人なのだと改めて思った。

 希望を傷つける者がいたら勇は許すことができないだろう。愛する人の命を奪った軍隊に戦いを挑んだ時のように。それをやり遂げた時に、勇はこの世界に跳ばされた。

「小説の話に戻るけど、今日からいっしょの作業をしよう」

 勇は持参したノートPCを開いてエクセルデータを希望に見せた。

「この表計算ソフト、エクセルって言うんだけど使い方わかるかな」

「うーん、名前はテレビで聞いたことあるけど、まだ学校で習ってない」

 まだ希望の学校ではタブレット端末は導入されてないようだ。

 それでいい。子どものうちから、あまりデジタルに頼らない方がいいと勇は思う。まして、お役所仕事でタブレット機器を選定すると将来使い道のない独自ソフトばかりがインストールされていて身につかないのだと言う。

(資源の節約というなら、神の教科書のかわりに電子ペーパーの機器を導入するぐらいがちょうどいいのではないだろうか。登下校の荷物も軽くなるし)

「このエクセルというのは、君が大人になってもおそらく廃れてはいないと思う」

 PCの画面を希望が見やすい向きに動かした。希望は半身をひねって勇の息がかかりそうな位置に首を伸ばした。

「たくさん文字がしきつめられてるね」

「これがなにかわかるかな」

「これ、師匠の小説の中身?」

「そうだ」

「なんでバラバラになってるの?」

「これは物語の設計図だ」

「設計図って機会を作るときに使うんじゃないの?」

「小説にも設計図があって、プロットと言う。希望、君は今のまま日記を書き続けてそのまま本にできると思うか?」

「それは難しいかな」

 きっと今は毎日の日記を書くことがどれだけ楽しいのか勇にはわからないが、希望は充実感を抱いているのだろう。

「あら、エクセルなんて開いて難しい話してるわね」

 事務員さんがいない時、交代で住民が留守番と受付をしてくれているから、施設が無人になることはない。子どもが困ったときに駆け込むにはいい場所だろう。

「ここから本格的な小説の書き方を伝授します」

  希望には他人から教えを吸収する素質があった。普通、小学生というものは一つ所にじっとしていられないものだが、ずっと勇の顔と画面を交互に見ながら説明に耳を傾けている。何事も成すには集中力が必要なのだ。

 逆に言えば集中力さえあれば、どんな分野においてもある程度の結果を出せるようになる。

 目の前の中性的な少女にはそれがある。子どもたちがだれでもこれぐらい集中する時間がある。ゲームをしている時だ。

 この部屋の隅にも帰宅途中の小学生男子2名が携帯型のゲーム機を手にし、睨み合っている。おそらく通信型のゲームで互いに競っているのだろう。

「エクセルの一つ一つのマス目をセルと言う。細胞って意味で、転じて軍隊などによる一つのチームを表す単位としてミリタリー系のライトノベルでもよく使われる言葉だ」

「ああ、ライフル持った人が建物の中に入っていくとくにツーマンセルとか言う?」

「2人1組で行動するって意味だな。一人が索敵し、もう一人がそれを援護する.
表計算ソフトにおいてはこのセルの並び順、盾を列、横向きを行と言うんだ」

 勇のプロット表では5つの列が並び、200行ほどの内容がある。5*200で1000程度のセルがある。

「一番右の列のセルが一番長いのは、書こうと思う具体的な内容だね。エクセルは非表示になるけど相当多い文字数を一つのセルに入力できる。5列あるのは、まず一番左の列に起承転結のどの部分に当たる内容か書く。ただ物語は起承転結で4章のみの構成にはしづらい。もう少し細かく、10から20章ぐらいの章立てにする。その何章に当たるか、隣にそのページの場面がどこか、ロケーションを書く。そしてそのシーンに登場する人物はだれか。これで実際に作品を書く前に話の流れを自分で確認できる」

「じゃあ、このプロットを見たら本の内容がわかっちゃうね」

「そういうこと。次に何を書くかを考えながら書くより確実に物語を簡潔に近づけることができる。ここまで設計図を作れば最後まで書き上げたものが面白いものかつまらないものかもわかるだろう」

「200行書かなきゃいけないのか」

「そうじゃない。何度でも並び替えられるのが表計算ソフトのいいところだ。まず最初に起承転結の4行だけを書いてもいい」

「結末もまだ決めてないけど」

(今まで書いたものを読んだ内容から察すると起承転結の起承はこんな感じだろうか)

「まず、この作品の主人公は小学生の女の子だね。そしてその子が作者である」

 希望は自分を指差し、勇は頷いた。

「女の子なのに主人公は自分のことを『ぼく』と言います。これは母の勧めでした。クラスでは彼女のことを男だと間違えてる人はいないけど、学校の外で悪い人に目をつけられないように家を留守にしがちな母は考えました。これが起承転結の起の部分です」

 希望は勇に珍しく女の子を連呼されたので少し気恥ずかしい気持ちになった。

「やっぱり師匠うまいね、まとめるのが。なんか小説の主人公になったみたいでこそばゆいや」

「彼女が通う学校には親友がいて、意地悪な生徒もクラスには少なく、楽しく毎日を過ごしていました。ある日、彼女はとある場所で小説家に出会いました。小説家は彼女に読書感想文の書き方を教えるのでした。彼女はクラスの読書運動でその小説家の本を周囲に強く勧めるようになるのでした。これが承だな。ほら、ここまで書いてごらん。ほらほら」

 勇は新しい表計算のファイルを作ると自分のプロットをコピーして文字だけを消した。促されて希望は、いま師匠に言われたことをゆっくりとした手つきでタイプし出した。

「そう言えば、キーボードのタイプできるのか聞かなかったな」

「うん。あなまり早くは打てないけどチャットをすることもあるから」

 白くて細い指がくねくねとキーボードの上を這う。

「そうか。慣れると手元を見ずにタイプできるようになるよ」

「書けた!」

「よし」

 勇にバトンタッチすると彼は新しいファイルに名前を付けた。

「ファイル名は最後に日時を入れると管理がしやすい。とりあえず末尾に今日の日付を入れる。20190910と。まあ、いくつもコピーを作るのは作品本文でプロットはひたすら更新するだけだけどな」

 希望のメールアドレスは知っていたので、添付ファイルで送った。

「まだ結末は考えていないだろう。起承の間だけでいいから書こうと思うことを書き出してごらん」

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