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「おはよう」
 後ろからポン、と肩を叩かれ、千景は途中まで出掛かったあくびを飲み込んだ。

「あふぁよう」
 変な挨拶。

「何? 寝不足?」
 笑いながら言ったのはクラスメイトの広瀬睦美ひろせむつみ。入学以来、一番の友達である。

「うん、ちょっとね。夕べは興奮して寝付けなかったよ」
「なになに? なんかすごく楽しいことでもあったの?」
 好奇心旺盛な睦美が身を乗り出してくる。
「ま、ね」
 千景は曖昧に誤魔化した。

 内緒なのだ。
 昨日の事は、誰にも言わない約束なのだ。

 本当は喋りたくてうずうずしていた千景だったが、なんとか言葉を飲み込み、話題を変えた。

「ねぇ、それよりむっちゃん。お祭り行く?」
「お祭りって、茗静めいせい神社?」
「うん」
「そうだね。多分行く」
「なに? 多分って」
 一緒に行こうと思っていたのだが、どっちつかずの返事に誘いを戸惑う千景。
「実は……、」
 声をひそめる睦美。と、

「オッス!」
 後ろから自転車でやってきた少年が通りすがりに睦美を小突く。
「痛ったー。んもぅっ、一也のバーカ」
 悪態をつく。が、顔は笑っている。

 都築一也つづきかずや。隣のクラスの男子だ。睦美とは小学校が同じとかで、なにかにつけ話しかけてくる男友達である。

「相変わらず仲いいね」
 千景が茶化した。睦美は慌てて首を振ると
「冗談じゃないわよー。あんなの」
 と言ってのけた。
「とか何とか言っちゃって。ほんとのとこはどうなのよ?」
 ウリウリ、と脇腹を突付いた。
「やだっ、千景やめてよー」
 くすぐったがりの睦美が身を捩じらせた。ひとしきり笑い終えると、また並んで歩き出す。睦美がポソリと呟く。

「誰にも言わない?」
 恥ずかしそうに目を伏せる。

「なになにっ?」
 千景が目を輝かせる。

「もしかして、やっぱり?」
「……うん」
「やっぱり好きなんだー、都築君のこと、」
「内緒だよーっ!」
 しーっ、と唇に人差し指をあて、顔を赤らめる。そんな睦美を見、千景がくすくすと笑った。恋をしている女の子は、どうしてこうも可愛くなってしまうんだろう。

「いいなー、むっちゃん」
 正直、羨ましいとさえ思っていた。千景にはそんな風にドキドキする相手なんていなかったし、幼稚園での初恋以来、とんとご無沙汰なのだ。

「千景はいないの? 好きな人」
「いないなー。青春真っ只中なのにね」
 ふぅ、とわざとらしく溜息などついてみる。
「そのうち出来るって!」
 バン、と背中を叩かれ、思わずこけそうになる。

「……でね、相談なんだけど、」
 睦美が上目遣いに千景を見つめる。なんとなく、嫌な予感。
「なに?」
「茗静神社の縁日、一也を誘おうかなー、なんて……、」
「マジッ?」
「……マジ」
「いいじゃんっ、いいじゃんっ!」

 なるほど、それで『多分行く』なのだ。それなら仕方ない。睦美を誘うのはやめにして誰か別の人と行けばいい。

「でね、……その、」
 モジモジと言い淀む。
「なによっ」
「誘って欲しいの。一也を」
「……へ?」
 睦美の言葉の意図がわからず、思わず立ち止まる。
「だーかーらっ、一也を縁日に誘って欲しいのっ」
「誰が?」
「千景がっ」
「何で?」
「どうしてもっ!」
「ええーっ?」

 とどのつまり、代理告白を頼まれているのである。未だかつてない、初めての頼まれごとである!

「そんなの無理だよっ」
「どうしてー?」
「だってあたし都築君と喋ったことなんてないもんっ」
 中学も別だし、クラスも違う。接点なんて何もないのだ。
「大丈夫だって! あいつ、調子いいやつだからさー」
「そういう問題じゃないよ~」

 千景は早くもドキドキしてしまっていた。男子と喋ること自体、珍しいのだ。別に千景がおとなしくて引っ込み思案なわけじゃない。ただ、睦美のように仲良く喋れる男友達はいなかったし、男子から軽く小突かれるようなタイプでもなかった。友達は好きだの嫌いだのと楽しそうに恋愛をしていたが、千景はいつも聞き役。自分がその輪の中に入ることは今までなかったのである。

「ね? 一生のお願い!」
 人は生まれてから死ぬまで、一生のお願いを何度するのだろう? ぼんやりとそんなことを考えてみる。

「うー……、」
 仲良しの睦美からのお願いだ。無下に断るわけにもいかず、千景はため息をついた。

「じゃあさ、ちゃんと作戦立てよう。あたし一人でどうにかするのは難しいよ」
「わかった! 協力するよ! ほんっと、ありがとう千景っ」
 晴れやかな顔で千景の手を握り締める睦美。

(『協力する』って、あたしがむっちゃんの告白に協力するんじゃん。もぅ、昨日といい今日といい、あたしどうしちゃったんだろう?)

 千景は心の中でそう呟いたのだった。
 
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