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14 本日は快晴なり
しおりを挟むその日は見事な快晴だった。雲ひとつない澄み切った青空というのはこういう天気をさすのだろうとしみじみ納得するような、そんな動物園日和だ。
片手にはパンフレット、もう片方の手にはソフトクリームという実に定番のスタイルで私たちは動物園を歩き回った。連休とあって家族連れやグループ連れが目立つ。
「動物園なんて本当に久しぶり。一気に童心に帰るよね」
「灯里さん、よそ見してるとソフトクリームが溶けちゃいますよ」
うっかりはしゃぎすぎて、一緒に来ているのが会社の後輩だという事実を忘れそうになる。もっとも桐野はいつもしっかり者キャラだから、普段から年下という感じはあまりしないけど。
「桐野くんさ、馬鹿笑いすることとかある? なんか想像できないんだけど」
動物園に来ているのにいつもとあまり変わらずテンションが低めに見える桐野に、つい意地悪な質問をぶつけてしまう。楽しいのは私だけか、そうなのかと詰め寄りたい気分だ。
桐野は一瞬驚いたような表情を浮かべて、そして笑った。小憎たらしいほどその笑顔が眼福過ぎて、なんだか悔しい。
「なんですか、それ。そりゃしますよ。……そろそろ知りたくなりました? 僕がどんな人間か。そばにいたらいくらでも見れますよ。一日中でも、お望みなら何十年でも」
その言葉に、私は歩いていた足をピタリと止めた。
ふと年を取った皴だらけの桐野と、その隣に立つやっぱり皴だらけのよぼよぼな自分の姿を想像してみる。悪くない、と思えた。
「……うん。知りたいよ。桐野くんのこと、どんなふうに笑うのかとかどんな時に怒るのかとか。何が好きで何が嫌いかとか、色々」
くるりと振り返り、桐野の顔を真っ直ぐに見つめた。今度こそ桐野が心の底から驚いたように、目をまん丸にしてこちらを見つめている。
「あの時の返事、してもいい?」
自分を選んで欲しい、桐野はあの時そういった。でも私は桐野を選ぶ気なんてない。誰かが誰かを選ぶとか選ばれるとか、もうそんな狭い考え方はいらない。私の答えは、もうとっくに出ている。きっとあの夜から。
胸がバクバクと大きく鳴ってほんの少しだけ臆病風に吹かれるけれど、それをぐっと抑え込んで気持ちを落ち着かせるようにすうっ、と息を大きく吸い込む。そして、桐野を真っ直ぐに見つめた。
「私は、桐野くんを選ばない」
「……えっ?」
桐野の顔が一瞬歪んだ。それに小さく笑いかけて、言葉を続ける。
「誰かを選ぶとか選ばれるとか、そういうのはもういいんだ。そこに安心も幸せもないって分かったから。でもね、私はただ、あなたのそばにいたい。桐野くんのことをもっと知りたいし、私のことも知って欲しい。……だから私たち、恋人になりませんか?」
そこまで一息に言って、今にも引きつりそうな顔で無理矢理笑顔を作った。
「……は、はは。本当にあなたって人は……予想外だな」
桐野の表情がいつになく崩れて、目元が真っ赤に色づいた。この顔なら知ってる。照れている時の顔だ。
「あっ! ソフトクリームがっ」
手に持っていたソフトクリームがいよいよ溶け出して、アスファルトに白い染みを作る。指に垂れたクリームを慌てて拭き取りながら、急いで口に運ぼうとしたその時。
ぱくりと桐野の口がクリームを口に含んだ。
「あっ! 私のソフトクリーム! ひどい、ひと口が大きすぎるっ!」
一世一代の告白をしていたことなど思わず忘れて、抗議の声を上げる。桐野はその声を無視してくくっと笑うと、私の体をすっぽりと包み込むように抱きしめた。
溶け出したソフトクリームが服につかないように思わず両手を大きく広げたまま固まる私と、ぎゅっと強く抱きしめたまま私の肩に頭をうずめたまま動かない桐野の横を、十代と思しきカップルがうらやましそうに冷やかしながら過ぎ去っていく。
「ちょ、ちょっと……、桐野。人が見てる。ほら、そこのキリンもこっちガン見してるし。ね? 一回ちょっと離れよ?」
こんな往来の激しい場所で真っ昼間から堂々と抱き合うなんて、しかも動物たちにまで興味津々といった顔で覗き込まれてなんだかいたたまれない。恥ずかしいやら、でも嬉しいやら。
「嫌です。離しません」
「き、桐野……? いや、だから。そのキリンが……」
ふと視線を上げると、桐野の耳が赤い。もしかして赤い顔を見られたくなくて顔を上げられずにいるのかもしれない。そう思ったらあまりのかわいさに悶絶しそうになった。
「灯里さん……。灯里、って呼び捨てにしてもいいですか。もう恋人でいいんですよね」
「え、うん……。いい、んじゃないかな。へへっ」
桐野がデレている。あのいつも涼しい顔をしたイケメン桐野が。デレた顔がみたい。でもそんな顔をさせているのが自分だと思うと、それはそれで直視できる気もしない。一体いつのまにこんなに心の中が桐野でいっぱいになってしまったのだろうかと、我ながら不思議に思う。
「灯里」
「……はあい?」
「灯里……?」
「……なあに?」
キリンが不思議そうに首を左右に傾げながら、ずっとこちらを見ている。どことなく呆れた顔に見えるのは気のせいだろうか。
桐野は飽きもせずまだ私を抱きしめたまま、意味もなく私の名前を呼んではぎゅむぎゅむと力を込めて抱きしめてくる。おかげで手はすっかりクリームでベタベタだ。
「……言っとくけど、もう離す気ないですから。だからといって仕事で負ける気もないです。灯里を追いかけたいのはもちろんだけど、いずれは追いかけてももらえるくらい認めてももらいたいんで」
「宣戦布告?……いいよ、もちろん。受けて立つよ。私だって負ける気ないからね」
顔を見合わせて、にやりと笑う。クスクスと笑いがこぼれて、ついにコーンから残っていた最後のクリームまで滑り落ちそうになるのを慌てて口に運んで食い止める。
「ああ、もう! ベタベタになっちゃった。早く手を洗わないと」
「灯里、口の端についてる。クリーム」
桐野はそう言ってにやりと笑うと、口についたクリームごと私の口を塞いだ。言いかけた文句ごとぱくりと塞がれて、思考ごとクリームと一緒に甘く溶けていく。その甘さに、もういいかとあきらめて身をゆだねた。
甘い匂いとべたべたした感触と、二人の周りを吹き抜けていくやわらかな風と。そのすべてが心地よくて、新しい恋のはじまりに心が躍る。
今度こそはできるだけ間違えずに、お互いを真っ直ぐに見つめて一緒に進んでいけるようにと心から願った。
そっと離れた唇を風がそっと撫でていく。熱を持った唇の熱さが少し下がって、それが少し寂しい。ちらりと視線を桐野に合わせれば、お互い暗黙の了解といわんばかりにまた唇が重なる。
幸せは、案外身近なところにあるものだって都が言っていた。連休明けに会社であったら預言者か、と突っ込んでやろうなんて思いながらそっとまた目を閉じるのだった。
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