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ラストオーダー 勇者根性スピリッツ

亀甲縛りされながらウイスキーを飲む女

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 目を回している彼女の頭を、優しく俺の太ももの上にのせる。長年、如何なる目的も果たせなかった俺ではあるが、ようやく一つ成しえることができた気がする。

 久方ぶりに彼女の顔を拝むが、やはりとんでもない美少女だ。こんなに、幼く可愛らしい顔つきをした美少女の頭をふとももに載せるなんて、なんと扇情的で犯罪的なんだろうか。だが彼女は、立派な大人。そこに違法性は一切ない。というか、彼女の生い立ちを鑑みるに、とんでもない年上の可能性だってあり得る。

 彼女の頭の重みが、俺に歓喜の震えを与える。俺の鋼の精神は、恐慌状態へと陥り、あまりの喜びに泣き叫びたいほどだ。

 俺は、衝動に駆られ彼女の頭を撫でることにした。綺麗な髪が、絡まることなく指の間をスルリと落ちる。


「可愛いなぁ……」


 俺の口から、思わず心中がだだ洩れた。
 すると、まるでタイミングを図ったかのように、彼女の口からもぬるく、粘った液体が滴り落ちた。


「うわ、ばっちいな」


 彼女のよだれが、膝にかかってしまった。いくら愛おしい彼女の唾液だからと言って、それまで愛でるほど俺は変態ではない。俺は、彼女のマフラーで自身の膝を拭う。


「とんでもないやつだ」


 お返しとばかりに、彼女の頬をつねる。プニプニしている。まるでスライムみたいな柔らかさだ。


「……おい勇者どこ触ってんだ」


 目を覚ました遊び人が不満げな声をあげた。俺は、それを無視して頬をいじくる。これは、俺の膝に涎を落とした罰だから俺に何ら後ろめたいことはない。


「おい、やめおー」


「ははっ、変なしゃべり方」


 彼女の眉が少しだけ吊り上がる。まずい、やりすぎたか。俺は、慌てて頬をいじくるのをやめた。


「私の体は?」


 彼女の問いかけに、俺は答える代わりに彼女の頭を持ち上げ、部屋の片隅で倒れている彼女の体を見せてやる。


「ばか! 私の頭で、遊んでる場合じゃないぞ! 早く、体が起きる前に縛り上げて!」


 どうやら、頭が目覚めると体も動き出すらしい。俺は、部屋の隅にあったロープを持ち出し彼女の体を縛りにかかる。


「ほら、そっちのわっかに紐をを通して。そうそう、そのまま裏面に回して」


 やたらと、彼女が縛り方に口出ししてくるが、まあ別に逆らう必要もない。俺は、彼女の言うがままに従った。

 俺は、そのあまりの尊さに感動していた。彼女の指示通りに縛り上げられた彼女の体は、後ろ手に縛ることで身体の動きを制限すると同時に、胸をあえて強調するように縄が張り巡らされている。これは、実用性と芸術性(ある意味で実用性)を兼ねそろえた一個の芸術作品と呼ぶに値するものであった。


「こ、これは……」


 赤面する俺に、彼女はしてやったりの表情をみせている。


「どうだ! 恥ずかしいか勇者! 人の頬を好き勝手いじくったお返しだ!」


「いや……これ、縛られてるのキミの体だからね?」


 遊び人は、その事実に今更気づいたようで。見る見るうちに下から上へと真っ赤に茹で上がっていった。……どうやら、久々の再開で精神が恐慌状態へと陥っているのは彼女も同じらしい。


 俺たちは、目が覚めてジタバタもがいている身体をよそにバーカウンターに並べられた椅子に腰かけた。バーカウンターの上に据えられた彼女の指示で、俺はグラスに琥珀色の酒を注ぐ。独特な芳ばしい香りが鼻を衝く。


「水で割るか?」


「いや、ウイスキーはストレートが好きなんだ」


 グラスを傾け、彼女に一口だけ飲ませてやる。そうしてから、ようやく自分のグラスに口をつける。強いアルコールが喉を焼く。だが、耐性のおかげでちっとも酔えそうにない。


「なあ、今更だけどさ。教えてくれよ君のこと」

 
 こうやって、酒を酌み交わしつつ彼女と会話するのはカクテルバー《ゾクジン》以来のことだった。あの日、俺たちは語り合うべき話を語り合わずに終わった。俺には、それが彼女がいなくなった遠因に思えてならなかった。俺が、もう少しでも彼女のことを知っていれば、こんなに苦しい思いをしなくてもすんだはずだ。

 俺の強い意志が伝わったのか、彼女はぽつりぽつりと話し出した。


「私は、暗黒騎士でデュラハン。魔王軍の中でもそこそこの力を持つ魔族なの。魔王軍が壊滅した……キミに魔王を倒された時、私は単独で任務に就いていたんだ。そのせいで、姿を隠した魔王軍の残党たちと合流することができなくなってしまった」


「じゃあ、キミは魔王軍に合流しようとしていたのか?」


「いや違うの……まあ、最後まで聞いてよ。どんなに探しても魔王は見つからなかったの。その頃はまだ、千鳥足テレポートも知らなかったし私に魔王を探し出す手段はなかった。それで、私は諦めてしまった。そして私は、自分の頭と身体を糸で縫い付け、人に紛れ静かに暮らすことにした」

「そうして何年か経った頃、違法酒場で飲んでるときに魔王軍がラムランナーを始めたって噂を聞いたの。私は、再び魔王を探すことに決めたわ。でもそれは、元魔王軍の暗黒騎士として魔王軍に合流するためではなく、いち酔っ払いとして、ラムランナーなんてしている暇があったら酒造業界を取りまとめて天下の悪法『禁酒法』と戦えって物申してやりたかったからなの。それを決めたときは、変な気持ちだったわ。かつての私なら、魔王のやることに異を唱えるなんてありえなかったんだから」


 炎魔将軍の言葉を思い出す。「人に化けると、思考や性質が人間に寄ってしまう」。おそらく、彼女にもそれが起こったのだろう。魔王軍という群れを一人離れ、人間として日常をおくる中で魔王への忠誠心が薄らぎ、強い自我に目覚めたのだ。


「私は、まずマスターを頼った。先代魔王なら、何か知ってるかもって思ったの。だけど、マスターは何も知らなかった。でも、かわりに千鳥足テレポートを私に教えてくれた。千鳥足テレポートの恐ろしさはキミも知っている通り、私はかつての仲間たちとアッサリと再会を果たしたわ。でも、長らく魔王軍への合流を果たせなかったうえに人間として暮らしていた私は彼らに信用されなかった。誰も、魔王の居場所を教えてくれなかった。……悲しかったわ、本当は魔族だという負い目からか人間たちとは深く付き合えなかったし、そのうえ仲間だと思っていた魔族たちからも信用されなかったんだから。私に居場所なんてないって。その悲しさを紛らわすために、毎日お酒を飲んでたわ。そんなときよ、キミに出会ったのは」


「飲むか?」と、俺は彼女に酒をすすめる。彼女は何も答えなかったが、俺はグラスを口元まで運んでやる。動かない頭ではあるが、俺には彼女がコクんと頷いたように見えたからだ。彼女は、「ありがとう」と言ってウイスキーを喉に通した。

 
「相変わらずの人に化ける生活で、更には勇者に味方したことで余計に魔族たちにも信用されなかったけど、隣に同じ目的を持った人がいるってだけで私はすごくうれしかったの」


 俺は、彼女の頭を持ち上げ自分の前へと運ぶ。そして、そっと机の上に置いて彼女の目を正面から見つめた。


「じゃあ、なんで俺の前から消えた?」


 その質問は、俺が消えた彼女を追い続けた理由であった。
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