思い込みの恋

秋月朔夕

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 『後悔』という文字は『後に悔いる』と書くんだったなと本当にどうでもいいことが脳裏によぎった。
 きっと無意識に現実逃避をしたのだろう。そんなことしたってこの状況は変わることないのに。

 大体、わたしはなんでいつも学習しないのだろう。感情のまま発言してしまえば、確かにその時はスッキリするけれど、その後が大変だ。分かっているのに、やらかしてしまうわたしは学習機能のない大馬鹿だ。

 現に今だってわたしの発言のせいで、室内の温度が心なしか三度程下がった気がする。恐る恐る冷気の発生源を見上げれば、感情を削ぎ落とした顔でこちらを見ていた。


「……ひっ!」


 あまりの迫力にそのまま一歩下がるが、背後は壁だ。自分から逃げ道を狭めてしまう結果となる。あまりの悪手に歯噛みしたくなったけれど、それよりも早く彼はわたしの元まで歩みより、壁に手をついた。いわゆる壁ドンである。


(近い。近すぎるっ。イケメンは自分の顔が凶器にもなりえることを自覚するべきだわ)

 顔が整っているからこそ怒っている顔が余計に迫力がある。きっとわたしが同じように怒ってみせても多分彼のように怖くないだろう。背筋に冷たい汗が流れ、どうすればいいかわからなくてまごついてしまう。


「ねぇ、一花。さっきまでは威勢が良かったのに、どうして今はそんなに怯えているの?」
「怯えてなんか……」

 わたしのついた分かりやすい嘘に彼は鼻で嗤った。

「こんなに手が震えているのに、身体が俺を拒絶しているのに、俺に怯えていないというのか?」

 それは百戦錬磨の彼と違って異性に触れられることを慣れていないからだ。完璧なる誤解なのに、ぎりっと手首が折れるのかと思う程、無遠慮に掴まれると痛みで生理的な涙が溢れそうになる。
 力で屈服されるなんて嫌だ。泣きそうになっている顔なんて見られたくない。
 俯いてやり過ごそうとしているのに彼はわたしの顎を掴み、強制的に顔を覗き込んでくる。


(デリカシーっていうものがないの)


 それとも彼の周りに居た女の子達は彼のやることなすこと全て受け入れていたのだろうか。わたしだったら嫌だ。男と女では力の強さが全然違う。それなのに力で屈服させようとするなんて卑怯でしかない。
 そんな相手に弱っているところを見せたくなくて思い切り睨んでやると不思議なことに少しだけ、ほんの少しだけ、握り込まれた手の力が緩んだ気がしたが再度同じ強さで握りしめられる。


「離れて」
「なんで? 俺達恋人なんだから良いじゃない」
「わたしは別れるって言ったはずよ」
「俺は認めていない」
「じゃあ勝手に別れるっ!」
「別れるわけないだろ!!」

 堂々巡りをしている間に隙をみて腹いせがてらに彼の脛を蹴ろうとしたら、互いの足を絡ませられてしまう。お互いの吐息すらも感じられる距離なのに、攻防戦に徹しているせいで色気もなにもあったものじゃない。
 恋人の絡みというより組み手をしているというのが正しいかもしれない――純粋な力の競り合いで興奮してしまったわたしはまた余計なことを口走ってしまう。



「そもそもわたしのどこが好きなの?」

 怒鳴りつけるように捲くし立てれば、意外なことに彼は突然ふいっと顔を逸らせる。状況が違うだけで恋人同士だったらよくある質問だと思うのになにが彼を動揺させたというのか。不思議に思って彼の顔を無理矢理覗き込めば、何故だか距離を置かれた。

(え、なになになに? わたしまた無意識の内に蓮くんの地雷踏んだの?)

 それは困る。自分の身が心配になってにじり寄ろうとしたが、彼はさらにわたしから距離をとり、よろよろと下がっていく。そしてついには顔を見せることなく、無言のまま保健室から飛び出ていった。



「なんなの……」


 呆然と呟くわたしに答えてくれる人はもう居なかった。
 けれどわたしの見間違いではなければ、彼の耳は確かに赤く染まっていた。


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