犀川のクジラ

みん

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3章 秋

34話

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 せっかくここまで来たんだから公園の先っぽの離れ島まで行って来いよ、と魚住が勧めるので、三人は先に美術館の外へと出て、公園の奥を散策に行った。僕は魚住が用意してくれているというお土産をもらいに、事務室裏の冷蔵庫前へとやってきた。
「恭ちゃん悪いなあ。ばあちゃんには色々もらっているからよ、たまにはこっちからもお裾わけせんとな」
魚住は冷蔵庫のドアを開けると、中をがさごそと探り、魚やきのこなど色々な食材を大量に保冷バッグの中に詰め込んでいった。
「こんなに、ですか」
 悪いなあ、と言いながら全く悪いと思っていない量だった。こんなにもらって、僕のおばあちゃんは全部使い切ることができるのだろうか。
「しかし恭ちゃんたちは面白い集まりや。本当にいるのかも分からないクジラを探すために、こんなところまで来るなんて」
「“犀川の会”と僕らのあいだでは呼んでいます。元々はただ集まってお酒を飲んでいるだけの集まりだったんですけど、心美と出会ってグループの目的と言うか、目標が出来たんです」
「クジラを見つけ出すってか?まあ、そんな時間のかかることに真剣に取り組めるのも学生の特権だよなあ。あ、皮肉じゃねえぞ。」若さが羨ましいんだよ、と言いながら魚住は保冷バッグの中に食材を詰めこむ。恭ちゃんはこれを持ってくれと言われて渡された袋の中には、瑞々しい野菜たちが行儀よく並んでいた。
「僕は、父の遺したノートのことがあったので、クジラについてはいつか調べなければいけないなあと思っていたんです」
「ああ、恭一のことか。このあいだ恭ちゃんのお母さんに電話で聞いたけど、犀川でクジラを見たって言ってノートに色々遺していったみたいだなあ。お母さん、恭ちゃんが調べていることを知って、なんや嬉しそうやったよ」
魚住が歩き出したので、僕はその後ろをついていく。事務室を出る時に、事務員の方が軽く首を下げるのが見えて、僕は会釈をした。
「ノート、今持っているんかい?」事務室を出た後に魚住が言うので、僕は近くの机の上に野菜を置き、リュックの中から五冊のノートを取り出した。ノートをものすごい速さでめくっていくと、汚い字やなあ、と魚住は笑った。
 だが、【考察5】と書かれた最後のノートを見ると、顔つきが変わった。

「死神・・・」

 【考察5】のノートには、“死神”という言葉が多く書かれていた。僕たちもその点には気づいていたが、意味が分からないためそのままにしていた。魚住はすべてのノートを読み終わると、何か思いあたるところがあったようで、考え込んでいる。
「もしかしたら【考察4】と【考察5】のノートに書かれとる“能登のクジラ”と“死神”っていうのはあれのことを言っとるんかなあ・・・」しばらく考えこんだ後、魚住が口を開いた。
「なにか心当たりがあるんですか?」
「いや、さっき恭ちゃんたちに話したことはこの町のみんなが知っとる歴史なんやけどな。おれが育った鯨島っちゅう地域では子供たちに決まって聞かせていた言い伝えがあるんだよ。今はあそこの子供の数が減っているからなあ、今の今まで言い伝えのこと自体忘れとったわ」と言って、わははは、と大声で笑った。

「どんな、言い伝えなんですか?」

 僕は自分の鼓動がドクドクと脈打つのを感じる。父は地元である能登が好きで、よく遊びにきたり、能登の歴史を調べたりしていた。
 父なら、その言い伝えを知っていてもおかしくはない。

「ちょっと待っとれよ・・・。たしかな、辺りが暗くなったときに、小さな子供が海のそばに行くとな、クジラの歌声がきこえるんだよ。特に海が荒れているときなんかはな。その声は何なのかなあ、と思って海のそばに近づくと、海からクジラが飛び出してきてバクッと食べられて海の底まで連れて行かれるっていう話だ。あの地域ではずうっと前から聞かされている話なんやけどな、まあ、迷信の一種や」
 
 魚住は記憶を探るように、僕に話した。
 どこにでもあるような、地域の人たちが話す言い伝えのようだった。

「夜に口笛を吹くと蛇がくる。黒猫が道を横切る姿を見ると不幸に会う。そんな類の迷信だということですか?」
「そうや。あの地域は海にものすごい近くてなあ、夜中に子供が海の近くに行って、誤って溺れたりしないようにこの言い伝えが伝わってきたんやと、そう思っていたよ。恭一は鯨島の生まれじゃないけどな、よくうちに泊まりに来とったんや。むしろ恭一のほうが、そういう話を熱心に聞いとったんかもな」あいつは覚えとったんかもしれんなあ、と魚住は言う。
「父さんは鯨島の言い伝えと、犀川のクジラに関係があると考えたんでしょうか」
「うーん。その可能性はあるなあ」
このノートに描かれている考察は、あくまで父が小説を作るためのプロットだ。もしこの予想が当たっているとすれば、クジラは海に近づくものを死へと誘う死神のような存在として物語に関係していくことになる。

「もし恭一の考えが当たっているなら、あの嬢ちゃんのことは気にかけてやんねーとな」

 美術館の外へ出て見上げると、一面に秋晴れの空が広がっていた。公園内に漂う凛とした空気が気持ちいい。先に外へ出た三人は公園の奥へ行ったまま戻っていないらしく、姿が見えない。

「心美のことですか?」

「そうだ。おれは生物学者だ。学者は基本的に非科学的なことは信用しないことにしているから、さっきまで話をしていたクジラは仮説1が一番可能性があると思っている。それを前提としてだ。前提としていても、生きているとどうしても科学の力だけでは説明できない物事が起こるときってのがあるんだ。あの巨大な骨がたった一日で消えちまった理由も分からんしな。それにたとえば、人間の身体なんてものはまだ完全に解明されたものじゃないし、なにが起こったって不思議じゃない。その歌っていうのが恭ちゃんたちに聞こえないのは、そういうことかもしれない」

「・・・心美の中にある何かが、彼女に歌を聞かせている可能性があるってことですか?」

「まあそういうことだな。どうしようもなく身体の内側に溜まっちまった悪いものが、当人の意識にかかわらず影響を及ぼすことはあるもんだ」

「・・・わかりました、彼女を注意して見ておきます」まあ杞憂だとは思うけどなあ、と魚住は笑った。

 僕と魚住は駐車場に停めてあるレンタカーまで大量のお土産を持っていくと、トランクに詰め込んだ。四人分の荷物も乗っているのにまだ乗せる気かよ、と車が愚痴をこぼす声が聞こえてきそうだ。
「アルバイト先のお子さんのほうは、もう聞こえないんだろ?」
「はい。お父さんとの関係が悪化してから、一時期はクジラの唄が聞こえていたそうです」
「子供が小さい時はそういう力が強いみたいだからなあ、少しストレスを抱えただけで見えたり聞こえたりすることもあるって聞くぞ」
「そうなんですか?」僕は疑いを込めた目で魚住を見る。
魚住はそれに気づいたのか、「いや、ほんとやって」と大きな手を顔の前で振ってから「うちの息子も、家に誰か知らない人がいるって騒いで泣いたことがあるんだよ。放っておいたら言わなくなったけどさ、世の中不思議なことがけっこうあるもんなんだよ」

 学者泣かせだよなあ、と魚住は大きな声でぼやいた。

 赤松が生い茂る林の奥に三人は入っていったが、少し待っても戻ってこない。仕方がないので、三人を探して僕も松林のなかへと入ることにした。魚住は、意外と距離があるから俺は嫌だと言って付いてこなかった。自分が勧めたのに。
 松林の中にはまだ数十年しか立っていないであろう若い松から、数百年の時を超えてもなお堂々と立ち続けている松まで、辺りを見回せば無数に立ち並んでいた。道は舗装されているが、松林以外に見えるものはなにもない。
 先ほどの広々としていた公園とはまるで違った場所に踏み入れたような、そんな不思議な光景だった。永井たちはこの不思議な場所で迷って出られなくなったのではないだろうか、そんな妄想が頭に浮かぶ。
 だが、林道を十分ほど進んでいくと、ついに行き止まりにたどり着いた。
そして僕の目の前には、広大な海が続いていた。海の上にはまだ雨が降っているところがあり、風の流れと共に晴れ間がゆっくりと広がってゆく。
 
 雨が海の向こうへと去っていく光景に、僕は初めて出会った。

「みんな、何しているんだよ」目の前に飛び込んだのは貴重な瞬間のオーシャンビュー、魚住が言っていた離れ島、そしてレジャーシートの上で寝ころんでいる三人の姿だった。
「見れば分かるでしょ、お昼寝だよ」
 仰向けに寝ころんでいた心美が、ごろんとうつ伏せにになって僕を見た。靴を脱ぎ、裸足になって大自然に横たわる少女からは自由の風が感じられた。
「ここは良いところだなあ」と永井がのんびりとした声を出すと、由紀も同意するようにうなずく。彼らはこの景色をずっと見ていたくて、ここに僕がやってくるまでゆっくりとすることに決めたのだろう。

 三人があまりにも気持ちよさそうに昼寝をしているので、僕も一緒になって寝ころんだ。
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