6 / 24
1章
6
しおりを挟むリフィと出会ったのは俺が十二才、リフィが十才の時。
お互いの父親が俺たちを引き合わせるために、うちの別荘に招いたのがはじまりだった。
脳裏に、淡いピンクのドレスを身にまとったリフィの姿が浮かんだ。
ちょうどミコノスの花が盛りの頃だったから、甘い香りが庭中に満ちていて。
ミコノスの花は淡い薄桃色でひとつひとつは小さいけど、まるで雪のように舞い落ちるんだ。その花の絨毯の上に、リフィがはにかみながら立っていて――。
あの時のリフィを思い出すと、今でも胸がぎゅっとなる。
その懐かしい光景と胸にこみ上げる甘酸っぱさに、俺はたまらなくなって目を閉じた。
『お前の未来の伴侶になるかもしれない女の子が、ここへくるぞ。最終的に結婚するかどうかはお前たちの意思に任せるが、とてもいい子らしいからしっかり振る舞えよ』
父親にそう言われて、何を勝手なことをと怒った記憶がある。
ようは、たまたま友人同士だった俺の父親とリフィの父親とが、自分の娘と息子を婚約させてはどうかなんて、勝手なことを思いついたのがはじまりだった。
十二歳と言えば反抗期真っ只中の生意気ざかりな年頃だ。突然婚約なんて言われてもはい、そうですかなんて喜べるはずもない。
そう、思っていたんだ。リフィを実際にこの目で見てみるまでは。
『はじめまして。リフィと申します。本日はお招きいただきありがとうございます』
リフィは片方の足を軽く引き、スカートのひだをつまんでちょこんと頭を下げた。
ちょっと控えめだけど、鈴のようなかわいらしいその声に、ドキリとした。
その日リフィは淡いピンク色のドレスを身にまとい、ほんのり赤みがかった薄茶色のふわふわの髪を背中に流して、キラキラした髪飾りを付けていた。
髪飾りについた透明なガラス細工が陽の光に反射して、少しまぶしくて、顔は直視できなかった。
だから、ドレスばかり見ていた。
レースが何重にも重ねられたふんわりとしたスカートはまるで綿菓子みたいで、袖口にはシルクのリボンが結ばれていてリフィ自身がピンクの花束のようだと思った。
それは、正真正銘人生で初めての一目惚れだった。
『ほら、ぼうっとしていないでお前もちゃんと挨拶をせんか!』
呆けたようにリフィを、いや正確にはリフィの着ていたドレスばかり見つめていた俺を父が小突き、慌てて貴族の令息らしく胸を張り、自己紹介した。
『は……はじめまして。メリルです。こちらこそお会いできて、ううう……嬉しく思います。今日はようこそおいでくださいました。……リ、リフィ嬢』
初めてその名前を口にした時の、あの気持ちといったら――。
その後のことはよく覚えていない。
あの日着ていたピンクのドレスの詳細は今でも鮮明に思い出せるけど、リフィがどんな表情をしていたかとか、どんな話をしたかとか、そういった肝心なことはさっぱり思い出せない。
けど、多分ろくなことを話していないのは確かだ。
だって、同じ年頃の女の子とどんな話をすれば喜んでもらえるのか、どうすれば気に入ってもらえるのかなんて考えたこともなかったから。
でもきっと仏頂面をして、ぶっきらぼうな態度を取っていたのだろう。
あの年頃特有の、女の子の前でへらへらだらしなく笑うもんじゃない、とか格好悪いところを見せてはいけない、とかそんなくだらない虚勢を張っていたに違いないのだから。
でも本当は、リフィがあんまりにもかわいくて声も出なかっただけなんだ。胸が早鐘のように打ってドキドキしてたまらなくて、顔も上げられなくて。
ただ、それだけだったんだ。
だけど今思えば、完全に初手を間違えた。初対面だからこそ、いい印象を持ってもらうべきだったのに。
ただ、二人で庭を散策している時リフィがつまづいたのは覚えている。
足元を見てみれば、年の割に大人びたよそ行きの靴を履いていて、きっと慣れない靴で足を痛めたんだろうと思ったんだ。
だから、よろめいたリフィにとっさに手を差し出して――。
『あ、あり……がとう……』
リフィは驚いたように目をまん丸くして、小さくそう答えると、差し出した俺の少し汗ばんだ手の上におずおずと手を乗せたんだ。
その手は壊れそうなくらい小さくてかわいくて、少しひんやりとしていた。
その手をまるで宝物のようにそっと握りながら、この手を自分が守ってやるなんてご大層なことを考えたりした。そんなこと、できもしない子どもだったくせに。
その後まもなくして、俺とリフィの婚約が決まった。
リフィが自分の婚約者になる。それは、踊り出したいくらい嬉しい出来事だった。
だって、生まれてはじめて一目惚れをした女の子と婚約できるんだから。
嬉しいに決まってるじゃないか。
なのに――、それが今では元、婚約者だ。
今この瞬間だって、胸が痛くて死んでしまいそうなくらいリフィのことが好きなのに。
リフィのいない人生なんて、もう考えられない。あの優しい笑顔が隣にいないなんて、絶対に嫌だ。
だから、どうしてもやり直したい。もう一度あの日に戻って、婚約が解消されるなんて憂き目にあわぬようやり直したい。
だから俺は、心を決めた。
友人たちとあんな下手なやりとりをする前に戻って、今度こそちゃんとリフィについて友人たちに紹介する。リフィがどんなにかわいくてどんなに優しくて、どんなに素晴らしい大切な存在かを堂々と伝えるんだ。
婚約解消なんて、何もなかったことにするために――。
俺は、手の中にぎゅっと握りしめられていた手鏡に視線を落とした。
「五ヶ月前のあの日に戻れ……! リフィに会う前のあの時間に……!」
そうつぶやくと、手鏡の中にうつった自分の顔がゆらり、と大きく揺らめいた。
0
あなたにおすすめの小説
殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!
さくら
恋愛
王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。
――でも、リリアナは泣き崩れなかった。
「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」
庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。
「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」
絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。
「俺は、君を守るために剣を振るう」
寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。
灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。
『婚約破棄ありがとうございます。自由を求めて隣国へ行ったら、有能すぎて溺愛されました』
鷹 綾
恋愛
内容紹介
王太子に「可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄された公爵令嬢エヴァントラ。
涙を流して見せた彼女だったが──
内心では「これで自由よ!」と小さくガッツポーズ。
実は王国の政務の大半を支えていたのは彼女だった。
エヴァントラが去った途端、王宮は大混乱に陥り、元婚約者とその恋人は国中から総スカンに。
そんな彼女を拾ったのは、隣国の宰相補佐アイオン。
彼はエヴァントラの安全と立場を守るため、
**「恋愛感情を持たない白い結婚」**を提案する。
「干渉しない? 恋愛不要? 最高ですわ」
利害一致の契約婚が始まった……はずが、
有能すぎるエヴァントラは隣国で一気に評価され、
気づけば彼女を庇い、支え、惹かれていく男がひとり。
――白い結婚、どこへ?
「君が笑ってくれるなら、それでいい」
不器用な宰相補佐の溺愛が、静かに始まっていた。
一方、王国では元婚約者が転落し、真実が暴かれていく――。
婚約破棄ざまぁから始まる、
天才令嬢の自由と恋と大逆転のラブストーリー!
---
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
「婚約破棄だ」と叫ぶ殿下、国の実務は私ですが大丈夫ですか?〜私は冷徹宰相補佐と幸せになります〜
万里戸千波
恋愛
公爵令嬢リリエンは卒業パーティーの最中、突然婚約者のジェラルド王子から婚約破棄を申し渡された
白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活
しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。
新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。
二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。
ところが。
◆市場に行けばついてくる
◆荷物は全部持ちたがる
◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる
◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる
……どう見ても、干渉しまくり。
「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」
「……君のことを、放っておけない」
距離はゆっくり縮まり、
優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。
そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。
“冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え――
「二度と妻を侮辱するな」
守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、
いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています
ゆっこ
恋愛
「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」
王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。
「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」
本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。
王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。
「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる