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決意
しおりを挟む「ヒ、ヒナ!どうしたの!?」
「え?」
騒がしい教室。
自分の席へ一直線に向かい、椅子にどさりと座りるなり親友がすっ飛んできて血相を変えて顔を覗き込んでくる。
結局泣いていない為、目が赤くなっているはずもない。
何事かと首を傾げてみたが、
「そ、その顔の傷!なにその傷!乱闘でもしてきたの!?」
真剣な表情で至近距離まで顔を近付けて左頬に視線を向けていることで彼女が言っている意味がようやく理解できた。
「あー、痛いと思ったら切れてたんだ」
─くそぅ。
乙女の柔肌になにしてくれてんだ。
いやいいんだけどさ、私が煽ったんだし。
そう思いながら何気なく左手で頬を擦ると手の甲に赤い血が薄っすら伸びた。
「あぁ…」
そのことに驚かない私の代わりに、目の前の親友がなぜかクラリとよろけた。
「えぇ!?大丈夫?」
驚いて机に身を乗り出すが、
「大丈夫じゃないのはヒナでしょ!?私の可愛いヒナの顔に傷だなんて!誰にやられたの?言いなさい!」
「これくらいで大げさな…。それより顔を両手で挟むように掴むのはやめてください」
暑苦しい勢いで私の顔をガシっと掴んでくる彼女の綺麗で澄んだ声は一体どこへやら。
最後の方なんて女性の声とは思えないようなドスの効いた声を出して。
そんな親友に苦笑いを浮かる。
「ちっとも大げさなんかじゃないよ!だってあんた顔だけが売りなのに…」
「だけってなに。だけって」
失礼な暴言を吐いたこの子は、私の中学からの親友。
───草木香奈枝《くさきかなえ》
もはや私の保護者と化している。
「で?誰にやられたの?ご飯食べ終わってふらっといなくなったと思ったら…」
香奈枝はお姉さん肌ですごく頼りになるんだけれど、過保護なところがたまに傷だ。
「んー…ちょっと魔王のとこに行ってた」
彼女は艶やかな黒髪がすごく綺麗で。
成績だってそこそこ良くて、黙ってれば美人なのに。
「魔王?あぁ、優等生の後藤君ね」
「そう。優等生の後藤君のとこ」
「ふーん…って、えっ、私に無断で会いに行ったの?」
「うん、ごめん」
‘’ヒナのことになると目の色が変わっちゃうのよね‘’と、いつだったか本人からそう告げられてしまったこともある。
それくらいに過保護だ。
「危ないから1人で行くなって言ったでしょ!…じゃあつまりこの傷はあの優等生もどきがやりやがったのね」
傍にいて見ていないと、危なっかしくてたまらない。
見てて飽きないからってのもある。
…だ、なんて。
あんまり嬉しくない理由も述べられてしまったが。
そんな香奈枝は私のこの頬に傷をつけた主が彼だと知り「絶対に許さないっ」と、かなりのご立腹のご様子。
しかし、なぜ当事者より怒っているのか。
と、思えば今度はハッと何かに気付いたかのように急にぴたりと動きを止めてこちらををじっと見て。
「ん?会ってきた…ってことは?」
小さな声で遠慮がちにそう尋ねてくる香奈枝。
香奈杖はもちろん、私が彼を好きなことも彼を好きな理由も中学から全部知っているから。
もしかするとこの話題はデリケートな問題に直結するかもしれないと声をひそめたのだろう。
そんな彼女の気遣いに笑顔で頷いてみせる。
「告白した!玉砕した!」
「ヒナが!?私のヒナが!?…フラれるなんてありえない、何様だあいつは!」
笑顔で玉砕の報告をした私に香奈枝が飛びつくように抱きついてきた。
慰めるように優しく私の頭を撫でると同時に、私の想い人への怒りは溜まっていく一方らしい。
私の親友をしてくれているだけあって、香奈枝は彼が見掛け倒しのエセ優等生だということも知っているから、
「くっそー。魔王だってことバラしてやろうかな」
だ、なんて悪い笑顔を見せている。
元はこんな性格ではなかったと記憶しているので、私が香奈枝に悪影響を及ぼしている可能性が高い。
親友に悪影響を及ぼしてしまう程、私は問題ばかり起こすと周りからも思われているらしい。
反省しようと思う。
私の好きな人は優等生で有名だというのに。
まぁ先程の様子を見る限りやっぱり偽っているだけだが。
それでもそんな優等生のフリを完璧にしているからか、
───桜咲冬真《さくらざきとうま》
という彼の名前は、この学校の生徒はほとんどが知っているだろう。
それが私の好きな人だ。
振られたけど。
しかもついさっき。
怒らせたけど。
顔面に傷入れられるくらい。
極め付けに近づくなとか、話しかけんなって言われたけど。
それくらいじゃめげない。
…今、普通に泣けるけど。
そんな彼の名前。
桜咲、冬真という名前。
"さくらさく、ふゆのまこと"
すごく綺麗な名前だ。
あの時の彼にはピッタリな名前だと感じた。
だけど今日見た彼には似合わない。
あれは冬真って顔じゃない。
あれじゃただの真冬だ。
冬眠できそうなくらい真冬だ。
桜なんて咲くわけない。
…それくらい冷たい目をしてた。
まぁそう言う私だって、ほんわかしたイメージが何となくあるような気のする"雛乃"なんていうような可愛いもんじゃないけれど。
自分のことはさておき、だ。
そんな彼は今、魔王として知れ渡った"桜咲冬真"という、その名が優等生を演じる彼には相応しくないからか。
それとも新しい門出には不便極まりないからなのか。
───後藤冬真《ごとうとうま》
と、普通に偽名を名乗っている。
そして彼の見た目も、あんなに派手だった明るく赤っぽい髪は黒っぽくなり。
おまけにワックスできちんと整え、制服もキチっと着て気持ち悪いったらありゃしない。
だから、在校生代表として入学式で壇上に立った彼を見ても「へー、かっこいい人もいるんだな。ちょっと魔王に似てるじゃないか」だなんてことを思っていたレベルで。
同一人物だなんて思ってもいなかった。
「んで?結局一瞬でも魔王には会えたの?」
ぼんやりと昔と今の冬真君を思い出し比べてしていた私に、さきよりは少し落ち着いた様子の香奈枝がそう尋ねてくる。
それに対して、どう答えようか正直迷う。
"魔王に会えたのか"
結果はどうであれ優等生後藤君を崩せたわけなので、会えたと答えていいのかもしれない…が。
でもあれは、私の好きな魔王じゃない。
私の好きな冬真君ではない。
だから会えたかと問われるとどうなのか。
だって、香奈枝が私に会えたか聞いてるのは‘私が好きな魔王’のことだ。
うーんと唸るようにして考える私を香奈枝は不思議そうに眉を寄せて眺めてくる。
「なんなの、その微妙な反応」
「いや。会えたっちゃあ、会えたんだけど」
「化けの皮はがせたの?」
「はがせたけど…冬真君じゃなかった」
「?」
─ていうか今更だけど…
冬真君とか勝手に呼んでるけど1つ年上の先輩なんだよね。
タメ口きいてた。
魔王にタメ口きいてた。
普通にそれはまずい気がする。
…でもまぁいいのか、あれ本物じゃないし。
ん?意味分かんなくなってきたぞ。
結局あれは誰なんだ?
どれが本物なんだ?
「…私は皮をはがしすぎちゃったんだろうか」
「なに言ってんの、あんた」
自分にも理解できていないことが他人に伝わるはずもなく、首を傾げた私を見て香奈杖も首を捻った。
いや、私に語彙力があれば伝わるのかもしれないけれど。
残念のことに私は頭がいい方ではなく、むしろお馬鹿よりの部類で。
「だから、つまり…よく分かんないんだよ」
「なにそれ。私のがよく分かんない」
「ですよね。じゃあ会えたことにしておこう。皮はずせたのははずせたしね」
「だから私のヒナが傷物にされたんだもんね」
「言い方変えてくれないかしら」
結果、言えることは。
とにかく私は、こんなことじゃめげない。
めげてやらない。
私が真冬の彼に、もう1度あの日と同じ桜を咲かせてあげる。
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