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3杯目 カクタル思い

消えた遊び人と、尻に空いた穴

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――――――

翌朝になっても、遊び人は帰って来なかった。
二人で酒を飲んだ後、夜の闇の中に彼女が一人ふらりと消えてしまうことはこれまでも何度かあった。
今にして思えば、俺と別れた後にあのカクテルバーに赴いていたのだろう。

だが、朝になっても姿を見せないなんてことは一度もなかった。
確かに、彼女は魔族との戦いにおいても一歩も引けを取らない実力を持っている。
たとえそれでも、俺が彼女の身の安全を案じない理由には決してならない。
彼女は一人前の戦士であると同時に、俺のハートを打ち抜いた類まれなる愛らしさを持っているのだから。

日が昇ると同時に、俺は宿屋を起点に彼女を探し回ることにした。
ここは、そう広くない村だ。そんな村を、彼女のような美人が、しかも白と黒のワンピースに、首元には赤いマフラーというまるで道化師のようないでたちをしていれば目立たないはずがない。
彼女を目撃していれば、その身目麗しい姿を己が眼に焼き付けていることであろう。
だが残念なことに、予想通りであったのは、この村はさほど広くないという事実のみであった。
日がてっぺんに上る前には、俺は全ての住民に聞き込みも終えてしまったのだ。

俺たちが千鳥足テレポートで飛んで以降、彼女の姿を見たものは誰一人としていなかった。


俺は、宿屋にひとり戻ってきた。どんな精神状態であろうと人間、腹は減るものである。
それに闇雲に探すだけでは、どうにも埒があかないと悟った俺は食事を済ませつつ状況を整理することにしたのだ。
宿屋の主人に、声をかけ、俺は広間の一角に陣取った。

これだけ探しても見つからないということから推測できることは2つだ。
まず一つ目は、酔った彼女が何者かによってかどわかされたという可能性。
だが、例え酔っていたといっても屈強な彼女を、しかも勇者である俺の目を盗んで攫って行くなんてことは不可能に近い。
ならば最も可能性が高いのは、彼女が自らの意思で俺の前から消えたという推測だ。

彼女が消える直前、俺たちは意見の相違にお互い歩み寄ることができなかった。
故に、彼女が俺に愛想をつかし身を隠してしまったというのは十分にありえるのではなかろうか。
であるならば、彼女の行方を捜すという行為は、振られた男が未練がましく女の尻を追いかけているという風に見えるのではないか。
なんともみっともない話である。

そんなことを考えていると、イライラがつのり、つい足が小刻みに震えてしまっていた。
宿屋の主人が、食事を運んでくる。それに、何の配慮か俺にあの謎の自家製酒をすすめてきた。
やはり、俺の姿は女に逃げられた情けない男に見えているのだろう。
だが、見栄を張ったところで恥の上塗りになると思い素直に礼を言って酒を受け取った。

謎の液体を、一息に胃に流し込む。相変わらず、きついだけで美味しさの欠片もない酒だった。
しかしどういうわけか、不思議と足の震えが止まっていた。なんだこれは、これではまるでアル中みたいじゃないか。
だがあらゆる毒ですら殺すことのできない、神耐性を保有する俺が中毒症状に陥るなんてことはありえない。

ならば、先ほどの震えはなんだ。
俺は何を恐れているというのだ。
あの魔王とすら、たった一人で対峙した。世界で最も勇気あるものである俺が、何を恐れるや。

答えは既にわかっていた。
俺が恐れているのは、彼女との別れだ。
生まれてこのかた、魔族と戦うことばかりに励んできた俺が初めてした恋だ。
例え世界で最も勇気があると謳われても、俺はたったひとつ彼女との別れに臆しているのだ。何が勇者だ。ただの臆病者ではないか。
だが、もう震えはとまった。あの謎の酒の力だ。たとえまずくても酒は酒。
アルコールが脳をかき乱し、その恐れをかき消してくれている。

そう酒の力を借りることで、俺は恋愛に関しても恐れなど知らない勇気ある者へと姿を変えたのだ。
例え、どんな結末になろうとも彼女ともう一度話をしなくてはならない。たとえコテンパンに振られようとも、俺は耐性の勇者。その経験を糧に、さらに強くなるのだ。


と、決意を新たにしたところで、この村には彼女の行方に関する手掛かりは皆無だった。
ならば、頼る先はこの村にはない。秘密主義の彼女を辿るには、それを知り得る人を頼るべきだ。
そう、バー『俗人』だ。
彼女が足しげく通うあの店のマスターなら。俺の知らない彼女の情報を、何かしら知っているかもしれない。
もう一度、あの店に赴く必要がある。


――――――


俺は、出された食事を手早く腹に収め、再び宿屋の主人に声をかけた。


「あの酒をもう一杯くれ」


宿屋の主人は、機嫌よさげに「やっと俺の酒の味がわかる客が来た」と呟きながら店の奥へと消えていった。
誤解を生んではいるが……あえて否定することもないだろう。旨いか否かは、問題ではないのだから。
戻ってきた主人の右手には、水差しが握られている。中身は、推測するまでもなくあの酒なのだろう。


「このご時世だ、飲むなら自分の部屋で頼むよ」


礼を言い、俺は二階の自室へと足を向けた。
扉を固く閉じ、大きく息を吸い込む。なにせ一人で千鳥足テレポートを使うのは初めてだ。
遊び人の前では嘯いて見せたが、何事も初めてというのは恐ろしいものだ。

俺は、謎の酒を一息で飲み込んだ。
強い眩暈が起こり、足元がふらつく。胃が、「こんなものを流し込むな」と拒絶反応をおこしている。
昨日のカクテルに比べて、なんて飲みにくい酒だろうか。
だが出来の悪い酒のおかげか、酔いは一気に回った。
魔力を全身に巡らせ、呪文を唱える。


「千鳥足テレポート!」


足元に浮かび上がった魔法陣から光が放たれ、そのあまりの眩しさから視界を奪われる。
次の瞬間、俺は謎の浮遊感に襲われた。

慌てて目を開けると、どういうことだ、足元にはあるはずの地面がなかった。
足元を無意味にバタつかせてみるも、俺は重力に抗うだけの力はもっていなかったようだ。

ひゅー。
どぼーん。

俺の落ちた先は、水の中だった。しょっぱい水が、衝撃で鼻から入ってきた。
どうやらここは、どこかの海らしい。俺の鼻先を、魚たちが優雅に泳いでいく。
慌てて、水面へと浮上して周りを見渡す。見上げれば空が、見下ろせれば海が、俺の周囲に一面の青を形成していた。

やたらと、腰に付けた剣がやたらと重く感じられる。
それなりの旅装備のまま水の中に沈んだのだから、そりゃあそうだろう。

いつの日か、遊び人が言っていたが。
確かに金づちの彼女が、今の俺と同じ体験をする可能性を鑑みれば、この魔法のリスクは相当なものだ。
彼女からしてみれば、海に飛ばされるイコール死に直結するのだから。

初めての千鳥足テレポートは、大失敗だった。

俺は、必死に足をばたつかせ両手を頭の上に掲げ、そうして何とか、手を二回パンパンと叩いた。


再び光にのみこまれ、目を開けるとそこは先ほど旅立ったばかりの宿屋だった。
俺から流れ落ちた、水が足元に大きな水たまりをつくっている。
階下へと降り、宿屋の主人にタオルを借りる。


「うお、兄ちゃん、びしょ濡れでどうしたんだ。それになんだか、なまぐせえぞ」


「魔法に失敗したんだ」


「……ほどほどにな」


宿屋の主人に礼を言い、部屋に戻った俺は再び酒に口をつけた。
初めてワインを口にしたとき、そのあまりの渋みと強い香りに絶句したものの。
それでもなお、飲み進めるうちに、それらを楽しむ余裕が生まれてきたものだが。
幾度の邂逅を果たそうと、この自家製酒には慣れそうにもない。


「千鳥足テレポート!」


そこは、ゴミ捨て場だった。


早々に部屋へと帰還した俺は、訝しげな眼を向けながら鼻をつまんでいる店主に湯を借りた。
こざっぱりとしたところで、再度、酒を口に含み挑戦する。


「千鳥足テレポート!」


目の前に広がるのは、赤い海。否、ごうごうと泡を吹き上げているそれはマグマだ。
それに鼻をツンとつつく、卵の腐ったような臭い。間違いない、ここは南の山岳地帯、火龍の住まう火山だ。
ひどい熱気と、まずい酒のせいか頭がくらくらする。
少し休もうと、手ごろな岩に腰掛けると、あまりの熱さにズボンが発火してしまった。
慌てて、ズボンを脱ぎ火を消す。なんとか消火には成功したが、ズボンには大きな穴が開いてしまっていた。
長居してもしょうがないので、俺は再び部屋に帰還した。

度重なる失敗に俺がめげることなどなかった。
うまくいかないなら、うまくいくまでやるだけだ。

と、水差しから直に燃料を補給しようとするも当に空になっていた。
いったい今日一日で何往復したかであろう、宿屋の階段を降りていく。


「おいおいおいおい兄ちゃんよ。あんたの魔法ってのは、失敗するたびに臭くなるのかい?」


主人に言われて、自身の袖を嗅いでみる。
腐った卵のような臭い。いわゆる硫黄臭いというやつだ。


「悪いが、酒を追加でくれないか?」


「あのなぁ兄ちゃん。何があったかは知らねえが、酒に逃げるのはあまり褒められたことじゃあねえぜ」


「ありがとう。でも逃げてるんじゃないんだ、追いかけるために酒が必要なんだ」


主人は「ぬぅ」と喉の奥から声を出し、諦めたのか再び酒を持ってきてくれた。


「今日は、もうこれぐらいにしておけよ」


「あぁ」


俺は、再び階段を上っていく。
背後から「なんで尻に穴が開いてんだ」
そう呟く宿屋の主人の声が聞こえてきた。



―――――


目が覚めると、朝日が昇っていた。
どういうことだ。俺は、千鳥足テレポートに失敗しすぎて遂に時空を超えてしまったのか。
なんてことはなく、酔っぱらっていることが条件の千鳥足テレポートの燃料補給にと酒をしこたま飲んだせいで酔いつぶれてしまったらしい。

結局、俺は一度たりとも千鳥足テレポートを成功させることができなかった。
遊び人曰く、二人でやると成功率があがる。とのことだったが、それにしたって10割失敗というのはどういうことだろう。
俺には、まだ千鳥足テレポートを使いこなすことができないのだろうか。

真っ先に思いつくのは、俺が呪文を間違っていた可能性だ。
だが、この魔法は妙な条件付けが為されている一方で呪文に関しては非常に簡易なものである。
俺は遊び人の隣で、幾度となくこの魔法の呪文を聞いて来た。一言一句違えていないはずだ。

二つ目に挙げられるのは、燃料不足。つまるところ酔いが足らないという可能性だが。
この点、俺は昨日酔いつぶれるほどに、しこたま酒を飲んだ。あれで燃料が足りないということは無いだろう。
いや待てよ。果たして、そうだろうか。

昨日の俺は、本当に酔っていたのだろうか?
そもそも、『酔い』を『摂取したアルコール量』と仮定するのは些か安直な気がする。
だって、酒に強い女もいれば下戸の男だっているんだ。どれだけ酒を飲んで酔っ払うかどうかなんて人それぞれなんだから。

ならば酔いとは何だろうか。
千鳥足テレポートは使用者に何を求めているというのか。

いや、そうではない。
求めているのは千鳥足テレポート自身ではない。
求めているのは、そう。このみょうちくりんな魔法を生み出した元魔王の大賢者。
バー『俗人』のマスターが、客を自らの店へ招き入れる条件だ。

昨日の自分の姿を、ふと思い出す。
酔っぱらって大暴れ、なんてことにはなってはいない。だが、床を水浸しにし、硫黄の臭いを宿に振りまき。
あまつさえ、主人に苦言をていされる始末。今になって思えば、昨日の俺はとても普段通りとはいいがたかった。
とにかく、早々に酔って千鳥足テレポートを試そうとやっきになっていた。
そんな状態で飲んだ酒は、まったく美味しく感じられなかった。いや、そもそもここの酒がまずいのは間違いないのだが。

だが、そんなまずい酒でも、俺と遊び人は素面の状態からたった一杯の酒でテレポートに成功した。
ふむ、なんとなく見えてきたぞ。

水差しに手を伸ばす。
中には、ほんのわずかではあるが昨日の酒が残っていた。
俺は、一息に酒を飲みほした。

遊び人と初めて出会った日のことを思い出す。
そうあれは春先のことだった。この村と似た辺境の片田舎だ。そこの秘密酒場で、彼女から声をかけてきたんだったな。
それから数日後には、二人で教会のワイン樽を全部開けてしまったこともあった。あの日見た、彼女の下着の白さを久しく忘れていた。
一気に飛んで、一昨日も酷い一日だったが。それでも、いいことだってあった。
そう、あの日は彼女が俺の手を引いて秘蔵のカクテルバーに連れて行ってくれたんだった。

俺は、あらんかぎりの彼女との思い出を引き起こす。
ワイングラスの関節キッス。純白のパンツ。彼女の小さく柔らかい手。
この部屋には、鏡がなくてよかった。おそらく今の俺は、とんでもない間抜け面をしていることだろう。
そうすると、僅かな酒しか体に居れていないというのに、不思議と頬が熱くなってくる。
俺は、成功を確信して呪文を唱える。


「ちどりあしてれぽーと!」


この魔法は、ネガティブな気持ちじゃ使えない。





――――――


「いらっしゃいませ」


マスターの声に、俺は胸をほっと撫でおろす。
店の奥には、一人の女がカウンターに突っ伏している。
ブロンドの美しい髪、屋内でも決してとることのない赤いマフラー、そしてまるで道化師のような派手な服。
彼女は、そこにいた。


「あ……」


「こんなところにいたのか」


新たな客に、ふと顔をあげた彼女は、俺の姿を見ると再び机に突っ伏してしまう。
脇には、チェリーが入った逆三角形のグラスがひとつ。まるで、先日から彼女の席だけ時が止まっていたかのようだ。


「まさか、ずっと飲んでたのか?」


俺の問いかけに、彼女は答えない。


「ひとまず帰ろう。ずっといたらマスターも迷惑だろう」


やはり、返答はない。
だが、ここで彼女と押し問答をする気は俺にはなかった。
二の轍を踏んで、マスターを再び起こらせることもあるまいとの配慮からだ。


「マスター、会計は」


「先日、十分な量をいただきましたから」


俺は、黙ったままの彼女の横に立ち手を胸の前まであげる。
すると、遊び人が声を上げた。


「まって」


「……まだ、飲み足りないなんて言わないでくれよ」


「そうじゃないの」
「勇者、私帰れなくなっちゃった」



――――――


なんとか『千鳥足テレポートが成功しない』を解決したかと思えば、今度は『千鳥足テレポートの期間術式が発動しない』だ。
問題が発生したら、むやみやたらに試行錯誤を繰り返すよりも、まずは状況を整理する。一見遠回りに見えるが、これが一番いいことは既に経験済みだ。

そもそも、千鳥足テレポートとは、二つのテレポートによって構成されている。

まず1つ目のテレポート、これが成功すると、テレポートの行使者は酒のある屋内へとランダムテレポートする。
ただし、そのランダム性には行使者の嗜好、望む場所が影響を与える。
俺が、初めて飛んだのは、ラムランナーの秘密倉庫。
そして先日は、炎魔将軍の便……いや、思い出すのはよしておこう。
まあ、あそこは魔王軍の幹部の隠れ家だ、おそらく相当な量の酒をため込んでいたに違いない。

そして2つ目が帰還術式によるテレポートだ。
一つ目のテレポートが成功したにしろ、失敗したにしろに関わらず、テレポート先で手を二回叩くことで元の場所へと戻される。
そう言えば、ラムランナーの秘密倉庫から帰還した際は、俺はいつの間にか宿屋のベッドの中にいた。
初めての飲酒で、酔いが回っていたのだろう。
そして、炎魔将軍の下からは元居た酒場へと戻された。

今回は、この2つ目のテレポートに何らかの不具合が生じているのだろう。


「なあ、キミと俺が初めて出会った日のことなんだが。あの日、俺を宿屋のベッドに放り込んでくれたのはキミか?」


「……ちがうわよ。あのときはたしか、アタシはもといた酒場にもどされたけど。キミの姿は見えなかった」


「つまり、俺は宿屋のベッドに直接送り返されたということか?」


遊び人が、顎に手をあて黙り込む。


「そういえば、あんまり考えたことがなかったけど……アタシも、ベッドに直接飛ばされたことが何度かある」
「ヨっぱらって宿屋にかえった記憶がないだけかと思ってたけど、イマ思えばあれは転送先がベッドの中だったとしか思えない」


なるほど、確かに一人で千鳥足テレポートを使っていれば考えもしないことだろう。
なぜならば、この魔法の行使者はみな等しく酔っぱらっている状態だ。多少の記憶の祖語は、酔っぱらっていたで説明がついてしまう。
今回、俺たちがこの疑問にたどり着けたのは、俺たちが二人でこの魔法を使っていたからだ。

考えれば考えるほど妙ちくりんな魔法だ。千鳥足テレポートの行使者の状態によって、帰還先が変化するなんて、いったい何の意味があるというのだ。
だがしかし、どうやらこの辺りの条件付けに、問題が潜んでいそうな気がする。


……って、俺は阿呆か。なんて無駄な思案を巡らせていたんだ。
今、この場において問題は既に解決されたも同然ではないか。なんたってここには、千鳥足テレポートを開発した大賢者がいるのだから。


「ムダよ……アタシが何の手段も講じずに、ここでカクテルを楽しんでいたとでも思うの?」


表情から、俺が何を考えているのか察したのだろう。遊び人が、水を差してくる。
……いや、キミの場合、それが十分にありえるのだが。


「残念ですが。これはあなた方の問題でしょう。私が口出しするのは野暮ってものですよ」


遊び人の言葉を裏付けるように、マスターは俺に釘をさしてきた。
しかし、その口ぶりからは、マスターは問題の原因に既に思い至っていることが伺い知れた。


「ご注文はお決まりですか?」


正直、酒を飲みたいという気分ではなかった。
だが、バーに来て一杯も飲まないなんて選択肢はありえないだろう。
俺は少しだけ考えて、彼女と同じものを頼むことにした。


マスターが酒を作っている間、俺は何とかマスターから情報を引き出せないものかと考えた。
そうした気配を感じ取ったのか、マスターは先日とは比べ物にならないスピードでカクテルを作り上げてしまった。


「マンハッタンでございます」


やはり、なみなみに注がれたグラスが、その中身を一滴も零すことなく遊び人の隣の席へと運ばれる。
マスターの心遣いなのかもしれないが、どうにも面倒なことをしてくれる。
彼女の隣に腰を下ろしていいものか、俺が逡巡していると。
マスターが「おっと、これはしまった。氷を切らしてしまいました。少し出てきます」と、わざとらしいセリフを残して店を出て行ってしまった。


今しがた、マスターが店を出て行った扉に目をやる。
カウンターの向こう側、酒が並べられた棚の横に設置されたその扉は、俺の腰の高さほどしかない。
まるで、童話に出てくる小人たちが拵えたもののようだ。

帰還術式が使えないなら、この店から直接外に出ればどうなるのだろう。
店を改めて見回すと、カウンターのこちら側、すなわち客が座るであろうスペースには一つだけ扉が設置されていた。
マスターの使っていた扉とは違い、こちらはごく普通のサイズだ。
開けてみると、中にはさらに扉が一つ。さらにそれを開けてみると、中はただの便所だった。

マスターの言っていた言葉を思い出す。ここは、千鳥足テレポートでしか来れない店。
つまるところ、客が出入りする扉はそもそも設置していないのだ。そこに、マスターの店の秘匿性を徹底的に守るという強い決意が感じられる。
ならば、と俺はカウンターを乗り越え、今しがたマスターが出て行った扉に手をかける。
鍵がかかっているわけでは無い、だがどんなに力を入れようとドアノブはピクリとも動かなかった。
このドアノブの硬さは物理的なものではない、魔術的な何かだと考えるのが妥当だろう。

千鳥足テレポートは、その帰還術式以外での帰還は絶対にできない。そういうことなのだろう。


ふむ、手詰まりだ。
自身の魔法への知見が浅いとは思わないが、これだけ複雑の条件付けが為されているとお手上げだ。
少なくとも、酒が入っている状態で取り組むべき問題ではない気がしてきた。

俺は、再びカウンターを乗り越え客側へと戻った。
当然のことだが、俺の酒は彼女の隣に置かれたままだ。正直なところ、気まずさから席を一人分空けたい気分ではあるが。
それでは、俺が逃げたみたいで実に情けないではないか。
俺は、覚悟を決め彼女の隣へ座った。

彼女の手元にあるものと同じ、強い赤みを帯びた琥珀色の酒に口をつける。
マンハッタンといったか。いったいどういう意味なのだろうか。


「アタシは、マンハッタンが一番好き」

「甘くて、芳ばしくて。それに、最後に口に放り込むチェリーがたまらないの」


俺も、もともとはあまり甘いものが好きというわけでは無い。
だが、ウイスキーが放つ香りと混じり合っているせいか、このカクテルの甘さは俺にあっていた。


「たまには、甘い酒も悪くないな」


「あらあら、気取っちゃって」


横目に、彼女をチラリと見る。

彼女の頬は、いつになく赤く染まっていた。
彼女がこんなに酔っているのをみるのは初めてだった。

だが、そこには確かに更に赤黒い一筋の線が見て取れる。
モヤモヤとした薄暗い感情に、俺は視線を正面に戻される。


「キミがこんなに酔っているのは初めて見た。体調でも悪いのか」


「嫌なことがあったから飲みすぎちゃった」


「俺が、帰った後もずっと飲んでたのか?」


「たぶんそう」


先日とは打って変わって、彼女は素直に見える。これもまた、酒の力であろうか。
冷静に話をするなら、今がいい機会なのかもしれない。

この間の話の続きを、するべきなのであろう。
それは、魔王を見つけた時の取り扱いであり、彼女がひたすらに隠す彼女自身の素性についてであり。
そして、最も重要なのは魔王探索の最前線から彼女に退いてもらうことである。

彼女の説得の困難さを鑑みると、どうにも気が重くなってきて自然と眉に皺がよってくる。



「まだ怒ってる?」


顔中の皺という皺を眉に寄せ、口を真一文字に結び、腕を組んで正面を凝視する俺の様子を窺うように、遊び人が俺の顔を覗き込んできた。


「俺は、そもそも怒ってなんかいない」


「いや、怒ってたよ」


「何に対してだ、俺が怒る要因など何一つない」


「でも、私のせいで炎魔将軍を取り逃がしちゃったじゃん」


「それは、そういうこともあるさ」


「でもでも、二度とこんなのはごめんだって……」


ああ、誤解の原因はそこだったのか。
彼女は、俺が炎魔将軍を取り逃がしたことを怒っていると思っているのだ。
故に、その原因となった彼女を俺が旅から排除しようとしていると勘違いさせてしまっていた。
ならば、その誤解さえとければ、俺は彼女を納得させられるのではないだろうか。
彼女との協力関係を保ったまま、前線に一人で立つことができるのではないだろうか。


「二度とごめんだ」


彼女は悲しそうに「ほら」と呟いた。


「ちがう。そうじゃないんだ」


「じゃあなに?」


「……」


沈黙が流れる。答えに詰まったわけではない。
明確な答えは俺の中にある。だが、それを言うには相応の勇気が必要なのだ。
人々から、勇気あるものと称される俺をもってしても躊躇してしまうほど恐ろしい壁があるのだ。
目をそらしてはならない、俺は自身の罪へと向き合わなくてはならなかった。

カウンターの上に置かれていたウイスキーを無造作に取り上げる。
ラベルには、見たこともない角ばった文字らしきものがでかでかと書かれている。
気にせず、ビンを開け、一気に喉へと流し込む。所謂ラッパ飲みだ。

肺が空気をもとめ、胃が突然の強い酒の侵入に嫌悪感を示す。
えづきそうになるのを我慢して、俺はどうにかビンを全てからにすることに成功した。


「君の顔に、傷が残ってしまった」


彼女が驚いてこちらを見ていた。
俺もまた、彼女の目をそらすことはなかった。

彼女は、自身の頬に何げなく振れた。
そこには、炎魔将軍によってつけられた刃傷がありありと残っていた。
炎魔将軍の高温の剣は肉を切り裂くと同時に彼女の皮膚を焼いていた。血が出なかったのはそのせいだ。
そして、その傷は回復魔法をかけても跡が消えることはなかった。

俺は、美しく愛らしい彼女の顔をまっすぐ見ることができなくなっていた。
彼女を無防備にも魔王幹部に近づけてしまったこと。そして、あまつさえ彼女と連中のやり取りを盗み聞きし彼女の素性を探ろうとしていたこと。
彼女に一生ものの傷を負わせてしまったのは、自分であるという後ろめたさがそうさせたのだ。

絞り出すように、俺は懺悔をつづけた。


「かつて俺はキミに約束した。俺が君を守ると」


「いや、そんな約束した覚えがないけど」


「す、すまない、気のせいだったかもしれない」


あれ?気のせいだったか?俺の記憶違いなのだろうか。
いや、確かに以前そんな約束をした気がする。
景気づけに、カウンターから再び一本ウイスキーをとる。
あける。飲み干す。
実に燃費の悪い身体である。そうして、ドーピングを重ねないと本心を明かすことができないなんて。


「……君が傷つくのは二度とごめんだ」


我ながら思う。うすら寒い台詞だと。
照れのせいかどうにも鼻がむずかゆい。


「……そう……じ、じゃあ、次は君が守ってよ」


そう言って彼女は机に突っ伏してしまった。
どうやら、俺の説得は失敗したらしい。彼女は、俺が本心を明かしてもなお前線についてきて俺の隣に立つつもりでいた。

しかし、その挙動に一つまみ程の不振さを抱いた俺は、組んだ腕の中に自身の頭を納めこんでいる彼女を、その腕の隙間からのぞみこんでみた。
薄暗くてよく見えないが、頬が先ほどよりも更に赤くなっている気がする。呼吸もいくばくか、荒くなっている。
飲みすぎて気持ち悪くなったのかと、背中をさすろうと手を伸ばすと、彼女はゼンマイ仕掛けの玩具のようにバッと起き上がった。


「私の秘密、ひとつだけ教えてあげる」


その頬はやはり、赤い。というか、頬に限らず顔全体が赤く染まっている。


「お、おぅ」


「君さ。たぶん、自分では気づいていないようだけど」


「お、おぅ?」


「酔っているとき、心のモノローグがだだもれだよ」



~~~~~~

「ビールの苦みはホップに由来するものなのよ」


「ホップ?」


「そ、ホップステップジャンプのホップ」


遊び人のにやけ面からするに、これは冗談を言っているのだろう。

これだから、酔っ払いの相手をするのは嫌なんだ。下らない冗談を、得意満面に話すなんて恥ずかしくないのだろうか。

どうせ言うならもっと洒落た冗談を言って欲しいものだ。例えば、そうだな……。

ホップ……モップ……コップ……いや、やめておこう。このままだと碌なことを言いだしかねない。


「いい判断だね」


~~~~~~


「うんうん、そうだな。俺も、君の中身のほうを楽しみたいものだ」


~~~~~~



「それを言うなら、遊び人さんは。地獄のサルの尻のように顔が赤い」


「女性の顔を、エテ公の尻に例えるたあ、勇者様のデリカシーのなさに磨きがかかってきましたなあ。というか、地獄のサルって何よ……」


「いや、なんとなく旨い事言おうとして失敗しただけだから深堀しないで」


「……ならもっと可愛いものに例えなさいよ」


ふむ、サルの尻より可愛いものときた。さて、そんなものが現実に存在しうるのだろうか……。
いや待て、考えるまでもなくそんなものは世に数多あるわ。星の数よりあるわ。
ありすぎて逆に、回答に困るやつだわ。


「はよしろ。あほう勇者」


焦らすなよ。
そうだなあ。かわいいもの、かわいいものねえ。うん、そうだ。
例えば、今俺の目の前で頬を染めて酒を飲んでいる黄金色の髪をもった女の子とか。
あ、これはだめだ。
これじゃあ、可愛いものの例えじゃなくて可愛いそのものではないか。


「 ちどりあしてれぽーとおおおおおおおお!! 」


~~~~~~

かつての、自身の発言が走馬灯のように駆け巡っていく。
その光は、俺の全身を青白く照らした後、反転急上昇、今度は真っ赤に染め上げていく。


今度は、遊び人に変わって俺が机に突っ伏す番だった。
今ならわかる。彼女が、そうしたのはそういうことだったのだ。
俺は恥ずかしさのあまりに、顔をあげることができなくなってしまっていた。


隣では、彼女が「うえっへっへっへ」とそこいらの酒場に溢れる下品な親父みたいな、汚らしい笑い声を漏らしていた。


「おや、問題は片付いたようですね」


マスターが小人の扉を潜り、店の中へと戻ってくる。
氷を買いに行くと言っていたはずが、その手には何も握られていなかった。


「残念ながら、問題は解決していない。以前、彼女はこの店に捕らえられたままだ」


腕の隙間から、なんとか声を出す。


「いえいえ、もう邪魔な壁は取り払われているとお見受けします。全く憎らしいことに」


憎らしい?


「しかし、老いぼれが若い二人の邪魔をするのも無粋ですし、私からの餞です」

「いま、お二人が飲んでいる『マンハッタン』の由来をお教えしましょう」

「『マンハッタン』とは異世界のある都市の名前で、このお酒はその都市に沈みゆく夕日をイメージして作られたと言われています」


唐突なマスターの語りに、俺は埋もれた頭をもちあげていた。


「夕日が沈む前に人々は帰路につくべきなのです」

「まあ、お二人ぐらいならマダマダ宵の口と肩を並べて千鳥足で街を闊歩したいかもしれませんがね」


俺は、マスターの意図を探る。
いくら俺たちがマンハッタンを二人して飲んでいるからと言って、その由来を意味深に語る意味はなんだ。
そんなのは考えるまでもない、これはマスターからの餞。すなわち、俺たちが抱えている帰還できないという問題のヒントになっているのだ。

解決法を自身で見つけろと言いながらヒントを与える。
マスターが作り出した魔法が原因となっていることはさておいたとしても、なんともまあ、お人好しな好々爺ではないか。

夕日が沈む前に、人々は帰路につくべき……ね。


「つまり、足元が暗くなる前に帰りなさい」ということだ。
だが、果たして酔っ払いが日も変わらぬ前に家路につくか?いや、そんなことはありえない。
酔っ払いであればあるほど、その楽しいひと時を延ばしたいと家には帰りたがらない。
その結果、酔いつぶれて街の闇に沈んでしまう。

そして、千鳥足テレポートを使うものは総じて酔っ払い。
さらに言えば、その魔法を作り出したのはお人好しの大賢者とくれば答えはそう難しくない。
目の前のマスターなら、きっと酔いつぶれた客をそのまま何処とも知れぬ帰還先に放っておくことなどできないはずだ。


「酷く酔った千鳥足テレポート行使者は、帰還先が自宅へと変更される?」


マスターは、答えを返す代わりにニッコリと笑って見せた。


俺が宿屋に戻れて、彼女だけが店に取り残された合点がいった。

つまり旅の俺たちにとっては、自宅など存在しない。
それでもなお、俺が宿屋の部屋に直接帰還した経験を鑑みるに、俺たち旅人の自宅とは、その都度とった宿ということだ。

あの日、宿屋に彼女の部屋はなかった。
とれた部屋は一部屋だけで、彼女はその部屋に一歩もはいらなかったし、荷ほどきもしていなかった。
俺が同室を拒否したことも相まっているかもしれない。たとえ俺に、そのつもりがなかったとしても彼女はあの夜宿なしのまま酒を飲みにでてしまった。

そして、俺たちはマスターの前で醜態をさらすほどに酷く酔ってしまった。


原因は、既に解明された。……ならば、解決法に見当はつく。


「わかったようですね」


「あぁ……」


「どういうこと」と、遊び人が一人だけ頭上に疑問符を浮かべている。


「……すまない、マスター何でもいい。何か強い酒をくれ」


「……男なら」


「ん?」


「男なら、酒の力を借りずに為すべき時があります」


……マスターの言うとおりだ。
いったい俺はいつから、こんなにも弱くなってしまったのだろう。
例え初めての経験だろうと、その勇気をもって臨むのが勇者ではなかったか。
その名に恥じぬ男ぶりを見せないで、何が勇者であろうか。

俺は、覚悟を決める。


彼女の目に正面から向かう。
遊び人は相変わらず疑問符を頭上に浮かべたままキョトンとしている。


「今夜、俺の部屋に泊っていけ」


遊び人は、ポカーンと口を大きく開け固まってしまった。
そして、じわじわと時間をかけ口を閉じ、終いには俯いてしまった。


振られたか……?


彼女は面をあげる。
だが、目は開いていない。


「そ、それでは、宴もたけなわでございますが……」


急に改まった口調に、俺は彼女の意図を汲みかねる。


「たけなわ?」


「に、二本締めと行きましょう」


「二本締め?そんなの聞いたことないぞ……?」


「よぉお~~~!」


パンパン。
乾いた音が二回、店内に響き渡る。

有無を言わさない彼女の掛け声にあわせて、俺はつい手を合わせてしまっていた。
光が俺と彼女の体を包み込む。

つまるところ、これはそういうことなのだろう。彼女なりの承諾ととってしかるべきなのだろう。
なんだこいつ、人のことを初心だの何だの散々馬鹿にしておいて。

帰ったら、そのあたりをトコトン問い詰めてやる。


――――――


光が収まり、バーは再び間接照明の落ち着いた色に染まる。
静けさを取り戻した店内には、老いた店の主人の姿しかなかった。


「二人とも消えたということは、あの娘も彼を受け入れたとみて良さそうかな」


マスターは、店内に誰もいないことを確認すると、鼻をズズッとすすり、懐から出したハンカチで目元を拭った。


「まったく、世話の焼けるお客様だ」


そう独り言ちて、ふとカウンターに目を向ける。
そこには、異世界で仕入れてきたウイスキーが二本。
琥珀色の液体で満ちていたはずのそれらは、既に空き瓶とかしていた。


「……ツケにしといてあげよう」


マスターの声は、少しだけ怒りと悲しみに震えていた。


――――――

朝日が、カーテンの隙間から部屋に差し込んでくる。
大きなあくびを一つ上げ、ググっと伸びをする。

アルコールの強烈な香りが鼻をついてくるせいで、とても清々しい朝だとは言えなかった。
床には割れたワインの瓶が転がっている。昨晩、彼女と飲みなおそうと教会から貰ってきたものだ。
宿屋の主人には悪いが、あの自家製酒はもう口にしたくなかった。


「まだ、結構残っていたはずだ。勿体ないことをしたな」


シャツを脱ぐと、襟から胸元にかけて赤いシミがべっとりついていた。
どうやら、頭からワインを被ってしまったらしい。いったいどんな寝ぼけ方をしたのやら。


「おい、遊び人。朝だぞ」


この部屋にはベッドが一つしかない。
俺は、先ほどまで自分が潜っていたベッドに向けて声をかける。


「おーい、キミに限って二日酔いなんてことはないだろう?」


ブランケットの中を覗き込む。
だが、そこには誰もいなかった。


「またかよ」


思わず恨み節がでてしまった。



その日、遊び人は俺の前から姿を消した。

俺は当然のように再び、彼女を探す。
そうして、彼女が消えてから半年が過ぎた。


――――――

3杯目 カクタル思い

おわり

――――――
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